第21話 未定の一票
グリーンハイツ202号室。
消灯は就寝を意味しない。
彼はベッドの上で横になり、
ハッキングAI
いつも通りに
しかし、最近追加された調査項目については活発に動いていた。
敵対するクラッカーギルド
現在はプロクシサーバの通信データをキャプチャし、過去3回に
ヴェイン上の謎のレアアイテム
零一自身も
実際に実行してみれば、ログを取って少しは解析ができるだろう。しかし自分の身で、ましてや他人の体を使って人体実験をやるつもりはない。
雷善に繋がる確かな証拠を前に、進める事すらできない現状に歯嚙みする。
それでも止めるという選択は感情が許さず、
「……ふう」
ヴェイン上でプレイヤー・キラーを4人殺し、深夜2時を回った頃に零一が現実世界へ帰還した。
ずっとベッドで横になっていたのだが、体の奥に疲労感が溜まっている。
ヴェインでの体験は、基本的に現実世界の肉体へのフィードバックはない。疲労感は精神が持ちこんだものだ。
ヴェインで行った戦闘、会話、探索。楽しむ為ではなく義務の為のそれらは、零一の
ごろりと寝返りを打ち、零一が瞼を閉じる。
「おやすみ」
かつては同室の妹から返事が返ってきた就寝の挨拶。
虚ろな空間に音響する挨拶。その返事も待たず、零一はすぐさま夢の世界に旅立っていった。
寝息だけが寝室に響く中、遅れた返事がスピーカーから出力される。
『おやすみなさいませ』
* * *
1年2組の教室。
6限目はロングホームルームだった。
クラス毎に決めるべき体育祭のいくつかが議題に上がり、体育祭実行委員の零一は電子黒板の板書係を引き受けている。
司会進行を務めるのは、零一とは別のもう一人の体育祭実行委員である、女子生徒の
「――はい、というわけで。
今年の体育祭のテーマ、キャッチコピーの案について、思いついた方は挙手でお願いします」
まばらに手が挙がる。手を挙げている生徒たちは、いずれも
「全力で、青春を走れ!」「
挙げられた案からクラス全員の投票で一つが決まる。「
「アタシたち1年2組のチーム分けは
そこで、チーム玄武の為のテーマソングを決めたいのですが、こちらも案がある方は挙手をお願いします」
「はーい!」
勢いよく手を挙げたのは、お調子者の男子生徒、
挙手と共に立ち上がり、島が大いに主張する。
「ボクは、
その意見に、周りの生徒から笑い声と肯定の声が漏れ出る。
「まあ、いーんじゃないの?」
「あたしもチェリハちゃん好きだし、新曲いいよねー」
「そんな力説する事かー?」
「……あのー……」
赤い顔を伏せ、弱々しく手を挙げたのは後ろの席の女子生徒。
「どうしたの、夜桜さん? 何か別の曲が良い?」
「その……わ、わたし個人の意見なんですけど……」
夜桜は細い喉から小さく異議を唱える。
「
夜桜が挙げたのは、
その案を聞いた同級生たちから、「あー」と声が上がる。
同級生たちの一音の響きは種々によって違う。納得であったり、肯定であったり、あるいは否定や無知に由来する。
二つの異なる案が持ち上がったならば、決する方法は一つである。
「他にテーマソングにしたい曲は……ないようなので、じゃあ投票にします。
『桜咲く坂咲き盛れ』か『ザバイオーネ・カンツォーネ』。どちらかに投票をお願いします。
それでは、『桜咲く坂咲き盛れ』がいいと思う人は、手を挙げて下さい」
あちこちから手が挙がる。
高坂がアナログ式に手を数え、丁度挙手の人数がクラスの半分である事を確認した。
「じゃあ一応、『ザバイオーネ・カンツォーネ』がいいと思う人ー」
その声と共に挙げられた手は、やはりクラスの半分に分かれていた。
「うーん、それじゃあ……実行委員の投票もしてみますか」
言って高坂が振り向き、キーボードで曲名と人数を打ちこんでいた零一に目をやる。
いきなり注目された零一が、肩をぎくりと震わせた。
「……俺も票を入れるのか?」
「そう。それじゃあ、『桜咲く坂咲き盛れ』が良いと思う人!」
いきなり出題され、零一がおずおずと手を挙げた。
同時に高坂自身も手を高々と挙げ、実行委員の意思表示が決する。
「――では、実行委員を含めたクラスメイト全員の意見としては、『桜咲く坂咲き盛れ』をテーマ曲にする、という事で決定します。
この決定について、異議がないようだったら拍手でお願いします」
高坂から促され、クラス中から拍手が上がる。
『ザバイオーネ』を別案に挙げた夜桜も、苦笑しながら拍手していた。
大きな音量が肯定をそのまま表し、高坂がうなずいて次の議題へ進む。
「では、出場する競技について。種目は障害物競争、借り物競争、騎馬戦――」
一限全てを体育祭の決め事に費やし、議題が終わると共にチャイムが鳴る。
「――起立、礼!」
そのまま流れで実行委員の高坂が起立と礼を済ませ、放課後へと移った。
「高坂さん、俺なりに今日のまとめを書いてみたけど、これでいいか確認してくれないか?」
「うん、おっけー、じゃあまとめのシェアをお願い」
零一が高坂に議題のまとめを送り、高坂が確認している時間。
その待ち時間、手持ち無沙汰の零一を察知し、声をかける人影が一つ。
「
「ああ、夜桜さん」
互いに互いの名称を呼び、コミュニケーションのハンドシェイクを済ませる。
零一が夜桜の顔を見て、予想する用件を先に出した。
「その……テーマ曲、夜桜さんが提案したのに投票しなくて申し訳ないな」
「ううん、いいよ。その……遊木さんは……は、
言葉に
その問いを受けた零一が、『
まさかあの有名人である
「俺が知っている
「えっ? そ、そうなんだ」
「正直に言えば、夜桜さんの好きな
だから、知っている方に投票した。……その、理解の浅い人間でごめん」
零一の回答に、夜桜がしばらく目を丸くしていた。
数秒の後、夜桜は頬を上げ、零一に確認する。
「遊木さんは、少なくとも
「まあ……そうだな。
零一から引き出された言葉に、夜桜は得心が行ったようだ。
曇りのない笑顔を見せ、彼女が笑いかける。
「全く謝る必要なんてないよ。投票で決まった事なんだし、恨みっこなし」
「そうだな。……あ、今度夜桜さんが挙げていた『ザバイオーネ』について聴いてみる」
「うん、あの子の曲も良い曲だから、もし興味と暇があったら聴いてみて」
そして、夜桜が零一に耳打ちした。
「それで聴いてみたら、今度こそどっちが良いか教えてね」
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