【第1章】その16✤母イザベルの死

 母と別れて暮らし始めてから、わずか2年で永遠の別れがくると思ってはいなかったマリーは母の死がとても悲しかった。


 美しく凛とした佇まいの母が大好きだった。母の話すフランス語の響きも、この地で話されているフラマン語よりもマリーは好きだったし、母が時々マリーに用意してくれたフランスからの甘いお菓子もまた、フランダース地域とは違って少し繊細で美しく、蜂蜜もフルーツもナッツもふんだんに使われていて大好きだった。


 “Mon ange“ (モン・アンジュ 私の天使) とか、“ma petite princesse “ (マ・プティット・プランセス 私の可愛いお姫様)とか、“mon trésor“ (モン・トレゾール 私の宝石)と美しい声でマリーを呼び、そして抱きしめることを許されていたのは母イザベルだけだったが、母はいつもお菓子のような甘い香りがしたものだ。


 父シャルル突進公も優雅なフランス系ブルボン朝の家系ではあったものの、彼はほとんど戦争のことしか考えていない無骨な公爵だったのだ。


 イザベルは葬儀の後、アントワープの聖ミカエル修道院教会(注1参照)墓地に埋葬される。お墓には母の好きだった薔薇や百合の花など季節の花を持っていくのが、せめてマリーにできることだったが、マリーの住んでいるゲントからアントワープの母のお墓までは50km以上離れていて、主に馬で移動していたこの時代1日がかりだったので、まだ子供のマリーが一人で行くことができるような距離ではなかった。


「お母様、どうして私を置いて亡くなってしまわれたの……」


 8歳のマリーにとって大好きな母の死はとても大きいショックで、この悲しみを乗り越えるために、ますます動物の世話と、そして大好きな乗馬に打ち込む生活が始まる。もともと動物好きで、活発な少女だった彼女は馬に乗ればかなり遠くまで行けることも嬉しかったし、馬で散歩してゲントの市民達の生活を間近に見ることができることも楽しかった。何より、馬上から風を感じ、森や平原の草花の匂いに包まれながら散歩するだけでも、どれほど心慰められたことだろう。


 大きなライオンなどがいる動物園はもちろん、大好きなオウムや、馬、そして狩猟用のために飼われていた犬達がいない生活はマリーには考えられないことだった。


 それにマリーにとっては親戚のクレーヴェ公家のヨハン(注2参照)やラヴェンシュタイン公家のフィリップ(注3参照)という兄弟のようにいつも一緒に過ごしている遊び仲間がいたことも大きかった。マリーは色白で小柄で華奢ではあったものの、この親戚の男の子達とよく遊んでいたこともあり、城内の庭を駆け回り逞しく元気に過ごしていたので、母が亡くなった悲しみを割合早くに乗り越えることができたのだ。


 野山を駆け回り、草原で馬に乗り、森で男の子たちと遊んでいたマリーは「深窓の令嬢」ではあったものの、健康的な子供時代を過ごすことができた幸せなお姫様であった。




(注1)


聖ミカエル修道院教会は、1124年から1796年までアントワープに存在していた教会。



(注2)


後のクレーヴェ公爵ヨハン2世のこと。

クレーヴェとは現在のドイツ北西部の街ユーリッヒあたりにあった神聖ロ-マ帝国の公国のことであり、マリーの祖父フィリップ善良公の姉マリアの嫁ぎ先だった。



(注3)


オランダ・ブルゴーニュの貴族公爵家でクレーヴェ公爵家とも親戚。クレーヴェ公家のヨハンとラヴェンシュタイン公家のフィリップは従兄弟同士。




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主な参考文献




「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著    (ISBN 3- 512- 00636-1)


「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumonto著 (ISBN 2-213-01197-435-14-6974-03)




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またベルギーに近いドイツ在住の地の利を生かして、InstagramやTwitterではマリー・ド・ブルゴーニュのゆかりの地ベルギーのブルージュで見かけた、マリー姫に関連するものをご紹介していきます。


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