第10話 千歳春陽①
俺が桃峰花恋と出会ったのは、五歳の頃だった。
遠く離れた田舎から両親と共に引っ越してきた俺は、都会の人の多さに慣れず、どちらかというと引っ込み思案で直ぐに泣いてしまうような弱虫だった。
そんな俺だから、自分から友達を作ることも出来ず、寧ろ男の癖に泣き虫だと幼稚園では仲間外れにされていた。
そんな時だった。太陽のような笑顔を振りまく天使に出会ったのは。
「こんにちは! いつも隅っこで遊んでるよね? 私、カレン! 一緒に遊ぼうよ!」
その日から、俺の生活は一変した。
花恋とは幼稚園が違ったが、休日に公園に行けば必ず彼女に会えた。
花恋はいつもうじうじしている俺の手を引き、色んな楽しいことを教えてくれた。
花恋の笑顔を見ていると不思議と俺も笑顔になって、元気になっていた。たった一人の少女のおかげで、つまらなくて苦しい日々は光に満ち溢れた生活に早変わりした。
花恋と俺、そして、当時から花恋と一緒にいた美藤啓二。
この三人で遊ぶことが増えた。小学校は親には私立を勧められたが、花恋と同じ学校に通いたくて、公立を選んだ。
この頃から既に、俺にとって花恋は特別な人だった。
多分、幼いながらに好きだったんだと思う。だから、告白した。
「か、かれん! 俺、もっとかっこよくて、かしこくなるから、だから、俺とけっこんしてください!」
「けっこん……? けっこんって、幸せにするってちかうってことだよね? はるあきはわたしを幸せにしてくれるの?」
「う、うん!」
「そっかー、なら私もはるあきが幸せになれるようにがんばる!」
俺は飛び上がって喜んだ。
俺の喜び具合を見た両親も喜んでいた。そして、俺は花恋に相応しい男になるために努力し続けた。
花恋と俺が幸せになれる未来を夢見ていた。
でも、花恋の隣にはいつも啓二がいた。
邪魔だった。啓二がいなくなればいいと俺の中にいる本能が望んでいた。
その本能が脳裏をよぎる度に醜い自分が嫌になった。
だから、努力し続けた。
啓二も花恋も周りも認めざるを得ないくらい立派な人間になる。そうすれば花恋だって俺を選んでくれるはずだ。
そう信じていた。
花恋を手本にして人付き合いを積極的にするようにした。そのおかげか、仲のいいやつは自然と増えていった。
でも、啓二の隣には花恋がいた。
毎日走って、足が速くなるよう努力した。
そのおかげか、中学の頃にはクラス内でも運動がかなり出来る方だった。球技大会ではクラスメイトから囲まれて、女子からの黄色い声援だって浴びた。
ただ、花恋は誰でも褒めることが出来る俺の功績より、目立たない啓二のプレーをよく見ていた。
勉強だって頑張った。
学年では常に上位。花恋や啓二に勉強を教えてあげることもあった。
花恋に感謝された時は、天にも昇る気持ちだった。
でも、花恋が一緒に勉強する相手にいつも最初に選ぶのは啓二だった。
啓二が邪魔だった。
いなくなればいいのに。そうすれば花恋は俺を見てくれる。
俺の方が啓二より頑張っている。人付き合いだって、運動だって、勉強だって、俺にあって啓二に無いものはいくらでもある。
でも、啓二と一緒にいる時の花恋が一番輝いている。
分からなくなった。
俺は花恋が好きで、花恋に感謝していて、花恋に幸せになって欲しい。
そこに嘘偽りはない。
でも、花恋にとっての幸せは俺と一緒になることなのだろうか?
自信はある。花恋が笑顔で生きていける未来を俺なら描けるはずだ。
でも、その笑顔は啓二の隣にいる今の花恋の笑顔より輝いているだろうか。
俺と結ばれない方が花恋は幸せなんじゃないか。
そんな考えが脳裏をよぎる度、花恋を好きだという思いとぶつかって胸が痛くなる。
それでも花恋への恋慕は増していくばかりで、花恋と結ばれる未来を夢見ることなど止めることは出来ない。
――楽になろうぜ。
不意に、頭に声が一つ響く。
――欲望のままに、自由に生きようぜ。
欲望のままに。
俺の欲望って、なんだ?
啓二を消すこと? 花恋と結ばれること? 全部、忘れて楽になること?
色んな考えが頭を巡り、最後に浮かび上がったのはあの日俺に手を差し伸べてくれた少女の笑顔だった。
そうだ。俺の欲望は、願いは昔から一つじゃないか。
それは――。
『啓二と花恋、その二人が結ばれることだ』
思考に靄がかかる。
頭がよく回らない。花恋の笑顔が靄の中に消えていく。
でも、それでいいはずだ。
花恋と啓二が結ばれれば、花恋も啓二も笑顔で幸せになる。
それが最善だ……。
***
「さっさと起きろ!」
「――ッ!!」
額に感じた痛みに目を覚ますと、しかめっ面の黄島と心配そうにこちらを覗き込む花恋、蒼井、啓二の顔が視界に飛び込んできた。
「春陽君! 大丈夫? 痛いところとかない?」
驚くべきことにマイラブリーエンジェル花恋が俺の方に顔を寄せて来た。
その綺麗な瞳が俺の顔を写す。
なんということだ! こんな至近距離で花恋と見つめ合うなんて、幸せ過ぎる!!
「うーん、ちょっと額が痛いかもしれない。花恋、しっかり見て見てくれないか?」
「うん! 分かったよ!」
更に花恋が俺の額を見ようと顔を近づけてくる。
ふおお……眼福だぁ。
「確かに、ちょっと額が赤くなってるかも……」
「だろ? あー、痛い。額を撫でて貰ったら治る気がする」
「じゃあ、私が撫でる――」
「いい加減起きろ!」
「いってえ!」
花恋が俺の額に手を伸ばそうとするが、それを遮るように黄島が俺の頭をはたいてきた。
くそっ! 黄島め。
人を気持ち悪いと言ってきたり、ストーカー扱いしたり、花恋のなでなでを遮ったりと、俺の邪魔ばかりしてくるな。
「ほら、さっさと立ち上がって行くぞ」
黄島に言われ、立ち上がる。
辺りを見回すが、何の変哲もないショッピングモールの光景がそこには広がっていた。
何となく、何かを忘れているような気がする。
そうだ! 黒髪の美女がいたんだ!
「あ! そうだ! 啓二、お前黒髪の美女に胸押し付けられてニヤニヤしてたよな!? あの美女は誰なんだよ!」
「な、なにそれ? どういうこと?」
「え!? あ、いや、知らないよ!」
俺の言葉に真っ先に反応したのは花恋だった。
花恋に問い詰められ、啓二はたじろいでいる。
「そういや、啓二が『いやぁ、こんな美女に出会えて幸せですよ!』って鼻の下を伸ばしながら言っていたような気がしなくもない」
「そんなこと言ってないよ!」
「なっ!? け、啓二のバカ! 千冬ちゃん、秋子ちゃん行こう!」
「え、ええ……」
ぷんすかと頬を膨らませながら花恋が背を向けて歩き始める。その後ろを蒼井はこちらをチラチラ見ながら追いかけて行った。
これで終われば、ただ俺が啓二と花恋を仲違いさせようとしているだけのクズになってしまう。
「そんなとこで落ち込んでないで、さっさと追いかけろよ」
「だ、誰のせいだと思ってるんだよ!」
「うるせえ。美女とお前が戯れてたのは事実だろーが。誤解されて欲しくないなら、ちゃんと伝えて来い」
そう言うと、啓二は真剣な表情になって頷いた。
そうだ。それでいい。
これで、啓二の思いが花恋に伝われば完璧だ。
「春陽、ごめん」
「何に対する謝罪か知らないが、さっさと行けよ。それと、なんで花恋が怒ったのか。その理由を考えろよ」
「うん。ありがとう、春陽」
そう言うと啓二は花恋と蒼井を追いかけて走っていった。
これで少しは前進するといいんだけどな。
「千歳」
啓二が走り去った後、横にいた黄島が声をかけてくる。
その表情は何処か暗く、いつも以上に不機嫌そうにも見えた。
「まだ、桃峰のことは好きなんだろ?」
「愛してる、な。そこんとこ勘違いしないでくれ」
「……そうか」
黄島の悲痛な表情が何故か頭に強く残った。
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