第23話 ignition
グリーンハイツ202号室。
ポケットから、血に染まった
風呂桶に洗剤を入れ、水を溜め、ハンカチを漬け置きする。
やるべきタスクを済ませ、零一は寝室へと向かった。
零一が制服の上着をベッドのヘッドボードに垂らし、ネクタイを外し、シャツとスラックスの状態でベッドに寝転がる。
手と足とを投げ出した仰向けの状態で、零一が天井に声を投げた。
「
『承知しました。新たに発見された脆弱性のレポートが4件、パッチにより修正された脆弱性が2件――』
ルーティンを報告した後、数日前に追加された項目について、
『
「分かった。そのメンバーにバックドアを仕込め。ヴェインで他メンバーと合流するまで潜伏状態に、合流した際に起動する
ようやく手にした反撃の機会に、零一が淡々と攻撃内容を詰めていく。
零一が手を動かしつつ、
「……よし」
セキュリティをかいくぐる為の多段式
「
『承知いたしました』
ポップアップをすぐに消した零一はベッドから起き、脱衣所に行って夜桜のハンカチを洗いに行った。
* * *
翌朝。
「おはよう、夜桜さん」
零一が登校し、机の脇のフックに学生鞄をかける。
既に着席していた夜桜は、彼に顔を向けて挨拶を返した。
「おはよう、
「ああ、問題ない。放課後に
自身の無事を強調すると、夜桜は安心したようだ。
「良かった。今日来なかったらどうしようかと思っちゃった」
「来ないといけない用事があるからな」
言って、零一が夜桜に手を差し出す。
その手の平の上には、新品のように真っ白なハンカチがあった。
夜桜が渡されたハンカチを手に取り、目を丸くする。
「血が結構ついてたのに、すっかりなくなってる。
こんなに綺麗になるまで洗ってくれたんだ。ありがとう、遊木さん」
「いや、大したことはしていない」
肌の荒れた手を後ろに引っこめ、零一が謙遜する。
平和に進む会話に割り入るように、女子生徒が突撃してきた。
「零一クーン!」
「うわあっ!?」
突撃してきた女子生徒は、昨日零一が庇った
高坂は零一の頭を撫でさすり、高いテンションで話しかける。
「アタシも零一クンが生きて登校してくれて良かったよー。
ホントに気が気じゃなかったんだから! 今度、部品を組み立てる時はグーッと力を入れて、外れないようにするよ!」
「そ、そうか。でもあんまり気に病む必要はない。だからその……離してくれ」
異性とのスキンシップに慣れていない零一が困惑し、高坂に距離を取るよう懇願する。
「ゴメンねー。ウチの高坂がご迷惑をおかけいたしまして」
わざとらしい敬語と共に、
「いや、そんな迷惑っていうほどじゃなかったが……でも助かった」
「どういたしまして。ホラ高坂、頭下げる!」
「別にただのじゃれ合いじゃーん」
「…………」
目の前で女子同士の馴れ合いが勃発し、零一が蚊帳の外に叩き出された。
所在なく立ち尽くす零一に、つんつんと、制服の裾が引っ張られる。
その感触の元を辿り、零一がそちらに向き直る。
席に座っていた夜桜が、胴と手を伸ばして零一の裾をつまんでいた。
気を引く事に成功した夜桜は、零一に話しかける。
「ねえ、遊木さん」
「……何だ?」
「
入学式の時には、真凛のために養護教諭を呼びに行った。
昨日には高坂を庇い、落下する鉄パイプに頭を打たれた。
二人を助けた零一が、実感もなく軽く受け流す。
「そうかもしれないな」
零一の返事に、夜桜がわずかに憂色を浮かべる。
「でも、遊木さんはもうちょっと自分のことも大事にした方がいいよ」
「…………」
夜桜からの心配に、零一が黙りこむ。
「傍で見てると、危なっかしいよ。
今回は当たりどころが良くて無事だったけど、ミイラ取りがミイラになっちゃったら悲しいからね」
夜桜が、真っ白なハンカチをぎゅっと握る。
「遊木さんは『良い』人だけど、その『良い』のために死んじゃったら、遊木さんのご両親も悲しむと思うし……わたしも悲しいよ。
だからさ、遊木さんは自分をもっと大事にして欲しい。
転校してすぐに
「…………」
夜桜からの言葉を受け止め、零一がしばし硬直する。
想起と逡巡。止まっていた思考を蹴って動かし、零一は夜桜に応答した。
「夜桜さんは……俺とは、その……友達には、なれない感じか?」
零一がようやく吐き出した言葉に、夜桜が不意を打たれたように顔を白くする。
「え!? いや、別にそんなことはないけど……いきなり、どういうわけで?」
夜桜が恐々と問いかけると、零一が目を逸らして答えた。
「……夜桜さんが『友達になれた』と言ってる中に、夜桜さん自身が入っていなかったようだから」
言われて、夜桜が「あっ」と声を上げる。
「ごめんね、そういう意図じゃなかったの。
自分自身を遊木さんの友達として含めて言うのは、おこがましいかなって思っちゃって……」
互いに劣等感を抱いているが故に、互いの事を友達と言い張れない。
しかし、相手から友達だと言われれば、喜んでその言葉に乗る。そういった間柄ではあった。
「――へー。遊木くんも夜桜さんもまだ友達じゃなかったんだー」
高坂とのじゃれ合いをやめた真凛が、二人の間に乱入してくる。
「あっ」「えっ」
突然の第三者の発言に、二人とも驚きの声を上げる。
真凛は二人の右腕をつかむと、両者の手を結ばせた。
「ほら、握手。
こっちから見たら、もう二人とも充分に友達じゃない」
「…………」
「…………」
零一と夜桜が黙って視線を交わし合い、相手の目が揺れている事を相互に確認する。
そして、互いに悪しく思っていないという事も確認して、零一から言葉を始めた。
「その……友達、になっていいのか?」
遠慮がちに零一が問うと、夜桜が小さく頷く。
「うん。……多分、今まででも友達だったのかもしれないけど」
零一の握る夜桜の手が、熱く感じる。
恐らく、向こうも同じ感覚であろう事を、零一は直感した。
* * *
ランプの炎が、空間を照らす。
パーティクルがZ軸プラス方向へ射出され、流体シミュレーションに乗って左右に揺らされる。3秒から5秒までの範囲内でランダムに決められた
メモリをわずかに
クラッカーギルド、
「遅いな」
傍に控えるギルドメンバーの一人が、機嫌を損ねているリーダーに対して恐る恐る口を利く。
「……メッセージは来ています。昨日導入したチートが他のものと食い合っていて、バグの解消で遅くなっていると」
「それは知っている。程度の低い不具合に踊らされている事が気に入らん」
ギルドメンバーは即座に指先をタバコの先端に当てると、静かにスキルの名を唱えた。
「……
クラス:
メンバーの指先から火が灯り、タバコの先に引火する。
「ギルドの入団試験――
「……流石にこれ以上難化させたら、
「その分
沈黙する空気に、ジリ、とタバコの燃える効果音が耳につく。
息が詰まるような緊迫の中、テレポートのエフェクトと共に新たなギルドメンバーが姿を現した。
「――遅れて申し訳ございません!」
アバターが顕現してすぐ、そのメンバーは頭を下げる。
「
ギンッ!
「があっ!?」
クラス:
遅刻してきたメンバーが
ヴェインのセーフティである痛覚遮断機能は、その一撃で解除された。痛みと寒気に歯を軋ませるメンバーを、
「11分。時間の無駄が発生した」
「も……申し訳、ございません……!」
震える口でなんとか謝罪を紡ぐメンバー。
「奴のシステムを解体しろ」
「……承知しました」
部下の処理を部下に任せ、
「や……やめろ……やめてくれっ!」
助命を懇願するメンバーの悲鳴をよそに、
黒いベッドに座り、タバコの煙をくゆらせた。
ドア越しに聞こえるのは、抵抗して暴れる音。押さえつける音。肉の割かれる音。悲鳴。
そしてもう一つは――。
――ドンッ!
ドアの奥で爆発が起こる。
ダメージを伴う爆発と共に、データの洪水が発生する。
該当の爆発エフェクトを再生したプレイヤーを侵蝕するワーム。周辺情報を手あたり次第にダンプし外部へ発信するスパイウェア。致命的な被害だけを残し、痕跡とログを抹消するワイパー。
まともに食らえばまず助からない爆発的破壊。ドアに即席で仕込んだプロテクトで
そして、起動条件をコンマ数秒でハッキングAIが解析し、同時に解除するのにかかる時間を試算した結果、起動前に解除する事が不可能であると判断した。
3人の命を犠牲にした
「……舐めたマネをしてくれる」
床で灰を散らすタバコをブーツで踏み潰し、
これで、何等かの「敵」に対してギルドハウスの位置やパスキー等、あらゆる情報が流出しただろう。ともすれば、収集した
「計画」の針を早める必要が出た。
「敵はレアステーキをご所望のようだ。明日、導火線に火をつけろ」
煙が部屋に満ちる中、
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