キル・ヴァーチャル・キル

@NEVAR-evol

曇天の黒

第1章 殺人鬼殺し、Zilch-Zillion

第1話 その名、

 東京都足立区の住宅街。

 道路の往来が全くない、深夜2時という丑三つ時。


 木々も寝静まるような沈黙の中で、風を切るのは二つの影。


 一つ目の影は、猫。

 しかし、ただの猫ではない。


 体長170cmにも達する大きな猫。

 そんなイエネコが、二足歩行で道路を走っている。


 二つ目の影は、盗賊。

 現代日本の東京にいるとは思えないような、盗賊姿の男だった。


 身につける衣服はボロ切れであり、顔の半分をスカーフにうずめている。

 刃渡り20センチにもなる短刀を持って、猫を追っている。


 人並みの体躯を持つ猫と、銃刀法違反の凶器を持つ盗賊。

 現実離れした光景の中、追われる大猫が口を大きく広げた。


「た、助けてぇっ! 誰かあっ!」


 大猫が、流暢な日本語で助けを呼ぶ。

 その声は住宅街の中で響けども、助けに出てくる人はいない。


 何故なら、それらの家に住民はいない。


「誰もいねぇよォ! こんな時間によオ!」


 無慈悲に返る声は、背後から追う盗賊の声。


「へっ、刀擲ダガー・スローッ!」


 ヒュンッ!

 ドスッ!


 気取ったような技名と共に、大猫の背中に突き刺さる、盗賊の短刀。


「う――あああぁぁぁぁッ! 痛いッ、熱いィッ!?」


 背中から噴き出す血に、大猫が膝を折って、地面にうずくまる。

 先程まで逃げていた足を止め、ただその場で静止するしかなかった。


 大猫は自分の背中に手を回し、刺さっている短刀を抜こうとする。

 だが、すぐに追いついた盗賊がそれを許さなかった。


「へっ、させるかよ」


 グッ……。


 盗賊は大猫の腕を踏みつけ、道路に腕を押しつける。


「いっ……!」


 背中の短刀を抜く事ができず、大猫が痛みに喘ぐ。

 理不尽な暴力を受け、大猫が疑問を呈した。


「なんで……痛いんだよっ!?」


 痛みを感じる事はないはずだ。

 何故ならば、からである。


 VRMMORPG「マインド・ヴェイン」。

 現実世界ほぼそのままが再現された世界で、人々はアバターを着て「ヴェイン」に完全潜入フルダイブする。


「現実世界」なだけであり、中には再現されないものも存在している。


「痛みなんて、この世界じゃ無いはずだろっ!?」


 痛覚。


 不快な感覚は、人間の精神に悪影響を及ぼす。

 仮想世界であるヴェイン上では、痛覚を再現しないよう設定されている。


 だが、現に大猫の脳を揺さぶっている感覚は、紛れもなく痛み。

 盗賊がもたらす痛みは、悪質なチートによって再現されていた。


 痛覚再現チート。相手に苦痛を味わわせるだけの、悪意だけで作られたチートである。

 不正な痛みに苦悶する大猫に、盗賊がねっとりと問いかける。


「苦しいかァ? 今すぐ止めて欲しいかア?」

「あ……ああ……! 頼むっ、もうやめてくれッ!」


 大猫の必死の懇願に、盗賊は交渉に乗り出した。


「なら、Fact.leeファクトリーをオレに差し出せよ」

「ふぁ、ファクトリー……? 工場? いったい、なんのコトなんだ?」


 訳が分からない大猫は、困惑して盗賊を見上げる。

 盗賊は肩をすくめ、子供に聞かせるように説いてみせた。


「ヴェインにあるっていう超レアドロップアイテムだよ。

曇天の黒シュヴァルツヴォルケン』って超有名クラッカーギルドにソレを持ち込めば、即入団させてくれるって代物シロモンなんだぜ」

「そ、そんなの……ボクは知らないし、持ってない!」


 悲鳴を上げる大猫を、盗賊が見下げる。


「へっ、Fact.leeファクトリーの事は知らなくっても、オレの名前は知ってるだろォ?」

「し、知らない……知り、ません……!」


 首を振る大猫に向けて、盗賊は高らかに名乗る。


「オレぁ、Assassinアサシン-Freischutzフライシュッツ! 

 ここらじゃ『深き暗夜オプスキュリテ』の名前で知られる、999人殺しのプレイヤー・キラーだァ。

 オマエの少ない脳味噌で覚えとくんだなァ」

「ひ、ひぃっ……!」


 大猫がひるんでいると、第三者の声が割って入る。


「知らないな、そんな名前」


 乱入してきた第三者の声に、盗賊が顔を上げた。


「――誰だッ!」


 その第三者は、数十メートル先の道路上にいた。


 サイバーティックな衣服を着た青年。

 青年の周囲には、光る文字列が取り囲んでいる。


 盗賊からの誰何すいかの声を、その青年が切って捨てる。


「答える道理はない。お前の少ない脳味噌では覚えてられないだろうからな」


 大猫に向けた煽りが、青年にそのまま返される。

 皮肉を浴びせられた盗賊は、瞬間的に感情を沸騰させた。


「どうやら死にてえらしいなァッ! お望み通り殺してやるよォ!」


 大猫の背に刺さった短刀を、盗賊が抜き取る。

 血まみれの短刀を構え、盗賊がスキル名を宣言した。


刀擲ダガー・スローッ!」


 VRMMORPG「マインド・ヴェイン」では、「スキル」というシステムがある。


 スキルの名前を宣言し、そのスキルの内容に沿った行動を取る。

火炎球ファイアーボール」と唱えて手を敵に向ければ、魔法使いウィザードは虚空から炎を噴出させる。

回復ヒール」と唱えて手をかざせば、聖職者クレリックは傷を癒やす。


「スキル」システムの実行。盗賊は「刀擲ダガー・スロー」を宣言して短刀を投げることで、数十メートル先の標的に短刀を直撃させる事ができる。


 しかし。


Pragmaプラグマを使うまでもないな」


 標的である青年は、怯む事なく直立する。

 短刀は、距離をあと1メートルに縮めた瞬間に勢いを落とし、地面に落下した。


 回避判定。

「マインド・ヴェイン」はMMORPGであり、プレイヤー個々人は自由に振り分けられるステータスポイントを持っている。

 盗賊の命中率と青年の回避率が衝突した結果、青年は短刀の回避に成功したのだ。


「ちいっ!」


 純粋なステータスの負けを目にし、盗賊は所有物インベントリウィンドウを開いた。

 目の前に展開されたウィンドウの中から、スタックされた9個の短刀を見つける。


 盗賊はアイテム欄の短刀の位置に手を突っこみ、つかんで引き抜く。

 その手には、新たな短刀が1本握られていた。


「ただのイキり野郎がよォ、これは避けられねェだろうがアッ!」


 威嚇の後、盗賊は虚空に向けて囁いた。


「コマンド。必中、必殺、痛覚――」


 そして、スキル名を宣言する。


刀擲ダガー・スローッ!」


 クラス:盗賊シーフの初級中距離攻撃スキル。

 命中率も威力も低い技であるが、このスキルにはチートという殺意が乗せられていた。


 本来ならば脅威でないスキルすら、命中率と威力の数値を改竄かいざんしてMAX999まで上げて放つことで、どのような相手でも仕留めることができる。


「死にやがれェッ!」


 青年のアバターへ真っ直ぐ短刀が飛来し、盗賊が下卑た歓喜に叫ぶ。

 痛覚チートも乗せられた、必中必殺の一撃。


「それはどうかな」


 青年は必殺のチートに臆す事なく立ち塞がった。


 短刀が、青年のアバターに触れた瞬間。

 青年の周りにシステムウィンドウが複数開かれ、機械音声が再生される。


改竄かいざん検知。無効化します』


 すると、短刀は地面に落ちることすらなく、複数のテクスチャに分解されて虚空へと消える。


「な――」


 唖然とする盗賊をよそに、青年が手を伸ばした。

 手を伸ばした先に、青白い光で構成された、仮想キーボードが浮き上がる。


 カタタタタタッ――。


 青年は仮想キーボードを素早く打鍵しながら、盗賊に言い放つ。


「そこの猫から離れ、与えた傷を回復させろ。

 さもなければ、お前の不正チートをお前に返してやる」


 青年の啖呵たんかに、盗賊が逆上した。


「ふざけんなァ! スカしてんじゃねぇぞ!」


 顔を赤くした盗賊は、青年に直接殴りかかろうと距離を詰める。


 敏捷AGIを振った盗賊が、急速に青年へと差し迫る。

 盗賊は腕を振り上げ、渾身の力で青年に振り下ろそうとする。

 スキルもへったくれもない、暴力の行使。


「殺してや――」


 その脅迫すらも言い切れぬ内に、


絶対零度アブソリュート・ゼロ


 青年が、スキル名を囁く。

 そのスキルの内容が、地面から隆起して顕現する。


 ガギギギギンッ!


「ぐ――がああああぁぁぁぁッ!?」


 絶対零度アブソリュート・ゼロ

 クラス:魔法使いウィザードの最上級攻撃魔法スキル。

 巨大な氷柱を生成し、敵を貫く。

「マインド・ヴェイン」の使用可能プレイアブルスキルの中で、最も威力の高いスキルである。


 氷の槍が盗賊の腹部を貫通し、一気にHPが0になる。

 戦闘不能。全てのスキルが使用不可になり、宙吊りにされた盗賊が痛みに喘ぐ。


「ぐえぇっ、痛ェッ……!」


 痛み。

 先程盗賊も使っていた、痛覚を再現するチート。


「テメエも、チーターかよオ……!」


 自分を棚に上げ、チート使用者への非難の視線を向ける。


 痛覚チートだけではない。

 常人ならば習得に2年。正規に習得できた者は全プレイヤー中0.0008%と言われるスキル、絶対零度アブソリュート・ゼロ

 そんな代物を扱う人間など、余程の廃人か不正利用者である。


 そして、青年は後者だった。

 青年は枯れた目で盗賊の視線を受け止め、吐き捨てるように同意した。


「ああ。俺は同じ穴のむじなだ。そして、虎穴に入る必要があった」


 青年は盗賊の胸倉をつかみ、その目に憎悪を灯して脅す。


「お前はRai-Zenライゼン、あるいは藤守雷善ふじもりらいぜんを知っているか?」


 聞き覚えのない二つの名を聞いて、盗賊は首を振った。


「知ってるワケねぇだろォがっ、そんな無名野郎がよオ……!」


 その反応を見た青年は、「盗賊は嘘を言っていない」と判断した。


「そうか」


 何の情報ももたらさない盗賊に、青年が興味を失う。

 無力化されている盗賊に背を向け、青年はもう一人の当事者へ関心を移した。


 道路に倒れ伏す大猫へと、青年が歩み寄る。

 歩み寄りながら、彼は所有物インベントリウィンドウからLLラージ・ライフポーションを取り出す。


 青年はLLラージ・ライフポーションの栓を抜く。

 大猫の傍で止まると、彼の傷ついた背中へとポーションを注いだ。


「あ、あ……!」


 大猫の背中の傷跡は見る間に塞がり、神経から痛みが消え去る。

 完全に回復した猫は、すぐさま起き上がり、青年に頭を下げた。


「ありがとうございます! 助けていただいて、本当にありがとうございます!」

「別に、気にしなくていい。俺は俺の打算で行動しただけだ」


 青年が謙遜して、大猫からの感謝を断る。


 平穏を取り戻した空間。

 蚊帳の外となった盗賊が、青年の背を睨む。


「舐めやがって……! この『深き暗夜オプスキュリテ』のAssassinアサシン-Freischutzフライシュッツサマを苦しめたテメエを、絶対に追い詰めてやる……!」


 言って、盗賊は青年の公開データを開いた。

 公開データに記載されているその名前は――。


「なっ――」


 Zilchジルチ-Ziliionジリオン

 日本のヘヴィ・プレイヤーであれば知らない者はいない、高名にして悪名なるプレイヤー。


 ある者がうたうに、悪質なチーターをハッキングにてほふる自治プレイヤー。

 ある者が罵るに、規約違反のハッキングで正義を気取る不正プレイヤー。


 一貫するのは、プレイヤー・キルを行うチーターを殺して回るプレイヤーであるという事。

 それ故に、


殺人鬼殺しキラーオブキラーズ……Zilchジルチ-Zillionジリオンッ!」


 名を叫んでばかりの自分よりも、遥かに名を呼ばれる有名人。

 盗賊が驚愕して名を呼ぶと、その名を背負う青年が振り向く。


 冷淡な表情を貼りつけ、青年――Zilchジルチ-Zillionジリオンが応答した。


「そうだ。

 俺は、人殺しを殺す為に、ここにいる」

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