第9話 母娘




「最近、貴女の身支度ができないと使用人から報告が上がっているのだけれど……家の妖精はあれから毎日来ているのかしら?」


「ええ、お母様。……毎朝妖精に世話をされています」



 麗らかな午後のティータイム。向かい合った母、リリアンナからそのように告げられて頷いた。家の妖精は初めて私を起こしたあの日から毎日姿を見せ、私の目覚めから着替えまでの支度を手伝って消える。本来私の世話をするはずの使用人が時間通りに訪れると私の支度がすでに終わっているため、屋敷の女主人である母に仕事ができていないことに対する謝罪と報告があったようだ。



「家の妖精が毎日姿を見せて直接世話をするなんて話は初めて聞いたから驚いたけれど、事実なのね。……何故なのかしら」


「理由は尋ねたことがありませんので……」



 家の妖精に毎日現れる理由を尋ねたことはないが、おそらく私が妖精であることが関係しているのだろうとは思う。

 しかし私が妖精であることはひとまず羽が生える時まで、黙しておくことにした。私自身がまだ実感しきれていないのと、打ち明ける覚悟ができていないのが理由だ。……羽が生えれば私が妖精だという事実から逃れることはできないし、隠すことも難しいだろう。その時が家族に話すべき時だと思っている。

 それまでは今まで通り、この家で家族と共に暮らす。……いや、私の意識は少し変わっただろうか。今まで以上に家族を大切な存在だと感じている。



「その妖精は何か言っていなかった?」


「仕事の対価はミルクが良い、とは言われました」


「あら。ではミルクの仕入れを増やすように厨房へ指示を出しましょう。それも質のいいものを」


「ありがとうございます、お母様」



 屋敷の管理、使用人たちの仕事の割り振りや指示は貴族の婦人がするものである。私もその教育はしっかり受けたけれど、その腕を振るう機会は訪れないかもしれない。

 貴族女性として結婚の資格がないからではなく――今、結ばれるならこの御方がいいと望む相手が貴族ではないからだ。



「お母様、一つお尋ねしたいことがあるのですけれど……」


「ええ、どうしました?」


「……恋をするというのは、どのような気持ちになるものでしょうか」



 ティタニアスと二人で相手に恋をしていると判断するにはどうしたらいいのかと悩んだのだが答えはでなかった。私は幼いころから婚約者がいて恋などできる環境ではなかったし、大人になってからはまともな結婚はできないと言われやはり恋愛など望める状態ではなかった。番以外の妖精が目を見て怯えるというティタニアスも当然、恋などしたことがあるはずはない。

 ならば経験者に話を聞こうと考えて思い浮かんだのがリリアンナだ。家柄や関係、利益などを考えての婚姻も多いが中には互いに恋に落ちて結ばれる貴族もいる。たしか、両親はそういう恋愛結婚だったはずだ。



「それは人それぞれでしょうね。だからこれといった答えは教えてあげられないのだけれど……私の場合は傍に居たい、支えたいという気持ちだったかしら」


「傍に居たい……」


「あら、思い当たることがあって?」



 それは確かにある。私はこれからもティタニアスと共に居たい。けれどそれは友人や家族といった親愛を抱く相手でであってもそれは同じではないだろうか。私は家族とも一緒に居たいと感じている。



「……あとはそうね。その御方にだけ感じるものがあるかどうかかしら」


「その御方にだけ感じるものとは何でしょうか?」


「そうね……その御方を前にした時、ふいに胸が苦しいのに嬉しいような感覚になったり、家族には求めないものを求めたくなったり」



 そっと自分の胸に手を当てた。時々、胸から腹にかけてぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われ息が詰まることがある。それはティタニアスと話している時にしか起こらない現象だ。

 それが恋なのだろうか。……まだ、出会って一ヵ月も経っていないのだけれど。そんなことがあるのだろうか。



「恋に時間は関係ないのよ、オフィリア。一目惚れだってあるのだから」


「……お母様、私の考えていることが何故」


「私は貴女の母親だもの。小さなころから貴女をずっと見ているのだから、分かるわよ」



 小さく息を飲む。私たちは本当の親子ではないと、リリアンナは知らない。その言葉から感じる愛情に喜びと罪悪感を抱く。……私が本当の子ではないと知っても、彼女は私を子供として愛してくれるだろうか。



「……もし、貴女が貴族ではない誰かに嫁ぎたいと言いだしても私は驚かないわ。いえ、それどころか支持するでしょうね。貴女はきっと、この世界から出た方が幸福になれるもの」


「お母様……」


「貴女がどこへ嫁入りしたとしても……身分や住む世界が変わっても。幸せそうな顔を見せてくれれば、親は嬉しいものよ」



 その口ぶりは言外に貴族ではない相手、つまり妖精に嫁いでもいいと言っているように聞こえた。リリアンナはおおよそのことを察しているのかもしれない。優雅に温かいお茶を口に運び、すました顔でいるけれど。

 ありがとうございます、と答えて私も同じようにミルクで割られたお茶を飲んだ。砂糖は入れていないはずなのに、優しい甘みを感じてとても美味しい。



「明日はまた妖精の友人とお出かけなのでしょう? 白く輝く街の話も楽しかったわ。またお話を聞かせて頂戴ね」


「はい。お母様」



 明日は人間の世界ではなく妖精の世界に出かける約束をしている。とても美しい花畑があるそうで今からとても楽しみなのだ。

 空を見たところ暫く快晴が続く気配が漂っている。厨房の料理人に軽食の準備も頼んである。きっと、いいお出かけができるだろう。


 その夜、いつものようにバルコニーへ訪れたティタニアスと話をした。目が合えば嬉しそうに尾を揺らす姿は大分見慣れてきたように思うが、彼とこうして会うことに対する喜びは日ごとに増している気がする。……私が既に彼に恋をしているから、なのだろうか。



「明日が楽しみね、ニア。今日はさすがに夜更かししないようにしないと」


「……そうだな」



 つい長話をして寝不足になることはままある。しかし明日は外出することになっているのだ。ゆっくり眠って体力を回復しておきたい。……風の妖精の性質で、出かけることによって疲れるどころか回復するのかもしれないけれど。

 社交の場に出る前日は早く眠って体を休めておく、という癖が抜けていないのだ。出かけるなら早めに休まなくてはいけないという意識がある。しかしそれを聞いたティタニアスは直前まで嬉しそうに揺れていた尾がしょんぼりと垂れ下がってしまった。



「どうしたの?」


「……明日は昼にも会えるのだから嬉しいはずなんだが、今日オフィリアと話す時間が短いと思うと寂しくなるようだ」



 そのようなことを言われてしまっては私はまた胸が締め付けられるような心地になってしまう。彼のこういう、幼子のように甘える言葉は大変可愛らしい。じゃあ今日もたくさんお話ししましょうと返したくなって、軽く咳払いをした。



「……嫌だったか?」


「いいえ。とても可愛らしいと思うわ」



 そう、私が彼に抱く思いはそれだ。恋かどうかはひとまず置いておいて“可愛い”のである。一度口にしてからすんなりと出てくるようになった言葉だけれどこれが一番しっくりくる。

 ルディスを可愛いと思う気持ちにも似ているようでありながら、それとは別であるようにも思う。……愛おしく感じているのは間違いないが。



「オフィリアが俺を嫌いでないならいい。だから、少しでも嫌だと思った時は直ぐに言ってほしい」


「……今のところ、そう思ったことはないわ。ニアに嫌いなところなんてないもの。ニアこそ私の苦手なところはないのかしら」


「俺にもない。貴女と居るのが楽しくてたまらない。……だから貴女が居ない時間は嫌いだ」



 パシパシと軽い音を立てながら長い脚に当たっている尾の先を見つめながらやはり可愛いひとだと感じる。こんなことを言うのだからかなり好かれているはずなのだけれど。



「ニア、手を取るにはまだ早いかしら?」


「……それはまだ早いと思う」



 その程度の触れ合いも拒絶されてしまうので、彼が持つ好意の大きさを計りかねている。貴族なら親しくなりたい異性にはダンスを申し込むものであり手を取るくらいなんてことないのだが、妖精や竜には別の価値観があるのだろう。ティタニアスは色々と私に合わせてくれているのでこういう距離感に対する考えは私も合わせるべきだと思っている。


(触れたくない相手に触れられるのは誰でも不快だもの。ニアが私に触れてもいい、と思えるまではこのままね)


 ティタニアスが手に触れる許可をくれたらダンスの申し込みをしようと思っているのだがまだ先は長そうだ。

 来月には妖精の感謝祭がある。貴族はその日に王城へ集まって盛大なパーティーをするが私が赴くことはないだろう。しかし、平民たちの間でも祭りが開かれて街中に音楽があふれ、皆が躍るのだと聞いている。……それまでに手を取って踊るくらい仲良くなれていたら、一緒に参加したい。


(たとえ私のこの気持ちが恋であると分かったとしても……伝えるには早いわよね。手を取ることもできないのだから)


 お互いを想い合うことが出来たら婚姻を前提として付き合う友人関係。それが今の私達だ。私が恋心を自覚したとしてもティタニアスに同じものがなければこの関係が進むことはない。お互いに確信が持てる時がくるまで焦らずじっくり親しくなっていけばいい。



「ねぇ、ニア。これからもたくさんお話したり、出かけたりして遊びましょうね。貴方ともっと親しくなりたいわ」


「……それは俺からも頼みたいことだ。貴女にもっと俺を好きになってほしい」


「ふふ……私もそう思っているわ」



 きっと私の方が貴方のことを好きなのよ。という言葉は胸に留めておいた。気分の高揚と共に上がった体温が夏の涼しい夜風に吹かれて気持ちいい。風の強さに関係なくティタニアスの尾が彼の足を叩く音にも可笑しな気分にさせられる。

 可愛らしくて大切な妖精の友人と、その関係が変わるまで。これから何度もこのような夜を過ごすのだろう。いつかもっと親しい関係に変わる日を楽しみに待ちながら夜を繰り返すのは、悪くない気がした。


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