第84話 午後、アーベントロート邸にて



 ◆◇◆◇◆◇



 シェーンヴァルト家で昼食を頂いた後、俺達はアーベントロート侯爵家へと向かった。

 本来ならば、俺達四人にマルギットを加えた五人でアーベントロート邸へと向かう予定だったのだが、シルヴィアとオリヴィアの親子とメイド数名も同行している。

 どうやらマルギット父との模擬戦を観戦したいらしい。

 シルヴィアは、まぁ来るだろうなとは思ったが、まさかオリヴィアも観に来るとは思わなかった。


 そんなこんなで、マルギットが乗ってきた馬車とシェーンヴァルト家の馬車の二台に分乗してアーベントロート邸へとやって来た。

 アーベントロート家の使用人に迎え入れーーオリヴィアまでいたのには驚かれたーーられると、そのまま邸内にある鍛練場へと案内された。



「おお、よく来たな! キミがリオンか! オレの名はアドルフ・ヴォン・アーベントロート。そこにいるマルギットの父である! むむっ? 何故、オリヴィア殿が此処にいるのだ?」


「ご機嫌よう、アドルフ卿。ご息女から私の娘の恩人と貴方が模擬戦をすると伺ったので、是非とも観戦させて貰おうと思い、娘と共に参りました。突然の訪問になってしまい申し訳ないわ」


「い、いや、そんなことはない、ぞ。うむ。好きに観戦なさるといい」


「まぁ、ありがとうございます」



 鍛練場で俺達を出迎えた大柄の魔人族の赤髪の男性が、マルギットの父親であるアドルフ・ヴォン・アーベントロート侯爵のようだ。

 なんだかオリヴィアが来たことに驚いている、いや怯えているようだが……まぁ、昔から両家は付き合いがあるらしいから、色々あるのかもしれない。



「あら、貴方がエクスヴェルさんね? マルギットの母のマリアンヌ・アーベントロートよ。よろしくね。お仲間の皆様もアーベントロート家へようこそ」


「リオン・エクスヴェル名誉男爵です。どうぞリオンとお呼びください。よろしくお願い致します」



 背後から鍛練場にやってきた亜麻色の髪の美女から軽く自己紹介を受けた。

 髪色や角の形は違うが、それ以外はマルギットとよく似ている。

 この美女がマルギットの母親のようだ。

 マリアンヌに仲間の紹介を終えたタイミングを見計らったように、アドルフが此方に近付いてきた。



「自己紹介は終わったか? さぁ、闘おうか!」


「はぁ……アナタ」


「む、どうしたのだ、マリアンヌよ」


「お客人をもてなさずに、いきなり鍛練場に連れてくるとは一体何を考えているのですか?」


「いや、まぁ、そりゃ、その、は、早く噂の竜殺しの力量を確かめたくてだな……」


「……娘が連れてきた男の力が知りたい気持ちは私もよく分かりますが、物事には順序というものがあるでしょう?」


「う、うむ……」


「大体アナタはーー」



 アドルフは何故か自ら正座をすると、妻であるマリアンヌからの叱責を受け始めた。

 二メートルほどの大男が正座をしても、そこまで小さくなった気がしないな。

 というか、何か気になる発言があった気がするんだが……まぁ、いいか。



「なぁなぁ、マルギット」


「……何かしら」


「愉快で仲睦まじいご両親だな?」


「言わないで……」



 頭痛でもするかのように頭を抱えるマルギットを弄ってから視線を戻すと、叱責が終わったらしくアドルフが立ち上がっていた。



「リオンくん、申し訳ないけど、今からこの人と模擬戦をしてくれる?」


「そのことですが、少しいいですか母上」



 俺がマリアンヌに答えを返す前に、マルギットが母親を制止する。

 アーベントロート邸に向かう馬車の中で、模擬戦の対価について提言してくれるとマルギットが言ってくれていたので、おそらくそのことだろう。



「あら、何かしら?」


「模擬戦を行うにしても、リオンの方にそれを受ける義理はありませんので、何かしら報酬を用意すべきかと思います。それ無しに、恩人に対して模擬戦を強要するのは如何なものかと愚考致します」


「報酬ねぇ。それなら心配しなくても大丈夫よ」


「そうなのですか?」


「ええ。こういうのは言い出した本人が責任を持つべきだと私も思うから、模擬戦に勝ったらこの人が大事にしている、この魔槍を差し上げるわ」



 マリアンヌは、ヒョイっとアドルフの手から魔槍を奪いとると、これが報酬だと掲げて見せてきた。



「な、なんだとっ⁉︎」


「さ、流石に父上の魔槍というのは……」


「あら、マルギットも言ってたじゃない。リオンくんは魔導具マジックアイテムを集めてるって。この家宝の魔槍なら気に入って貰えるんじゃないかしら?」


「俄然やる気が出てきましたね」


「そうでしょう? あ、それともマルギットが良かったかしら?」


「そちらも魅力的ですが、流石に模擬戦で得られるとは思えませんので、魔槍で我慢致します」


「この娘も欲しくなったら言って頂戴ね。あ、この人を倒せば最低限の条件は満たすから、事後報告でも構わないわ」


「分かりました。その時はご報告致します」



 それぞれ違う意味で顔が赤くなっている二人を横目に、鍛練場の中央へと向かう。

 まぁ、マリアンヌの表情を見るに今のは冗談なのは皆分かっているはずだが、欲しいか欲しくないかと言われた欲しいので、そのままにしておく。

 向かい側にやってきたアドルフを見据えると、聖剣デュランダルを抜く。

 マリアンヌから模擬戦のルール説明がなされる。

 今回は実剣を使っての模擬戦なので、相手を殺したら負けになる。相手が降参するか、審判の判定によって勝敗が決まる。

 ま、よくある模擬戦のルールだ。

 公正を期するために審判はオリヴィアが執り行なう。



「渡さんぞぉ……娘も魔槍も渡しはせんぞぉ‼︎」

 


 試合開始前から戦意を昂らさせてやる気十分なアドルフには悪いが、さっさと終わらせるつもりだ。

 アドルフをうっかりスパッと斬りそうなのもあるが、長々とやってたら家宝の魔槍を壊しかねないから、という理由もある。

 まぁ、あとは何となく時間をかけ過ぎると、あまり良くないことがある気がするからだ。

 【第六感】が知らせてきているのだが、具体的なことは分からない。

 危機感を煽られるような感じでも無いようだが、念の為なるべく早く終わらせることにする。



「それでは両者、準備はよろしいですね。それではーー試合開始!」



 オリヴィアが試合開始の合図を告げた。

 その直後には試合は終わっていた。



「な、に?」



 瞬間的に発動させた【超越身体強化オーヴァー・ブースト】で身体能力を上げると、【狩猟神技】に【先手必勝】と【見切り】にてアドルフの僅かな間隙を突いて一瞬で距離を詰める。

 そして槍の間合いの内側に入り込むと、アドルフが気付いた時には、既にその首筋にデュランダルの刃を突き付けていた。

 


「これで終わりですよね?」


「え、ええ。勝者リオン・エクスヴェル!」



 まぁ、Aランク下位ぐらいでは、予め此方の動きを知らない限りは、動きに対応することは出来ないだろう。

 それでも剣を突き付ける直前には気付いたようだが、時既に遅し。



「……くぅっ、うぉおお、我が娘が、我が槍がぁっ‼︎」


「一応言っておきますが、先ほどのは奥方の冗談ですよ」


「ぐおおぉぉっ……本当かっ⁉︎」



 地面に突っ伏し慟哭しているアドルフが煩かったのでネタバラシをする。

 ガバッと見上げてくるアドルフが気付くようにマリアンヌの方を指し示す。



「はぁ、家宝の槍と愛娘をこんな簡単に報酬として差し出すわけないでしょうが……」


「いや、マリアンヌなら本当にしそうだったからーー」


「言い訳しない」


「えぇ……」


「そんなことよりも、ほら」


「う、うむ……ゴホン。あー、素晴らしい動きだったぞ、リオン・エクスヴェル。噂が真実ならば勝てるとは思っていなかったが、まさか全く反応出来ずに負けるとは思わなんだ」


「恐れ入ります」



 あ、今のやり取りは無かったことにするんですね。

 何事も無かったかのように話し始めたので、取り敢えず空気を読んで場に合わせておく。



「娘から聞いた話と今の動きを考えると、竜殺しは勿論、先日のダンジョン・スタンピードを早期に終息させられたのも納得だ」


「竜は別ですが、スタンピード終息は、ヴォータムの民と冒険者達全員の力があってのことです」


「謙遜だな。報告では、単独でもスタンピードの群れを殲滅出来るほどの魔法と剣技だったと聞いているぞ?」


「他に人がいなければ、そうせざるを得なかったでしょう」


「なるほど。自分の力量とその使いどころはよく理解しているようだな」



 謙遜は必ずしも美徳ではないと個人的には考えている。

 人の生き死にが身近にある世界では、過度な謙遜は下手すれば自分や他者にとって命取りになりかねないからだ。

 だから俺は韜晦する必要がある時以外は、基本的には真実しか話さないようにしている。

 

 

「リオンくん。娘に聞いたけど、模擬戦の対価は貸し一つで良いのかしら?」



 男二人で話していると、会話が途切れたタイミングでマリアンヌがやってきた。

 一応、模擬戦の対価について思い付いたのを、予めマルギットに伝えておいたのだ。

 所詮は空手形ではあるが、何も無いよりはマシだと判断した。



「ええ。娘さんは勿論ですが、家宝の槍などの魔導具を頂くほどの働きではありませんので……」



 まぁ、貸しの使い方次第では家宝以上の価値になるだろうが、この際それは横に置いておく。



「貸し一つとは言っても、夫との模擬戦を受けてくれたことに対する貸しだから、そこまで力にはなれないかもしれないわよ?」


「勿論、承知しております」


「そういうことなら分かったわ。アナタもいいわね?」


「うむ。アーベントロート侯爵家当主として、この借り、しかと覚えておこう」


「ありがとうございます」



 ある意味アーベントロート侯爵家とは貸し借りの関係が出来たとも言える。

 そう考えると、相手側からしても竜殺しと繋がりが出来たから損は無いのかもしれない。

 客観的な視点ではあるが、あながち間違っていないような気がする。


 それから侯爵夫人であるマリアンヌに案内されて、全員で談話室へと移動して歓談した。

 そこで改めて毒にかかった娘を助けてくれてありがとう的な言葉を貰ったりなど、色々な話をしたのだが、その中で幾つか気になる内容があった。

 その辺の詳しい話を【百戦錬磨の交渉術】で聞き出しつつ、帝都にばら撒いているラタトスク達に情報を集めさせる。

 暫くすれば、ある程度の情報は集まるだろう。


 それにしても、直感に従って早く模擬戦を終わらせたのだが、このまま歓談が続くなら、どちらにせよあまり変わらなかったのでは? と思ってしまう。

 今のところ会話内容にもそれらしい内容が見当たらない。

 まぁ、あくまでも直感は直感でしかないから深くは考えないようにするか。



「そういえば、リオンさん達は今ホテルに滞在しているのよね?」


「ええ、そうですよ。ゴルドラッヘン会長からのご厚意で宿泊させて頂いています」


「アリスティア嬢の命を助けたお礼かしら?」


「そうです」



 オリヴィアからの質問に答えると、当たり前のようにアリスティアが襲撃を受けたことと、それを助けたことが知られていた。

 帝国貴族の情報網は凄いな……。



「もう数日は泊まっているし、最低限の報酬は受け取ったようなものよね?」


「まぁ、そうなりますかね?」


「だったら、今日からは私の屋敷の離れに宿泊するのはどうかしら? シルヴィアを救ってくれたお礼がまだだったから、お礼の一環として今回だけと言わず、これから帝都に滞在する際には好きに使っていいわよ」



 まさかのオリヴィアからの提案に驚きながらも、ちょうど口に運んでいた紅茶をそっと傾ける。

 一口飲み込む間に考えを纏めてから口を開いた。



「既にシルヴィアから報酬は頂いていますので……」


「それとは別に私からも報酬を渡したいの。母としてもシェーンヴァルトの者としても、それだけで済ませるわけにはいかないわ」


「それは、まぁ理解出来ます」


「あと、屋敷の敷地内で寝泊まりするならリーゼとも気軽に話せるじゃない? それに、聞くところによると、リオンさんは魔法や魔導具にも造詣が深いのでしょう? 私個人としてもリオンさんとは、もっと色々お話しがしたいの。どうかしら?」



 そういえば、オリヴィアは帝国の魔法系の重職なんだっけか。

 確かに、この世界の魔法の有識者と交流できる機会は貴重だし、オリヴィアとの魔法談議は面白そうだ。

 リーゼロッテはオリヴィアとは百年以上会ってなかったそうだし、まだまだ積もる話があるかもしれない。

 それに、ベルン会長に高級ホテルの宿泊費を帝都滞在中ずっと支払ってもらうのは、若干忍びなかったのもある。そう考えると悪くない話だ。

 今日は予め約束していたから屋敷にいたが、オリヴィアは普段の日中は仕事なので殆ど屋敷にいないらしいし、使うのも離れだから迷惑をかけることはあまりないはず。

 万が一暮らし難かったら、普通に自腹でホテルに泊まるか、屋敷の敷地内を使わせてもらって魔導馬車で生活することも出来る。

 だからまぁ……たぶん問題は無いだろう。



「分かりました。そういうことでしたら、お世話になります」


「良かったわ。さっき屋敷の方に使いを出しておいたから、少ししたら用意が出来るはずよ。ホテルには何か私物を置いているかしら?」


「いえ、何も無かったはずです。三人は? 彼女達も無いみたいです」


「それならホテルの方にも使いを出しておくわね。ゴルドラッヘン商会にも出しておきましょうか?」


「お願い致します。では、今から一筆したためますので、ゴルドラッヘン会長にその手紙もお渡し頂けますか?」


「ええ、任せて」



 家長であるアドルフに一言断りを入れてから、その場でベルン会長への手紙を書かせてもらう。

 簡単に事の経緯と感謝の言葉を書き記し、封をしてから手紙をオリヴィアに手渡した。

 オリヴィアが連れてきていたメイドにその手紙を渡すと、メイドは一礼してから屋敷を出て行った。

 そういえば、アドルフとの模擬戦が終わった時にも、オリヴィア付きのメイドが一人鍛練場を出て行ってた気がする。

 もしかして、これが模擬戦を早く終わらせたことによる変化だろうか?



「宿泊先がシェーンヴァルト邸になるなら、距離的に呼び出しやすいな。また一戦願うのもアリか」


「次は最初から報酬を用意していれば良いと思うわよ」


「なるほど。確かにマリアンヌの言う通りだな。となると、魔導具か……何があったかな」



 俺の宿泊先が変わったことによって、アドルフが何か思案しだしたが、まぁ、俺にとっては得になることだし放置だな。



「ということで暫く世話になるよ、シルヴィア」


「いきなり言われて驚いたよな。お母様はああいう思い付きを言う時があるからなぁ……」


「まぁ、俺にとっては有り難い話だよ」


「そうか? それなら良かった。屋敷のことで何か分からないことがあったら、私に気軽に聞いてくれ」


「ああ。その時はよろしく頼むよ」



 離れとはいえ、いきなり同居人が増えたのに、嫌な顔一つ見せずに歓迎してくれるシルヴィアには感謝だ。

 当たり前ながら、シルヴィアは帝都にいる間はシェーンヴァルト邸で暮らしている。

 少し離れたところにあるアーベントロート邸にはマルギットもいる。

 レイティシアとはまだ連絡がつかないし、二人に帝都案内を頼むのも良いかもしれない。

 あとは、冒険者活動か。

 せっかくだから、二人も加えて六人で何かしら依頼を受けるのも面白そうだ。

 宿泊先変更の手続きがてら、何か良い依頼がないか明日にでもギルドでチェックでもするかな。

 

 

 

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