《序章》 アリシアの記憶

 私の記憶は6歳くらいからしかない。


 それまでどんな風に過ごしていたのか、自分でもよくわからないのだけれど、いつでも側にいてくれるという人がいなくて、よく一人で泣いていたように思う。


 もちろんまるっきり一人ぼっちというのではなくて、いつでも何人かの女の人達が、私の世話をしてくれていた。でも彼女達は寝るときまで一緒にいてくれたわけではなく、夜はたいてい一人ぼっちだった。


 私のベッドの近くから見える窓の前には大きな木が立っていて、風のある日はそれがサワサワと音を立てて葉を揺らしていたのだが、それが小さな私には本当にとても怖かった。その上その大きな木の向こうにはお墓のような石もたくさん立っていた。私達が住んでいたのは大きな修道院の中の一角で、その修道院の横にはお墓もあったのだと思う。


 特に冬はサワサワというよりは、ザワザワという大きな音で、その上部屋はとても寒くて、でも部屋には誰もいなくて怖かったので、いつもセシリーという木でできたお人形と一緒に寝ていた。 このお人形は私が物心ついた時には持っていたので、一人ぼっちの時はいつもこのお人形に話しかけていた。


 ところで私は誰かを「ママ」と呼んだ記憶もない。

 そして当時、周りの大人達は私のことを「姫」と呼んでくれていた。

 そこでは「アリシア」という名前で呼ばれたこともなく、名前を呼ばれるときは「アリス様」と呼ばれていたように思う。


 私の本当の名前は「アリシア」のはずなのに、当時はなぜ「アリス」だったのか、また、実は他の子供達も見かけてはいたけれど、その子供達とは一緒に遊んだりすることは許されていなくて、理由を聞けば

「貴女様は特別な方だからなのです」と言われていたような記憶がある。


 その子供達を見かけるのは、毎朝の礼拝堂のミサの時で、でも席は離れていたし、いつも私のお世話してくれる何人かの女の人---つまり女官達に私自身は囲まれていたし、なので他の子供達の側へ行くこともできなかった。


 子供達は少女達で、大人達は私の女官達以外は皆修道女だったと思うので、やはりあれは修道院だったのだろう。


 しかも不思議なことに、どうやら女官と他の皆が話している言葉も違うようだった。


 ただミサなどの皆がいる場所で、私の女官達が話す言葉はやはりその子供達や修道女達と同じ言葉だった。でも私と話す時はなぜか違う言葉---この2つの言葉は全く違うアクセントがある言葉だった。それでも私は女官達が他の人と話しているのを聞いているうちに、私もそのみんなが話している言葉を理解できるようにはなっていたのだけれど。


 なんとなく似ているような、でも発音も話し方も随分と違うようにも思える言葉だったのだけれど、私はその頃には既に、そのみんなが使っている言葉も理解していたのだと思う。


 それでも私は生まれてからこのかたずっと、他の子供とも遊んだこともなく、夜は一人寂しく人形だけとおしゃべりして過ごしているだけしか楽しみのない子供だったのだ。毎晩とても長い一人ぼっちの夜を、寂しく、そしてとても心細い思いをしながら過ごしている小さな少女だった。


 ところがそんなある日、そう6歳になって寒い冬が過ぎ去り、屋敷の庭に水仙の花のつぼみが見られるようになった頃のこと、突然女官がこう言った。


「姫様、今から私達はある方の元へ行かねばなりません。その方は貴女様をお待ちです。そしてそれは今すぐに、急いで行かねばならないのです」


 でもそれはいつもはもう寝室で休んでいる時間、外は真っ暗で何も見えないとても遅い時間だった。


 それはもう冬ではなかったけれど、でも春の強い風の日で、やはり木がザワザワと音を立てて揺れていて、迎えの馬車に急いで乗り、そしてどこへ行くのかもわからず馬車に揺られていたのだ。


  一緒に来た女官に

「誰が私を待っているのですか」と聞くと

「アリス様にとって大変大切なお方です」と言われた。


 そしてこの「アリス」という名前はこの時聞いたのが最後で、この日を境に私はそれから生涯「アリシア」と呼ばれることになる。


 どうしてなのか、それには大事な理由があるのか、その頃の私には正直何もわかっていなかったのだ。


 でも「とても大切な人」と聞き、

「……もしかして、私のお母様? そうだわ、きっとそう! やっと、私のお母様に会えるのだ!」なぜかそう思い、嬉しかった、本当に本当にとても!


 そう思ったら馬車の窓から見える漆黒の闇も恐ろしいものとは感じなくなってきた。


 部屋から持ってきた私の大切なもの、聖書とお祈りする時のための白い色のロザリオ、そして大好きなセシリーをぎゅっと抱きしめ、馬車に揺られていたのだ。


 これから人生が大きく動いていく最初の日だったのだということも、この時の6歳の私はまだ何一つわかっていなかった。





Copyright(C)2022-kaorukyara



またベルギーに近いドイツ在住の地の利を生かして、InstagramやTwitterではマリー・ド・ブルゴーニュのゆかりの地ベルギーのブルージュで見かけた、マリー姫に関連するものをご紹介していきます。


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