異世界ゆる園芸部
金澤流都
第一部 異世界一年生
#1 異世界との遭遇
おかしい。
ついさっきまで、校舎裏の花壇で草むしりをしていたはずだ。なんでこんな、なんていうか……牧歌的な風景のなかにいるのだろうか。
有菜は首を捻った。目の前には、藁葺き屋根の素朴な民家がいくつか建っており、教会のような建物もあるのだが、このヨーロッパ風の教会だったらてっぺんについているはずの十字架がない。ラブホだろうか。有菜はまた首を捻った。
有菜は後ろを振り返った。園芸部の花壇がある。花や野菜を育てるためのものだ。足元では、有菜の友達の沙野がへたりこんでいた。
「沙野ちゃん、大丈夫?」
「い……い……」
沙野の様子がおかしい。有菜は沙野がどこか痛いのではと心配して、
「沙野ちゃん?!」とでっかい声を出してしまった。
沙野は叫んだ。
「異世界だあああああ〜〜〜〜!!!!」
「い、異世界?! なにそれ」
「有菜ちゃんはライトノベルって読む?」
「う、ううん……てかライトノベルってなんなん?」
「本屋さんにいくと、漫画みたいな表紙のついた文庫本売ってるでしょ?」
「あ、ああ、あれかあ……それがどうかしたの?」
「たぶんここ、ライトノベルで言うところの異世界なんだと思う。中世ヨーロッパ風のやつ……魔法とか使えるのかな。モンスターとか出るのかな、ワクワクしてきた……!」
「ま、魔法?! モンスター?! そんなやばげなところに来ちゃったの?!」
有菜は素直にそう返事した。だってヤバいではないか、魔法とかモンスターとか。有菜はゲームやアニメには興味はないのだが、兄がけっこうなゲーマーで、遊んでいる様子を後ろで眺めていることもときどきある。魔法というのはおおむね、火炎が噴き出したり凍らせたりと、物騒なものだ。モンスターだって、凶暴で人間を襲ったりする生き物だというのはわかる。
「やばくないよ。園芸部の花壇だってあるし、ここはこうやって村落になってるから、たぶんモンスターはそう簡単には出てこないと思うよ」
「そ、そっか。街にタヌキが出ないのとおなじ理屈かあ」
二人がそんな話をしていると、向こうから誰かが歩いてきた。思わず二人は固まった。
「……きみら、シダコーコーの新しいエンゲーブ?」
話しかけてきたのは、二人と年ごろの変わらない、日本人の顔なのに金髪に青い目の若者だった。
「そうです。あたしは有菜、こっちが沙野。あなたは?」
「俺はルーイ。ふつうの農民」
若者はそう答えた。信用してもよさそうだ、と二人は判断した。
有菜と沙野はルーイに連れられて、教会のような建物に入った。
建物は村の家々とは違い、石で作られ、床も石で、木のベンチが並んでいた。
「神官さまぁ。新しいエンゲーブを連れてきました」
ルーイがそう言うと、見た目では年齢のわからない、白い髪に白い瞳の男性が現れて、
「ありがとうルーイ。今年もそんな季節なんだね」と笑顔で返した。
「はじめまして。私はクライヴといいます。このエケテの村の守護神官です」
「は、はじめまして……有菜です」有菜は恐る恐るそう返事をした。
「はじめまして。沙野といいます。ここはどこですか?」
何故か元気よく尋ねる沙野に驚きつつ、有菜は確かにここがどこなのか気になることを思い出した。クライヴは笑顔で、
「ここはユーテリア王国の辺境、森の村エケテです。もしかしてタガヤスから詳しいことを聞くまえにこっちに来ちゃったのかな?」
と、そう答えた。
「タガヤスって……畑太嘉安先生のことですか?」沙野が明るく尋ねる。この状況に危機感はないのか。有菜は心の中でそうツッコんだ。
「君たちからしたらタガヤスは教師なんだっけか。タガヤスは私と同じく、この世界とあちらの世界の境目を守ってるんだけど、……タガヤスから詳しい話を聞く前にこっちに来てしまったということは、やっぱり境目が緩んでるな」
クライヴはため息をついて立ち上がった。なにやら魔法瓶のようなものからお茶のようなものを用意して、有菜と沙野の前に差し出す。
「まあ、とりあえずお茶でもどうぞ。これはエキ・ロクから作ったお茶だよ」
エキ・ロク。
なんだそれは。分からないので怖くて口をつけられないでいると、ルーイがはたと膝を叩いて、建物の外に出ていった。すぐ戻ってきて、
「これがエキ・ロク」
と、なにやら薬草のようなものを見せてくれた。
「いわゆる薬草ですか」
沙野が恐れずずかずか訊く。
「そう。怪我したら傷口に擦り込むと血が止まるし、疲れたときにこれのお茶を飲むと元気になるんだよ」と、ルーイ。
なるほど。有菜は恐る恐るお茶に口をつける。甘くてまろやかな味がする。なんというか、植物は苦そうなのにとても甘くておいしい。
「甘いですね」
「エケテの村のエキ・ロクはユーテリア王国一の品質だからね。で、君たちはシダコーコーのエンゲーブでいいのかな?」
「はい、そうです。それとこの場所になにか関係があるんですか?」
有菜がそう尋ねると、クライヴはハハハと笑って、
「そうだね、大いに関係がある。ぜんぶ説明すると長いから、要点をかいつまんで説明しようか」と、そう言ってこの異世界と現実世界の関係を説明してくれた。
クライヴから説明された、この異世界と現実世界の繋がりは、たしかに全て話すと長くなりそうで、複雑だった。
ずっと昔、羊歯高校の裏、つまり園芸部の活動場所に、大きな木が生えていたらしい。その木はこの異世界と現実世界を貫いて生えていて、木にできた大きなうろから、この異世界と現実世界を行き来できたらしい。
しかしその木は10年前腐って枯れてしまい、現実世界のほうで切り倒してしまった。その結果、園芸部の活動場所と異世界を区別する境界線がなくなってしまったという。なので、人間の力で改めて境目を作ったらしい。
その、異世界と現実世界の境目を守っているのが、このクライヴというひとと、園芸部顧問、畑太嘉安なのだそうだ。そして、園芸部の生徒と顧問だけが、この二つの世界を行き来できるらしい。
その説明を聞かされて、有菜は完全にポカンの顔だった。分からない。異世界とかいう訳のわからんものが実在するとは思わなかった。そもそも異世界なんて考えたこともなかった。
「じゃあルーイ、エケテの村を案内してあげてくれないか」
「分かりました。じゃあいこう」
というわけで、いきなり異世界を散歩することになった。有菜はドキドキしながら、ルーイの後ろについていく。沙野は楽しい顔をしている。有菜は沙野のエンジョイぶりが解せない、と思った。
「ここが俺の家だよ。父さん母さんは流行り病で死んでしまって、俺が一人で暮らしてるんだ。で、ここが俺の畑」
ルーイが見せてくれたのは、エキ・ロクの畑だった。青々と茂っていて、なにやら可愛らしい黄色い花がぽつぽつと咲いている。
「これ、貰ってって園芸部の畑に植えたいです。さっきのお茶すごくおいしかったから」
沙野がそんなことを言い出す。ルーイは肩をすくめて、
「残念ながら、こっちの花や野菜はあっちに持ってっても育たないんだ。逆は一世代だけなら育つんだけどね」
と、説明してくれた。
なるほど。確かに傷に擦り込むと血が止まるうえにお茶にするとおいしい植物が、そう簡単に現実に持ち込めたらまずかろう。ルーイはほかの野菜も見せてくれた。
「こいつはジキ。生のままかじってもおいしいし、肉と一緒に煮ると最高のごちそうになるよ」
そう言ってルーイはジキという野菜を地面から引っこ抜いてみせた。陸で育つれんこん、といった印象の野菜だ。
沙野が「肉って……なんの肉?!」と、いらんことで興奮している。ルーイはジキをべきべき折りながら、
「そりゃあ家畜の肉なら最高だけど、だいたいはモンスターの肉だね」と答えてジキを手渡してきた。生でかじれ、ということらしい。
沙野は即でジキにかじりついた。一瞬遅れて有菜もジキをかじる。
歯ごたえは思ったより柔らかく、ちょっと苦いけれどほのかに甘い。噛めば噛むほど味のある野菜だ。日本の野菜はこんなにおいしくない。
ジキをご馳走になって、ルーイが次に案内してくれたのは、村の中央にある泉だった。
「これが女神様の泉。この泉があるから、作物が育つんだ」
シンプルな、それこそ温泉街にある足湯を思わせる泉だ。こんこんと、とても透き通った水が湧いている。ルーイはそこに置いてあるひしゃくをとり、水を二人に飲ませてくれた。
その水は不思議と、ほんのりと「おいしい」と思うような味がした。ただきれいな湧水、というより、水自体がとてもおいしいのだ。
「なにこれ……水っていうかお出汁みたい」
有菜はそう思った。さっきの薬草でもひたしてあるのだろうかと思ったが、シンプルに水が湧いているだけだ。
「ここの水がこの村の人間全員を生かしてくれるんだ。この世界のどこでも、人間の住んでいるところには女神さまの泉があるんだよ」
ルーイはニコニコとそう語った。
空を、現実世界では見たことのない鳥が飛んでいく。ルーイが慌てて、
「夜呼びが飛んでる。そろそろ帰ったほうがいい」と二人に言った。どうやらあの鳥は「夜呼び」と呼ばれているらしい。カラスのようなものだろうか。
「どうすれば帰れるの?」沙野がやっぱりずかずか訊く。ルーイは、園芸部の花壇のほうに、まっすぐ歩いて行けば帰れるよ、と答えた。
名残惜しかったが、異世界はモンスターが出るかもしれないよ、というところで有菜と沙野は意見の一致を見た。園芸部の花壇のほうに進むと、無事に現実に帰ってくることができた。
「異世界しゅんごい」と、沙野は嬉しそうだ。有菜も、あの異世界ならいいかな、と思っていた。
現実世界に帰ってきたところ、園芸部顧問の畑太嘉安先生に声をかけられた。
「もしかして異世界に行ってたのかい」
「はい。むこうのひとによくしてもらいました」
沙野はニコニコで答えた。畑先生は、
「やっぱり境目が緩んでいる。悪いことが起きなきゃいいが……」とつぶやいた。
そういうわけで、園芸部は異世界との交流を楽しむことになった。この物語はその記録である。
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