第21話 未定の一票

 グリーンハイツ202号室。

 零一れいいちの居室であるその部屋は、寝るには早い夜20時には灯りが消える。


 消灯は就寝を意味しない。

 彼はベッドの上で横になり、スマート・リングスマリを起動して仮想世界ヴェインの調査を進めていた。


 ハッキングAIPragmaプラグマによる情報収集の成果報告、ディープウェブのドブさらい、ヴェインにログインしてチーターを殺し口を割らせ、凶悪事件に耳を傾ける。

 いつも通りに雷善らいぜんに関する直接の収穫はゼロに終わる。


 しかし、最近追加された調査項目については活発に動いていた。

 敵対するクラッカーギルド曇天の黒シュヴァルツヴォルケンと、現界蝕者ファルシフィエルへと変ずる為のアイテムFact.leeファクトリーについてである。


 曇天の黒シュヴァルツヴォルケンが所有するサーバの特定と脆弱性のスキャンは済み、そのサーバから更に別の踏み台サーバへと繋がる糸を辿り、発信源となるプロクシサーバを突き止めた所である。

 現在はプロクシサーバの通信データをキャプチャし、過去3回に曇天の黒シュヴァルツヴォルケンの襲撃を受けた際のログを学習データとしてPragmaプラグマに食わせ、プロクシサーバにアクセスしている無数の容疑者を絞っている所だ。


 ヴェイン上の謎のレアアイテムFact.leeファクトリーについては、暗礁に乗り上げている状況だ。Pragmaプラグマによる自動の構造逆算リバースエンジニアリングは想定解析完了時間が2^32秒という、実質的なお手上げを意味していた。

 零一自身もFact.leeファクトリーの内容について手作業で解析するも、アイテムのIDや使用時にどのプログラムが実行されるかの着火点は分かった。翻って、それ以外は全く掴めない状態である。

 実際に実行してみれば、ログを取って少しは解析ができるだろう。しかし自分の身で、ましてや他人の体を使って人体実験をやるつもりはない。

 雷善に繋がる確かな証拠を前に、進める事すらできない現状に歯嚙みする。

 それでも止めるという選択は感情が許さず、無為むいと思える自動解析を低優先度でPragmaプラグマに任せていた。


「……ふう」


 ヴェイン上でプレイヤー・キラーを4人殺し、深夜2時を回った頃に零一が現実世界へ帰還した。

 ずっとベッドで横になっていたのだが、体の奥に疲労感が溜まっている。


 ヴェインでの体験は、基本的に現実世界の肉体へのフィードバックはない。疲労感は精神が持ちこんだものだ。

 ヴェインで行った戦闘、会話、探索。楽しむ為ではなく義務の為のそれらは、零一の心底しんていに泥色のおりを重ねていった。


 ごろりと寝返りを打ち、零一が瞼を閉じる。


「おやすみ」


 かつては同室の妹から返事が返ってきた就寝の挨拶。

 虚ろな空間に音響する挨拶。その返事も待たず、零一はすぐさま夢の世界に旅立っていった。


 寝息だけが寝室に響く中、遅れた返事がスピーカーから出力される。


『おやすみなさいませ』


 Pragmaプラグマの機械音声が、仕様外の挨拶を虚空に投げかけた。


     *   *   *


 田質でんしち高校。

 1年2組の教室。


 6限目はロングホームルームだった。

 クラス毎に決めるべき体育祭のいくつかが議題に上がり、体育祭実行委員の零一は電子黒板の板書係を引き受けている。

 司会進行を務めるのは、零一とは別のもう一人の体育祭実行委員である、女子生徒の高坂こうさかだった。


「――はい、というわけで。

 今年の体育祭のテーマ、キャッチコピーの案について、思いついた方は挙手でお願いします」


 まばらに手が挙がる。手を挙げている生徒たちは、いずれも明朗闊達めいろうかったつな男子、女子であった。

「全力で、青春を走れ!」「Go furtherもっと先へ」「一瞬一瞬が、かけがえのない宝物」といった当たり障りのない案を、零一が仮想キーボードで電子黒板に打ちこんでいく。


 挙げられた案からクラス全員の投票で一つが決まる。「Go furtherもっと先へ」が最多票で決まり、次の議題に移る。


「アタシたち1年2組のチーム分けは玄武げんぶになりました。

 そこで、チーム玄武の為のテーマソングを決めたいのですが、こちらも案がある方は挙手をお願いします」

「はーい!」


 勢いよく手を挙げたのは、お調子者の男子生徒、しまつくすだった。

 挙手と共に立ち上がり、島が大いに主張する。


「ボクは、Cherryチェリー-Hatchetハチェットの『桜咲く坂咲き盛れ』が良いと思います!」


 その意見に、周りの生徒から笑い声と肯定の声が漏れ出る。


「まあ、いーんじゃないの?」

「あたしもチェリハちゃん好きだし、新曲いいよねー」

「そんな力説する事かー?」


 揶揄やゆも混じるが、島の提案に水を差す者はほとんどいなかった。


「……あのー……」


 赤い顔を伏せ、弱々しく手を挙げたのは後ろの席の女子生徒。夜桜よざくら満開みはるだった。


「どうしたの、夜桜さん? 何か別の曲が良い?」

「その……わ、わたし個人の意見なんですけど……」


 夜桜は細い喉から小さく異議を唱える。


Hatchetハチェットの新曲って、ちょっとゆっくりした曲調で、体育祭と合わなそうな感じだし……わたし……テーマソングにするんだったら、もっとテンポの速い……あの、Missミス-Tiramisuティラミスの『ザバイオーネ・カンツォーネ』とか、どうでしょうか……?」


 夜桜が挙げたのは、Hatchetハチェットと同じく個人のVヴェインアイドルである、Missミス-Tiramisuティラミスの代表曲であった。

 その案を聞いた同級生たちから、「あー」と声が上がる。


 同級生たちの一音の響きは種々によって違う。納得であったり、肯定であったり、あるいは否定や無知に由来する。

 二つの異なる案が持ち上がったならば、決する方法は一つである。


「他にテーマソングにしたい曲は……ないようなので、じゃあ投票にします。

『桜咲く坂咲き盛れ』か『ザバイオーネ・カンツォーネ』。どちらかに投票をお願いします。

 それでは、『桜咲く坂咲き盛れ』がいいと思う人は、手を挙げて下さい」


 あちこちから手が挙がる。

 高坂がアナログ式に手を数え、丁度挙手の人数がクラスの半分である事を確認した。


「じゃあ一応、『ザバイオーネ・カンツォーネ』がいいと思う人ー」


 その声と共に挙げられた手は、やはりクラスの半分に分かれていた。


「うーん、それじゃあ……実行委員の投票もしてみますか」


 言って高坂が振り向き、キーボードで曲名と人数を打ちこんでいた零一に目をやる。

 いきなり注目された零一が、肩をぎくりと震わせた。


「……俺も票を入れるのか?」

「そう。それじゃあ、『桜咲く坂咲き盛れ』が良いと思う人!」


 いきなり出題され、零一がおずおずと手を挙げた。

 同時に高坂自身も手を高々と挙げ、実行委員の意思表示が決する。


「――では、実行委員を含めたクラスメイト全員の意見としては、『桜咲く坂咲き盛れ』をテーマ曲にする、という事で決定します。

 この決定について、異議がないようだったら拍手でお願いします」


 高坂から促され、クラス中から拍手が上がる。

『ザバイオーネ』を別案に挙げた夜桜も、苦笑しながら拍手していた。


 大きな音量が肯定をそのまま表し、高坂がうなずいて次の議題へ進む。


「では、出場する競技について。種目は障害物競争、借り物競争、騎馬戦――」


 一限全てを体育祭の決め事に費やし、議題が終わると共にチャイムが鳴る。


「――起立、礼!」


 そのまま流れで実行委員の高坂が起立と礼を済ませ、放課後へと移った。


「高坂さん、俺なりに今日のまとめを書いてみたけど、これでいいか確認してくれないか?」

「うん、おっけー、じゃあまとめのシェアをお願い」


 零一が高坂に議題のまとめを送り、高坂が確認している時間。

 その待ち時間、手持ち無沙汰の零一を察知し、声をかける人影が一つ。


遊木ゆうきさん」

「ああ、夜桜さん」


 互いに互いの名称を呼び、コミュニケーションのハンドシェイクを済ませる。

 零一が夜桜の顔を見て、予想する用件を先に出した。


「その……テーマ曲、夜桜さんが提案したのに投票しなくて申し訳ないな」

「ううん、いいよ。その……遊木さんは……は、Hatchetハチェットとか、Vヴェインアイドルとか好きだったりするの?」


 言葉につかえながらも、夜桜が顔を赤らめて問う。


 その問いを受けた零一が、『Hatchetハチェット』という単語への脳のスパークを操作する。

 まさかあの有名人であるHatchetハチェットとヴェイン上で会ったとは素直に言えない。一般人としての振る舞いに沿って、零一が情報を出力した。


「俺が知っているVヴェインアイドルは、Hatchetハチェットしか知らないからな」

「えっ? そ、そうなんだ」

「正直に言えば、夜桜さんの好きなMissミス-Tiramisuティラミスも、『ザバイオーネ・カンツォーネ』も知らない。

 だから、知っている方に投票した。……その、理解の浅い人間でごめん」


 零一の回答に、夜桜がしばらく目を丸くしていた。

 数秒の後、夜桜は頬を上げ、零一に確認する。


「遊木さんは、少なくともHatchetハチェットが嫌いじゃないから投票したんでしょ?」

「まあ……そうだな。

 Hatchetハチェットにしても、曲にしても、知った時に良いな、と思ったからな。嫌いになってたら投票してない」


 零一から引き出された言葉に、夜桜は得心が行ったようだ。

 曇りのない笑顔を見せ、彼女が笑いかける。


「全く謝る必要なんてないよ。投票で決まった事なんだし、恨みっこなし」

「そうだな。……あ、今度夜桜さんが挙げていた『ザバイオーネ』について聴いてみる」

「うん、あの子の曲も良い曲だから、もし興味と暇があったら聴いてみて」


 そして、夜桜が零一に耳打ちした。


「それで聴いてみたら、今度こそどっちが良いか教えてね」

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