御曹司は覚悟を示す

最後のタイムリープを終えた翌日、俺は父さんのいる書物部屋の前に立っていた。


普段は意識的に足を運ぶことはないが、それでも伝えなければならないことがあったから。




「ふぅ……」




息を吐いて、緊張を解す。


別にこの部屋がトラウマだとか、そんな大層な理由があるわけではない、と思う。


ただどうしても、この部屋の前に立つと足が竦んでしまう。


今まで父さんと面と向かって向き合ったことがないからか、それともあの出来事が引っかかっているからか。




―――それがお前の答え、か。




タイムリープ直前でのやり取りを思い出してしまう。


父さんにあれほど悲しい顔を向けられた経験が今までになかった。


強がっていたわけではないが、やはりトラウマはあるみたいだ。




「でももう決めたんだ。俺の覚悟を示すくらい、わけないだろ」




小さく息を吐いて気を引き締める。


もう迷わないと決めた。なら俺の進むべき道を突き進むだけだ。




おもむろに手を置き、そして四回ノックをする。


次期獅童家当主としての礼儀を経て、重圧なドアノブを回して、ようやく言葉を発する。


大切な瞬間であり、主導権を握ることができるかどうかの瀬戸際。


はっきりとした口調で、日本有数の獅童家を率いる現当主との対話に臨むために今、この扉を開ける――――――




「失礼しま……す?」




その瞬間、俺は言葉を失う。


目の前の光景が理解できずに困惑してしまった。




「司か。お前が来るとは珍しい」




威厳に満ちた表情と威圧的な声量。


鋭い目つきでギロリと睨みをきかせ、ソファで横たわりながら俺を迎える父さん。


が、あまりに場違いな景色が眼前に広がっており、俺は自らの精神状態を疑わずにはいられない。




どうして、どうして父さんは膝枕されているのだろうか……?




「どうした、なにをボーっとしている? 俺は今忙しいんだ。さっさと要件を済ませろ」


「いや……え、と……あれ? 俺がおかしいのかな? どうみても母さんが父さんに膝枕しているようにしか見えないんだけど……」




困惑しながら母さんへ視線を送る。


常識人である母さんであれば、この状況を教えてくれると思った。




「…………」




しかしそんな思惑とは裏腹に、ソファに腰掛けて膝枕をする母さんは気まずそうに顔を伏せ、こちらを一向に見ようとしない。


父さんの頭を手で愛でながら、まずいところを見られたとでも言いたげな表情が透けて見える。




「司、はっきりしない奴は好かんと以前に言ったはずだが? これ以上、俺を失望させないでくれ」




それに対して父さんは気まずさを隠そうともせず、さも当然のような面構えをしている。


これが獅童家当主、そして俺の父さん。


そう思うと、自分の中で積み上がっていた偶像が崩れていくようで。


この歪な状況に、俺は思わず声を失ってしまった。




「あの、正嗣さん……流石にこのままの体勢だと司に申し訳が立たないといいますか……その……」




俺が絶句している間に、母さんが遠回しにこの状況を紐解こうとする。


夫婦間の秘密を息子に見られ、流石に羞恥心が抑えられなくなったのだろう。




「文句があるなら俺に直接言えばいい。だが司が何も言わない以上、別にお前が気にする必要はない。そうだろ?」


「…………そうです、よね」




しかし父さんには通じない。


羞恥心は何処へやら、息子が目の前で青ざめているにもかかわらず堂々としている。


それを悟り、諦めたように頷く母さん。


ひどく赤らめた表情を浮かべ、もうどうにでもなれと投げやりになっているように見えた。




「ああどうしてこんなことに……だからもう終わりにしようとあれほど言ったのに……」




ぶつぶつと独り言を呟く母さん。


各要所しか聞こえなかったが、それでも何を言わんとしているかは理解できる。


俺だって両親のこんな姿を見たくなかったのに、父さんが母さんに甘えている姿を見たくなかったのに。


もう、この部屋に入る前の緊張感は完全に消えてしまっていた。




でも俺にはひとつ告げなければならない言葉がある。


そのためにこの部屋に足を踏み入れたのだ。このまま日を改めるような貧弱者には何も守れない。


以前までの俺とは違うのだと、覚悟を示すべきなんだ。




「……父さん。ひとつだけ大事なことを伝えに来たんだ」




空気を変える真剣な表情で、俺は父さんに向き合う。


相変わらず威厳に満ちた面構えを向けてくる父さんを前にして、以前の言葉が再び頭を過ぎってしまう。


父さんは俺と澄花がタイムリープを経て現在にいる事を知らない。それは理解している。


でも以前と同様に再び失望の眼差しを向けられてしまうのではないかと不安が駆けていく。




「なんだ、言ってみろ」




静かに言葉を述べる父さん。


その目つきはまるで俺の全てを見通すかの如き鋭さだった。




「…………」




理解したからこそ重くのしかかる自らの信条を貫くことの意味。そして獅童家の伝統を曲げることの意味。


目の前で横たわる父さん、いや獅童家の当主を前にして、次期当主が伝えるべき選択は今後の獅童家を決める大きな選択となる。


まだ決める必要はないと思っていた。まだ高校生という身分に甘えていたかった。


でも俺はもう決めた。自らの覚悟を決めてしまった。




だからもう、俺は子供ではいられない。




「―――次期獅童家当主、獅童司は久遠澄花と結婚します」




はっきりと現当主へ意思を示す。


他財閥の令嬢との縁談を捨て、平民である澄花を奥方にするという覚悟。


そしてもう一つ、世間から浴びせられる非難を受け止めるという覚悟。


代々受け継がれてきた獅童家の伝統を初めて曲げ、且つ獅童家を守ろうとする決意を俺は伝えた。




「…………獅童家が代々奥方を他財閥から招いている意味は分かっているのか? 混沌とする日本社会で生き残る術を自ら捨てて、獅童財閥の雇用も守れずに経済を衰退させて、最後は獅童家の没落を意味することになる。お前の選択が獅童家の衰退を意味すると理解した上で、それでもお前はメイド風情の平民を妻にするというのか?」




挑発するような言いぐさ。


俺は自らを落ち着かせ、感情的にならないよう振る舞う。




「俺には彼女が必要だから選んだ、それだけです。どこぞの何が出来るかも知らぬような令嬢を新たに迎えるよりも、今いる有能な彼女を利用した方が効率的ですし、それに彼女の能力は傍から見ていた俺のお墨付きです。決して失望させないと誓いますよ」




まるで澄花を商売道具として扱う自分自身に苛立ってしまいそうになる。


こんなやり方でしか彼女を守れない今の自分は本当に情けないと思う。


でも彼女を離さないため、俺は手段を選べない。




「それに……現在の世論の風潮に従えば、平民を身内に招く寛容さを見せつけることである程度の支持層が見込めます。今の支持層と入れ替わりになってしまうリスクはありますが、平等社会を謳う風潮を取り入れることができれば、将来的な投資に繋がるかと」




良い面を前面に押し出す。


支持層が入れ替わるということは、今の獅童家を支持している財界の人間らを裏切るということ。


いくら新たな支持層を得られるといえども、資本額のケタが減少するデメリットの方がはるかにデカいのだ。




「信用第一の業界でこれまで通り生きていける保証がない時点で、その提案は得策とは言えないがな」


「もちろん、今まで投資や援助を賜った方々には感謝しています。ですが、いつまでも古い慣習に囚われていてはそれこそ先が思いやられます。ゆくりなく迫ってくる時代の波に吞まれる前に手を打っておく必要があると私は考えます」




もっともなことをそれらしく言葉にして並べる。


具体的なことが一切思いつかない以上、下手に嘘をつくのは得策ではない。


正直、この提案が通るとは思っていない。


しかし、俺にはある程度の展望があるのだと認知させることができれば十分。


当主になるまでの一年をかけて、丹念に試行錯誤する時間さえ貰えれば何とかなるかもしれない。




「…………ある程度は勉強してきたようだな。事実、今の獅童家は栓の抜けた浴槽に水を足し続けているような不安定な状態。将来的に考えれば必要な選択肢の一つとして十分に挙げられる可能性ではあるが……」




父さんはそう言うと、訝しげな顔を見せる。


静かに立ち上がり、そして母さんから離れて窓際まで歩いて行った。


窓の向こうに見えるのは首都のビル群。


摩天楼のように薄っすらと存在感を醸し出しているそれらを見て、父さんは何を思うのか。


でもきっと大丈夫だ。微かではあったが口振りから手ごたえを感じた。


少しでも父さんの心を揺らすことができたのであれば、可能性はまだある。


自分を信じろ。守りたいもののために全てを捧げると誓ったのであれば、こんなところでつまずいてはいられない。


父さんを超えて、俺に都合の良いハッピーエンドな結末を目指すんだ――――――








「―――だが、その要求を呑むことはできない」




しかし、非情にも首を横に振られる。


こちらに振り向き、父さんは悲しそうな表情を浮かべる。




「今の支持層は先代から獅童家を支えてくれた言わば重鎮ともいえる方々だ。各業界への融通が利くのも、仲介役を斡旋してくれるのも、全て彼らとの信頼があってこそ。それを裏切るということは間違いなく死を意味する。この先二度とこの業界で生きることができないほどに、な」




その顔を見て、思わず息を呑む。


再び失望させてしまったのかと後悔が沸き出てくる。




「もしこの要求を呑んでしまえば獅童家という名が化石になるだろう。司、それでもお前は強行するのか?」




諭すような口調で問いかけてくる父さん。


それに対して、俺は何も答えられなかった。


項垂れ、悔しさがこみ上げてくる。


澄花を守るために覚悟を決めて臨んだ結果がこれなのか。こんな結果を俺は受け入れるしかないのか。


そうした口惜しさと焦りが混ざり合って、今にも崩れてしまいそうになる。


大丈夫だと思っていた。父さんの代わりになれると思っていた。


でも実際それはまだ子供じみた考えであり、まだまだ浅はかな空想でしかなくって。


結局、俺は父さんを超えることができない。


今まで通りの獅童家の伝統に従わされて、澄花を手放すことを強制されて、偽りの日常を受け入れる人生を送るのか。




そんなの、嫌に決まってる――――――














「―――でも、お前の真剣さは伝わってきた。今後の展望はともかく、お前がそこまでの覚悟を持ってくれたことが一番嬉しいと、俺は思ってる」




そう言って父さんは笑みをこぼし、そして俺の目を見て大きく笑う。


深刻な雰囲気が晴れ、次第に温かみを増す空気に俺は困惑で一杯になってしまった。




「間違った提案をしたから失望されると思ってたのに……」


「もしそれを他人のせいにしていたら本気で軽蔑したかもしれんが……まあ、自らの行動で現状を変えようと努力していた姿勢は評価できる。ひとつの及第点だな」




優しい口調で語りかけ、俺を認めてくれる父さん。


予想外の展開に、思わず声を失ってしまう。


そんな俺を見かねてか知らず、父さんはこちらに近づいて、小さく囁く。




「澄花を守る覚悟があるんだな?」




確かめるように、静かに父さんは訊く。


先程とは打って変わり、包み込むように優しく彼女の名を出し、これが純粋な質問なのだと分かった。


俺が言うべき答えは既に持ち合わせている。


困惑した思考のまま、それでも俺は大事な人のために、俺ははっきりと答えた。




「……はい。覚悟ならもう出来てます」


「ふっ、そうか」




俺の答えに満足したのか、父さんは再び笑みをこぼす。


そして母さんの方を振り返り、なにやら意味深な視線を送っていた。




「……そうですね」




母さんはそう言って頷くと、とても嬉しそうな表情を見せた。


本当に嬉しそうに、そして瞳を潤ませて悲しさを思い出すように。


俺にはよく分からなかったが、たぶん母さんしか知らない喪失があるのかもしれないと思った。




「司、お前が我儘を通したいのならばもっと具体的な提案を思案するべきだ。今のままでは俺を納得させることは到底成し得ないからな」




こちらに視線を戻し、父さんは心理を突く言葉を発した。


確かにその通り、俺は具体的なことを全く思いつかなかった。


仮に当主になるまでの一年をかけて答えを見つけても、それではもう遅い。


実行に移すまでには準備する期間がどうしても必要になってしまうし、その間にも支持層を失ってしまうから。


支持層を失うことなく、俺の望みを叶える方法が果たしてあるのだろうか。




「……今のお前にはあるだろ? お前にしかできない方法がひとつ」


「え?」




俺にだけしかできない方法?


そんなものがあるのか、というより父さんは知っているのか。




「なんだ、まだ分からないのか。灯台下暗しとはまさにこのことなんだがな……」




催促するように迫ってくる父さん。


でも本当に分からない。身近にあって、澄花を守りつつ支持層へ俺の存在を強められる術とは一体――――――




「―――生徒、会長」




そうだ。俺は生徒会長。


日本有数の財閥子息が集う春聖館学院を統べる生徒会長だ。




「ようやく理解できたか。ほら、お前にしかできない方法だろ?」




高校生だからできる唯一の方法。


次世代の社会を担う者達が通う春聖館学院で威厳を示し、絶対的な信頼を勝ち得ること。


横の繋がりを作り、俺が新たな包囲網を作り出すことができれば、獅童家のパイプ的役割を担っている現支持層を介さなくとも安定した繁栄を望むことができる。




俺が求める理想が実現できる。




「…………兆しが見えた、気がするよ」




父さんと母さんのお陰で具体的な目標を見つけることができた。


澄花と一緒にいるために、俺のやるべき使命はただひとつ。


これまでの支持層による経済圏を投げ捨てて、自らが作り上げる新たな日本経済を確立すること。


俺が新たな日本経済の創始者となるのだという野望を抱き、身分平等を謳う世論を引っ張り、その他全てを黙らせる絶対的な威厳を示す。




もう二度と手放さないため、俺の覚悟を示す時が来たのだ。

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