第19話 約束



 私の快復を祝う宴から一ヵ月が経った。その間毎日、紫の花が届いている。王家からは謝罪のために食事へ招待させてほしいというような案内が届くが、全て断っていた。第二王子のこの行動をまず止められないならそれに応じる義理はない。そういう返事を出すとどれだけ忠告しても聞かず、見張りすらも撒いて何らかの方法で花を贈り続けているとのこと。妖精の手でも借りているのではないかと疑うくらい、その暴走を止めることができていないのだという。

 初めのうちは怒りを見せていたルディスも毎日届くその贈り物や王家の手紙の内容に理解できない不気味さを覚えたようで、今はもう翡翠の瞳に困惑が浮かんでいる。



「姉上。これは、良くない状況ではないでしょうか」


「そうね……よくないわね。贈り物はもう必要ないとお手紙をお出ししてみましょう」



 私たちの愛は枯れていない。そこから始まったメッセージは愛を語るものから愛を要求するものへと変化していった。今日などは「早く愛を囁きにきておくれ、待っている」である。ちなみに私が彼を愛していると口にしたことなどない。なんだか羽の間が冷たくなった。



「姉上はできるだけ第二王子を避けられた方がいいのではないでしょうか。さすがに異様ですよ」


「今後の社交はしばらくお断りできないか、お母様と相談してみるわ」



 今のところ私が出た社交は女性の多いお茶会が主で、あとは小さなパーティーがいくつかと行ったところだ。王族が出るような大規模なパーティーは準備に時間がかかるのもあって、最近そういう催しの招待状が届くようになったところである。……今のところ、センブルクと会場で鉢合わせてはいない。しかし今後大きな社交場に出れば分からないし、出来るだけお会いしたくないというのが本心である。


 その日の昼下がり、休憩を兼ねたお茶の時間にリリアンナへ相談してみた。そして彼女から返ってきた答えは肯定であった。



「センブルク殿下の執着は私も不安に思っているわ。まるで妖精崩れに誑かされているかのよう」



 「妖精崩れ」は、善良な妖精でなくなってしまった妖精――悪戯妖精とはまた別の、人間に害をなす存在とされているものだ。急に人が変わったような、おかしな言動をする人間にはそういう者が憑いてしまったのだと言われる。私はその存在を目にしたことはないし、実際に居るのかも分からないが。



「貴女のおかげで随分と繋がりが増えたわ。……もう、充分すぎるくらいの恩を貴女に貰ってしまったもの。貴女が無理に社交へ出ることもないでしょう」



 リリアンナは私に恩があると言うけれど、それは私の方だと思う。私が入れ替え子であることが判明するまではこの家にとってお荷物だったはずだ。それでも愛されていた。実子でないことが分かった後も変わらず愛されている。これは私と入れ替えられた子が受けるはずだった愛情だ。



「お母様……私と入れ替えられた、ジファールの子についてですが……」


「ああ……やはり、気にしていたのね。貴女は自分に責任のないことで自分を責める癖があるけれど、もう一人の娘につい貴女が申し訳なく思う必要はありません」



 そう言い切られてしまい、驚きながらリリアンナを見つめた。彼女は貴婦人らしい微笑を浮かべている。そしてやはり、その瞳に嘘はない。……私を責める気は本当に、ない。



「お父様ともお話したけれど……いくら入れ替え子の話を調べても、入れ替えられた人間の子が戻ってきたという話は一切なかったわ。……あちらで暮らせば妖精になってしまうのではないかしら」


「……はい。もう、人には見えない妖精になってしまっているだろうと聞いています」


「そう。……そうであるなら、私たちがもう一人の娘を求めても仕方のないことだわ。ただ、元気で幸せに暮らしていてほしいと願うだけ。貴女と同じで……親は子供の幸福を願うものよ。例え住む世界を違えても」

 


 リリアンナは笑みを崩さないままだ。しかし持ち上げられたカップに口がつけられることはない。彼女の心の内にも様々な感情が溢れているのだと、それだけで察することができる。……私は両親に愛されている。そうしてもう一人の娘も、二人に想われている。



「……オフィリアもいずれ、そうなってしまうのかしら」


「いえ、私は……このまま、時々にでも人の食べ物を口にしていれば見える妖精のままだろうと聞いています」


「ああ、よかった。……貴女にはこの先も会えるのね。少し、安心したわ。お父様も喜ぶでしょう。可愛いオフィリアに会えなくなるかもしれないと、実は落ち込んでいたのよ」



 くすくすと小さな笑い声を漏らして一口喉を潤わせたリリアンナはカップをテーブルへと戻した。彼女を不安にさせたのはどうやらそれであったらしい。クロードはいつも穏やかな顔をしているので、落ち込んでいたなんて気づけなかったけれど。



「オフィリア、貴女がもし……あちらで姉妹に会うことができたら、どうしていたか教えてくれないかしら。笑って暮らせているのかどうかを知りたいのよ。……それさえ分かれば、一生会うことができなくても二人の娘の幸せを信じられるから」


「はい。……お約束いたします」



 あちらの世界へ行ったら、もう一人のジファールの娘を探す。どのように暮らしているか、幸せなのかを確認する。母との約束は必ず果たそうと心に決めた。


 夕暮れ前にはティタニアスがやってくる。いつもどおり彼専用の椅子に座って尻尾を振りながら、家具を触って確認したことで家具作りが進み、もう家は完成間近だと嬉しそうに報告をしてくれた。



「それはいつでも一緒に暮らせるということかしら?」


「たしかにオフィリアがあの家で暮らすことは……可能だとは思うが。婚姻がまだだからな」


「……まだ早いのね?」


「早いというか……一緒に暮らすのはまだ少し、怖いな。貴女の傍にずっと居たいとは思うが、力加減を間違えれば傷付ける。伴侶は同じベッドで眠るんだろう? 寝ている間に貴女を潰してしまいそうだ」



 彼が同じベッドで眠ることを怖いと思うならまだ早いのだろう。私としては彼と共に暮らしてみたいという気持ちがすでに強いのだけれど、彼がそうできると思えるようになるまでは待つしかない。

 そしてやはりティタニアスは夫婦間の営みについては知らないようだ。家の妖精に尋ねた限りでは人型の妖精は人間と変わらないらしいことを知って安心した。とりあえず、私が知っていれば問題はない、と思う。……そういう行為に至るのはおそらく婚姻を結んで数年先になる。



「ニアがそれを怖くないと思えるようになったら教えてね。……私は貴方と暮らすのを楽しみにしているわ」


「ん……そう言ってもらえるのは嬉しい」



 ティタニアスの唇が私の額に触れる。彼は手で触れるよりもこうしてキスをして愛情を示してくることが随分と増えた。それはやはり傷つける心配がない、という意味でしかないのだろうが私としては落ち着かない。随分慣れてきたとは思うけれどまだ心臓の鼓動は早くなろうとする。



「ねぇ、ニア。実は私、これからしばらくの間は社交に出ないことになったのだけれど……」



 ティタニアスには話しておくべきだとセンブルクのことを伝えた。どうも様子のおかしい元婚約者と顔を合わせないようにするため、暫く社交を休むことになったのだと。



「元婚約者……その男はオフィリアと婚姻の約束を、していたのか?」


「そうね。破談になったけれど……」


「……人間は婚姻の約束をしていても別れることがあるんだな。驚いた」



 妖精は約束を違えることがないため、ティタニアスにとってそれは衝撃だったようだ。無言になってしまった彼の背後で悩むように揺れる尻尾をしばし眺める。



「……俺はいずれ貴女と婚姻を結んで伴侶となるものだと思っていたが、それが変わることもありえるのだろうか」


「貴方が私を愛してくれている限り、変わらないわ。私もニアを愛しているもの」


「……よかった。貴女が他の者と結ばれていたかもしれないと思うと、心臓が痛くなる。……オフィリアの隣にいるのは、俺がいいと思ってしまった。我儘だろうか」



 その望みが我儘なら、私はきっと強欲だ。彼が私だけを望むことを喜んでしまう。そして今、私はとても彼が欲しい。ふと、ティタニアスが私を欲しいと言った時のことを思い出した。彼にあるのはこういう欲だったのだろうか。



「ねぇ、ニア。少しこちらに寄ってくれる?」


「ああ。……どうした?」


「そのまま動かないで」



 隣に座るティタニアスの顔がいつもより私に近い高さになった。端正な顔に両手を添えると美しい光を灯す焔の瞳が困惑したように揺れる。それに笑いかけてから目を閉じ、唇を重ねた。

 竜であるからか、彼は私よりも体温が高い。その唇もとても熱を持っているように感じる。数秒して離れると、彼は目を見開いて固まっており、赤く染まった尻尾もピンと立ち上がったまま動かなくなっていた。



「恋人同士や伴侶はこういうキスをするの。……私も貴方の隣にいるのは、私がいいわ。だから必ず結婚しましょう」


「……ああ……………………しかし俺の心臓は、飛び出していないだろうか」


「せっかく覚悟をしてもらっていたけれど、残念ながら飛び出していないわ」



 しかし心臓の鼓動にも似たリズムで床を叩く音は聞こえている。おかげで心音など全く聞こえそうにない。しかし飛び出ると思うほど驚きと喜びを与えられたようなので、ひとまず満足だ。借りは返せたというところだろう。



「もう一度する?」


「……もう一度したら今度こそ心臓が飛び出そうだな。……しかし、してほしい気持ちもある」


「なら、もう一度」



 ゆっくり互いの顔が近づく途中でティタニアスがピタリと動きを止めた。そして私の耳にも誰かが外で叫ぶ声が入ってくる。二人で窓の外に視線を向けた後、目を合わせた。……どうやら邪魔が入ってしまったようだ。


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