第163話 第七皇女アナスタシア
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アポイントをとった約束の日。
案内された先の屋敷の応接室で暫く待っていると、この屋敷の主が老執事を連れてやって来たので、無難な挨拶の後に自己紹介を行う。
「ーー西方より参りました。〈アリアンロッド商会〉のアルファ・ズールと申します。皇女殿下にお目通りが叶い、誠に光栄に存じます」
「アナスタシア・ヴィ・ロンダルヴィアよ。それで? 依頼の品の修復は済んだのかしら?」
ロンダルヴィア帝国第七皇女アナスタシア・ヴィ・ロンダルヴィア。
アルファという偽りの名と姿の俺の眼前にいる同じ
彼女の傍で屹立している老執事は、同じくイスヴァル平原の戦場であったセルバンだ。
それ以外にも複数の使用人達が案内された応接室の室内にいるが、その半数ほどは戦場にいた者達が占めており、此方に対する警戒心が見て取れる。
「勿論でございます。修復が済んだからこそ、こうして直接お届けに参った次第にございます」
「そう。アリアンロッド商会という名は初めてね?」
「当商会は皇女殿下にお目通りするためだけに生まれた商会ですので、お聞きになられたことが無いのは当然でございます」
「色々事情に詳しいようね。利口な判断だわ」
「恐れ入ります」
互いに
ドラウプニル商会はロンダルヴィア帝国の仮想敵国の一つであるアークディア帝国に拠点を置くため、そのままの商会名を使うのはアウトだろうという判断だったが、どうやら正解だったようだ。
まぁ、
別にアリアンロッド商会がドラウプニル商会のグループ会社だと明かしても問題は無い気がするが、初めのうちは黙っておくのが良いだろうな。
「ふぅん……あとはセルバンだけで大丈夫だから、他の者は退室しなさい」
「しかし殿下ーー」
「命令よ」
「……かしこまりました」
セルバンの次に近い位置にいたメイドーー彼女も戦場にいたーーが進言しようとしたが、アナスタシアに意思を変える気がないことが分かったらしく、それ以上は言葉を重ねることなく他の者達を連れて退室していった。
「これで大丈夫だと思うのだけど、気配を隠さないのはそういうことでしょう?」
「気配、ですか?」
「ええ。それとも私の勘違いかしら。ねぇ、リオン?」
「……気付かれたようで何よりです。まぁ、気付かれないならそれでも構わなかったのですけどね」
瞠目しているセルバンを見るに、アナスタシアだけがアルファの正体が俺だと気付いたようだ。
「……私達と同じ上位種だとは気付いていましたが、エクスヴェル殿とは思いもしませんでした。殿下はよくお気付きになられましたね?」
「同族だからかしらね。なんとなくそう思っただけよ。あとは、手紙にあんなことが書かれていたら可能性としては候補に上がるでしょう?」
「流石にアレはあからさま過ぎましたか」
アポの手紙には『再び拝謁できることを願っております』という初対面のはずなのに会ったことがあるかのような文面こそあったが、武器の修復云々とアルファの名前を除けば、商会名など未確認の情報などもあったので
対面時に周りにいる者達が一人二人程度なら自ら正体を明かしても良いのだが、皇女の身分の者がいきなり少人数で会うわけがないので、今回のような賭けになったわけだ。
正体を明かしても、それを口外するのを禁止するような項目を戦場での初対面時に結んだ契約書に記載していたので、アナスタシアに関しては問題無い。
セルバンとは契約を結んでいないが、これまでの様子からして、彼がアナスタシアに不利になるようなことをするとは思えないので、このままでも問題無いだろう……でも、念のため、後で上手く言いくるめて守秘義務の契約を結ばせてもらうとしよう。
【
「さて、本題ですが、こちらが修復の終わった皇女殿下の魔剣です。口止め料込みの代金のご用意はできていますか?」
「此方が代金になります。ご確認ください」
アナスタシアからの視線を受けて、セルバンが収納系
小袋を受け取って中身を確認すると、一枚あたり約百万オウロのロンダルヴィア蒼銀貨が三十枚ほど入っていた。
大体修復代の五割増しぐらいか。思っていたよりくれたな。
「はい。確かに。では、こちらをお受け取りください」
「ええ……修復痕どころか細かな傷や刃毀れすら無いわね」
「剣身だけでなく、サービスで柄や鍔の劣化部分も直しておきました。問題無いとは思いますが、ご確認ください」
「そうね……」
アナスタシアは鞘から抜いた魔剣を手に立ち上がると、室内の空いたスペースで剣を振るって調子を確かめ出した。
その様子を眺めながら注がれていた紅茶を飲む。
そういえば、アナスタシアの異名の一つに〈姫騎士〉ってのがあったっけか。
華やかさが控えめなドレスだが、黄金のような髪に青紫色の瞳を持つ絶世の美貌に合わせられているからか、妙に剣を振るう姿が映える。
実際にはヒラヒラした衣装を着て剣を振るうことは無いらしいので、今の光景はかなりレアなのかもしれない。
「以前より使いやすくなってたわね。問題なかったわ」
「ご満足いただけたようで良かったです」
セルバンから紅茶のおかわりを貰いながら待つこと約十分。
確認を済ませたアナスタシアが再び対面に座った。
「これで用件は済んだけど、そろそろリオンが帝都まで直接やって来た理由を聞かせてもらえるかしら?」
「……そこまで察していただけているとは思いませんでした」
いや、ホントに驚いた。
同族だからか、それとも女の勘というやつなのか。或いは、単に彼女だからなのか。
まぁ、交渉相手としては話が早くて助かるのでどうでも良いか。
「皇女殿下は、ロンダルヴィア帝国の次期皇帝になるための帝位継承争いに名乗りを上げていらっしゃいますよね?」
「ええ。知っての通り劣勢だけどね。でも諦めるつもりは無いわよ」
「左様ですか。お尋ねしたいのですが、今の皇女殿下の勢力に足りない物は何だとお考えでしょうか?」
【百戦錬磨の交渉術】に【親愛】【友愛なる心証】を発動させてから問い掛ける。
自らの勢力の弱点とも言える部分を尋ねているのは、当人が把握しているかどうかの確認と、俺が集めた情報との擦り合わせをするためだ。
「資金と武具ね。私の派閥は数はそれなりにいるから兵力は問題無いわ。ただ、兄上や姉上達に資金や武具の元は押さえられているから、その二点に関しては余裕がないわね」
アナスタシアの派閥は一言で言うならば、ロンダルヴィア帝国内の異種族達だ。
今代の若い頃と、前二代が人族至上主義だったことで今でこそ人族至上主義の風潮だが、時代によっては多種族共生主義の時もあった。
そのため、過去に人族以外の人類種の血が入っている貴族の家も珍しくなく、異種族に友好的な貴族も意外といる。
アナスタシアの支持基盤はそういった親異種族派の貴族達と平民達であり、現状の国内での扱いから良くなりたい者達がアナスタシアの下に集い、次期皇帝へと推しているわけだ。
数はそれなり、という発言の通り、帝位争いのライバルである兄弟姉妹の中でも片手の指に入るぐらいには派閥の人数は多い。
だが、後発の宿命というべきか、既に大手の商会(資金源)や職人(武具)は取られているため、中々活躍の機会に恵まれないでいた。
更に幾つか質問するが、大体は俺が集めた情報通りだった。
アナスタシアもちゃんと把握しているようだし、これならば問題無いだろう。
「なるほど。では、その問題、私が解決致しましょう。私に皇女殿下を支援させていただけないでしょうか?」
「……ちょっとやそっとの支援では現状は変わらないわよ?」
「まぁ、そうでしょうね。では、お近づきの印に初回の支援として此方をお受け取りください」
懐から取り出した小袋をセルバンに渡すと、アナスタシアに渡す前に中身を確認したセルバンが硬直した。
「セルバン?」
「……エクスヴェル様。こちらの袋は間違ってお渡しになったのではありませんか?」
「数は二十ですよね? 合ってますよ。ちなみそれは形の通り支援金ですので、武具などの物資が必要でしたら別途ご用意致しましょう。更に資金がご必要でしたら、少しお時間をいただきたく思います」
「……殿下。こちらをご覧ください」
小袋の中身がアナスタシアの目の前に置かれていく。
紅い輝きを放つ二十の硬貨を前に、アナスタシアも先ほどと同じように動きを止めた。
一枚あたり約一千万オウロのロンダルヴィア紅金貨が二十枚。
前世の円換算で総額約六十億ぐらいだな。
これまでの経験から、最高位硬貨であるオリハルコン製の硬貨を必要とするような店舗は非常に少ない。
両替をするとなると相手は大手商会や国家に限られる上に、懐事情が漏れることになりそうなので出来るだけ遠慮したいところだ。
紅金貨を使うような高位の魔導具の数も少なく、取引相手も扱いづらい硬貨であるため、土地や店の買収に使った時を除けば殆ど使用する機会が無かった。
だが、それは俺の立場だから扱い難いのであって、皇女であり帝位争いを行っているアナスタシアにとっては資金は幾らあっても良いので何の問題は無い。
ロンダルヴィア紅金貨だけでもまだ百枚以上あるので、いきなり二十枚も出資することができるのだ。
「……有り難くいただくわ。望みは何かしら?」
「皇女殿下が帝位を勝ち取り皇帝になった際には、ロンダルヴィアが所有する国宝魔導具をランク問わず私が十個選び、それらを下賜していただきたく存じます。あとは、その時の状況次第ですが、アリアンロッド商会かドラウプニル商会にロンダルヴィア皇家の御用商人の地位をいただければ幸いです」
ロンダルヴィアという大国が所有する国宝級魔導具をランク問わず選び、合法的に手に入れられる権利の価値は計り知れない。
使いどころに悩んでいたロンダルヴィア硬貨を有効活用する又とない機会でもあるので、そういった意味でも悪くない使い方と言えるだろう。
御用商人に関してはオマケのような要求だが、二つある帝国の双方に影響を持つ商会の主になるのも面白そうだ。
「ランク問わず十個、ね。流石にその条件で十は無理よ」
「では、ランク問わず私が選べるのは半分の五つで、あとの半分をどれにするかはお任せするというのは如何でしょうか?」
「先に選ぶのはそっちなら構わないわ」
「かしこまりました。では、契約をしましょう」
「抜け目ないわね。今の段階では空手形だけど構わないのね? こき使うわよ?」
こちらを試すような笑みを浮かべながら問い掛けるアナスタシアに対して、こちらも不敵な笑みを返す。
「空手形だからこそ、色々融通は効かせていただきますよ。付きっきりというのは無理ですが、そうですね……ある程度は直接的な武力の支援も致しましょう」
「あら。それは私の剣になってくれるのかしら?」
「正体不明の傭兵という鞘に納められた剣で良ければ高額でお貸ししますよ」
「支援をしてくれるのに金を取られたら元も子もないと思わない?」
「資金繰りも主の才覚を示す指標になると思いませんか?」
「言うわね。ちょっと不敬が過ぎるんじゃないかしら?」
「そこは唯一の同族の
要求と牽制、調整などの交渉を行う俺達を、室内にいる唯一の第三者であるセルバンが何とも言えない表情で見ている。
そんな視線を向けられながらの交渉を二時間にも渡って行った末に、アナスタシアとーーついでにセルバンともーー諸々の契約を結んだ。
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