第40話 氷の世界



 ◆◇◆◇◆◇



 と、いうわけで報復決行日当日。

 運の良いことにターゲットである冒険者達は今朝から依頼を受けることが前日の夜の時点で分かっていた。

 しかも、夕食時の会話を盗み聴いて何の依頼を受けるかを前もって知ることができたのは大きい。

 行き当たりばったりの行動よりも計画性のある作戦を立てて実行した方が良いのは間違いないし。

 そういった【幸運】に恵まれた報復の準備の一環として、朝一から服屋に来ていた。



「ご主人様、この服はどうでしょうか?」


「ふむ。悪くはないが、そのデザインならこっちの生地のやつがいいんじゃないか?」


「ですが、こちらは金額が……」


「値段は気にするな。好きな服を選ぶといい。まだ待ち合わせまで時間はあるし、試着してみたらどうだ?」


「良いのですか? ありがとうございます」



 クールな容貌に喜色の色を浮かべ、手に持っていた服と似たデザインでより良い生地を使った高級服を持って試着室へと消えるメイド服装備のリーゼロッテ。

 魔導具マジックアイテムで金髪紫眼の人族に【偽装】した結果、本来ハイエルフの姿から多少美しさが減退してなお、その美貌は老若男女問わず魅了するレベルだ。

 ちなみに、そこまで広くない店内で発動しても効果が薄いしかえって目立つということで認識阻害の魔導具は切っている。

 そんなメイド美女の微笑みは店員達を赤面させていたが、女性用の高級平服を扱う店だから店員は女性だけだったのと、朝一だから客は俺達二人のみだったのは不幸中の幸いか。


 空間系魔法とマップで標的を監視しながらリーゼロッテの服を選ぶこと約一時間。

 戦利品として結構持っている東帝国ロンダルヴィア硬貨がこの国でも使えるらしいので、消費するチャンスとばかりにリーゼロッテが購入しようとした服の代金は全て俺が出した。

 元よりお忍びの貴族とメイドの秘密の逢瀬的な目で店員からは見られていたので違和感は無いだろう。

 リーゼロッテも喜んでいたし、俺もアークディア帝国に戻ったら使う機会が無くなるロンダルヴィア硬貨を使えて嬉しい、服屋も大量に商品が売れて嬉しいと皆が勝者だった。

 まぁ、服を選ぶのに一時間も掛かったことに軽く愕然としたけど。

 世界違えど女性の買い物が長いのは変わらないのだというのを実感しつつ、高級服屋を後にして防具屋へと向かった。



 防具屋については特に語ることはなく、普通に女性用の布製防具クロスアーマーと胴体を護る革鎧を買ったぐらいだ。

 防具屋を出て路地裏から襲撃予定地点へと転移する。

 リーゼロッテは少し離れた木陰に移動すると、高級服屋で買ってそのまま着ていた服を魔法の小袋マジックポーチに収納し、買ったばかりの防具へと着替え武器を取り出す。

 それは武器というよりは魔法発動補助具と呼ばれる類の物だった。

 有り体に言えば長杖だ。

 紫紺色の宝珠と銀灰色の何らかの合金を使用して作られた身の丈ほどの総金属製の長杖は、普通に鈍器としても使えそうな気がする。

 リーゼロッテによれば更に肩に掛けるケープ型の魔導具もあったそうだが、前回捕らえられた際の戦いで燃やされてしまったそうだ。

 


「ーーさて、これで準備はできたかな?」


「私の方は大丈夫です」


「そうか。俺も準備は出来たから、後は向こうの動き次第だな」



 現在、対象の冒険者達は依頼の討伐対象である、最近になってカルットに町から少し離れた森の中に現れたという大蛇型の魔物を探している。

 大蛇はこの辺りに生息していない魔物で、他の町とカルットの町を繋ぐ街道の近くで目撃情報があって早急に討伐する必要があるため、カルットで有数のAランク冒険者が率いるパーティーに指名依頼が入ったという経緯らしい。



「あの蛇の肉は美味しかったですね」


「ああ。サイズも考えるともっと淡白な味かと思ったんだが、旨味というか脂がしっかりと乗ってたな」



 昨夜は夕食後に予め取っていた宿屋に戻ると、部屋から森の中へと転移し、マップで大蛇を探して討伐しておいたのだ。

 ついでにその肉を少し味見したところ大味ではあるが中々美味しかった。

 贅沢を言えば新規スキルが欲しかったところだが、既存のスキルの熟練度レベルは上がったので良しとしよう。



「さて、そろそろ目標地点か。それじゃあ行ってくる」


「お気を付けて」


「ああ」

 


 フル隠密装備に隠密系スキルを発動させた状態で転移する。

 森の一角で暫く待機していると、リーゼロッテの報復相手である冒険者達パーティー〈静謐の狂鬼〉がやってきた。

 パーティーを先導するのは斥候である人族の女性。

 斥候の女性は主に地面を調べながら何度も周りを見渡しており、そんな彼女から数メートルの距離を空けてリーダーである人族の男性含めた残る三人がついて行く様子が見える。

 彼らが辿っているのは地面に残る大蛇が這った痕跡だ。

 ある程度の腕が無ければ見落としてしまうほどに薄い痕跡だが、Bランク冒険者である斥候職ならば見落とすことは無い。

 それが大蛇の死体を使って人工的に作られた痕跡だとは気付かずに森の奥へと進んで行く。


 やがて彼らは一つの洞窟の前に辿り着いた。

 大蛇が這った跡は洞窟の奥へと続いており、ここに討伐対象がいることは明白だ、とでも考えているのだろうか?

 洞窟に突入する前に装備を再点検するあたり意外と慎重らしい。

 先頭が斥候の女性から前面に大盾を構えた重戦士の男性へと交代すると、恐る恐る洞窟の中へと入っていった。

 その様子を背後から眺めつつ、俺も洞窟の中へと入り、洞窟の出入り口と進行方向先に土壁を隆起させて道を塞ぐ。

 続けて、『集団長距離転移マス・テレポーテーション』を発動させて、隔離された洞窟内の床全体に展開された魔法陣の上に乗っていた全員を強制的に転移させた。



 ◆◇◆◇◆◇



「ーーな、何だ⁉︎」


「これは……転移魔法⁉︎」


「ここは何処なの?」


「……」



 洞窟に入って間も無く見知らぬ土地へと転移させられた冒険者パーティー〈静謐の狂鬼〉の面々は、戸惑いながらも周囲を確認するために辺りを見渡した。

 どうやら彼らが転移させられた先は陥没した地面の底らしく、砂利の地面には高さがバラバラな巨大な岩石が転がっている。

 周りを囲むのは地面にほぼ直角な岩壁で、壁面はツルリとしており、見える限りでは上に登るための窪みや出っ張りが見当たらない。

 岩壁の強度がどのくらいかは分からないが、例え岩を削って上に登るための取っ掛かりが作れるにしても相当な労力と時間がかかることは間違いない。

 静謐の狂鬼のリーダーであるAランク冒険者である剣士アクナムは、岩壁の天辺を見上げながら小さく溜め息を吐いた。



「ア、アクナム……」


「どうした、ニーナ?」



 パーティーの斥候であり弓使いであるニーナの怯えるような声にアクナムは視線を戻す。

 ニーナは斥候ではあるが、どんな魔物が相手でも臆さずに気丈に明るく振る舞い味方を鼓舞してくれるパーティーのムードメーカーでもある。

 そんなニーナが怯えたような声を出すのは今まで数えるほどしかなかった。

 そのことを知っているパーティーメンバーが警戒レベルを最大限に上げつつ、視線でニーナに何を見つけたか問い掛ける。

 だが、そんな仲間からの視線にも気付かないほどに怯えたまま、震える指で向かい側の一点を指し示した。

 

 

「あ、あそこに、リ、リーゼ、ロッテがいる」


「えっ」


「は?」


「何だと? 何を馬鹿なこ、とを……」



 立ち並ぶ岩の合間を抜けて、アクナム達の方へと歩いてくる人影があった。

 流れるように長い白銀色の髪と白い絹肌、そしてエルフ種の身体的特徴である横に長く伸びる尖った耳は、その神秘的な造形の美貌にとてもよく似合っている。

 サファイアのような深い蒼色の眼を細めながら近付いてくるその絶世の美女を四人はよく知っていた。



「ーーお久しぶり、と言うほど時間は経っていませんが、まぁ、お久しぶりです、と言っておきましょう。お元気でしたか?」


「……ああ」



 絶世の美女ーーリーゼロッテかは発せられる魔力と冷気に気圧されながらも、パーティーリーダーであるアクナムはどうにか一言だけ言葉を紡ぎ出した。

 


「そうですか、お元気でしたか。私は大変だったんですよ。フフフ、何せ味方だと思っていた人達から裏切られただけでなく売り払われたんですから」



 リーゼロッテが放つ冷気が一層強まり、近くの岩石が瞬く間に凍結し砕けていく。

 その様子を見て更に顔色を悪くするパーティーメンバーの姿を見てアクナムは密かに覚悟を決めた。



「……俺達への復讐か」


「復讐だなんて、そんなまるでアナタ達に思い入れがあったかのような言葉は使いませんよ。敢えて言うならば私を陥れたことに対する報復。或いは過去の過ちの精算でしょうか?」


「過ちか……確かにそうだろうな」


「そうでしょう? 理解したなら自らの過ちを認めて、誰も来ないこの場所で人知れず惨めに死んでください」


「ハハッ。まるでもう自分の勝ちが決まったかのような言い草じゃないか。そっちは一人でこっちは四人だ。冒険者ランクでもお前と同じAランクが俺含めて二人もいるんだ。だから死ぬのは俺達じゃなくてお前の方だ!」



 アクナムの身体から赤いオーラが立ち昇る。

 これはアクナムの切り札である強化系スキル【狂戦士化バーサーカー】の力だ。

 代表的な強化系スキルである【身体強化ブースト】よりも強化倍率が高い代わりに、敵味方の判別が付かないほどに精神が狂い暴走する〈狂気〉の状態異常バッドステータスに陥るという大きなデメリットが存在する。

 本来なら仲間がいる場で使えるようなスキルではないのだが、アクナムの場合は事情が異なった。



「『精神治癒マインド・ヒール』『精神防壁マインド・プロテクション』『精神強化マインド・ブースト』」



 仲間の一人である魔法使いの女性がアクナムに狂気を鎮め、精神を強化する魔法を行使する。

 本来ならばそれだけでは狂気に精神が侵されてしまうのだが、アクナムが装備している〈勇猛なる守護輪〉の効果の一つによって予め精神耐性が大きく強化されているおかげで狂気を跳ね除け、通常の精神状態のまま強大な力を扱うことが出来るようになっていた。

 魔法使いを護るように盾使いが壁になり安全が確保されると、魔法使いの女性は自分以外のメンバーの身体能力を強化する支援魔法バフを追加で行使する。

 Aランク魔法使いによる幾重もの支援魔法を受けて三人の力は格段に上昇した。

 心身に漲る力が冷静さと勇気を与えたのか、全員の顔から怯えの色が消える。

 そして、冷静になった頭が改めてリーゼロッテの姿を観察する。

 リーゼロッテが持っている長杖こそ以前と同じ装備だったが、防具に関しては何の魔法効果も無い見窄らしい装備だということに気が付いた。

 装備の質も人数も上回っている事実に気付くと、怯えの代わりに浮かぶのは目の前の美女に対する嗜虐の笑みだった。



「クククッ。どうだ驚いただろう? お前には【狂戦士化】の力もこれだけの数の支援魔法が使えるところも見せていなかったからな。これがお高く止まっている魔女には縁のない仲間パーティーの力だ!」


「……」


「どうやって男爵のところから逃げ出してきたか知らないが、まさかノコノコと俺達のところにやってくるとはな。前は男爵の手前何も出来なかったが……今ならその身体を好きにしても誰からも文句は言われないよな」



 アクナムはリーゼロッテの身体を上から下へと嘗めるように見ると思わず生唾を飲み込む。

 同性すら惑わす美貌と身体を前にして他の三人もアクナムと同様に喉を鳴らした。

 そんな理性無き欲に支配された獣欲の視線に対して、リーゼロッテは侮蔑の視線と嘲笑を返した。



「ーー不快ですね。何故私をアナタ達程度と同列に語られなければならないんでしょうか?」


「……何……だ、と?」



 会話の隙を突き、【狂戦士化】以外の強化スキルも発動させて一瞬でリーゼロッテとの距離を詰めたアクナムの動きが止まった。

 否、足元を凍結されたことによって地面から足を離すことが出来なくなり、強制的に止められたのだ。



「一言にAランクと言ってもその力には個人差があるんですよ。Bランクに近いAランクと、Sランクに近いAランクとでは覆し難い差があります。誰と誰のことを言ってるか、お分かりですか?」



 力を隠していたのはリーゼロッテも一緒だった。

 捕まった時は本気の力を出す機会だったのだが、その時は予め盛られた薬によって本来の力が出せなかったが、その弱体化した力の範囲内でなお、それまでアクナム達の前で見せてきた以上の力を発揮していたため、無意識の内にリーゼロッテの本気の力をその程度だと見誤っていたのだ。

 背後から上がる三人の悲鳴を聞きながら、アクナムは身体を震わせた。

 足元から凍っていく恐怖と寒さからの震えではない。

 いや、その震えもあるが、今のアクナムが恐怖し理解出来なかったのは、自らが信頼する【狂戦士化】の力が勝手に解除されたことについてだ。

 まだ凍り出したばかりなら強引に脱出できると考え行動に移そうとしたのだが、強化スキルが解除されて実行することが出来なかった。

 仲間たちの悲鳴が小さくなっていくのにも気付かずに何度も何度も強化スキルを発動させようとするが、全て発動した直後に解除されていく。



「どうしましたか?」



 ビクッと肩を跳ね、知らずに俯いていた顔を上げると、そこには愚者を見下す美しき氷の魔女の微笑があった。



「た、たすけーー」


「アナタ達には一つだけ感謝しているのですよ」



 愚者の助命の懇願には耳を貸さずに一方的に、そして傲慢に言葉を紡ぐ。



「アナタ達が私を陥れて捕まえたおかげで、良い縁に巡り合えました。知ってますか? 彼は私の力を簡単に防ぐんですよ。フフフッ、やっと胸の内が満たされそうで、もう、嬉しくて嬉しくて、思わず力を入れ過ぎてしまいました。本当はもう少し接戦を演じてから勝つつもりだったんですよ? でも弱いのに調子に乗るのが悪いのです。その程度の力で私に勝てると思うなんて、頭がーー」


「ーーなぁ、リーゼロッテ」



 いつまでも続く罵倒と嘲りの言葉を止めたのは、リーゼロッテの真横に突然現れたクロ、もといリオンだった。



「あら、どうしましたクロ。まだ私の攻撃は終わっていないのですが……」


「攻撃というか口撃だったけどな。ちなみに、もうとっくに四人とも凍り付いてるぞ。何かの拍子に砕けて死んだらスキルを奪えないし、アイテムも剥ぎ取らないといけないから、そろそろ俺に代わってくれ」



 リーゼロッテが周囲に視線を巡らせると、当初の予定よりも短時間で、かつ大規模な惨状が広がっていた。

 静謐な狂鬼の四人が凍り付いているのは予定通りだが、この陥没闘技場(仮称)の空間全体までもが凍り付いており、そこら中にあった岩は全てが凍て付いた末に砕け散ったことによって辺り一面が氷床の銀世界に変貌している。

 いや、正確に言えばリーゼロッテから溢れ出る冷気によって現在進行形で氷が岩壁を侵蝕していた。

 唯一氷に侵されていない無事なのは、リオンが隠密状態で立っていた場所ぐらいだ。



「……失礼しました。どうぞお受け取りください」



 リーゼロッテは自らが齎した惨状から目を逸らしながら、リオンへと四つの氷像を差し出すために一歩後ろへと下がる。

 そんなクールダウンしたリーゼロッテの姿を後目に、リオンは先ほどのちょっとアレなリーゼロッテの姿を思い出すのだが、自分から進んで触れる必要も無いと結論を出すと、【捕食者の喰手】で全ての氷像を包み込み、【強奪権限グリーディア】を発動させるのだった。



 

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