あの夏のこども達

@nezumiusagi

第1話

またか…。やっぱり妹の発作が出た。本当なら今日、家族で海に行く予定だった。妹のサキは喘息の持病がある。季節の変わり目には必ず発作が起きる。

「いつも、リカも我慢して可哀想やけん、お父さん、リカと二人で海行ってあげてや。」

母の言葉を聞いて、心が踊った。

『ナイスお母さん!』

「妹が辛い思いしとんのに、今日行かんでもいい。」

父の怒気を含んだ言葉で、膨らんだ期待が、穴の空いたビーチボールの様に凹んでいった。  

父は自営業だった。家族全員が休みなんて、夏休みと冬休みに何日かあるくらいだ。今日を逃したら、今年はもう海に行けない。お盆を過ぎれば、海月だらけになってしまう。 今日に限ったことではない。家族で何処かに行こうとすると、妹は必ず体調を崩す。嬉しくて興奮して、体に無理がくるのだろう。私だって、頭では分かっている。  発作が起きると妹は横になって寝られない。母が作った布団の壁に寄りかかり、弱々しくヒーヒーと呼吸をする。髪を振り乱した母が背中を擦っている。雰囲気もどんよりしていて、元気な私だけが異質な存在だ。  誰が悪い訳じゃない。ただ、何となく腹が立つ。世間の皆は夏休みで浮かれている。海にプールに旅行。家だけが湿気ているのだ。  家族で楽しく過ごしている友達の家に行くほど肝は太くない。仕方なくアポロ公園に向かった。アポロ公園の本当の名前は違うけど、公園の真ん中の建物がアポロ十一号の宇宙船に似ているから、この辺りの子どもは皆そう呼んでいる。

『誰かおらんかな~。この際、仲良くない子でもいいから。』 そんな風に思いながら、アポロ公園の一番高い所まで登った。ここだけは涼しい風が吹く。風に当たりながら、下を見ていると仲良しのしいちゃんが公園に入ってきた。

「しいちゃーん。」 

大きな声で呼び掛けると、しいちゃんが眩しそうに見上げた。急いで、アポロの滑り台をお尻を付かずに降りた。夏の滑り台をお尻で滑ったら、短パンの私は火傷をしてしまう。

「しいちゃん、遊べる?」

「リカちゃん、海は?」

昨日、しいちゃんに遊ぼうと誘われていたけど、私は海に行くからと浮かれ気分で断っていた。 

「いつものやつ。」

私はばつが悪く、ちょっと拗ねた風に答えた。 しいちゃんは、妹が喘息で体が弱いことを知っている。

「仕方ないやん。サキちゃんもなりたくて、なっとんやないけん。」 

「しいちゃん、今日、遊べるん?」

しいちゃんがいつになく真面目な顔で私を見た。

「リカちゃん、私、家出しちゃろうと思っとんよ。」 

「何で!」

のんびり屋のしいちゃんがこんなに思い詰めるなんて、余程のことがあったに違いない。 「家ね、喧嘩ばっかりなんよ。最初は私の前ではせんかったけど、最近は私が居ても喧嘩する様になって。どうでもいいんよ、私のこと。」

子どもの私には荷が重すぎて、励ます言葉が出て来なかったが、代わりに

「よし、一緒に家出しよう。」 と、口からぽろっと出てしまった。

「本当?」

しいちゃんの目が輝いている。今さら後戻りは出来ない。

「今から家に戻って準備出来たら、また公園に集合ね。」    

私達は一旦家に戻った。車がなかった。妹の掛かり付けの先生は休みでも診てくれる。妹の調子が悪くなったのだろう。我が家は妹を中心に回っている。テーブルの上にお握りとお金とメモがあった。

『リカへ   病院へ行ってきます。夕方には帰ります。帰りが遅かったら、何か買って食べて下さい。』 

お金を財布に入れて、お握りをラップに包みタッパーに入れた。遠足用のリュックにタッパー、お菓子、財布、水筒、洋服も入れた。そして、リュックを背負ってアポロ公園に急いだ。しいちゃんは公園の入口で待っていた。

「何、持って来た?」 木の影で二人で中身の確認をした。

「どこ行く?」

「じゃあ、お握り食べながら決めよう。」  母の握ったお握りを二人で食べながら、海へ行くことにした。母は免許がない。だから、私は何処に行くにも公共機関を使っていた。電車を使えば、梅津寺海水浴場へ行けることも知っていた。

「じゃあ、梅津寺行こう。」

私達は歩いてバス停に行き、まず市駅に向かった。しいちゃんのママは車で移動する。しいちゃんはバスに乗ることに興奮していた。バスに乗ったら整理券を取る。降りる時に、整理券に書かれてある番号に表示されてある金額の半額を払う。説明を聞くしいちゃんの目は真剣だった。

「リカちゃん、凄いやん。何でも知っとるねえ。」

「いつも乗りよるけん。もう降りるけん、お金用意しとこう。」

小銭を出す時にしいちゃんの財布の中にたくさんのお札が見えた。しいちゃんの覚悟が見えた気がして、少しだけ怖くなった。バスを降りて、次は電車に乗り換えた。エアコンが効いて空気がキンキンに冷えている。しいちゃんと並んで座り、窓の景色が変わって行く様子を見ていた。梅津寺で降りるとむわっとした暑さと海の匂いがした。梅津寺駅は古くて小さい。降りる時に駅員さんに声を掛けられた。

「二人だけなん?」 この質問には二人できちんと打ち合わせをしていた。

「お祖母ちゃんが駅の近くに住んでます。」 「ほうなん。気を付けてね。」

駅に着いたらこっちのものだ。海水浴場は人で溢れている。

「水着持ってきとったら良かった。」 「いいやん。パンツあるし、濡れたら着替えたらいいし。」 

「でも、荷物見てないと、お金取られたらいかんやん。」 結局、波打ち際でリュックを見ながら遊ぶことにした。夕方四時を過ぎると、人が減り始めた。このままでは、子ども二人の私達は目立ってしまう。

「どうする?」

私達はしいちゃんの持って来たパンを食べながら、次の場所を相談した。

「アポロの一番上にシート引いて寝たらいいやん。そしたら、ラジオ体操、そのまま行けるし。」

家出しているのに、ラジオ体操の話をするしいちゃんが面白かった。電車が来るまで二人で貝殻を拾って時間を潰した。拾った貝殻はお握りを入れていたタッパーに入れて、今度は逆向きの電車に乗り込んだ。来た時に声を掛けてきた駅員さんが

「お祖母ちゃんには会えた?」

と、笑った。私達は頷くと市駅行きの切符を買い、電車に乗り込んだ。あれだけ寝たらいけないと思っていたのに。

「お嬢ちゃん達着いたよ。起きて。」 私達は駅員さんに揺り起こされ、取り敢えず駅に降り立った。駅の柱に『横河原』と書かれてある。

「ここどこ?」

しいちゃんは戸惑っていた。私も降りたことがない駅だった。電車を降りても歩き出さない私達を心配して、駅員さんが

「どうしたん?大丈夫?」

しゃがんで、私達の顔を覗き込んできた。私は本当は市駅で降りてバスに乗り換えるつもりだったのに眠ってしまって、気付いたらここに着いたと説明した。駅員さんに、折り返しの電車で市駅まで戻れるけれど、着くのが遅くなるから家に連絡をさせて欲しいと言われた。しいちゃんは俯いたまま顔を上げなかったので、仕方無く私の家の番号を答えた。駅員さんが電話を掛ける為に構内の事務所に戻って行った。松山の七夕祭りは旧暦で、まだ駅には笹が飾ってあった。カラフルな短冊が風に揺れていた。少し経って、駅員さんが晴れやかな顔でこちらに向かって来た。

「お父さんが車で迎えに来るって。お友達も送ってくれるって。時間あるから、短冊にお願い書いて吊るしたらええわい。」 

私達は何も喋らず、短冊にお願いを書いて笹にくくり付けた。

「これじゃあ、家出やなくて、お出掛けやね。」

と、しいちゃんは苦笑いした。父が迎えに来る頃にはすっかり日が落ちていた。迎えに来た父に叱られるかと思ったが、父は駅員さんに頭を下げ、余り喋らず、しいちゃんを家まで送り、私達の家出は終わった。 学年が上がると、あれだけ仲の良かったしいちゃんとも遊ばなくなった。あの夜、二人が書いた短冊の願いも叶わなかった。しいちゃんの両親は離婚し、しいちゃんはお母さんに付いて何処かに引っ越して行ったし、私の妹の喘息もなかなか治らず、家族で出掛けることも滅多に出来なかった。 あれから何十年も経ち、私も親になった。海を見るとあの日のことを思い出す。そして、何処かにいるしいちゃんの幸せを願う。

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