四月十八日

不平等な世界で、等しく与えられるものは時間である。

しかし、そんなものでさえ、寿命による制約があり、不平等である。

私の友人は口癖のようにそう言っていた。


彼は画家を志していて、いつも筆を握っていた。

彼は死ぬその日まで筆を握っていたし、死んでからも手を離さなかったので、筆も一緒に火葬する運びとなった。


彼の葬式には私を含めた数人の顔見知りしかこなかったし、そのほとんどは彼のことを好意的にみてはいなかった。

彼は人づきあいが悪く、話すときにもキャンバスの方ばかりを見て、言葉少なに話すばかりであった。


そんな堅物な彼に付きまとう私もまた、変人扱いを受けたのである。

しかし、そんな彼が私にくれた一枚の絵があった。

当時、彼は「失敗作だから」と言って私に手渡したが、今思えば照れ隠しだったように思う。


彼が私にくれたその絵はあまりにも上出来だった。


その絵には、上半身までを描いた私に似た人間と、その人間が林檎を抱えるように嵐を持っている様子が描かれていた。

細かく描き込まれたその絵は今にも呼吸をしそうである。


私が部屋を掃除していると、押し入れから出てきた。

ぞんざいに扱っていたわけではなく、飾る場所に困って丁寧に梱包した後、押し入れに片付けたのである。


この絵の意味だが、きっとこの小さな嵐は彼の比喩だと思う。

気性(気象)が荒いという意味と、自分が類を見ない天才(天災)であるということを暗にして表現していたのである。

その、天才を私が両手でそっと受け止めているということは、これが彼にできる最大限のデレであったということだ。


そのデレが、愛情なのか友情なのか、今となってはわからない。

しかし、私はこの絵を見て、あの日に少しだけ戻れたような気がして、なんだかうれしかった。


こんな遠回りをする友人がいたということを少し懐かしく思った。


今日はそんな日だった。

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