第23話 ignition

 グリーンハイツ202号室。

 零一れいいちが帰宅すると、すぐに脱衣所へと向かった。


 ポケットから、血に染まった夜桜よざくらのハンカチを取り出す。

 風呂桶に洗剤を入れ、水を溜め、ハンカチを漬け置きする。


 やるべきタスクを済ませ、零一は寝室へと向かった。

 零一が制服の上着をベッドのヘッドボードに垂らし、ネクタイを外し、シャツとスラックスの状態でベッドに寝転がる。


 手と足とを投げ出した仰向けの状態で、零一が天井に声を投げた。


Pragmaプラグマ、報告を頼む」

『承知しました。新たに発見された脆弱性のレポートが4件、パッチにより修正された脆弱性が2件――』


 ルーティンを報告した後、数日前に追加された項目について、Pragmaプラグマが完了を告げる。


曇天の黒シュヴァルツヴォルケンに所属するメンバー1人の特定が完了しました』

「分かった。そのメンバーにバックドアを仕込め。ヴェインで他メンバーと合流するまで潜伏状態に、合流した際に起動する論理爆弾ロジックボムのスケルトンコードを用意しろ」


 ようやく手にした反撃の機会に、零一が淡々と攻撃内容を詰めていく。

 零一が手を動かしつつ、Pragmaプラグマに適宜ライブラリを調達fetchさせ、既存の悪意を組み立てて、新たな悪意を作成した。


「……よし」


 セキュリティをかいくぐる為の多段式密輸人ローダー実弾マルウェアを装填し、Pragmaプラグマに引き金を引かせる。


Pragmaプラグマ、今作成したファイルを送りこめ」

『承知いたしました』


 進捗progressバーが一瞬浮かんだ後に消え、送信完了Send Completedのポップアップが浮かぶ。

 ポップアップをすぐに消した零一はベッドから起き、脱衣所に行って夜桜のハンカチを洗いに行った。


     *   *   *


 翌朝。


「おはよう、夜桜さん」


 零一が登校し、机の脇のフックに学生鞄をかける。

 既に着席していた夜桜は、彼に顔を向けて挨拶を返した。


「おはよう、遊木ゆうきさん。頭のケガは大丈夫?」

「ああ、問題ない。放課後にAI診断オートメディックの脳神経外科にかかって、特に異常がないと判定された」


 自身の無事を強調すると、夜桜は安心したようだ。


「良かった。今日来なかったらどうしようかと思っちゃった」

「来ないといけない用事があるからな」


 言って、零一が夜桜に手を差し出す。

 その手の平の上には、新品のように真っ白なハンカチがあった。


 夜桜が渡されたハンカチを手に取り、目を丸くする。


「血が結構ついてたのに、すっかりなくなってる。

 こんなに綺麗になるまで洗ってくれたんだ。ありがとう、遊木さん」

「いや、大したことはしていない」


 肌の荒れた手を後ろに引っこめ、零一が謙遜する。

 平和に進む会話に割り入るように、女子生徒が突撃してきた。


「零一クーン!」

「うわあっ!?」


 突撃してきた女子生徒は、昨日零一が庇った高坂こうさかだった。

 高坂は零一の頭を撫でさすり、高いテンションで話しかける。


「アタシも零一クンが生きて登校してくれて良かったよー。

 ホントに気が気じゃなかったんだから! 今度、部品を組み立てる時はグーッと力を入れて、外れないようにするよ!」

「そ、そうか。でもあんまり気に病む必要はない。だからその……離してくれ」


 異性とのスキンシップに慣れていない零一が困惑し、高坂に距離を取るよう懇願する。


「ゴメンねー。ウチの高坂がご迷惑をおかけいたしまして」


 わざとらしい敬語と共に、真凛まりんが高坂を引きはがす。


「いや、そんな迷惑っていうほどじゃなかったが……でも助かった」

「どういたしまして。ホラ高坂、頭下げる!」

「別にただのじゃれ合いじゃーん」

「…………」


 目の前で女子同士の馴れ合いが勃発し、零一が蚊帳の外に叩き出された。

 所在なく立ち尽くす零一に、つんつんと、制服の裾が引っ張られる。

 その感触の元を辿り、零一がそちらに向き直る。


 席に座っていた夜桜が、胴と手を伸ばして零一の裾をつまんでいた。

 気を引く事に成功した夜桜は、零一に話しかける。


「ねえ、遊木さん」

「……何だ?」

青井あおいさんも高坂さんも、遊木さんがいなかったらこうしてケンカしてなかったかもね」


 入学式の時には、真凛のために養護教諭を呼びに行った。

 昨日には高坂を庇い、落下する鉄パイプに頭を打たれた。


 二人を助けた零一が、実感もなく軽く受け流す。


「そうかもしれないな」


 零一の返事に、夜桜がわずかに憂色を浮かべる。


「でも、遊木さんはもうちょっと自分のことも大事にした方がいいよ」

「…………」


 夜桜からの心配に、零一が黙りこむ。


「傍で見てると、危なっかしいよ。

 今回は当たりどころが良くて無事だったけど、ミイラ取りがミイラになっちゃったら悲しいからね」


 夜桜が、真っ白なハンカチをぎゅっと握る。


「遊木さんは『良い』人だけど、その『良い』のために死んじゃったら、遊木さんのご両親も悲しむと思うし……わたしも悲しいよ。

 だからさ、遊木さんは自分をもっと大事にして欲しい。

 転校してすぐにしまさんや青井さん、高坂さんとも友達になれたんだし、その人たちの為にも自分を守っていって欲しいな」

「…………」


 夜桜からの言葉を受け止め、零一がしばし硬直する。

 想起と逡巡。止まっていた思考を蹴って動かし、零一は夜桜に応答した。


「夜桜さんは……俺とは、その……友達には、なれない感じか?」


 零一がようやく吐き出した言葉に、夜桜が不意を打たれたように顔を白くする。


「え!? いや、別にそんなことはないけど……いきなり、どういうわけで?」


 夜桜が恐々と問いかけると、零一が目を逸らして答えた。


「……夜桜さんが『友達になれた』と言ってる中に、夜桜さん自身が入っていなかったようだから」


 言われて、夜桜が「あっ」と声を上げる。


「ごめんね、そういう意図じゃなかったの。

 自分自身を遊木さんの友達として含めて言うのは、おこがましいかなって思っちゃって……」


 互いに劣等感を抱いているが故に、互いの事を友達と言い張れない。

 しかし、相手から友達だと言われれば、喜んでその言葉に乗る。そういった間柄ではあった。


「――へー。遊木くんも夜桜さんもまだ友達じゃなかったんだー」


 高坂とのじゃれ合いをやめた真凛が、二人の間に乱入してくる。


「あっ」「えっ」


 突然の第三者の発言に、二人とも驚きの声を上げる。

 真凛は二人の右腕をつかむと、両者の手を結ばせた。


「ほら、握手。

 こっちから見たら、もう二人とも充分に友達じゃない」

「…………」

「…………」


 零一と夜桜が黙って視線を交わし合い、相手の目が揺れている事を相互に確認する。

 そして、互いに悪しく思っていないという事も確認して、零一から言葉を始めた。


「その……友達、になっていいのか?」


 遠慮がちに零一が問うと、夜桜が小さく頷く。


「うん。……多分、今まででも友達だったのかもしれないけど」


 零一の握る夜桜の手が、熱く感じる。

 恐らく、向こうも同じ感覚であろう事を、零一は直感した。


     *   *   *


 ランプの炎が、空間を照らす。

 パーティクルがZ軸プラス方向へ射出され、流体シミュレーションに乗って左右に揺らされる。3秒から5秒までの範囲内でランダムに決められた生存時間Life Timeを過ぎて、生成されたパーティクルがゆらりと消滅する。


 メモリをわずかに光源Emissionは、黒い壁と黒いソファ、そして3人のアバターにレイトレーシング処理を押しつけていた。


 クラッカーギルド、曇天の黒シュヴァルツヴォルケン。その牙城たるギルドハウスで、ギルドリーダーの女性――Polarポーラ-Blizzardwillブリザードウィルが仮想世界のタバコを折った。


「遅いな」


 傍に控えるギルドメンバーの一人が、機嫌を損ねているリーダーに対して恐る恐る口を利く。


「……メッセージは来ています。昨日導入したチートが他のものと食い合っていて、バグの解消で遅くなっていると」

「それは知っている。程度の低い不具合に踊らされている事が気に入らん」


 Polarポーラが新たにタバコのオブジェクトを取り出し、口に咥える。

 ギルドメンバーは即座に指先をタバコの先端に当てると、静かにスキルの名を唱えた。


「……点火イグナイト


 クラス:魔法使いウィザード初級攻撃魔法スキル。

 メンバーの指先から火が灯り、タバコの先に引火する。


「ギルドの入団試験――Liber Primusリベルプリムスをもっと難化させろ」

「……流石にこれ以上難化させたら、働きアリワーカーが少なくなってしまいます」

「その分botボットを増やせ。Puppetパペット-Masterマスターに構築させたネットワークを増殖させろ」


 Polarポーラからの無茶振りに反抗する事はできず、メンバーが「……御意に」と命令を飲み下す。

 沈黙する空気に、ジリ、とタバコの燃える効果音が耳につく。


 息が詰まるような緊迫の中、テレポートのエフェクトと共に新たなギルドメンバーが姿を現した。


「――遅れて申し訳ございません!」


 アバターが顕現してすぐ、そのメンバーは頭を下げる。

 Polarポーラは冷ややかに一瞥した後、メンバーに向かって手を掲げた。


輝疾氷刃ブリザード・ブレイド


 ギンッ!


「があっ!?」


 クラス:魔法使いウィザード中級攻撃魔法スキル。敵一体の対象へ、氷の刃を射出する。

 遅刻してきたメンバーがPolarポーラの氷の刃の餌食となり、足と手を凍結されて床に転がった。


 ヴェインのセーフティである痛覚遮断機能は、その一撃で解除された。痛みと寒気に歯を軋ませるメンバーを、Polarポーラが見下す。


「11分。時間の無駄が発生した」

「も……申し訳、ございません……!」


 震える口でなんとか謝罪を紡ぐメンバー。

 Polarポーラは他2人のギルドメンバーに向かって、冷徹に命令を下した。


「奴のシステムを解体しろ」

「……承知しました」


 部下の処理を部下に任せ、Polarポーラがソファから腰を上げる。


「や……やめろ……やめてくれっ!」


 助命を懇願するメンバーの悲鳴をよそに、Polarポーラは別室のドアを開く。

 黒いベッドに座り、タバコの煙をくゆらせた。


 ドア越しに聞こえるのは、抵抗して暴れる音。押さえつける音。肉の割かれる音。悲鳴。

 Polarポーラが別室に移動したのは、聞き苦しい音から離れる為が一つ。


 そしてもう一つは――。


 ――ドンッ!


 ドアの奥で爆発が起こる。

 ダメージを伴う爆発と共に、データの洪水が発生する。

 該当の爆発エフェクトを再生したプレイヤーを侵蝕するワーム。周辺情報を手あたり次第にダンプし外部へ発信するスパイウェア。致命的な被害だけを残し、痕跡とログを抹消するワイパー。

 まともに食らえばまず助からない爆発的破壊。ドアに即席で仕込んだプロテクトでPolarポーラのみが回避し、元の部屋にいたギルドメンバーはメンバーリストに文字化けした名前を刻んで強制ログアウトされる。


 Polarポーラは、遅刻してきたメンバーに爆弾が仕込まれていた事を、彼が入室した時から知っていた。

 そして、起動条件をコンマ数秒でハッキングAIが解析し、同時に解除するのにかかる時間を試算した結果、起動前に解除する事が不可能であると判断した。


 3人の命を犠牲にしたPolarポーラは、タバコを床に落とす。


「……舐めたマネをしてくれる」


 床で灰を散らすタバコをブーツで踏み潰し、Polarポーラが憎悪を顔に形作る。

 これで、何等かの「敵」に対してギルドハウスの位置やパスキー等、あらゆる情報が流出しただろう。ともすれば、収集したFact.leeファクトリーを狙ってハイエナが湧き出る可能性もある。


「計画」の針を早める必要が出た。


 Polarポーラは指を鳴らし、残ったギルドメンバーに号令をかける。


「敵はレアステーキをご所望のようだ。明日、導火線に火をつけろ」


 煙が部屋に満ちる中、Polarポーラの牙が暗闇に光った。

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