第8話 見つからない答え
さて、私はどこに座るべきだろうか。長い話になる前に腰を落ち着けたいのだがその場所に少し悩む。
テーブルを挟んだ四席の椅子のうちの一つにティタニアスが座っている。けれど彼は肘掛を使っているため体が横を向いており、私が正面の席に座れば話しにくいだろう。
数秒悩んだ後、彼の斜めに位置する椅子に腰を下ろした。ここなら彼の顔も尻尾もよく見える。
(まずは何から相談しましょう……家族のこと、貴族としての生き方……考えなければならないことが多いわ)
貴族社会は息苦しいものだ。私は心から貴族になることはできそうにない。けれど、家族のことは愛している。……たとえ私が本当の子ではなかったとしても。注がれた愛情を忘れることはないだろう。
「私はやっぱりまだ自分が妖精だという自覚が持てないけれど……いつかは羽が生えるのよね」
「ああ。……しばらくは上手く操れないとは思うが、ひと月もすれば自在に動かせるようになる」
「ということは、もし羽が生えたらすぐには仕舞って隠すのも難しいってことかしら」
「……そうだな。暫くは難しいだろう。貴女の体は人間に見えているから、羽も当然見えるはずだ」
ならばいつか私の背に妖精の羽が生えた時が、私がこの家の子でいられる最後になるかもしれない。貴族にとって血の繋がりは重要なものだ。本当は他人だったと知った時、三人がどのような反応をするか想像ができない。
「……オフィリアが悲しそうだと俺も苦しくなる。貴女が妖精であるということは、この家の者にとってそんなに忌むべきことなのか?」
「…………いえ、そうでもないかもしれないわ。妖精はこの国の者にとって宝だもの」
もう家族ではなくなるかもしれないが、私が妖精であるということはジファールにとって利益になるはずだ。屋敷に妖精が住んでいる、しかもその妖精は誰にでも姿が見え、誰とでも言葉を交わすことができる。これはいままでの風聞も吹き飛ぶくらいの話であるはずだ。
(ああ、よかった。迷惑をかけるばかりではなくて……)
少なくとも社交の場に出られなくなり、何の仕事もすることができず家に留まり続けるという未来はなくなる。妖精として知られるようになった私の今後をどうするべきか、それはまた悩むところだが。
私が妖精であるなら、人間の家に住み続けるのは正しいことではないのかもしれない。しかし妖精として生きていけるかといえばそれは分からない。私は今まで人間として生きてきて、人間の常識と価値観を持っているのだ。妖精のことを知らなさすぎる。
「私は妖精として生きていけると思う?」
「それは問題ないと思う。妖精は己の心に従って生きているだけだ。貴女はむしろ……人間のルールで生きている今の方が苦しいだろう。風の妖精の性質と違いすぎる」
「……風の妖精は悪戯好き、という話?」
「そうだ。風の妖精は悪戯好きで、旅好きだからな」
風の妖精の大きな性質はその二つ。誰かを驚かせることと、風が世界を吹き抜けるようにあちらこちらを旅してまわることが好き。知らない場所に出向く方が家で休むよりも力が湧くという。
(……たしかに、ニアと白い街に出かけた時はそうだった)
あの日の私は楽しかったからという理由だけではなく風の妖精としての性質に合った行動をしていたから力が漲っていたのだろうか。
貴族の生活はあらゆる縛りがある。してはいけないこと、しなければならないこと。貴族女性の主な仕事は“家”の管理だ。貴族としての正しい在り方は
「しかし、ここは貴女にとって苦しい場所であると同時に、大事な場所でもあるんだろう。簡単に今の生活を手放すことはできないはずだ」
「……そうね。私はこの家、というよりは家族を大事に思っているわ」
父であるクロードは穏やかな人で、怒っている姿を見たことがない。幼少期の私がお転婆だった頃も笑って許してくれていた。そして、王子との縁談が持ち上がりそれを直さなくてはいけないと決まった時は「すまない」と謝られたことをよく覚えている。
母のリリアンナは厳しさと優しさの両方を備えた人だ。教養や勉学については本当に厳しく仕込まれたけれど、眠れない夜には童話を語って聞かせてくれ、悲しくて涙をこぼした日には「人の前で涙を見せてはいけません」と叱りながら抱きしめてくれた。
弟のルディスは姉としての私を深く慕ってくれる素直な弟で、いつも尊敬の籠った輝く目を向けてくれる。「姉上はすごい」と口癖のように言う彼が居たからこそ、恥ずかしくない姉でいようと努力ができた。とても可愛い弟なのだ。
確かに貴族の生活は息苦しい。けれど、それでも、もし私が妖精として生きることになって、家族と道を別つことを考えると悲しい。
「オフィリアはここで暮らしてもいいのではないだろうか。貴女がそれほど思う家族なのだから、家族も貴女のことを想っているはずだ」
「そう、かしら」
「ああ、きっとそうだ。……この家は居心地がいい。妖精も何体か暮らしているだろう? これはこの家に住む人間の心が温かく満ちている証だ。俺も、この家にはこのまま温かくあってほしいと思う」
ティタニアスが優しい微笑みを浮かべた。……私が妖精であり本当の家族ではないことが分かっても、彼らは私を変わらず愛してくれるだろうか。私の愛情が変わらぬように、彼らから向けられるそれも変わらないだろうか。
(そうだったら……嬉しい。それなら私は……)
家族の絆が変わらなければ、この生活が妖精にとっては少々不自由であったとしても貴族のしがらみの中に生きていく覚悟ができる。私が妖精であれば不名誉な噂は払拭されるし、また社交場に顔を出しても家の名を傷つけることはなくなるだろう。むしろ積極的に他の貴族とのつながりを作ることだってできるはずだ。……息苦しさは消えないかもしれないが。
「オフィリア。……俺は貴女を色々な場所に連れていきたい。そして、俺のことはいくらでも驚かせばいい。そうすればオフィリアは妖精の性質も、大事なものも失わなくていいだろう?」
その言葉にまた胸がきゅっと締まるような心地になった。ティタニアスが私を思い遣ってくれているのが伝わってきて、こみ上げる感情のせいで痛くも苦しくもないのに一瞬呼吸が止まる。
私が妖精でありながら貴族としての生活を続けるとすれば、彼と頻繁に会って出かけるようなことはできなくなってしまうだろうか。それは、望みたくない。
(……私が妖精だと知られるとまた縁談が持ち込まれるようになるのかしら)
人間の貴族女性であれば私にはその資格がない。けれど、妖精であればおそらく話は別だ。あらゆる独身の貴族から婚姻を望まれる可能性がある。
以前ならそれは喜べたかもしれない。家のためになる婚姻を望んだだろう。けれど、今は。
「ねぇ、ニア。もし貴方と婚姻するとすれば……」
私の言葉を遮ったのはすました顔のティタニアスの尻尾がパシパシと革張りのソファを叩く音だった。すぐに彼の手が自分の尾を押えたがそれでもまだ先の方が上下に振れようしているのが見える。
「貴女が俺との婚姻を前向きに考えてくれているのかと思ったら、勝手に」
実際、結婚を考えた時に真っ先に浮かんだ相手がティタニアスだったのだから前向きに考えるどころではないのかもしれない。この好意は恋なのだろうか。それとも、まだ友愛だろうか。
少なくともこの先も彼の焔の瞳を見つめていたいと思っているのは事実だ。それが友人であれ、伴侶であれ、互いに見つめられる距離にいたいと願っている。それができないなら誰とも婚姻などしたくはない。
「羽と同程度には自由に動かせるとありがたいんだが、こっちは言うことを聞かなくて困る」
「ふふ。でも、私は貴方のそんな尾を可愛らしいと思っているわ」
「…………かわいらしい? それは……褒められているのだろうか」
「ええ、もちろん。好意的な意味だから」
本来なら男性に向けるべき言葉ではないだろう。けれどティタニアスは私に堪えなくていい、本当の姿を知りたいと言ってくれる妖精で、そんな言葉に私は彼の前でだけは偽らない自分でいると答えた。だから彼に対しての感情は素直に言葉にしてもいいのではないか、と思ったのだ。
「……そうか。オフィリアに好かれる性質だと思えば案外、悪くないものだな」
私の素直な感情や言葉を受け取って、不快ではなく喜んでくれる。私が私のままでいる姿を受け入れてもらえることが、とてもかけがえのないものに感じられた。ありのままの自分が相手にとって好ましいというのは、本当に嬉しい。
(……いつか、友人以上の関係になるかもしれないもの)
この先も一緒にいるとするなら、私がティタニアスをどう思っているのか、どう感じるのか。それはきっと伝えるべきことだ。そして逆もまた、しかり。私も本当のティタニアスを教えてほしい。
「ねぇ、ニア。私は貴方のことをもっと知りたいわ。もしかすると私たちは伴侶になるかもしれないのでしょう? 貴方の気持ちや、竜の妖精としての性質についても……もっと教えてほしいわ」
「……そうだな。お互いのことを知るために俺たちは友となったのだから知ってもらうべきか」
尾を押さえていた手を顎に当てながら彼は首を捻った。それに合わせて尾もくねりと曲がっている。……これは悩んでいる時の姿だろうか。
「まだ話していない性質だったら……竜は輝くものが好きだな。金や銀、宝石などを見つけるとつい持ち帰ってしまう。俺の家にも山のようにあるな」
「それ、妖精の物語で聞いたことがあるわ。本当なのね」
竜は輝く物が好きでその巣には金銀財宝がため込まれている。もし、竜の死後にその巣を見つけることが出来たなら莫大な富を得るだろう。そんなお宝を求める冒険家の童話があったのだけれどその性質は事実であったようだ。ティタニアス自身が華美に着飾っている様子はないので身に着けるつもりはなく、ただ宝物を家の中に集めているだけのようだ。
「……オフィリアを見つけた時も、貴女の輝く髪が視界に入って惹かれたからな。月の明るい夜でよかった」
揺らめく炎のような瞳がじっと私を見つめる。彼の目に私の白金の髪は月明かりでも充分輝いて見えたらしい。
あの日、私がバルコニーへ出ていなかったら。月明かりの少ない夜であったなら。私たちはまだ出会っていなかったのだろうか。
「貴女の髪も瞳もとても美しい輝きを持っているからか……連れて帰りたい、という欲求に駆られることはある」
「……そうだったの?」
「ああ。けれど俺は貴女の望まないことは絶対にしないから安心してくれ」
その言葉を疑う気持ち微塵もない。ティタニアスは常に私のことを気遣ってくれていた。私が望まない限り、彼が私を攫うなんてことはあり得ない。そもそも手に触れることすらためらうような性格なのでそういう強引な姿の想像ができなかった。私が彼の家に連れ帰られるとするならば、それは。
「私がニアに嫁入りすれば一緒に帰れるけれど」
パシンとひと際大きな音が部屋の中に鳴り響く。強めに椅子の革を叩いた赤紫の尻尾はすでにティタニアスの手によって固定されてそれ以上の音を立てることはなかったが、彼がまだ動揺の最中にあることは暴れようとする尾を押さえている力のこもった手で一目瞭然だった。
「……そうなったら嬉しいと思ったんだ。大きな音を立ててすまない」
「ふふ……私たちがお互いを想い合うようになったら、そうなるわ」
少なくとも私はもう随分と彼のことを好きになっている。ティタニアスは私をどう思っているのだろうか。結婚の話を持ち出すだけで喜んでくれるくらいには好かれているはずだけれど。
「人間はどうやって想い合ったことを確かめるんだ?」
「そうね。愛の告白をするのが一般的かしら」
言葉であったり、文字であったり、贈り物などの行動であったりと手段の違いはあれど、相手を愛しているのだと伝える。そうして相手から同じものが帰ってくれば想い合っている証となるだろう。私はいままで誰かに特別な感情を抱いたことはないし、また抱かれたこともなかったので経験はないけれど。
「では……自分が相手を愛しているかどうかはどうやって判断するんだ?」
「……それは私にも分からないの」
「……このままでは俺たちが想い合ったとしてもそれが分からないのではないか?」
「……そうね。それは、困るわ。どうしましょう」
いまだって、私がティタニアスに抱く好意が恋愛感情であるかどうか判断がつかないのだ。二人で小首を傾げ合ったが、経験のない者同士で答えが出るはずもない。……ひとまず、恋愛経験がありそうな誰かに尋ねてみるとしよう。
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