第13話

 翌日の捜査方針は予想通り識鑑班しきかんはんの増員が決定し、地取り班と証拠班から何組かが識鑑班に投入された。

「警部はああ言ってたけど、やっぱり流しの犯行の可能性は低いんじゃないかな。この周辺で空き巣被害も出てないし、これだけ聞き込みをしているのに不審者情報も出てこないだろ?」

「不審者情報が出てこないのは、ここの住人が出不精でぶしょうだからだろ」

 まぁ、確かにそうなのだが。俺は肩をすくめ、次の聞き込み先のインターホンを鳴らす。すると、「セールスは結構です。シール貼ってあるでしょ?!」ととげのある若い女性の声がスピーカーから聞こえてきた。見ると確かにインターホンのボタン上部に〈セールスお断り〉とシールが貼られていた。

「いえ、愛知県警の者です。佐伯美奈さんの事件についてお話を伺いたいのですが」

 俺はインターホンのカメラ越しに警察手帳をかざした。

「あっ、す、すみません」

 慌てたのか、スピーカーからガチャンと大きな音が聞こえた。そして少ししてから申し訳なさそうな顔で若い女性が玄関から出てきた。

「さっきは失礼しました。最近セールスがしつこくて、ちょっとイライラしていて」

「構いませんよ。もし悪質なセールスであれば区役所や緑署に相談窓口があるのでそちらに連絡して下さい。申し遅れました、私は愛知県警の望月と言います。彼は田村です。佐伯美奈さんの事件について情報を集めています。お手数ですがご協力お願いします」

「佐伯、さんですか? でも私、彼女としゃべったことないし……それに挨拶くらいはするけど聴覚に障害があるから家からほとんど出ないって言ってましたよ」

「それはどなたから?」

 俺が尋ねると、途端に彼女の様子が落ち着きのないものになった。どうやらマスコミなどから得た情報ではないらしい。だとすると美奈と親しかった人間がこの近くにいるということか。

「教えていただけませんか?」

「でも……」

「聞き込み先で伺った情報を外部に漏らすことは決してしません。我々は佐伯美奈さんの情報が知りたいだけなんです。あなたにご迷惑はかけません」

 彼女は頬に手を当て、なおも逡巡しゅんじゅんする。

「お願いします!」

 ここで聞き出せなければ刑事失格だ。

「……私から聞いたなんて言わないで下さいね。今後もお付き合いのある方ですから」

 俺は「もちろんです」と頷くと彼女は辺りを見回し、「絶対ですよ」と念を押してから重い口を開いた。

「三軒隣の槇田さんです。槇田弥生さん。一年位前に佐伯さんのお宅の前で自転車ごと転倒してしまったそうなんです。それで佐伯さんに病院まで運んでもらったそうですよ」

 そんな話は初耳だ。田村もメモを取る手を止め、顔を上げている。

「なんでも転倒した時の槇田さんの悲鳴を聞いて佐伯さんが家から出てきたそうです。槇田さんの足がかなり腫れて歩くこともできなかったらしくて、佐伯さんの車で病院へ向かったそうです。その時、本人から聴覚に障害があることを聞いたと言ってましたよ」

「ちょっと待って下さい。佐伯さんの車、ですか?」

 美奈は車を持っていなかったはずだ。これは馨と田上からも証言を取っている。

「ええ。時々、車を運転している姿を見かけましたけど?」

 彼女は困惑した様子で俺たちの顔を交互に見た。変なことを言ってしまったのか、と心配になったようだ。

「最近も彼女が車を運転しているところを見ましたか?」

 彼女は少し考えてから、「いえ、最近は。……そう言えば見てないかしら?」と自信なさそうに答えた。

「それはいつ頃からですか?」

「そこまでは、ちょっと」

 そんなこと訊かれても困る、と言いたげだ。

「そうですか。槇田さんはよくあの道を自転車で通るんですか?」

東郷町とうごうちょうにある工場にパートで働いていて、いつもあの道を通っていたそうですよ。私も詳しくは判らないので直接彼女に訊いてみて下さい。あ、くれぐれも私が話したとは言わないで下さいね。クセのある人だから」

 彼女は再度、念を押す。近所付き合いも大変そうだ。

「解っています。あと最後にひとつだけ。佐伯さんの家に出入りしていた方をご存じありませんか?」

「さぁ、あの家に人の出入りなんて……あっ、そう言えばすごく綺麗な女性が時々彼女の家に来てるって。確か、女優のお友達か何かだって聞きましたよ」

 ……水島か。間違える気持ちは解るが女優ってのはどこから出てきたんだ。噂とは怖いものだ。一応、誰から聞いたか尋ねてみたが前に聞き込みをした家の住人だった。その住人は別の名前を上げている。曖昧あいまいに笑いながら「そうですか」と答えておいた。

「貴重なお話、ありがとうございました」

 彼女が家に入っていくのを確認してから俺たちは槇田邸へ向かう。先ほどの家と同じ〈セールスお断り〉のシールが貼ってあるインターホンのボタンに手をかけた時、玄関から中年の女性が出てきた。

「どちら様ですか?」

 俺たちに気づいた女性は身構えるようにその場に立ち止まった。またセールスと間違えられているようだ。よっぽど嫌な思いをしているのだろうか。女性は距離を保ちながら睨みを利かせる。

「愛知県警の望月と言います。槇田さんでしょうか?」

 警察手帳を翳すと、より一層女性は警戒を強めて身構えた。

「はい。あの、何か?」

「佐伯美奈さんの事件について捜査をしているのですが、少しだけお時間いただけますか?」

 槇田弥生はようやくホッとしたように警戒を解き、俺たちの方へ歩いてきた。今の世の中、警察官も警戒されるのかと軽くショックを受けていると、十分ほどなら大丈夫だと弥生は言った。今から東郷町の工場へ行くのだそうだ。時間を有効に使う為に早速聞き込みを始める。

「事件について情報を集めています。佐伯さんについてのことでしたらなんでも構いません。何かご存じのことがあれば話していただけませんか?」

 そう言うと、弥生は先ほどの女性から聞いた話を詳しく語り出した。もともと話好きなのかもしれない。

「あのね、刑事さん。私ね、以前、佐伯さんの家の前で自転車に乗ったまま転んじゃったのよ。しかもなんにもないところで。そっれがまた痛くてねぇ。いやんなっちゃうわよ。そしたら佐伯さんが家から出てきてね、足が腫れて立てないでいる私を病院まで車で運んでくれたのよ。私は遠慮したんだけどね、彼女すごくいい人だったわ。偏屈へんくつだなんて誰が言ったのかしらね。勝手なことばかり言う人っているのね。……ほんと、可哀想に。まだ若いのにねぇ」

 最初は威勢のよかった弥生の声も、最後の方はしんみりとしたものになっていた。

「そうでしたか。それで車の中では佐伯さんとどのような会話をされたんですか?」

「私が助手席から『忙しいのにごめんなさいね』って言ったらね、『申し訳ありません、左耳は聴こえないのでもう少し大きな声でお願いできますか?』って彼女に言われてね。私、知らなかったとはいえ申し訳ないことしたなって思っていたら、彼女が『もう長いことこの耳で過ごしていると、障害も含めてこの耳を愛しく思っているんですよ』って言ってくれたのよ。……ほんと、気配りのできる優しい人だったわ」弥生は涙ぐみながらそう言うと鞄からハンカチを取り出して涙を拭った。「どうしてあんないい娘さんが……刑事さん、犯人必ず捕まえて下さいね」

「もちろんです」

 俺が力強く頷くと弥生は安心したように顔をほころばせた。

「申し訳ありません、あともう少しだけいいですか? 病院に着いてからはどうされましたか?」

 涙を拭っていた手が止まり、弥生が急に顔を突き出してきた。驚いて思わず後ずさってしまったが、興奮している彼女は気にも留めない様子で俺に向かってまくし立てた。

「それがね、刑事さん! 病院に着いた時に佐伯さんの携帯が鳴ってね。電話の相手に彼女が病院にいるって伝えたら、その人が弁護士を連れてやって来たのよ!」

「その方はどなたか判りますか?」

「佐伯さんは『お祖母様』って言ってたわ。なんか怖そうな人だったわよ。しかもね、その人来るなりなんて言ったと思う?! 『この件に関してはすべて弁護士を通して下さい』って言うのよ! 失礼しちゃうでしょ?! 佐伯さんが事情を説明しても聞く耳持たずって感じなのよ! 挙句、演奏会があるからって佐伯さんを無理やり連れていっちゃったの。信じられない! 彼女、病院に来るなり急に気分が悪くなったみたいで顔からすごい汗出して、震えも止まらなくて大変だったのよ! 演奏どころじゃないはずでしょ?! それなのにひどいと思わない?! ああもう、思い出すだけで頭にきちゃう!」金切り声を立てながら彼女は腕時計を確認する。「あ、時間だわ。ごめんなさいね。仕事に遅れちゃうから失礼するわね」

「えっ、あの。あ……あー」

 言うだけ言って満足したのか、弥生はスッキリとした顔で自転車に乗って走り去っていった。あまりの彼女の切り替えの速さに呆気にとられながら、引き留めようと上げた手をゆっくりと下ろした。他に訊くことがまだあったのに、どうも途中から彼女のペースに呑まれてしまった気がする。

「まだまだだな」

 隣の田村が呟いた。

「お前なぁ……だったら今度からお前が聞き役に回れよ! 俺がメモ取るから」

「嫌だね」

「大体、刑事が人見知りしてどうすんだよ」

「偏見だな。公正を期する刑事がそんな偏見を持つのはどうかと思うけどな」

 やれやれ、と田村は肩をすくめてみせた。まるで俺が悪いみたいじゃないか。

「おっまえ、腹立つなぁ。一発殴らせろ」

「暴行の現行犯で逮捕するぞ」

 田村がすかさず返す。

「あーっ、ムカつく!」

「時間だ。戻ろう」

 そう言って田村は、さっさと車の方へと歩き出す。

 駄目だ。今度は田村のペースにはまっている。俺は腰に手を当てて大きな溜め息をつき、田村のあとに続いて歩き出した。

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