第3章 Fact.lee

第12話 友達

 青井真凛あおいまりんは、あの事件以降、ヴェインにはログインできずにいた。

 入学式当日に友人である同級生の女子生徒とヴェインにログインし、謎のプレイヤー・キラーに襲われた事件である。


 プレイヤー・キラーは痛覚チートを使っていた。

 火傷によって皮膚が焼ける感覚を、喉を絞め上げられる窒息の苦しみを、今もなお覚えている。

 あれから数日が経ち、入学式以来の初めての休みを迎えた。


 土曜日の夕方。

 真凛は二階の自室のベッドに寝転び、ひたすらスマート・リングをいじり、拡張A現実RのディスプレイからSNSの情報を浴びていた。


 友人の高坂こうさかも事件以来、真凛をヴェインへ遊びに誘う事はなかった。

 しかしその高坂こうさかが、内心では再びヴェインで一緒に遊びたいと思っている事はひしひしと感じている。


「……でも、また……襲われたら……」


 杞憂が真凛の手に絡みつき、ヴェインのアイコンを押す意志を屈服させる。


 諦観と共にスマリのディスプレイを閉じ、ディスプレイを操作していた右腕がひたいに置かれる。

 窓から差しこむのは夕暮れの光。稜線に接近する橙色の太陽が、真凛の目を刺す。


「……はあ」


 そのまぶしさに不快感を覚え、真凛はベッドから立ち上がる。

 遮光カーテンを閉じようと窓に近寄った時、窓の景色に日常とは違うものを見つけた。


 真凛の実家の隣には空き地がある。

 その空き地の立て札を見つめる、レジ袋を手に提げた青年の姿。後ろ姿に見覚えがあり、真凛が彼をじっと注視した。


「あの人、誰?」


 真凛と同世代の青年だった。スウェットシャツにスラックス。短くも長くもない地毛の黒髪。

 ごくありふれた風貌の青年に「あっ」と真凛は声を上げた。


 同じ教室の、後ろの席にいる地味な男子高校生。遊木ゆうき零一れいいちである。

 自分が襲われた事件で、真っ先に保健室の先生を呼んでくれたと聞いている。いわば恩人の同級生だったが、話しかける機会を作っていなかった。


 せめてお礼でも言おうと、真凛は自室から出て階段を降り、家から出て零一に駆け寄った。


「あの……遊木くん」

「ん? ああ、真凛……さん」


 零一が空き地に向けていた目を真凛に変え、彼女の呼びかけに応答する。

 会話の準備が整い、真凛が自分の家を指さした。


「あたしの家、すぐそこなの。

 それで窓から、遊木くんの姿を見かけて……来ちゃった」

「わざわざ来てくれたのか?」

「うん。入学式の頃から、お礼言ってなかったから」

「入学式の……ああ、倒れた時のか」


 それまで怪訝な顔をしていた零一だったが、真凛が会いに来た理由に合点が行ったようだった。

 零一は照れくさそうに頭を掻き、真凛からの礼を遠慮する。


「単に、先生を呼びに行っただけだ。直接助けた訳じゃない」

「でも、ありがとう。ケガとかはなくっても、呼びに行ってくれた事が嬉しいよ」

「……それは、どういたしまして」


 真凛と零一が、当たり障りのないやり取りを交わす。


 真凛にとって、零一は親交のない男子である。

 入学式のお礼だけで話を終わりにしても良いのだが、彼女にとって気がかりな点が一つ。


「そういえば、この空き地をじっと見つめていたけど、何か……ウワサでも聞いた?」


 真凛の実家の隣。

 空き地になっている場所。


 そこを見つめる零一の様子が、何かに取り憑かれるように思えた。

 零一の視線が、くだんの空き地に向き直ると、ぽつりとつぶやく。


「聞いた事はある。火事で家が全焼したらしいな」

「そっか。知ってるんだ。

 なら、すぐに別のとこ行った方がいいよ。……そこの家族、全員亡くなってるから」


 四人家族だった。

 隣同士というよしみで、真凛もよく交流していた家族。


 真凛と年齢が同じ少年も、その隣の家にいた。

 幼馴染として、小学生時代は一緒によく遊んでいたが、中学校に上がった直後に火事が起きた。


 つい先日まで遊びに行っていた家に、煌々と炎が上がっていた事。

 母に手を引かれて避難した事。

 その家族全員へ焼香を上げた事。

 全て、今も覚えている。


 東京から転校してきた零一は知らないだろう。その少年の事は――。


藤守雷善ふじもりらいぜん

「えっ?」


 まさか、自身の幼馴染である少年の名前を、零一が知っているとは思わなかった。

 虚をつかれた真凛の口から、声が漏れ出る。


「その子……誰から聞いたの?」

「ここの近所に住んでいる人から聞いた」


 そう言って見つめる零一の顔が、夕日に照らされる。


 零一の表情が、少しだけ崩れた。

 目を細め、口を固く結び、拳を握る。


 彼の表情の所以ゆえんは、真凛には分からない。

 それでも、零一がこの場所に対して、何らかの痕跡を求めている事は分かった。


「……あたし、ここにいた子と幼馴染……友達だったの」


 ぽつり、と真凛が記憶をこぼす。


「小学生の頃、ずっと一緒でね。

 活発な子だった。少しやんちゃ過ぎて、先生から怒られるくらいで……隣同士、あたしもよく一緒に遊んでた。

 中学1年くらいの時にね、ここの家が焼けちゃったの。ご両親と妹さんは死んで、その子は行方不明で。

 でも多分、その子も死んでると思うの。警察が見つけられないくらいに、全部燃えちゃって……ここに、眠ってるんだと思う」


 思い出して、目が潤む。

 涙を滲ませる真凛に、零一が目を伏せた。


「……そうだな。眠っていると、そう思った方がいい」


 零一の気遣いに、真凛が涙を拭う。


「うん……あたしより先に、ゆっくり寝てるだけ。

 せめて、安らかに眠ってるようにって、時々思い出しては祈ってるの」

「……そうか」


 感傷的な雰囲気の中、間延びした童謡のメロディが、町内のスピーカーから流れる。午後6時を告げるメロディだった。


 夕方のメロディを聞いた真凛は、過去の事を思い出す。

 雷善と共に下校していた記憶。小学校の思い出だ。


 帰路の記憶をくすぐられた真凛は、別れを表すように手を振った。


「そろそろ、あたしは家に戻るね。

 遊木くんも、気をつけてね」

「分かった。……真凛さんも、あまり気を落とさないでいて欲しい」

「うん、大丈夫。あれからもう3年になるし……あの子以外の友達も、沢山できたから。

 それじゃ、また学校でね」

「ああ、また」


 言って、真凛が家に引っこむ。

 玄関に上がり、ため息を吐いた。


「友達、か……」


 火事で亡くした友達。

 当初は、もう友達なんていらないと思っていた。


 それでも中学生として暮らす中で、自分を励ましてくれた隣の生徒が、部活で一緒に頑張ってくれた生徒が、今も真凛の友人としていてくれている。

 傷は癒える。だからこそ、


「明日……高坂こうさかをヴェインに、誘おうかな」


 プレイヤー・キラーに襲われた傷を振り切り、真凛はスマリを開いた。


     *   *   *


「…………」


 午後6時のメロディが全て流れ終わっても、零一は空き地の前から動けずにいた。


 知っていた。

 東京にいた頃のニュースで、藤守雷善の家が焼失していた事など。


 知っている。

 こうして現場に来たとしても、自分にはどうしようもない事など。


 ただ、こうして。

 藤守雷善を知る幼馴染と出会い、会話を交わしている間中、零一の胸の中で葛藤がせめぎ合っていた。


 雷善が生きているという事を。

 雷善が、真凛の思っているような存在ではないという事を。

 いっそ告げてしまおうかと、幾度も思っては取り消していた。


 だが、それは混乱をいたずらに引き起こすだけで、自身の葛藤を解消する以外に何も解決はしない。

 それでも、もし。


「…………」


 彼女に真実を告げたとして。

 果たして、藤守雷善に復讐しようとする自分の事を許してくれるというのだろうか。


     *   *   *


 ヴェインには、ギルドハウスが集まったハウジングエリアが存在する。

 現実世界ほぼそのものを再現したヴェインでは、ハウジングエリアは現実の住宅地と重なるように設置されている。


 そのハウジングエリアの一つ。東京都足立区。

 人口の多い土地は、ヴェインでも人口が多い。現実世界との映し鏡であるヴェインは、その点でも同じだった。


 ギルドハウスが乱立するその土地に、不自然に何の建物も存在しない空間がある。


 ――ジジッ。


 グリッチのようなモザイクと音が一瞬再生され、その空間にフードを被った長身の女性アバターが一瞬で生成された。


「――――」


 その女性アバターが高速言語を唱えると、また瞬時に姿が掻き消えた。


 女性は何もない空間として隠匿されたギルドハウスへと侵入する。

 ギルドハウス内部には、黒い壁と黒いソファ、そして3人ほどの黒い人影が存在していた。


 女性は、既に存在していた3人に向かって問いを投げる。


Puppetパペット-Masterマスターからの連絡は来たか?」

「いえ。しかしこちらからbotボット制御用のサーバをこじ開ける事はできました。用済みですね」

「そうか。返答pingも寄越せない無能に用はない」


 女性はギルド管理用のウィンドウを開き、メンバーリストにあるPuppetパペット-Masterマスターを選択。操作項目から「追放」を押した。


 女性はこのギルドのマスターであった。

 ギルドで最も力を持つ彼女に向かい、他のギルドメンバーは恐る恐ると口を開く。


「……Fact.leeファクトリーの収集はかんばしくない状況です」

「ヴェイン内だけじゃない。SNSもディープウェブも探せ」

裏取引サイトオークションに履歴はありましたが、既に取引は成立済みです」

「受け渡しは済んでいるか?」

「いえ……不明で」

Fact.leeファクトリーはヴェイン内の対面でしかトレードできない。トレード現場に割りこめ。殺して奪い取れ」


 物騒な単語が行き交う中、女性はギルドハウスのソファに座った。

 所有物インベントリウィンドウから消耗品アイテムの欄を開き、灰色一色のサムネイルに手を入れる。


 現在では既に入手・使用不可能になっているはずのアイテムであった。

 女性はそのサムネイルから手を引き抜くと、数本のタバコを握っていた。タバコを口に咥えると、独りでに先端に火が灯る。


田質でんしち町にヤツがいる。その復讐の為にアタシたちは動いている。そうだろ?」

「はい。全ては曇天の黒シュヴァルツヴォルケンの威信の為に」


 ギルドメンバーとギルドの現在方針を再確認し、女性は鷹揚に頷いた。


「アタシらのギルドマスターが殺された。殺されたなら殺すのが道理だ。

 クラッカーギルドをナメた代償、払ってもらおうじゃないか」


 先代のギルドマスターが殺された事そのものよりも、所属するギルドの名誉の傷に怒りを湛える。

 現ギルドマスターの女性――Polarポーラ-Blizzardwillブリザードウィルがタバコを折り、破壊エフェクトの火花が散った。

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