Causò-02:強引ゆえ(あるいは、前段/祇園ギオン擬音/プレリミナーリ祭囃子)

 ふいの瞬きにより、執務室に満ちるほの明るい橙色がアザトラと名乗りし青年の黒髪に隠れた両の眼をようやく照らし出すと、鏡面のように凪いだ二つの「黒」が浮かび上がった。


 「案」、とは? と、その黒に吸い込まれそうな居心地を感じながらも、その前にしどけなく身体を横たえている妙齢女性の尋ねし声もまた、緩やかに揺蕩う風のように室内に在る全ての面に伝播していくようであり。しかしてその落ち着いた声の底には、適当なことを言ったらただでは済まないわよ的な静なる凄みも感じる。


「……このままいけば物量のこともあり、明日の朝方には此処は落とされると見て間違いはありますまい」


 青年の物言いの感触はそれでも変わらない。変わらないままに、そのような忖度の欠片も無いことをのたまうのであった。たまらずその背後から怒りを両肩に乗せたかのような無言の大股で歩み寄ってきていた御付きのリアルダが、勢い任せに青年……アザトラの黒マントに包まれた左肩を掴むとそのまま自分の方に向けて引き倒した。


 かに見えた。瞬間、身体をひねったのだろうか、緩やかな所作でそれをいなしたアザトラは、振り返って向き直る。その首元に突き付けられるはかの青白く光る「棒」。そしてそれ以上に憤怒でぬらりと揺れ光るように見える鳶色の双眸。


「……滅多なことをのたまうなよ塵屑ドボゼの分際で……ッ!! 先ほど貴様も物陰に隠れて震えつつも見たはずだ、司督の乾坤一擲の『Ⅵ式ろくしき』をッ!! 回復を待って今一度あれを撃ち放てば、ヤクラの糞どもなど瞬で灰燼よ……ッ!!」


 有無を言わさぬ強い語気にて言い放つリアルダの表情にはしかし、怒りで何かを包み隠そうとするような、そのような作られた感も確かに在り。


「……司督は確かに最善を尽くされた。司督であるからこそ、天候も味方にして撃ち放たれた向こうの凶悪な『洋蒼ヨーゾー』をからくも弾くことが出来たと言える……敵の、『Ⅴ式ごしき』を」


 対するアザトラの髪下から覗いた左の眼も、無感情を装いながらもどこか真摯な光を帯びているようにも見られ。


「……」


 リアルダは一瞬固まってしまう。……ああ、「Ⅵ式」「Ⅴ式」とは、「色氣力シキりょく」の「ワザ」の型とでも申しましょうか、天地海/空陸洋、赤青緑/紅蒼黄、これらの要素を組み合わせたる三十六の業のさらに細分化された型にてございます。数字が大きくなるほどにその威力は倍くらいとなるような、そのような認識で構いませぬな。おっと、閑話。


「控えて、リアルダ」


 鼻から抜けるような声であったものの、その底に宿る硬質な何かに押されるようにしてリアルダは即座に直立不動に直る。その艶やかな顔は一瞬で無表情を装うものの、逡巡やら苦悶やらの感情のパルスが、険しく固められた両の瞼や頬の一部に細かい震えとして顕れているようだった。


「貴方が匂わしてくるように、青息吐息だったわ……あれは。溜めに溜め、練りに練った『Ⅵ式』で、相手の出を予測して待って、最効率の角度から最適な瞬を突いての、まあ我ながら最高の一撃……って奴だった。それでもあの『Ⅴ式』を弾くので精一杯。例えこちらから最大級のあれを放ったところで、向こうはあっさりとかき消してくるでしょうね……『水は火に強い』。まあ摂理ではあるけれども」


 嘆息気味にそう続けられた主の言葉に、リアルダが何かしら反論を試みようとその引き締められた唇を開こうとしたその時には、その前に力みなく身体を揺らしたアザトラの黒いマントがその口を封じるかのように遮っているのであった。そして、


「司督の見立ては正確にてございまする。そして、このような混乱事態に援軍など恃むのは無論悪手。そしておそらく貴女が考えておられる……自分ひとりが正にのしんがりとなりて、敵を敢えて引き込み、この本部諸共、心中覚悟で焼き尽くそうというような考えも……それもまた大悪手」


 きさまァッ!! というリアルダの怒声は、無言で刺し込まれたベネフィクスの眼光に行き場を失くす。しかしてそこに諦観のようなものを見て取ってしまい、今度こそリアルダは継ぐ言葉を喪ってしまうのであったが。


「……まだここには逃がし損ねた人たちが大勢います。子供も。であれば私が陣頭に立ち、囮となりつつ、その隙に東側に逃がし……」

「そこが、奴らの狙いであったのならば?」


 青年は緩めない。ゆるやかながらも芯を保ったまま、ただひたすらにこの場の最善を探ろうとしているように映った。その洞察に、場の空気を感じ取っている二人の女性も少なからず心を動かされたようである。


「……ここの守りは堅固。ある程度の『色氣シキ使い』らで固めれば、そう容易くは切り崩せませぬ。ゆえに輩どもは狙っているはず。此方の『総大将』……司督、貴女が折れるのを。そのために敢えて向こうは『水のⅤ式』などと中途半端な業で見せつけてきた……貴女の『火のⅥ式』では決定的なコトは起こせないと。ジリ貧になってしまうということを」


 アザトラは相変わらずその口許をほぼ動かさない喋りにてそうのたまうのであったが、


「それが分かっているから? 分かっているから……どうしろと言うのです? 『ジリ貧』、貴方の言う通りではありませんか。このまま此処に留まっていても事態改善の見込みは薄い、ならば……」


 それと相対する切れ長の紅い瞳には、厳重に押し固められてはいるが隠し切れない憤りのようなものが宿って来ていた。しかしその言葉をも遮り、


「『策』がございますれば。ヤクラの唾便クソ散禿ハッゲ共など、瞬の元に薙ぎ払い消し飛ばしうる、乾坤一擲の策が」


 放たれた言葉にもまた、絡みつくような熱が籠っているかのように感じ受けるのであった。呆気に取られると同時に、胸の中を涼風が過ぎていった気がした。途端に、正にその熱に当てられた如くに、くっく、という、その流麗な居住まいにはそぐわないひしゃげた笑みと笑い声を漂わせるベネフィクス。


「……聞いておこう、例え戯言であろうと、なればなればで乗るが一興と見たわ。太守様の為、平時は良賢を装い偽ってはいたものの、最期くらいは良いであろう……この『暴れ蜂牽バチケン業煉アクトネル』、人民の盾となり斧となりて、ヤクラのクソハゲ女郎めろう共に目にもの見せてくれようぞ」


 ソファにうずめた華奢な身体から徐々に立ち昇ってくる深紅の色氣シキは、それはおどろおどろしく禍々しさをも有しているようであり、思わずリアルダなどは息を呑み後じさるのであるが。


「……『色氣』における『相性』『属性』……それらは実際に使いし者たちもそうと気づかないほどに、いつからかは分かりませぬが、この長い年月の間に『固定観念』となり人々の意識、精神の中に蔓延ってきてしまっていると、それがしは考えますれば」


 当の青年は変わらず、緩やかに言葉を紡ぎ出していくのであった。少しの、昂揚を秘めた声にて。そして、


「例えば『淑婦ヴォーコ』、例えば『奔嬢ヴァズレィ』。例えば『火』、例えば『水』……それらを覆したところに、何かがあるとそれがしはそう考えるのであります」


 熱を帯びていく言葉に、その黒い眼に見下ろされているベネフィクスの露わになっている白き二の腕もほのかに赤みを帯びていくようであり。


「……面白い。聞こうか、その『覆す』業とやらを」


 その端麗な顔は今や、凄まじきまでの艶笑に彩られているのであった。その脇に控えしリアルダも、自分の内に沸き起こる得体の知れない高揚感のような何かに胸の奥を撞かれるような情動を感じている。しかし、


 刹那、だった……


「その業とは……聖交合セクロス、にてござ候」


 青年の口から突如飛び出て来た言葉に、一瞬、感情も言葉も何もかも喪い、茫然と開けられた艶めく唇から同時に、ぇぁ? の音の葉を固まった空間に紡ぎ出す他の無い二人の女性であったが。


「え? えそれってえェ? ちょ、ちょっと、どういうことか皆目わからないのだけれど……」


 ベネフィクスの掠れた声が何かを求めんがばかりに凍てついた空間をさまよう。しかし、


「……失敬、回りくどい言い方はこの期に及んで不要でございましたな、端的に申し上げるならば、清褥閨同衾ファクシミリアンにございまする」


 ハァ? との言の葉がまたも同時にベネフィクスとリアルダの感情を失くし空虚な穴となったような口から虚空へと吐き出されるのであった。が、しかし、


「……ご不明の様子。であれば無粋なれどより高尚なる言葉にて今ひとたびつまびらかに申し上げ奉る……つまりは、男女が互いの肌を合わせ××の××な××を×の××い××に××コマする行為……すなわちは凹凸撥杭漢姦ピッタスクヮンカンにて、ございますれば……ッ」


 いい感じのキメを放ったように思われたアザトラの力の篭もりし言葉は、前後からの渾身のアァァァァァァアンッ!? という怒声の二重奏に掻き消されていくのであり。

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