第5話 妖精の性質
「お願いします……! どうか助けてください……!」
少女は指を組み祈るような姿で私に懇願する。使用人の制服を着ており、この大きさの一軒家に使用人がいるのは珍しいと驚いた。……大きな屋敷に勤める前に、使用人経験のある親戚の家で見習いをしている、というところだろうか。
「落ち着いて。……何があったのか教えてくれる?」
「主人を助けてください。とりあえず、中へ……っひ……」
私の手を掴もうとした少女は触れる直前で固まり、小さな悲鳴を上げる。彼女の視線の先にはティタニアスが立っていた。……奇妙な仮面をつけた背の高い男性に驚いたのかもしれない。私よりも小さな少女からすれば長身の彼は巨人にも思えるだろう。
「背が高いだけで怖い方ではないわ、大丈夫よ。家の中で何かが起きているのね?」
「は、はい……一緒に来てください、お願いします」
少女が家の扉を開けて中へと案内してくれた。入口のすぐ隣の部屋へ通され、そこでベッドに横たわる老婦人の姿を目にする。
主人を助けてほしい、彼女はそう言って私を呼んだ。だから私はその主人が少女一人では動かせない家具などの下敷きになってしまったとか、脚を怪我して動けない状態になってしまったとか、そういう火急の事態で人手が欲しいのかと思っていたがどうやら違うらしい。
「この家の主人が昨日から目を覚まさないのです。私の声は主人には聞こえないですし、どうか主人に声をかけてくださいませんか。眠りすぎもきっと人間の体にはよくありません……どうかお願いします」
もう一度少女を見つめる。青い瞳と栗色の髪のとても一般的な色彩に、印象に残らない顔立ち。きっと後日町ですれ違ったとしても気づけないだろう。そんな彼女はどこからどう見て人間の姿だが、しかし。……おそらく人間ではないのだろう。普通の人には見えず、その声も聞こえない。私と目が合ったから、自分の姿が見える人間を見つけたから助けを求めた彼女の正体は。
「貴女は、この家の妖精なのかしら」
「はい。私にとって、初めての家なのです。私が至らないせいか、主人が目を覚まさなくなってしまって……」
家の妖精は、居着いた家を美しく保つ手伝いをしてくれるありがたい存在だ。住人の手の届かない場所の清掃や手入れをいつの間にかしてくれる妖精で、それに気づいたら家主は妖精へお菓子や飲み物をお礼として捧げるべきとされている。我が家にも同じ種族の妖精がいるようで、清掃日の前なのに暖炉の中の煤が綺麗になくなっていたり、普段使わない客室を整えようとしたらすでに完璧であったりする。
そういう時は妖精の仕事があった部屋に感謝の言葉を書いたカードを添えてお礼の食べ物を用意しておくと、翌日には綺麗に食べられているのだ。
(……隅々まで整えられた、素敵な家。この妖精が主人と一緒に守ってきたのね)
小さい庭の花は美しく手入れされ雑草の類は一つも生えていなかった。白い壁も汚れなど見当たらないほど磨かれて輝くようであったし、この室内も整然として部屋の隅に埃一つないのだ。
きっと彼女は昨日も今日も家の仕事をしたのだろう。しかし、それを認めてくれる主人はもういないのだと告げなければいけない。
「貴女のご主人は……もう、目を覚ますことはないわ。亡くなっているの」
私の言葉に妖精はきょとんとした顔で小首を傾げた。ベッドの上の婦人は眠っているのではない。何故なら、呼吸をしていないから。
この妖精は人間の死を目にしたことがなかったのだろうか。だから、眠るように息を引き取った主人が死んだことに気づかず、こうして私を呼んだのか。
「……主人はもういない、ということですか?」
「ええ、そうね。……もういないわ」
「そうなのですか……。ああ、それなら私は新しい家を探さなければなりません。お時間を取らせてごめんなさい、教えてくれてありがとうございました!」
先ほどまで悲しげだった少女は、パッと明るい笑顔になるとすたすたと歩きだし、ティタニアスの横を通る瞬間だけは少し怖がっていたものの、迷いない足取りで家を出て行ってしまった。
きっと悲しむだろうと思っていただけにこれは予想外だ。その淡白すぎる反応にあっけにとられしばし固まっていると、いままで黙っていたティタニアスが「家の妖精とはそういうものだ」と口にする。
「俺たちも行こう。……出来ることはもうない」
「……そう、ですね」
知らぬ人間の家に踏み込んで、その家主が亡くなっていることを近くの住人に知らせるというのはとても不自然だ。妖精に導かれたのだと言えば信じてくれるかもしれないが悪目立ちするだろう。普通の人間に妖精は見えないのだから。
主を失った家を前にせめて亡くなっていた婦人の冥福を祈ろうと黙祷を捧げ、その場を立ち去った。妖精の小道へ向かう道すがら、他にできることはなかったかとあの家を初めて訪れた私ですら考えるのに、一度も振り返ることなく笑顔で出ていったあの妖精はこの家に愛着がなかったのだろうか。どうしようもなく気になって、ティタニアスに尋ねてみた。
「自分がいい家だと思った場所に住み着いて、その家を維持する。しかし人間が住んでこその“家”だ。家主のいない建物には興味がない。そこに住んでいた人間に対する愛着もない」
「……そういうもの、ですか」
「ああ。……家ではなく人間に執着した家の妖精の最後は悲惨だ。先程の妖精は、家の妖精として正しい在り方をしている」
家の妖精は家につくもの。それが家に住む人間に情を持った場合、妖精にとってはその人間が“家の一部”となってしまう。守るべき、保つべき大事な家。その人間が死んでしまうと家の一部が欠けてしまったように感じる。しかし、それが埋まることは決してない。
すると家の妖精は失った部分を取り戻し、家を完璧に整えようとし始める。見つかるはずのない足りないものを家中探し周って荒らしたり、勝手に家具の配置を変えてみたり“悪戯”と取られる行動をするようになってしまう。そんな家に人間が寄り付くはずもない。誰も居なくなったことにも気づかず家に留まり続け、やがて家の解体と共に消滅する運命だという。
「俺たち妖精にはそれぞれ性質というものがある。それから外れたことをすれば、苦しい思いをするのはその妖精自身だ」
だから妖精は自分に正直な者が多い。自分の性質にそぐわないことはしない。心を偽らない。しがらみの多い人間からすればそれは自由にも見える。……なんだか少し、羨ましい。人間にはしてはならないことと、やらなければならないことがとても多いから。
「オフィリアもそうすればいい」
「……え?」
「オフィリアは自分を抑え込んでいるから苦しそうに見えるのではないか、と思う。……貴女は人間界で暮らしているからそちらのルールに合わせているのかもしれないが、俺の前では必要ない」
出してはいけない、見せてはいけない。貴族として持っていてはいけない私の本質。心の奥の箱に鍵をかけて仕舞いこんでいるようなそれの、錠前を外されてしまったような心地。
すでに妖精と二人でお忍びに出ている時点で貴族らしさからは遠のき始めているのだけれど。ティタニアスに出会ってから、もっと奥底に押し込めていたものが出てきそうになっている自覚はあった。……それを、彼にだけは見せてもいいと許されてしまったのだ。
「……本当によろしいのですか?」
「俺はそうしてほしい、と思っている。……本当のオフィリアが知りたい」
銀の仮面を外しながら、それが心からの言葉であると伝えてくれるティタニアスの行動が嬉しくて自然と微笑んだ。彼のこういう実直な性格をとても好ましく思う。自分がどういう思いを抱いているか正直に伝えてくれるのは、自分を知ってほしいと思ってくれているからだろう。
私も彼にはもっと自分を見せたいという気持ちが湧いてくる。人間ではない妖精の彼の前では、貴族らしくない本当の私で過ごしてもいいのかもしれない。私たちはお互いを知るために友人になったのだから。
「では……ニアの前でだけ、そういたしましょう」
「ああ。……それから、もう一つ気になったんだが。先程の家の妖精と俺とで言葉遣いが違うのは何故だ?」
そう言われて家の妖精に対し丁寧な言葉を使い忘れていたことを思いだした。平民の少女相手であれば貴族が丁寧な言葉遣いをしてはならないが、妖精相手なら別だ。私たちにとって妖精とは敬うべき尊い存在なのだから。
「妖精に向かってあの言葉遣いはいけませんでしたね。声をかけた時は人間だと思っていましたからそのまま……」
「女王以外の妖精は別に丁寧な言葉遣いを喜ぶわけではないのでそれはどうでも良いと思うが……そうではなく、あちらの方が親し気に聞こえたのでな」
たしかに、弟や親しい友人には砕けた言葉を使うのでティタニアスの感覚は正しい。……もう友人など彼以外にいないので、親しい相手では弟以外にこの口調は使わないけれど。それがどうかしたのかと首を傾げると、彼はとても真面目な顔でこう言った。
「貴女は誰にでも丁寧な言葉を使っているのだろうと思っていたのだが……違うなら、友である俺に対しても気安く話しかけてもらいたい。なんだか羨ましくなってしまう」
思わず明るくはしゃいだような声を上げそうになって口元を押える。ティタニアスは素直な感情を言葉で伝えてくれるので、それがとても好ましいのだ。言葉として表現するなら“可愛らしい”になるだろうか。
その思いが淑女らしくない大きな声として出そうになっていつもの癖で飲みこんだ。ティタニアスの前では本来の自分を出すと決めたけれど、すぐに今まで隠していたものを出すのは難しいらしい。……少しずつ、変えていこう。
「……オフィリア?」
「いえ……ニアが望むなら、そうしましょう」
妖精の望みはできうる限り聞くべきだという事を除いても、親しくなった友人から“もっと親しくなりたい”と言われれば言葉は変えるものである。
ティタニアスとはまだ出会ったばかりであるものの、嘘や方便、取り繕った会話がないせいか随分と親しくなったように感じているし、何より私も彼ともっと親しくなりたい。
「なんだか不思議だわ。お友達とこうして話すのはとても久しぶりなの」
「……そうして話してもらえるとオフィリアと少し親しくなれた気がして嬉しい」
彼の言葉通り、ほんの少し話し方が変わっただけでまた一つ距離が近くなったように感じる。いや、むしろ今日という日をティタニアスと過ごしたことで近づいた部分が大きく、言葉遣いはその最後の一押しだったのかもしれない。
「ねぇ、ニア。……手を取るような触れ合いはまだ早いかしら?」
「………………それはまだ早い」
別に手を繋ぎたい訳ではないのだが今まで堪えていた言葉をかけてみる。妖精の小道はもう眼前だというのにティタニアスは銀の仮面をつけてしまった。目も尻尾も見えないけれど、恥ずかしがって照れているように思えて可笑しな気持ちになる。
「エスコートと言ってね。人間は異性と歩く時、恋人でなくても手を取ったり、腕を組んだりするのよ」
「な……っそれはふしだらではないか……!?」
明らかに動揺するティタニアスの様子がおかしくて仕方がない。エスコートは親兄弟がすることもあって、本当にただの礼儀的な付き添いであることを教えるのはもう少し後にしよう。……もし、彼が一夜の恋なんて行いについて知ったらどのような反応をするのか気になって仕方がないが、それを教えるのはもうしばらく先にするべきだろうか。
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