第33話 先輩はそこがお好みですか。

 「……あと、悪いのは俺だ。やっちまった……はぁ」

「いや、まぁ、話を聞く分には……正当防衛になるのかな」

「なるぜ。そいつ、カウンターしかしてないからな。自分からは仕掛けないで倒した」

「あーえっと」

「目撃者って奴だ。結城真城。記録するならどうぞ」

「あ、はい」


 店長がペコリと頭を下げる。

 金髪の長身の女性だ。俺とほぼ同じくらい、ということは175はいっている。何より。細いがよく見れば鍛え上げられた肉体をしているのがわかる。


「えっとでは……あっ」


 男たちが逃げていく。鳩尾を抑えながらも懸命に走り車に乗り込んだ。


「ま、法律的にあれを取り押さえると正当防衛は成立しないわけだ。面倒なこった。えっと、有坂と双葉だな。これからちょくちょく会うことはあるだろうからよろしく頼むよ」

「えっ、あ……そうか」


 思い出した。理事長からもらった名刺に名前があった。……こんな偶然、いや必然なのか、顔を見に来たって奴なのか。


「よろしくお願いします」


 双葉さんはまだピンと来ていないようでペコリと頭を下げるだけ。

 理事長の秘書の一人、か。ちょくちょく会うことになる……テストの回収の件だろう。

 そう思っていたのだが。


「先輩、メール見ました?」

「あぁ。見た」


 帰り際、恵理は今日初日ということで早めに帰された。そして仕事終わり、その時間を見計らったかのように届いたメール。


「というか、いつの間にメールアドレス」

「確かに」


 ……いや、あの理事長ならそれくらいあっさりと手に入れて来そうな気がする。


「まぁとりあえず」


 メールの内容『夏休み、頼みたいことがある。詳細は追って連絡する。ところで君たちは、アウトドアの心得はあるかね?』とのことで。まぁ、決まってから連絡しろとは思うが、それとも何だろう、心構えが必要な内容なのだろうか。


「俺と、香澄に、か」


 学力が必要な案件、なのだろうか。内容がいまいち思いつかないな。


「まぁ、帰るか」

「そうですね」


 二人で店を出る。明日から夏休み。


「恵理がプール行きたいとか言ってたな」

「言ってましたね。先輩、泳ぎは?」

「とりあえず一通りは」

「そ、そうですか」

「ん?」

「そう、ですか……へぇ……先輩、何でもできるんですね……」

「何でもってわけじゃないさ。ただ、まぁ、できなければ隙になりそうな部分を潰してきただけだ」


 一人でも困らないように。一人でも戦えるように。つい先日、遂に躓いてしまったけど。


「孤高を歩もうとして、孤独と履き違えてた感じが、今はあるけどな」

「先輩、飯田さんと、私と、恵理さん以外に、友人は」

「いないよ。今まで」


 そこまで言ってふと気づく。俺は今、飯田だけでなく、香澄や恵理も友人だって、思えていたことに。


「ふっ。全く……あっ、いや。一人、いたな。小学生の頃」

「えっ?」

「まぁ、その子引っ越してどっかに言っちまったけどさ」

「男の子ですか? 女の子ですか?」

「女の子だったな」

「……そ、そうですか……可愛かったですか?」

「ん……どうだったろ……笑顔が素敵だったような気がする」

「はぁ……そう、ですか」 


 急に不機嫌になったな。


「どうしたよ」

「なんでもありません」


 私でもわかりません。でも、なんか、嫌だった。いや。なんか嫌だったなんてよくわからない理由で今、八つ当たりではないか。そんなの。


「すいません」

「いや、良いんだけど。大丈夫か?」

「大丈夫です。それよりも。帰りましょう」

「あぁ」


 改めて歩き出す。夜でも明るい駅前。


「恵理はまぁ、問題無く続けられるだろう。バイト」

「そうですね。恵理さんですから。もうパートの皆さんと仲良くなっていましたよ」

「そっか」


 そこら辺に関しては心配していなかったが、安堵する。


「先輩、今日のお夕飯はどうされるおつもりですか?」

「あんだけ焼き肉食ったから今日は別に良いかな……ん?」


 何だろう、双葉さんの雰囲気が少し沈んだような。ちゃんと夕飯は食べろ……違う。なんだろう、構ってもらえない猫のような雰囲気を……うーん。


「あれだ。今日は腹いっぱいだからな、そうだな。明日……理事長はアウトドア関連の何かを俺達にやらせたいらしいから、その資料を集めようと思う。一緒に来るか?」

「! はい、行きます」

「よし」


 ……あれ。俺、今初めて、誰かを休日に誘ったのか。そうだな。テスト勉強のために集まったのだって恵理の発案だ、あれは。


「そっか……」


 俺、本当に香澄のこと、結構……。


「……何ですか?」

「ん? あっ」


 ジトっとした目が向けられていた。


「女子の頭にあまり手を伸ばすものではありませんよ」

「……悪い」

「……まぁ、許可を取ってなら構いません。良いですよ。少しなら」

「えっ?」

「どうぞ」

「お……おう」


 恐る恐る香澄の頭に手を乗せた。髪、少し伸びてきただろうか。首の辺りでふわっと緩く丸まっている髪。でも、そろそろうなじが完全に隠れて肩に届きそうだ。

 えっと……この後は。優しく。毛並みに従うように手を動かす。柔らかく。


「……っ」

「あっ」

「気にせず。続けてください」

「おう」


 往来のど真ん中で俺は何やっているんだと、遠い声が聞こえた。けれど。

 香澄の反応に、なんかいけないことをしている気分になる。けれど。

 なんてサラサラなんだ。つやつやで、なんか柔らかくて。よく手入れされているのが触れた瞬間わかったぞ。


「ん……」


 なんかいい匂い、甘くて、でも爽やかで。ボーっとしてしまうような香り。温かでもある。女子ってなんでこう、こうなんだ。自分の髪とか匂いとかと全然違う。当然だけど。なんで。

 香澄は俯いてされるがままで。やめ時って奴を見失って。微かに覗く頬が少し赤くなっているように見えて。


「……君たち~?」


 聞き慣れた声に思わず目を向けた。ぼんやりしていた頭が一気に冷や水でもぶっかけられたかのように冷えた。


「! チーフ」

「ふぇっ」


 香澄も慌てて顔を上げる。


「イチャイチャするなら場所選ぼうねー」

「し、してません!」


 と大慌てで香澄が言うが、そんな言い訳がこの状況において通用するはずがない。ニヤニヤ笑ったチーフは駅前駐車場の方に歩いていく。なんで今日に限ってこの辺に用事があるんだ。あの人は。


「……先輩のせいです。いつまでもやめないから」

「……否定できねぇ」

「先輩は女子の頭、特に髪にご執心なんですね」

「かもしれねぇ」

「ふん。先輩も男子ですね」


 そう言いながらぷりぷりと早足で歩き始めてしまう。ついてくるなと言われてるようで足を止めるが。すぐに香澄は振り返り。


「……何を、しているの、ですか? ここでお別れですか?」


 そう言っている香澄が、少し寂しそうに見えて。


「いや、送っていく」


 と、俺はすぐに香澄に追いつく。


「……明日は先輩おすすめのお店を教えてください」

「はいよ。お嬢様」

「……もうっ」



 余談ですが。香澄さんはある日を境にいつにも増して髪の手入れに熱心になりました。

                        記録・双葉家使用人 松江亜紀

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