第115話 出発準備



 ◆◇◆◇◆◇



 ーーアークディア帝国。隣国であるメイザルド王国に宣戦布告。


 ーー今代皇帝ヴィルヘルム・リル・ルーメン・アークディア陛下。自ら軍を率いて出征することを決定する。



 机の上に置かれた今日の朝刊の一面に書かれた見出しの文字が視界に入る。

 昨日、国から国民に対して発表されたことによって今なお帝都中が騒めいていた。

 元より貴族達が護衛という建前で引き連れて来た各家の騎士団や私兵達の姿や、市中で流布していた噂などから帝都の平民達も薄々気付いてはいたはずだ。

 だが、噂や予想といった不確定な情報と、国から正式に発表された情報とでは民に与えるインパクトが違う。

 ミーミル社がお昼時に発行した号外と直後の夕刊の売り上げは、元になった三社の新聞社がこれまでに上げた一日の最高部数を軽く上回った。

 他の大手新聞社も発行していたのだが、やはり皇帝ヴィルヘルムに独占取材したインタビュー記事が載っている俺の新聞社ミーミル社の売り上げが圧倒的だ。



「朝刊の売り上げはどうだった?」


「正確な数字はまだですが、大体これぐらいです」



 ミーミル社を任せている魔眼人族のメルルが両手の指を立てて見せる。

 件のインタビュー記事はミーミル社の社長であるメルル自身が取材し書いたので、現状の好調な数字に思わず笑顔が浮かんでいた。



「……涙目で皇城に連れていかれていた奴と同じ人物には見えんな」


「だ、誰のことか分かりませんね」



 眼鏡のレンズの向こう側に見える翠色の眼をスッと横に逸らしながら答えるメルル。

 見た目こそ敏腕そうなクールビューティーだが、結構ポワポワとした性格な上に気が弱いらしく、皇帝に許可を得たから取材に行けと命じた時は、自分には無理だと泣きついてきた。

 押し問答の末に俺が引き摺っていってーーあくまでも比喩だがーー半強制的にやらせたのだが、いざとなったら上手くやっていたので能力はあるのだ。



「その眼鏡は問題ないか?」


「あ、はい。眼も痛くなりませんし、力を使う時も魔力消費を抑えられて非常に楽です」


「それは良かった」



 メルルがかけている眼鏡は、ミーミル社を任せる際に俺が作ってやった魔導具マジックアイテムで、簡単に言えば自分の魔眼を制御する魔導具だ。

 メルルの種族である魔眼人族は見た目こそ耳先が少し尖っている以外は殆ど人族と変わらないが、種族名の通り生まれながら魔眼を有しているのが特徴な種族だ。

 一言に魔眼と言ってもピンキリなのだが、その中でもメルルは一際強力な力を持っており、その制御が上手く出来ないでいた。

 唯一の解決策が基礎レベルを上げることで、これはステータスが向上することで制御力も一緒に上がるからという力技な方法だった。

 そういった理由で効率面から家を出て冒険者をしていたと聞いていたため、就任祝いに魔眼制御用の眼鏡を作ってやったわけだ。


 その後、メルルが実家に書いた手紙によってそのことを知った一族から、眼鏡型魔導具〈魔眼護鏡アイズガード〉の受注依頼が商会に来るようになった。

 複製能力を使わなくてもそれ以外の能力でパパッと作れるため大した手間はない。デザインが違う数パターンの基礎部分だけを大量に作って、細かい調整などは他の者に任せている。

 


「業務も順調なようだし、俺が帝都を離れている間も引き続き頼んだぞ」


「お任せください、会長!」



 これから忙しくなるである部署の視察を終え、ミーミル社の社屋を後にする。その足で皇城へと向かった。


 事前の約束の時刻に間に合うように皇城に到着する。

 御用商人のメダリオンを提示してから入城すると、ロビーでは近衛騎士団団長のアレクシアが待っていた。

 簡単に挨拶を交わしてから、彼女の案内でヴィルヘルムの元へと向かう。



「ーーエクスヴェル卿。先日はありがとうございました。亡き祖父の遺品を返還してくださったことを、老齢で動けない祖母に代わり御礼申し上げます」



 やはりアレクシアが案内役なのは話したいことがあったからのようだ。



「拾った物をご家族の元へ返しただけですので、お気になさらず」


「そういうわけには……対価は本当にアレだけで良かったのですか?」


「ええ。現役の近衛騎士団団長と戦えるのは貴重な経験だと思いますので」



 先日、メルルを引き摺って皇城に赴いた際、ヴィルヘルムへの取材を終わらせた後、偶々時間に空きができていたアレクシアと遭遇したので、彼女への用事ーー正確には彼女の生家であるズィルバーン家への用事だがーーを済ませることにした。

 用事というのは、彼女の家の失われた宝剣である〈拒絶する裂覇の剣リジェクティル〉の返還だ。

 魔剣リジェクティルは、この世界に来たその日に倒した紅黒竜の巣穴に落ちていた剣であり、その複製品は魔剣ヴァルグラムや聖剣デュランダルの素体に使われている。

 また、数十年前に近衛騎士団団長を引退したアレクシアの祖父が所持していた剣であり、紅黒竜に戦いを挑んだ際に使用していた剣でもある。

 どういった経緯でアレクシアの祖父が竜と戦うことになったかは不明だが、結果的に彼は竜に敗れ、その遺品は竜の財宝に加えられることになった。


 帝都で集めた情報の中に、ズィルバーン家がリジェクティルという魔剣を探しているという情報があったので、アレクシアに声を掛けたというわけだ。

 リジェクティル以外の探している遺品と同名のアイテムもあったので、それらも纏めてアレクシアに渡した。渡したのは勿論、複製品ではなく本物オリジナルの方だ。


 複製品が手元にあるとはいえ、対価をこれだけしか求めないのは、アレクシアとの模擬戦に価値を見出したのも本当だが、恩を返したかったからだ。

 リジェクティルが無ければヴァルグラムは作れなかったし、デュランダルだって作るのは難しかっただろう。

 叙事エピック級の中でも上位に位置する剣であり、そんな剣をこの世界にやって来た初日に手に入れられたのは本当に幸運だった。

 無くてもどうにかなっただろうが、やはり優秀な剣があると安心出来た。

 だから、その恩を返せるならば返したいと思うのは普通だろう。



「エクスヴェル卿をガッカリさせてしまったと思いますが……」


「ズィルバーン様は私が戦った剣士の中では最も強かったですよ」



 あくまでこの世界ではだけどな。

 結構本気を出す必要があったし、流石は【剣王キング・オブ・セイバー】に至っているだけはある。



「それなら良いのですが……本当に何か求めるモノはありませんか? 近衛騎士団団長としての職務に反しないモノで、私で叶えられる範囲であればどのようなことでも仰ってください」



 中々義理堅い人だな。損はしてないから別に構わないんだが……あ、そうだ。



「では、今後は私のことはエクスヴェルではなく、リオンとお呼びください」


「では、リオン殿と」


「敬称無しでお願いします」


「……リ、リオン?」



 ちょっと照れくさそうに名前を呼ぶ女騎士系美女……アリだな。



「はい、それでお願いします。あとは、今後とも仲良くしていただければ幸いです。あ、もっと気楽に話して貰えるとなお嬉しいですね」


「それは此方としても願ってもないことですが、本当にそれだけで良いのですか、エクス、あ、リオン?」


「はい。口調もどうぞ楽に」


「こ、これが素の口調でして、その、どうかご容赦を。リオンこそ、名誉公爵なのですから、私に対してそんなに丁寧な口調で話す必要はありませんよ……呼び方もアレクシアで構いませんので」


「そうですか? では、周りの目を気にしないでいい今みたいな場ではそうさせてもらおうかな」


「ええ。それで構いません」


「アレクシア、アレクシアさん、アレクシア殿、アレクシア様?」


「私も敬称無しでお願いします」


「それじゃあ、アレクシアで」


「分かりました。よろしくお願いしますね、リオン」



 優しいお姉さん系の顔立ちからの微笑みは中々破壊力がある。女騎士系でこのタイプは今生では地味に周りにいなかったな。

 口調も髪色もリーゼロッテと似ているが、種族が異なるのもあって受ける印象が全く違う。

 情報によれば、独身で恋人もいないようだし、剣を交えることが出来る相手として見ても親交を深めておきたい。


 それにしても……ミーミル社の時からリーゼロッテが静かだな。

 傍にいるけど冷気も漏れ出て無いし、これを精神的な余裕と見るべきか、或いは嵐の前の静けさと見るべきか。

 おそらくは前者なんだろうけど、静かなら静かで逆に不安になるな……。



 ◆◇◆◇◆◇



 ヴィルヘルムの執務室に到着後、ヴィルヘルム達への挨拶を済ませてから早速本題へと入った。


 

「噂によれば、相手方の勢力にSランク冒険者が確認されたそうですね?」


「耳が早いな。今朝方、メイザルド王国が此度の戦にて自陣の勢力にSランク冒険者三名を招き入れたと国内外へと発表した。その三名の姿は少し前から王都で確認されていたが、今回の発表で確定だな」



 ふむ。ということは、タイミング的に見ても俺がナチュア聖王国からの援軍を潰したことは関係無さそうだ。



「元々は一名だけの予定だったようですが、期待していた援軍が道中にて魔物に襲われて壊滅したという報を受けて、急遽候補だった三名全員を雇い入れたようです」



 お、おう。どうやら関係あったようだ。

 続く宰相からの報告によれば、俺の行動によって人数が増えたようだった。



「……メイザルドの王都に他国のSランク冒険者が三人ほど滞在しているとは聞いていましたが、雇うのは一人の予定だったとは知りませんでしたね」


「元々はメイザルドからの要請に応えた三名の中から選ぶつもりだったようです。そんな折に頼りにしていた援軍の一つが壊滅したので、低下する自軍の士気を高めるために全員雇うことに決めたのでしょう……三人分の依頼料の支払いで向こうの財政は厳しい状態のようですがね」


「少し予定とは異なるが、相手は三人だ。リオン一人でも問題は無いか?」


「そうですね……三人の資料などはあるでしょうか?」


「我が国で収集した三名のSランク冒険者の情報になります」



 宰相から手渡された三枚の資料に目を通す。間違いなく俺について書かれた資料もあるんだろうな。

 さて、三人についてだが、まぁ概ね俺が集めた情報と同じだが、中には初見の情報もある。

 内容を【速読】し、資料をスキャンして情報を保管していく。



「Sランクとはいっても下級レベル八十台のようですので、相手をするのは問題ありません。ですが、相手側の生死は如何致しましょう?」


「帝国としましては、敵国に与するならば容赦する必要はありません。ヴォルフガング老にも確認を取りましたが、冒険者ギルドには冒険者が国同士の戦に参加するのを止める規定はありません。その結果死ぬことがあろうと、元より全てが自己責任なのが冒険者ですから、他国のSランク冒険者を討ったとしても何も問題は無いとのことです」


「そうですか。生死問わずならば問題ありませんね」



 国は違えど冒険者ギルドの長であるヴォルフガングが言うなら間違いないか。

 敢えて問題を挙げるとしたら、その討った冒険者が所属する国に今後行き難くなることぐらいかな。恨まれるだろうからな……ま、気にしないけど。



「ふむ。余としては頼もしい答えだが、三人を相手に一人で問題は無いのか?」



 そう言ってヴィルヘルムは、俺の横にいる秘書然とした装いのリーゼロッテへと視線を向ける。

 相手側がSランク冒険者三人なのだから、せめて同じSランクであるリーゼロッテも参戦させることを考えているようだ。

 ヴィルヘルムの懸念はご尤もだが、先日潰したナチュア聖王国の勇者と同じか、少し上ぐらいの実力みたいだから大丈夫だろう。



「ご安心を。問題ありません」


「……そうか。ならば任せた」



 俺の自信が虚勢か否かを探るためにヴィルヘルムが此方を注視してきた。

 ヴィルヘルムからの視線を真っ直ぐ見つめ返していると、やがて一つ頷きを返して納得してもらえた。



「王国がSランク冒険者を勢力に加えたと発表したとの話ですが、帝国も同じようになさるのですか?」


「そのつもりだ。構わないな?」


「はい。事前の契約通りですので構いません」



 俺の名が広まれば、それだけ覚醒称号〈黄金蒐覇〉の効果が増し、全能力値が増大する。

 名が広まった分だけ強くなれるのだから、俺としては願ったり叶ったりだ。



「行軍時ですが、私は変わらず自分の商会のところに居ても?」


「ああ。元より余の御用商人として近くに帯同するのだから、そのままでも大丈夫だろう。騎士団長、警護の面で問題はあるか?」


「いえ、問題ごさいません」


「うむ。というわけだ。正体を隠して同行する必要が無くなった以外は道中は変わらん。ただ、存在を明かすのだから、軍の士気向上のために、リオンにも目に見える形で道中は少し働いて貰いたい」


「警護でしょうか?」



 外に出て常時警護するのは流石に面倒なんだが?



「いや、魔物などが現れた際には皆の前で分かりやすく力を奮ってくれ。その時以外は馬車の中にいてくれて構わない」


「なるほど。承知致しました」



 それからも詳細を詰めたり提案したりと色々なことを話し合った。

 コソコソ隠れる必要が無くなったのは良いことだが、代わりにやることが増えた。

 まぁ、他の職業軍人達よりは大した労力ではないんだけど。

 出発まで日が無いし、商会の分も含めて諸々の準備をしないといけないから更に忙しくなりそうだ。




 

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