第2話 幼馴染

 幼馴染。

 その単語を見ると、アニメや漫画、ライトノベルが好きな人なら真っ先に、家が隣で、仲が良くて、朝起こしに来てくれる、そんな存在を思い浮かべるかもしれない。

 ただ、それは創作の世界の話。

 実際のところの幼馴染は殆どが家は隣じゃないし、朝も起こしに来てくれない。

 かくいう俺、千歳春陽にも幼馴染が二人いる。


 一人は美藤啓二。

 黒髪の男子だ。やや長めの前髪に黒髪、背筋が少しだけ曲がった姿は少々頼りなくも見えるが、男の俺から見てもいいやつと言い切れる、優しい男だ。


 もう一人は桃峰花恋。

 少し濃い桃色の髪をハーフアップにしている美少女だ。愛嬌があって、笑顔が可愛らしい。明るい女の子だ。

 そして、俺の初恋の相手でもある。


 啓二と花恋は絵に描いたような幼馴染。

 家も隣で、毎朝一緒に登校するくらい仲がいい。そして、俺はそんな二人の周りを幼稚園の頃からかれこれ十年以上、高校生になった現在までウロチョロしている幼馴染である。


***


「なあ、啓二、大事な話があるんだ」


 いつもの昼休み、高校に上がってからというもの毎日の様に弁当を食べる生活が続いているが、今日の俺は弁当を持っていなかった。


「なんだよ」

「見ての通り、俺は弁当を持っていない!」


 怪訝な表情でこちらを見る啓二に対して、俺は上着のブレザーとカッターシャツをバッと脱いでみせる。

 それでも、啓二の目は未だに険しい。

 どうやら、まだ疑われているようだ。仕方ない。女子もいる前でこんなことはしたくないんだけどな。


「なんだよ、まだ疑ってんのか。じゃあ、ズボンも脱ぐよ。あーあ! 啓二が俺の衣服を剥きたいっていうなら仕方ないな!」

「ちょっ! 春陽、何言ってるんだよ!」


 大声を上げながらベルトに手を掛けると、啓二が慌てて俺のベルトを抑えに来る。


「なっ!? やめろ啓二! てめえ、いくら俺と仲がいいからって俺のズボンを自ら脱がそうとするんじゃねえ!」

「ち、違うよ! 脱ごうとするのを止めようとしてるんだよ!」

「嘘つくな! じゃあ、なんで頬を赤らめてんだ! 俺の今日の熊さんパンツに興味があるからだろ!」

「恥ずかしいからに決まってるだろ! それに、春陽のパンツなんて知りたくなかったよ!」


 やいのやいのと喚きたてていると、教室中の視線が俺と啓二に集まる。

 その多くは呆れ半分笑い半分といった感じだが、一部の女子の間からは「やっぱりあの二人って……」「うん、できてるよね」なんて声が上がっている。


 周りの声を聞きながら、ベルトを掴んでいた手をパッと離す。

 俺がベルトを離したことで安心したのか、啓二もホッと一息ついていた。だが、直ぐに周りの視線に気づき、顔を伏せてしまった。


 やれやれ、相変わらずのシャイな男である。

 幼馴染の花恋を見習ってほしいもんだ。


「とりあえず、俺の弁当が無いことは理解してもらえたか?」

「う、うん」

「それはよかった! で、ここからが本題なんだけどな」

「嫌だよ」

「まだ何も言ってないじゃねーか」

「どうせ、僕のお弁当をくれって言うんだろ」

「お、よく分かったな。その通りだぜ!」

「その通りだぜ! じゃないよ。昨日も先週もそうだったじゃないか。幸い、花恋がお弁当を二つ持ってきてくれてたから良かったけどさ」


 クラス中の視線を集めたことを根に持っているのか、啓二は不機嫌のようだった。

 器の小さい奴め。もっと海よりも広い心を持ってくれよ。


「いいじゃねーか! それともあれか? お前は俺に餓死しろって言うのか!?」

「自業自得でしょ。購買だってあるんだし、何か買ってきなよ」

「やだやだ! 啓二の手作りお弁当がいい! あのお弁当が美味しいんだ!」

「こ、子供か」


 その場で両腕をブンブン振り、頬をハリセンボンの様に膨らます。

 そんな俺を見て啓二は軽く引いていた。


「おかしいな。花恋がやってた時はもっと効果的だったんだけど……」

「私、そんなんじゃないよ!」


 啓二の説得が上手くいかないことに頭の上で疑問符を浮かべていると、我らがもう一人の幼馴染にして、マイラブリーエンジェル桃峰花恋が頬を膨らませながらやって来た。


「お、本家だ! ほら見ろ啓二! これがやりたかったんだよ!」

「うん、全然できてなかったけどね」

「も、もう! 啓二も春陽君もバカにしてるでしょ!」

「ええ!? 僕も!?」


 俺と啓二のやり取りを見ていた花恋はそう言って更に頬を膨らませる。

 いやぁ、可愛い。

 今すぐキャンパスにこの光景を書き写して額縁に納めたいくらいだ。


「いやいや、こんなにも可愛い花恋をバカにするわけないだろ! ハリセンボンの千倍は可愛いんだぜ」

「バカにしてるじゃん!」


 ハリセンボンと言われたことを気にしてか、頬を引っ込ませて今度はジト目を俺に向ける花恋。


「きゃ、きゃわいいいい!! な、啓二もそう思うよな! ジト目の花恋めちゃくそ可愛くて、今すぐ告白してフラれちゃうくらいだよな!」

「え、あ、え……」


 顔は赤くして狼狽えるけれども、流れにはのってこない。

 だが、花恋のことを意識していることは明白だ。注意がもう弁当からそれている。


「隙あり」

「あっ!」


 啓二が狼狽えている隙に、机の上に置いてあった啓二の弁当箱を奪取する。

 そして、そのまま啓二の机から距離を置く。


「ははは! 油断大敵! 奪られたくないもんからは目を離しちゃいけねーぞ。何時誰かに奪われるか分からないんだからな。それじゃ、また午後に!」

「ちょっ! 春陽!」


 啓二の声を無視して、教室を出る。

 さて、今日はどこで昼飯を食おうか。

 屋上……はカップルのたまり場。そんな中一人で飯を食っても切ないだけ。

 中庭……もカップルのたまり場。そんな中一人で食っても嫉妬で狂いそうになるだけ。

 自分の教室はさっき出て来たばかり。戻っても気まずいな。


 そうなれば行く場所は一つだ。

 目的地を定め、啓二の弁当片手に歩き始める。


 俺たちが通う恋慕高校は最近出来たばかりの都内の高校だ。

 運動が得意な生徒からモデルとして活躍するような生徒、学業に秀でた生徒まで多種多様な生徒が通っている。

 そして、そんな生徒たちを束ねる立場にあるのが生徒会だ。


「お邪魔しまーす」


 生徒会室の扉のドアを開く。

 パソコンが乗ったデスクが三つ。そして、奥に一際立派な椅子とテーブルがあり、その椅子には少女が一人座っていた。

 蒼穹を彷彿とされる肩まで伸びた綺麗な髪に、アクアマリンのような透き通る瞳。

 マイラブリーエンジェル花恋にも劣らない美少女にして、我が校の孤高の生徒会長――蒼井千冬だ。


「千歳君? また、昼食を食べに来たの?」

「ああ。席借りるぜ。それより、また一人で飯食ってんのかよ」

「別にいいでしょ。そもそも、あなたには関係ないじゃない」

「それはそうだ」


 会話もそこそこにあいている席について啓二の弁当を食べ始める。

 うん、美味い。

 幼い頃に母親を失くしている啓二は、中学生の頃から父の手伝いで家事をし始めた。料理の腕は相当なもんだ。


 それにしても。


 横目で蒼井の様子を見る。

 相変わらずの豪勢なお弁当を食べながら、蒼井は手元の書類を確認しては印鑑を押す、確認しては印鑑を押すを繰り返している。

 こんな時まで仕事とは、将来は立派な社畜になること間違いなしだろう。

 だが、人がゆっくり昼食を食べているときにあくせく働いているのは減点だ。

 俺もなにかやらないといけない気がしてしまう。


「昼休みくらい休んだらどうだ?」

「そうしたいのだけれどね。一か月後にある体育祭の準備が忙しいのよ」


 こちらに視線も向けず、書類を捌き続ける蒼井。

 

「お前が一人で頑張るのはおかしいだろ。上司なんだし部下にやらせろよ」

「……それでも、私が先だってやらないと」


 一瞬だけ、蒼井が手を止める。

 だが、寂しそうな笑みを浮かべてからそう言うと、再び手を動かし始めた。


 蒼井自身は元々生徒会長になるつもりはなかったらしい。

 だが、去年クラスの連中に後押しされて生徒会選挙に出馬することになってしまった。

 やるからには本気で。

 真面目な蒼井は生徒会選挙に本気で挑んだ。その結果、一年生にも関わらず当選してしまった。

 そして、次期生徒会長間違いなしと言われていた二年生と、彼の取り巻きたちの嫉みをかった。


 厄介なのは、その二年生が二年生の間ではそれなりに人望があったことだろう。

 この学校は生徒会長だけでなく、生徒会員も選挙で選ぶ。

 その結果、蒼井の周りはその二年生の取り巻きたちで固められた。そして、いつからか彼らはなんやかんやと理由を付けて仕事を蒼井に押し付けるようになった。

 今回も多分それだ。


 そんな奴らが生徒会でいいのかと思うが、存外社会とはそういうものだろう。

 権力者が必ずしも清廉潔白なわけがない。


 それでも、胸糞悪いことに変わりはない。


 弁当を口に押し込み、飲み込む。

 それから、蒼井のデスクの上に積み重ねられた書類をいくつか見繕って奪う。


「お前がやらなくてもいい書類は貰うぞ」

「あなたは生徒会じゃないでしょ」

「何言ってんだ。昨年度のこと忘れたのか?」

「確かに、そうだけど……」


 そう、昨年度の三学期から俺は蒼井をちょくちょく手伝っている。

 その理由は一つ。

 俺の愛しの人と蒼井が友達だからだ。


「花恋が最近、蒼井と遊べてないって寂しそうにしてたぞ」

「そ、それは……」


 蒼井が言い淀む。

 

 花恋と蒼井は友達だ。去年の冬頃から友達になったらしい。

 蒼井が忙しくなれば、花恋が蒼井と過ごす時間は減る。そうなると花恋は寂しがる。

 天使の寂しい顔を見て黙っていられるだろうか? いや、いられない!


「天使を泣かせるくらいなら俺を使え。俺は天使の為ならいくらでも酷使されても構わないからよ」

「ふふっ。相変わらず、花恋のことが大好きなのね」

「ちげーよ。愛してるんだよ」


 クスクスと楽しそうに笑う蒼井。

 完璧美少女だとか、孤高の女王様だとか言われているが、所詮はただの女子高生。

 楽しければ笑うし、しんどかったら苦しそうな表情も見せる。

 ま、蒼井がそういう表情も見せるようになったのは他でもない花恋のおかげなんだけどな。


 さすがはラブリーエンジェル花恋だ。全てを包み込む慈愛の笑みで色んな人を幸せにしている。


「そうね。なら、手伝ってもらおうかしら」

「おう、ばんばん使え。ついでに啓二も使っていいぞ。なんなら、クラスの男子に上目遣いでお願いしてみろ。大抵の奴は喜んで手伝うだろうから」

「それは、流石に申し訳ないわ」

「なら、俺が上目遣いで頼むとしよう」

「需要あるのかしら?」

「あるに決まってんだろ! 見とけよ。今日の放課後、この生徒会室に大量の助っ人を呼んできてやるからな!」

「期待せずに待ってるわね」


 先ほどよりもずっと柔らかい表情を浮かべる蒼井。

 

 とりあえず、これで暫くは大丈夫だろう。

 そう一安心した時だった。


「……っ!」


 蒼井が目を見開き、窓の外に視線を向ける。

 それから、慌てて弁当をしまうと、真剣な表情で俺に鍵を手渡してきた。


「ごめんなさい、千歳君。戸締りをお願いしてもいいかしら?」

「いいけど、どこ行くんだよ?」

「少し、ね。とりあえず任せるわね」


 答えになってない返事をすると、蒼井は生徒会室を飛び出す。

 

 そういえば、蒼井はこの部屋を出て行く前に窓の外を見ていた。

 そこに何かあるのだろうか。


 立ち上がり、窓の傍に歩み寄って窓の外、校庭に視線を向ける。

 そこには何もなかった。

 何の変哲もない校庭が一つ。

 暫くすると、生徒用玄関の方から蒼井が出て来た。そして、蒼井はそのまま校庭に走っていき、姿を消した。

 まるで神隠しでも起きたかのように、何も無い場所で唐突に。


 三度目。

 俺がこの不思議な光景を目撃した回数だ。

 一度目は花恋、二度目は啓二、そして三度目が蒼井というわけである。


 何かがあることは間違いないんだろう。啓二に以前それとなく聞いてみたら、明らかに動揺していた。

 少なくとも、花恋と啓二、蒼井はこのことに関係している。

 だけど、俺はその何かを知らない。花恋も蒼井も啓二も何も語ってはくれない。


 俺に出来ることと言えば、待つことくらい。隣には立てないから、せめて離れたところから見守らせてもらうとしよう。

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