第5話 夢想するは乙女

 仰臥状態でリフトに固定されたガラティアンが、羽毛が落ちていくような速度でゆっくりと昇降路を下降していく。

 深い。

 50メートルを潜ったところで再び昇降路が別の空間と接続する。

 ガラティアンの片方の横手側にのみ、リフト幅と同じ7メートル、奥行き5メートルのスペースがまずある。そのさらに先に幅2メートルの通路が繋がっている。それは人が通る通路としては充分だが、通常の整備機材を持ち込めるものではない。

 優に100メートルを超える深度を数十分かけて、ようやく最下部の作業台へとリフトが接地した。

 そこは様々な面で特徴的な屋内施設であった。

 最奥には横向きにガラティアンを安置する台座。その周囲三方には整備機材を運用するスペースは無く、台座とぴったりの大きさしかない。

 例外はそこから手前、細い通路の方にある、台座と同じ幅7メートル、長さ5メートルの作業空間だ。

 そこは整備庫。

 ガラティアン専用のものとしては最深部に存在する場所であった。

 備え付けの照明は無く、どこからか漏れるゆらゆらと幻惑的に動く青い光が、暗いながらもはっきりと照らしている。

 光の出どころは細い通路に並ぶ機械であった。

 正確には細いのではなかった。床から天井まで届く柱のような機械が壁沿いに無数に連立して、本来台座と同じはずの幅を狭めていたのだ。

 青い光はその機械の柱の中から表面の隙間を通って現れていた。

 神殿の様に静謐で冷凍庫の様に無機的なそこは、ガラティアンパイロット保安正調整備庫だった。

 そこに居た作業員は三人。一人は左竹中尉等技官。

 もう一人は女だ。

 足元は光沢あるネイビーブルーにポインテッドトゥのパンプス。白のパンツスーツに白衣を着て、長い脚の上に豊かな女性らしい曲線を乗せる姿は、万人が認める端正な容姿であることは分かる。しかし、身に纏う雰囲気が異常だ。沈没船の内部のような、ある種の不気味さを満たすこの場所に馴染み過ぎている。

 地上では異形となる、深海魚じみた印象の美女だった。

 ネックホルダーに入った身分証にその存在が明記されている。

 ”ガラティアンパイロットケア要員:岩長いわなが宮古みやこ特務大尉”

 それが彼女であった。

 更にもう一人、やや背が低い少女。緊張と不安が僅かに混じる愛らしい相貌、長い亜麻色の髪を白衣の中に入れた姿はまだあか抜けないさまで、この場所に居なければ周囲を和ませる女の子として多くの人に受け入れられているだろう。

 その三人に施設管理AIのシステム音が告げる。

≪第13整備庫内部へ移送を確認->物理閉鎖・情報閉鎖完了->移送シーケンス完了:当施設は特定時刻まであらゆる干渉を拒絶します->内部の人員は特秘律第3条第5項の管理下に置かれます≫

 この瞬間、この場と三人は基地内の誰にも認識できない領域となった。

≪システムガラティアンからコックピット系を離接->コックピット系は以降当施設によって管理されます≫

 機体から、コックピットと内部のパイロットが機構的に分離された。

≪パイロット保安確認・正調処理シーケンスへ移行->コックピット開放≫

 ガラティアンの装甲胸部に切れ目が現れ、ゆっくりと開いていく。

 内部にあったのは直径1メートルの白い真球。ガラティアンの装甲と同じ特異質セラミックのパイロット保護内部装甲だ。

≪アンブトゥン露出->クレイドルへ移動≫

 三人がいる作業スペースには円形の作業台がある。クレイドルとはこれの事だ。直径は2メートル、高さは50センチメートル。そこへアンブトゥンと呼ばれるパイロットを内包した球体がこれから移動される。

「——っ」

 少女が声を飲み込んだ。

 アンブトゥンが浮き上がったのだ。解放された装甲よりも高く、全く揺らぐことなく浮いたアンブトゥンがクレイドルの上まで移動し、緩やかに降りた。

≪アンブトゥン移動完了:クレイドルと接続->解放承認を要求します≫

 左竹と岩長が動く。クレイドルへ左右から歩み寄り、その表面へ両手を広げて触れさせた。そこからクレイドルの上面に波紋が生まれる。

≪固有値照合->左竹壬春みはる,岩長宮古->照合一致->承認確認≫

≪アンブトゥン解放≫

 クレイドル上の球体が花咲くが如く、何枚もの薄い平面になって内部への厳重な保護を解いていく。

 白衣の少女が目を見開いて震えた。

 中から現れたのは透明な球体。その中央に胎児のように体を納める人間がいた。

 真っ白な、本当に白く澄み切る肌に黒曜石を引き伸ばしたような長髪。年頃は白衣の少女と近似に見える。色づいた唇と頬は未完成な生命に特有の美を示す。長い睫毛は伏せられ瞳は見えないが、瞑目の曲線だけでもその流麗さが明白に想像できた。

 美しい少女の裸身がそこにあった。

 明日あけび春華はるかだ。

 だがその姿を見て賛美を感じたり、邪な考えを持つ人間は皆無であろう。逆に生理的嫌悪から目を逸らすはずだ。

 何故ならば、少女は欠落していた。

 左足が腿の半ばで千切れて繊維質の肉と硬い骨の断面を晒している。左腹が拳よりも二回りは大きく抉れ、焼け焦げた内部を覗かせている。右腕は、切断された状態で透明な球の中に一緒に納められていた。その他、無数の裂傷、火傷やけど、貫通創が白い体を打ち砕いていた。

「——」

 再び白衣の少女が声を飲む音。

 しかし、左竹と岩長は変哲としている。少女が何かを言葉にしようとした時、岩長が先に言った。

「さて、ここからが仕事よ。とりあえず羽音はねちゃんは最初は見ていなさい」

「岩長先生、今更ですが大丈夫なのですか、彼女は」

「本当に今更ね、あんた」

 光沢を持つ女性の靴を鳴らして岩長が話す。

「あんたのところの、ウメちゃん?、だっけ。あの子と同じくらいには仕込んであるわよ。さっきも言ったけど、今回は慣れが一番の目的。気に入らないなら見るだけにさせるわ」

 左竹が少女、羽音を見る。睨むのでも量るのでもなく、無色の視線をただ向けた。上階層で共に作業する者たちが見れば驚嘆と同時に震え上がったであろう。

 その視線を当てられた羽音は。

「——」

 睫毛をわずかに震えさせつつも、他は微動だにすることなく見つめ返した。

「分かりました。羽音さん、どうかよろしくお願いします」

 先ほどのうろな眼はどこへ行ったのか。下の者達にも礼節を以って接するいつも通りの左竹らしい言葉で羽音に頭を下げた。

「そ、そんな。お辞儀なんてよして下さい左竹中尉」

 見た目通りの印象の声で羽音が恐縮して返事をする。

 それを受けて左竹が返す。

「羽音さん。丁寧な態度は良いけど、過度な気遣いは駄目ですよ。わからない事は素直に質問するように。君がこれから携わるのはこの基地、否、残存日本の未来がかかる仕事ですから。焦らず、丁寧に覚えていきましょう」

 柔和な喋りを耳にして羽音が緊張を少しほぐす。だがそこに岩長が言葉を加えた。

「京都弁ってやつだから額面通り取っちゃだめよ。ああ、京都弁っていうのは戦争前は京都って古都があってそこで使われてたある種の暗号話法なんだけど、いや、今は関係ないわ。簡単に訳すると左竹君はあなたを今回で見定めるそうよ」

「きょうと……?いえ、了解しました特務大尉。任務の重要度を考慮すれば当然でありましゅ、……あります」

 戻ってきた緊張で羽音は噛んだ。

「いつも通り宮古先生で良いわ。返事もはいでいいから。ああでも、その軍人ごっこ喋りは可愛いから時々やってもらちゃおうかしら?」

「み、宮古先生、からかわないでください……」

 再び左竹の視線が色を消していく。

「さあ、左竹君が怖いおじさんに戻っちゃう前に始めましょう」

 ウィンクをしながら岩長が床を靴で小突いた。その手前の床が円弧上に、ピアノ鍵盤ほどの面積でせり上がってくる。丁度岩長の肘くらいの高さで止まった。

 通路から見てクレイドルの右側に立体と岩長が立っている。クレイドルを挟んで反対側、左竹も同様の立体を床から引き出していた。こちらは左竹の身長に合わせて岩長の物よりやや高めで固定された。

 クレイドルの操作端末だ。

 岩長が端末上部を指でタップする。

 空中に実態が無い、画面だけのモニタが現出した。

 羽音がまた驚く。

 先ほど見たアンブトゥンの移動と言い、この空中表示ディスプレイと言い、羽音が知る現代の技術水準と比較して、出来なくは無いが余りにも洗練され過ぎていた。

 少なくとも羽音の知識ではどのような原理で動作しているのか推測も付かない。

(いえ、それを言うならばそもそもガラティアンや目の前のこの子が……)

 羽音の思考は岩長の声を聴いて中断される。

「パイロット保安正調作業開始」

「承知しました」

 二人は声と共に端末上で指を動かす。鍵盤の様に叩いたり、指で模様を描くようになぞったりしている。その動きに合わせて空中の画面が表示を変えていく。

「いつも通り私は魂と精神を診るから、左竹君は物理面を観測して」

「はい」

 羽音の前で岩長と左竹が会話をしながら端末に入力をする。だがその言葉には現代技術によって作られた機器による作業では耳にしないはずの単語が混じる。

 左竹が羽音に尋ねた。

「君、パイロット保安正調作業で最も留意するべき点は何だと思いますか」

「……最高優先事項は28項ありますが、私は一番重要だと考えるのは、パイロットを包含する同一化結合体に接触しない事です」

「その理由は?」

「この透明な球体……同一化結合体は大枠の物理法則に帰順していません。パイロット保護の観点から、量子力場汎用理論、岩長理論に基づく手法以外での干渉は未知のリスクがあります。その為にクレイドルが作成されました」

「その通り。よく勉強していますね」

 羽音はほっとした様子を見せたが、気を引き締めるように唇を結んだ。

 左竹は手を止めずに続けて言葉を放つ。

「さて、パイロット状態の観測開始は287秒程度の準備がかかります。その間に同一化結合体についての基本知識を改めて教えてもらってもよいですか?」

「えっ、宮古先生の前でですか」

 岩長が苦笑する。同一化結合体の説明ならばその根幹となる岩長理論への言及も必須だ。岩長の前でその名を関する理論について語ることは未定期試験に近い。

 岩長が何か言葉を出そうとしたが、羽音の言葉が先だった。

「いえ、大丈夫です。先生からずっと学んできましたから。それに、左竹……先生を前にして、明日春華さんの安全にかかわる査定からは逃げることは不義です」

 その言葉に左竹は深く頷いた。目線で続きを求める。

 羽音がゆっくりと大きく息を吸う。

「物質が原子、量子という最小単位を持つように、時空は”ゲージ”という単位要素から構成されています」

 時空は繋ぎ目の無い一体ではなく、ゲージがあぶくの様にでたらめに集まった物。

「岩長理論において、全ての量子とその間に作用する力は、高次体のゲージとそれを無限次元方向で結ぶリンクとして記述します」

 物質と力は、ゲージとそれを繋ぐリンクの情報体である。

「そして、岩長博士はゲージとリンクに干渉することで、二つの電子を情報的に同一な物に書き換える”同一化現象”を発見しました」

 二つの物であっても、情報的に同じであれば、それは一つの物がばらばらな場所に同時に存在することと同じになる。

「一つの電子が、確定した状態で別々の場所に同時に存在する状態……。すなわち、多重存在の実証です」

 岩長は更に理論を発展させた。極微の世界から、人間の目に見える現実の世界へと、無限方向の次元をバイパスして”同一化現象”をもたらした。

「通常、物体は隣接する原子が同じ電子を共有することで結合し構成されます。無数のガラス玉が接触する点だけ溶融してくっついた塊のようなもので、力を加えられると分割されます」

 それが通常の物理系に属する物体の性質。

「しかし、同一化現象によって全ての原子が、で構成され結合した時、原子はもはや隣接だけでなく、物体を構成する他の全ての原子とも結合した状態となります」

 一つが全部と結合し、全部は一つと結合している。その結果どうなるか。

「その物体は無数の原子の集合でありながら、単位要素として分割も反応も出来ない一体状態になります」

 それがクレイドルに安置された透明な球の正体。

「”同一化結合体”。既存の物理体系から外れた未知がその本質です。そして……」

 一息の間がおかれた。

「ガラティアンパイロットはその肉体を同一化結合体とすることで保護されます」

 羽音が語り終えた。すると、見る間に不安と緊張を取り戻してしまう。覗き込むように左竹を見た。

「理論的な理解は完璧なようですね。素晴らしいと思います」

「百二十点まんてーん」

 頷きながら言う左竹。

 岩長の方は空中に指で花丸を描いた。その軌道に沿って赤色が生まれ本当に絵図が描写される。

 質問者からの認定と師匠の笑顔と褒め言葉で羽音は安堵し、息をついた。


            §


 岩長は弟子である白衣の少女を見ながら思考する。

(やはり、こいつは使える)

 矢引から押し付けられたときは辟易して、適当な雑務を任務と称して与え放っておくつもりだった。矢引自身、この少女を身近に置きながら安全でいさせるためにそれを望んで私に預けてきたのだろう。

 だが、私の考えは一晩と持たなかった。

 研究を進めるために手を煩わせられたくなかったから、量子力場汎用理論を勉強しろなどと、数年かかっても不可能な事をさも初歩的なレクチャーの様に押し付けた。

(こいつは、二十年かけて完成させた量子力場汎用理論を一晩で完璧に理解した)

 天才が決して至れぬ境地に生まれた時からいる、そんな類の異形だ。

 その日以来、矢引には黙って自らの手脚とするために、表向きは優しい指導者をうそぶきあらゆる知識と技術を教えていった。こいつはその日に教示したことは遅くても次の日に、早ければ速、その場で自身の物として取り込んだ。

 まるで砂漠に水を撒いているような感覚である。

(結局直ぐに矢引にはバレたが。奴も特別だからと言って逸材を適所に配置しない愚物でもない。まあ私からすればのただの石頭だが)

 そうして、羽音は今や想定外の三人目のガラティアンパイロット保安正調技術者としてここに居る。

 そして岩長はモニタに視線を戻して作業を続けながら春華に思考を向ける。

(実証検体6号、明日春華。これだけでも充分な天運だったが、加えてこの異形の才も手に入るなど、もはや授かりを過ぎて呪いのごとしだな)

 だが、畏れは無かった。自分は唯一つの目的以外に興味が無いのだ。これまで成し遂げた偉業の全てもただの過程、必要な道具を揃えたに過ぎない。

(せいぜい長持ちしくれたまえ二人とも。我が研究の為にってね)

 大切であるということ自体は真実であるのだから。

 と、思考中に観測開始の合図がシステムから鳴った。

 羽音に優しい宮古先生の顔で振り向く。

「さて、それじゃあこれを見て」

 指さす画面に表示されているのはある種の3DCGだ。

「これが、マインドストラクチャですか」

「そう。不変であるはずの同一化結合体から力場の揺らぎとして観測されるパイロットの意識。それをわかりやすくモデル化したものよ」

 結合体となった生物の脳には生体機能としての思考力は存在しようが無い。だが人体の結合体から生じる謎の力場の揺らぎを解析した所、脳波のような波形が現れた。あまつさえ、音声を信号に変え結合体に伝達したところ、声として変換できるはっきりとした”返事”が発生したのだ。

 それは同一化結合体となった人間が意識を保持しているということであり、魂や精神と言った、物質論に依存しない人間の意識の立証でもあった。

 羽音が話す。

「つまり、ガラティアンはこの信号でパイロットに操縦されるという事ですね」

「それは概ね正しいですが、君、もう少し詳しく聞かせてもらえますか」

「あ、えと。パイロットの肉体は周囲の大気を外殻部として一緒に同一化結合体となっていますが、意識信号が発されているのはパイロットの肉体部からです。次に外殻部がその信号を伝搬し……同一化結合体信号検出意識復号化電気信号変奏機械系信号変換相互伝達保護外殻きゅっ」

「アンブトゥンで良いですよ」

「……アンブトゥンが電気信号に変換してガラティアン系と相互伝達をしています」

 左竹が頷く。

「こればっかりは左竹君に助けられたわ。私、工学の方はからきしだったから」

 まあ、別の方法を検証過程で成立させていたので無くても支障はなかったが、実験道具は便利な方がいい。

「左竹先生の素晴らしいご功績の一つですよね。”同一化結合体の効果的な工学利用手法”。すなわち特異質セラミックの発明」

 羽音が若干高揚気味に話す。

「アンブトゥン、クレイドルの開発もです。そして何より」

 羽音が見上げる先、横たわる巨影がある。

 その存在を思って眉が平坦になった。

「ガラティアン。比類なき破壊者。詰まら無い物を作ったわね左竹君」

「みっ、宮古先生!?」

「……」

 いかん、思わず本音が出た。

 羽音は驚愕し左竹が無言を作る。

「ごめんなさい。勘違いしないで左竹君。ガラティアンに守られているからこそ私もこうしていられる。大義の為にこんな凄い物を作り上げた貴方は立派だわ」

 急ぎフォローを入れた。

「皆な貴方に感謝している。私にだってこれを建造することはきっと出来なかった」

 何せこれは私の目的に寄与しないからな。

 作ろうとも思わないという意味では嘘ではない。

 そもそも、同一化結合をわざと緩くして一部の特異物理性以外は大元の物性を残すなどナンセンスだ。

 従来の物質と互換や組み合わせがしやすくなるメリットがあったところで、未知のリスクが潜在している物を製作物に組み込む気が知れ無い。

 しかし、その成果は余人の目には魔性秘めたる物だったらしく大いに活用された。だがその為に左竹は矢引に取っ捕まる羽目になった。ついでに私も。まあ、軍の施設で研究が出来るようになったから損害よりむしろ利益の方が大きいくらいだが。

「でもそれはそれ、これはこれなの。パイロットのことを思ってしまってつい、ね。本当にごめんなさい」

 これはほぼ嘘だが、称える一方では先の発言と整合が取れない。全く迂闊だった。

「いえ……。人道を考えれば岩長先生のおっしゃることがむしろ正論です」

 絞り出すような無色の声が庫内に響く。

 それきり沈黙が下りてしまった。

「あの……同一化結合体になったパイロットは理論上、結合を解除すれば復元されますよね。だからその……今は無理でも、正規の軍人さんが来ればいつかは……」

 耐えかねたように、あるいは優しさからか、羽音が発言した。

「そうね。でも春華ちゃんについては少し複雑でね。本人の希望が、ね」

「明日春華さんの……?」

「まあ、作業の工程で分かるわ」

 ここまで話が進んでしまったら直接本人に話させた方が早いだろう。

 モニタを見る。観測値は既に出揃っていた。

「観測完了。左竹君、そっちは?」

「同じく。先に物理的状態の報告を致しましょうか」

「お願いするわ」

 共用画面に左竹の端末のデータが表示された。

 羽音と一緒に目を向ける。

「同一化現象は依然問題無く継続されています。ですが、結合強度の揺らぎ幅がやや増大しています。原因は不明ですが、物理干渉によるものではありません。また、結合体に深刻な影響を及ぼす程度ではなく、変動幅は充分に正調可能な範囲です」

「了解。次はこちらの報告ね」

 共用画面にデータを送る。思わず吐息がついて出た。

「いつもながら魂の消耗が激しいわね。経験則からの類推になってしまうけれど、これが揺らぎ増大の原因だと思うわ。精神が活性化し過ぎた反動でしょう」

 左竹が眉を詰める。

「幸いにしてこちらも回復可能な範囲だわ。また休眠処置は免れないでしょうけど。パイロットの精神保持が安定していればこれ以上の問題点は無いでしょう」

「では、正調作業は通常通り結合状態の安定化となりますか」

「そうね。そっちはもう始めて頂戴。ある程度揺らぎが収まった段階で、精神保安も並列で始めましょう。こちらはいつもよりちょっと気をかけていて」

「了解致しました」

 言うや否や左竹が端末上で手を躍らせる。共用画面に表示される処理が高速でスクロールし始めた。自分の方の出番はもう少し後だ。

「あの、宮古先生」

「ああ、ごめんなさい。方針は定まったから、あなたにも研修として私たちの説明を聞いてもらいながら作業を見学してもらうわ。良いわよね?左竹君」

「問題ないかと思います」

「あ、ありがとうございます。でもその、一つお聞きしてもよ良いでしょうか」

「おっ、いつも以上に積極的ね。何かしら」

 羽音が画面の一つに手を添えて示す。

 マインドストラクチャが表示されている物だ。

「これは、その、良くない状態なのでしょうか」

 そこに映しだされているモデルの形状は、燃え盛る太陽の様であった。

 紅蓮色の球がうねりながら輪転し、表面は激浪している。時折、炎柱の放射を放ち、いくつかは球に引き戻されるように再突入して円環を作っていた。

 これがその人間の魂を示すものであるならば、一般的な感覚としては弱っているどころか強壮だと思うだろう。疑問は最もだ。

「そうねえ、一番難しいところだから場合によっては終了後に説明するつもりだったけど。いいわ、簡単に教えておきましょう」

 画面の右端をつまんで右上に動かし、倍程に拡大する。

「マインドストラクチャは説明できる?」

「信号化されたパイロットの感情や意識、記憶。それらと相互の連動性を直感的に理解しやすくするため、3Dモデルとして表現したものです」

「うんうん、そうよ」

「その形状は一つとして同じものは確認されておらず、同様の感情の表現化につても各位によって大きく変化します」

 人の心を数式にすることは出来ない。それは魂の立証後も同様だ。

「故に精神保安においてはまず最初にマインドストラクチャの様態を確認。パイロットとの会話によって反応と表現を照応していき、蓄積された観測結果から安定化の方向性を探って、マインドストラクチャを指針としつつ対話によって実施します」

「そう。他人の心を読み取る、というのは結局、表現から予測するしかないの。そして安定させる為の手法は、状態に対応する処置を施す以外にはない」

 首から下げた身分証を目の前に吊るして見せる。

「精神保安において私たちが出来ることは結局、カウンセラーと同じでしかない。だから技術士官ではなくパイロットケア要員、というわけ」

 少女の瞳がじっと身分証を見つめている。

「嘘が混じらないマインドストラクチャを見ている分、むしろやり易くすらあるわ。それにね、魂が消耗するというのは普通のことなの。心が疲れているといえばわかりやすいかしら」

 身分証から手を放す。下に行ったそれの代わりに羽音の眼は再び画面に戻った。

「あなたの言う通り、春華ちゃんの魂は消耗してもこの姿。ちょっと休ませてあげれば自ずと回復するわ。本当に、どれだけ強い意志を持っていたらこんな様態になるのかしら。ここまで成るともはや人間というより——」

 言いかけて、止める。ちらりと左竹を見た。画面を見ている真剣極まる表情から不快の要素は特に見られない。

「とにかく心配は無いわ。安心して見ていなさいな」

 この子は優しいが、それが研修の邪魔になっては本末転倒だ。贅沢を言えば、才能はそのままにもう少し”ろくでなし”でいてくれた方が仕込みやすかったのだが。

「本当に、そうでしょうか……?」

「もう、左竹君が言ったでしょう。過度な気遣いは——」

 白衣の少女の眼に、青い光が入り込んで瞳の奥を照らした。

 何故か、かつて矢引が自分の化けの皮を射抜いたときのそれを連想した。

 何か羽音の眼にしか映らぬものがあるとでもいうのだろうか。まあ、そうだったとしてもこの娘にはまだ何も出来まい。問題は無いだろう。

「岩長先生、こちらの作業は一旦完了しました。精神保安に移りますか」

 左竹の報告を聞いてマインドストラクチャを確認する。

「変化なしか。まあ、この場合それくらい軽度と見る方が妥当ね。良いわ、やりましょう。春華ちゃんを起こすわよ」

 端末に指を滑らせ、上位権限と個人認証を兼ねる紋様コマンドを渡す。

 春華の肉体は一抹も変化しないが、端末から覚醒確認の表示が現れた。

 既に春華はクレイドルを通じて視覚や聴覚の情報を得ているはずだ。

 その証拠にマインドストラクチャを表示するモニタから音声が流れてきた。

『……』

 寝起きの吐息。やや反応が悪いか。

 肉体の方に向いて、こちらから声を掛けてみる。

「おはよう、春華ちゃん。お姉さんのことわかるかしら」

『岩長……先生……。ごきげんよう……』

 ——何と言った?

 顔に出さず訝しむ。

 呼び方が違っていた。普段は岩長博士だ。口調もおかしい。

「春華、気分はどうだい」

 左竹も疑念は同じはずだが、表情にはせず話しかけている。

『左竹叔父さん……おはよう……』

 こちらも返答が常と異なる。軍属となって以降、春華は左竹に対して肉親として振舞うことを自ら戒めたはずだ。

 思わず笑顔は変えないまま目線で左竹とコンタクトを取ってしまう。

 だがマインドストラクチャに変化は相変わらず見られない。

『あ……いえ。ごめんあそばせ。左竹中尉、岩長博士』

 口調こそおかしいままだが、呼称は戻った。まだ覚醒レベルがやや低いのだろう。

 ようは寝ぼけているという事だ。一先ず進めてもいいだろう。

 再び日常会話でより覚醒を促そうとした時だ。

『あの……そちらのお方は……?』

 気付くと白衣の少女がクレイドル正面、やや離れて春華に向き合う位置にいた。

「あ、えと……初めまして明日春華特務軍曹。本日より新たにパイロットケア要員として拝命されました、矢引羽音と申します」

 おいおい、こちらもどうした。許可も得ずに勝手に発言だって?

 見たことも無い羽音の行動に驚愕していると、春華が反応を示した。

『ごきげんよう、矢引羽音さん。どうぞよろしくおねがいいたし……矢引?』

 声に若干力がこもった。

『矢引羽音?まさか、少佐様のお知り合い……いや、そもそも私は一体……ああ』

 声が徐々に普段の調子となっていく。

『——ふっ』

 再びの吐息。しかし今度は真のある意図的な呼吸音だ。

 マインドストラクチャが心臓の様に一発脈打った。

『申し訳ありません、左竹中尉、岩長博士。寝ぼけておりました。状況を見るに保安正調作業中の意識調査と思われますが、合っていますでしょうか』

 ようやくいつもの明日春華となった。一時はどうしたかと思ったが、やはり寝ぼけていたらしい。

「そうだよ、春華。ちょっと疲れているようだね。あれだけ大規模な戦闘が連続したからしようがないさ」

『中尉、既に覚醒しました。意識を刺激するための過去の呼び方は大丈夫です』

「あ、ああ。すまない特務軍曹」

『岩長博士にも失礼を。申し訳ございません』

「いいのよ。それにいつもと違う春華ちゃんを見れてなんだか得しちゃった気分」

 小さくうなる声が聞こえる。

『それで……改めてお伺いしたいのですが、そちらの方はどなたですか。新しいパイロットケア要員と聞こえましたが。それと、矢引、と』

 羽音がこちらを見てきた。今度はちゃんと発言の許可を得なければいけないと思っているらしい。さっきのは何だったのやら。

「春華ちゃん、この子は私たちに加え新たに貴方のケアに当たる子よ。保安正調作業も後々に参加してもらうけど、今回はただの見学。羽音ちゃん?」

「し、失礼しました明日特務軍曹。ご紹介賜りました矢引羽音特務少尉です。以降お見知りおきをお願いします」

『こちらこそ宜しくお願いします、特務少尉。ところで……』

「あ……もう御察しかと思いますが、おにいちゃ、矢引真音まさね少佐の妹です」

『少佐の、妹君』

 マインドストラクチャが炎を一吹きする。魂が驚くほどの情報だったようだ。

「さて、紹介も済んだことだし、お話を始めてもいかしら」

『了解いたしました』

「今回も大変だったらしいわねえ。なんだか少し疲れてるように見えちゃうんだけど、大丈夫春華ちゃん?お肌とか荒れてない?」

『問題ありません。使命、信念、共に健在です。それと、せっかくのご冗談に上手いお返事が思い浮かばず申し訳ありません』

「もう、少佐とはあんなに仲良く会話をするのに。でも平気そうでよかったわ」

『何故戦闘通信の内容をご存じかお尋ねしませんよ。それと、少佐との会話は軍人の素養のようなもので仲が良いという事はあり得ません』

 幾つか会話をする。意識状態も記憶も思考力も正常。マインドストラクチャは消耗状態ではあるが依然安定している。これならもう精神保安も十分だろう。

「まあ、とにかく相変わらず強い精神で感服するわ。でも念のために今回も休眠処理を施させてもらうわね。覚醒状態でいさせてあげられないのは残念だけど」

『休眠処理という事は、また夢を見るのでしょうか』

「ん?何か前回で異常を感じた?調整すれば夢を見ない休眠も可能だけど」

『いえ……。特に何も。よろしくお願いします』

 やはり問題無し。最終確認でもマインドストラクチャは変化なし。結合体も安定。

「では精神保安処置はこれで終了とします。休眠処理に移るわね」

 休眠処理の画面を見ながら端末を操作する。

「それにしても本当に御立派だ事。仲間と国を守るためにどんな敵にも立ち向かい、勝利するまで永遠に戦い続けるなんて。まさに理想の兵士。究極の守護戦士ね」

 適当な誉め言葉で締めくくり、処理実行ボタンを押そうとした瞬間だ。

「岩長先生」

 左竹が、抑え込んだ声で話しかけてきた。視ると春華の視界に映らない体の陰で手のひらを指で叩く合図を送っている。

 別の画面を見ろという事だろうか。声まで出してなんだ。

 他の画面を確認する。

「なっ……!」

 驚愕で思わず出かけた声を飲み下した。

 マインドストラクチャが、急減退していた。

(なんだこれは!?)

 一瞬目を離した隙に、太陽のようなマインドストラクチャが二回り以上縮小し、流動が淀んで光は弱々しくなっていた。

 共用画面に左竹の作業が写る。結合体に物理性の異常が生じていないか確認しているのだ。恐るべき速さで作業は終了し通信画面に左竹の報告が表示される。

 ”物理的異常確認せず。原因不明。直ちに魂を再走査されたし”

 端末に指を走らせ意識と魂に関する情報を信号値で直接確認する。

(どうした実証検体6号。急激。急激だ。一体何が起こった)

 マインドストラクチャに反映される各観測値。その全ては変化していない。たがそれはあくまで精神活動との照応が判明している物だけだ。

(未だ不明な値。予測では無意識に含まれるであろう物。これが急変動している)

 減少するだけではない。増加や消滅生成を繰り返し、実数域だけでなく虚数域まで変動幅が及んでいる。観測そのものが成立しなくなりつつあるのだ。

『どうかなさいましたか』

「ああ、心配しないで。ちょっとシステムが拗ねちゃってね。大したことじゃないのだけど時間が少し掛っちゃうかも。その間お話でもしていましょ」

 誤魔化しつつ会話による原因調査を行う。

(仮説としては私の最後の言葉が怪しいか。これまでも口にしたはずだが)

 減少は激しいがまだ猶予がある。もう一度同じことが起こっても耐られるだろう。

「春華ちゃんは良い子ね。基地の人も後方の普通の人たちも、戦ってくれているあなたに感謝しているわ。それを長く見ている人には守り神様と思われているわよ」

 言葉を変えたが内容は先に言った台詞と全く同じ。

『軍属である以上、任務をこなすことは前提であり当然です。なにより、これは人々の為だけでなく私自身の望みでもありますから』

 会話は正常。マインドストラクチャはどうか。

(減退したまま変わらず。これが原因では無いか)

 ならば、別のアプローチだ。良感情に属する言語を与える。

「それでもやはり凄いわ。特別な力があったとしても出来ることじゃない。本当に心が強いわ貴方。大義と信念を両立させるなんて容易いことじゃないのよ」

『ありがとうございます。ですが、そこまで褒めて頂くと恐縮してしまいますね。私の場合、軍務をこなすことが自然と信念に従って望みを叶えることになりますので』

 マインドストラクチャの減退止まらず。左竹も必死に解析作業を行っているが、表情を見ただけで手掛かりが無いことが分かる。善性要因は関係が無い。

 ならば逆だ。

「でも、他の兵達はちょっと情けないわね。普通だとしても女の子に守られてばかりなんて。民衆も貴方を鬼神だなんて無責任に言うし。左竹君も肝心な所で及び腰になるところあるでしょ。あなたの夢、難しいというか意味が無いかもしれないわね」

 信用する仲間への批判。知らなかった一般からの放言。肉親への悪口。そして、自身の信念への疑惑。

 悪性感情は時に善性のそれより感情を揺さぶり力を引き出す。

 憎悪、敵意、憤怒。その黒い炎を引き出そうとした。

『訓練を受けても人である事は変えられません。むしろそれを失くしてしまったら戦いが終わった後で戻れなくなってしまう。任務を熟せるならそれで良いのです。民も同じ。異常を認識できなくなったらそれこそ終わりです。中尉は優しさがそんな風に見られることがありますが、実際は極限下でも他人を思える強さの証明です』

 揺るぎない言葉が返ってくる。

『故に私はこの夢を諦めない。何より、無意味かどうかはまず成し遂げなければ確かめられませんから。ですが、その様な言葉を博士の口からお聞きしたことは正直、以外で残念な事でした』

 観測値を確認する。悪性感情は確かに反応したがマインドストラクチャの異変はそのままだ。加速も減速もせず縮退し続けている。失敗だ。

「そうね、酷いことを言ったわ。ごめんなさい」

 会話を繋ぎながら思考する。だが正直手詰まりだ。

 こうなれば虱潰しに言葉を投げかけるしかないか。

『ああ、休眠処理が……きたようです……ね。ぼんやり……してきました』

 そんな馬鹿な。実行準備などとっくに打ち切っている。

 それなのに眠気を感じるという事は。

「岩長先生!春華が……!」

 左竹が結合体を見て声を上げる。

(出血だと……!?)

 不変の同一化結合体となったはずの春華の肉体が変化していた。傷から血が球になって零れ、外殻部の中で浮遊するように広がって行く。

(同一化結合は……維持されている。その状態で変化があるとすれば……)

 前例は研究によって既に確認されている。

(意識消滅……魂の死が近づいている)

 研究で判明したことは、魂も肉体と同様に寿命があるという事だった。

 同一化結合体となった肉体はどれだけ傷付いていようと死体にはならない。しかし、マインドストラクチャが消滅し魂が死を迎えると、結合状態はそのままにまるで時間だけが解放されたように崩壊を始めるのだ。

 この状態で結合を解除すると、肉体はまだ生きていても意識は決して戻らない。生命維持装置につないでもやがて腐っていく。

 魂が死ねば精神は消滅し肉体もまた死に至るのだ。

(現在に至るまで魂の死を迎えた後にもう一度意識が復活した例は……無い)


            §


 左竹は必死に端末を叩いた。

 だがもとより同一化現象を始めとして、物理的問題は見られないのだ。

 直ぐに出来ることが無くなりとうとう手が止まった。

(他に……出来ることは……!)

 端末の上で拳を固く握り額に汗を浮かべて考える。

 クレイドルへ駆け寄った。

「春華!やはり少し疲れが大きいようだ。機体も疲労が蓄積している。一度オーバーホールに入ろう。敵は深刻な打撃を受けた。暫く大軍は来ないから防衛に問題は無い。少佐が何と言おうと技術士官としてこれは押し通して見せる!」

『左竹中尉?お気遣いはありがたいですが不要です。オーバーホールを行う場合は、ガラティアンも私も完了するまで動けなくなる。万が一でも襲撃の際にガラティンが出撃不能の状態は避けるべきです』

「休息と修理も兵力運用の基礎だ、疎かにしてはいけない。春華の仲間たちへの思いは充分に知っている。だが不安要素がある状態で戦闘をして倒れれば本末転倒だ。それに、春華には夢があるんだろう?その為には、今は断じて戦うべきじゃあ無い!」

『左竹中尉……いえ、左竹さん。ありがとうございます』

 頬が一瞬ほころぶ。

『ですが、やはり戦闘待機は維持するべきです。左竹中尉の用兵論は当然の物ですが、それは一般兵に限ってのこと。私は特務軍曹です。それに、少佐はきっと私の方と同様の考えだと思います。塹壕基地は最終絶対防衛線。楽観視は論外です』

「少佐は俺が説得する!それに春華も一人の人間なんだぞ。常時戦闘待機なんて、そんな異常が保ち続けられるはずないんだ。戦争が終わるまでずっと戦闘態勢でいろとでもいうのか!」

 最後はもう矢引への苦言になっていた。だがそれも全ては春華の為だ。

『左竹さん……。本当に、ありがとうございます』

 再びの感謝の言葉。肉親として接して来ることを止めた春華が、自分に対して心の底から感謝していることが伝わる声だ。

『でも、やはり私は戦います。それにお忘れになっておられるようだ』

 眉から力が抜ける。

『今の我々に、戦うか戦わ無いかの選択を出来る自由は無いのです。それを決めるのは敵です。なればこそ、私はどんな過酷にも耐えて戦場に立つのです』

 膝が震えクレイドルの足元に崩れた落ちた。

「違う……違うんだよ、春華。選択肢の有る無しじゃない……。春華は本来こんなところにいるはずがないんだ……。前提が、狂ってるんだよ……」

 告解する。

「自分勝手に飛び出して、危ない奴だと分かっていながら好奇心で岩長博士に師事した。それなのに、俺なんかに兄貴は春華を託してくれて。なのに守れなくて……」

 懺悔する。

「生きてさえいれば後でどうにかなると、なお驕って……結合体なんかにして、結局どうしようもなくて岩長博士を頼って矢引に見つかり……安全の保障と引き換えにガラティアンを作ったら……よりにもよって春華が適合して……」

 言葉は零れ続けて。

「春華を戦場に送り……人を殺させた……」

 それはもう、取り返しが付かない無いこと。

「確かに選択は出来ない。でも戦わなければならないのは、俺が君を戦場に連れて来てしまったからだ。ガラティアンを作ってしまったから……。春華が戦場にいなきゃいけないのは、最初が間違っているんだよ……」

 最早、自分が言えることは尽きた。


            §


 左竹の最後の切り札を見届け、岩長はマインドストラクチャを確認した。

 太陽の様だったそれは、今や零落する寸前の線香花火になっていた。

 口元に手を当てて考えるふりをしながら思う。

(これもう、駄目だな)

 勘だ。

 しかし自分は勘の良さで真実を得る類の人間だという自負がある。

 これでまた自分の目的達成が遠のく。

(こんな唐突に終わるとは。残念だ、実証検体6号)

 研究者としての無慈悲な本音。だがそれだけではない。

(無念だ、春華。お前の戦いを支え続けることが出来なかった)

 左竹も知らぬ約定。私は明日春華を保全し、明日春華は戦い続けることで私にデータをもたらす。二人は合意していた。研究者と被験者だけではない。共同体として協力し合う関係でもあった。

 それはそれ、これはこれだったのだ。

 失意に折れる左竹に春華が話しかける。

『左竹さん……どうか自分をせめないで』

 声に力は無い。

『最初が間違いだったとしても、そのあと貴方は命がけで私を助け続けてくれた。贖罪なんかじゃない。戦友として、共に死線を超えてきた……』

 だが、消えぬ火が最後まで残っている。

『ありがとう』

 左竹が力なく顔を上げる。

『私の命を助けてくれて。私に、私の意思で動かせる体を作ってくれて。私の戦いと夢を支え続けてくれて……』

 慈愛の心すら込めた言葉を掛ける。

『わたし……しあわせよ……左竹おじさん……だから……どうかお悔やみになられないで……だってわたし、まだ戦いをあきらめないでいられますもの……』

 ああ、そうだったか。

(私を恨め、明日春華、左竹壬春)

 最初のあの口調は春華がかつてその様な少女だったという事、その過去に戻りつつあることを示していたのだ。

 過去への退行、忘却、認識力の低下。全て消耗による意識崩壊の典型的前兆だ。

 気付けなかった自分の落ち度だ。嫌な感覚はあったのに、作業への慣れと半端な知見が判断を誤らせた。

(所詮、私も専門外では凡百という事か)

 せめて最後まで看取ろう。研究者として、共同者として。

 そう心にけじめを付けた、その時だった。

 少女の声が聞こえた。

「春華ちゃん」

 白衣の少女の声だ。

 何年も間近で見てきた自分だからこそ分かる。

 ——誰だこいつは。

 それは羽音が話しているのにまるで彼女の声と言葉ではないかのようだ。

 聞いたことが無いそれが続く。

「あなた、とっても素敵な人なのね」

 羽音がクレイドルへゆっくりと歩み寄っていく。

 その瞳は青い光を受けながら煌めきを持っていなかった。少女らしい宝石のようだった眼は、静謐と寂寞に包み込まれる艶麗さに変化していた。深すぎる水が刺し込む光を吸いつくすような、星なき夜の底のような、虚無を覗き込だときの昏い美だ。

「でも可哀そうな人」

 眉は柔らかくも下がり、唇は悲しげに薄く微笑んでいる。

「無神経に頼られ、期待に応じて、こんなにもすり減ってしまった」

 羽音がうなじの後ろに両手を入れ、亜麻色の長い髪を白衣から引き出して歩みの流れに梳かす。緩いウェーブの髪が絹糸の様に広がり、重力に惹かれ再び集まる。

「なのに、まだ炎上する心で走ろうとしている」

 羽音のがクレイドルに至る。そのまま止まることなく台上へ乗り上がり球体の正面へ鼻先まで近づいて春華の顔を見つめた。

 そこまで来てようやく自分が彼女に見とれていたことに気付いた。そして、羽音の変容の理由も。

(私が今まで接してきたものは外面がいめん、いや、仮面と言うべきか)

 今見ている姿こそが本来の彼女。

(こちらこそが矢引羽音のパーソナリティーの

 量子力場汎用理論を完成させた自分の勘に僅かも触れさせなかった未知。


            §


 羽音は春華の顔を見つめ、言葉を告げる。

 つぶやく様に。

「かわいい」

 のろける様に。

「かっこいい」

 ささやく様に。

「つよい」

 お兄ちゃんが駄目と言った普通の私。人々を招き入れる谷底のような雰囲気。無垢な幼児が花の色形を意味も無く口にするみたいな声、らしいそれで喋る。

 春華ちゃんは反応しないが構わない。

「なのに、ああ、思い出せなくなってしまったのね。あなたのを」

 だから魂が消えかけている。摩耗した心を補うためのエネルギーをもたらすものとの連なりが薄れている。

「でも大丈夫。これからは、私があなたを助けてあげる。あなたはゆっくり休んでいて。何もする必要はないわ。わたしが全部してあげる」

 回復よりも消耗が激しければ消え去るのは道理だ。

「あなたはもう、戦わなくてもいいのよ」

 彼女の長い睫毛がぴくりと動いた。

『それは……ちがう……せんたくし……ない……』

「ああそうね。まずはそこよね。その勘違いを伝えてあげないと」

 はっきりと言う。

「それは間違いよ春華ちゃん。今の世界でも選択ができないなんてことは無いのよ。でも、多くの人と同じようにあなたも”したくない事”を誤魔化しているせいで、まるで存在しないかのように思い込んでいるだけ」

『ちがう……たたかうしか……ないの……消されちゃう……いのち……生きたあかし……たいせつなもの』

「うん、いいじゃない。あなた以外のものなら別に。国家の残骸、文化の欠片、関係ない人。守ることを止めてしまえば戦う必要なんてなくなるわ」

『——なんだと』

 視界の端、二人が動きを作った。マインドストラクチャの表示を見ているようだ。

(そんな事よりも春華ちゃんがわたしを見てくれたことが嬉しい)

 さっきまでは彼女は言葉に反応していただけで、私に返事をしているわけではなかった。今、ようやく私に向かって返答をくれた。

「最初期ならともかく、大断裂なんてことが起きた現在では敵が民族全員を害することは不可能だわ。先進的な暮らしを諦めて山里に下れば十分に生きていける。敵から逃げさえすれば戦わずとも命は奪われない」

 事実そうして生きる人々も多くなっている。

「文化なんてゆとりあってのものよ。町で暮らす人ですら娯楽より食事を求める人もいる。それにどんな暮らしでも慣れれば楽しみを見つけるのが人というものだわ」

 過去の継続を望まなければ自然と新しい物が生じてくるのが文化だ。そんなあぶくのようなものをことさら守る意味はそう大きくない。

「大切なものを全部守るのは駄目よ。だって、誰かにとっての大切は別の誰かにすれば消すべきもの。あなたに救われても結局その中で消しあいになるだけ。無意味なことを求めてあなたが失われるべきではないわ」

 勝利や生存という大きな目的で一時まとまりを得ても、外敵がいなくなればまた直ぐにばらばらになる。全部を守ることは不可能では無くて無意味だ。

 改めて言う。

「ほら、守る義務も戦わなければならない理由もどこにもないでしょう?」

『……何を言っているのだお前は』

 まだ小さいけどはっきりとした言葉が返って来た。

『敵が……侵略をするのは利益ではなく……文化ゆえだ。根絶を止めはしない……。逃げたところで延々と……追われ攻撃はやって来る』

 だから立ち向かうことしか選べないと思っているのね。

『文化は……生存のために必要……協調社会の規格でもある。自分たちのそれを失うこと……個人の喜悦の喪失。全員がそうなれば……生きる楽しみがない社会……』

 文化を守ることが社会を守ることになる。文化が伝承されれば、最低限の喜びある社会は維持されるし、そうでなければならない。

 春華ちゃんは優しい。

『大勢がいれば反発が起きるは必然……。そのための文化、倫理……保たれていれば……破滅的な争いには及ばない。それもまた大勢を守れてこそ……手のひらの上に乗る数で……大闘争は起こりえない』

 前提として大勢を守り通すことが出来なければ大規模な同士打ちは生じない。倫理が保たれていれば仲裁もできる。

 それもひとつの道理。

『それに……たとえ後に争うとしても……それは私が守護しない理由とはならない』

 救われた事を忘れ互いに傷付け合うようなものたちでも彼女は守り切るつもりだ。悪性を知りながら人間の命の重さを疑わない。善性を信じている。

「ああ、春華ちゃん。あなたのいう事は全て正しいわ。でも、もう一つだけお返事をちょうだい?」

 だってそれが一番重要なこと。

「どうして、春華ちゃんが犠牲になってそれをしなければならないの。あなたは偶然ここに居ただけ。本当に戦う義務を負っている人は他に大勢いるのに」

『言った、筈だぞ』

 応答は早かった。

『民衆を守らなくてはならない。彼らが成す普通の世界を取り戻すために』

「大丈夫。敵はもう彼らを殲滅する力を持っていない。確かに守る力がいなくなれば大勢消えてしまうでしょうけど、同じくらいの数が勝手に生き残るわ」

『仲間を守らなければならない。彼らと共に未来に行くために』

「彼らの任務は貴方に守ってもらう事では無い。あなたがいなくなったのであれば、彼ら自身の力で戦い生存することが仕事よ。あなたは自分の力で連れていくことを義務のように言っているけど、本来は彼らが自力で付いていくのが正しい姿よ」

『私が選んだことだ。軍属として戦うこと。敵の命を奪った。味方の命で守られた。今更一人だけ止まるなど許さない』

「左竹先生が言っていたじゃない。それは本来あり得るはずがなかったこと。言うまでも無いけれど、どれだけ状況が差し迫っていても民間人を強制的に戦闘員にするなんてあってはならない。むしろあなたは止められていなければならない存在なのよ?失われた命については、不可抗力だわ。許されてしかるべきよ」

『違う』

 反射の返答ではない。異なる事実の開示をする際の否定だ。

『私はガラティアン三番機パイロット。特務軍曹。岩長博士を証人として、少佐は初出撃の際、問うた。意識停止で部品として搭載されるか、己が意思で力を振るうパイロットになるか。私は、選択した』

 左竹先生が驚いて宮古先生をみる。宮古先生は静かに首肯した。

『滅びる寸前の世界で、少佐は最後に残された選択肢を与えてくれた。大勢を守るため、自らを筆頭に如何なる犠牲も背負い切ることを大義とする、あの人が。選択する権利が無くなった世界で、軍人として、人間として、大人として、最低限で最後の選択肢を与えてくれた。私は、それに応じた』

 だから、そんなにも戦う事を義務と感じているのね。自分の願いと混じり合って区別がつかなくなるほどに。

 許せないわ。

「それってつまり、お兄ちゃんのせいよね。自分の大義の為に春華ちゃんを巻き込んだのよ。やっぱり春華ちゃんに義務として戦う強制は無い」

『……否。否だ』

 彼女の眉がほんの僅かに立つ。

『大義がある。自らの意思で受け取った強大な力。人々を守り、仲間と共にあり、敵に立ち向かう。大勢の手と意思で作られた力。守り手として還元する義がある』

 彼女の信念を一度最後まで聞く。

『大義を成してこそ私の夢が許される。普通の生活、平凡なる人々、大切な友人達。逃げ出すは不義。だから戦う義務がある』

 大義の為。それが彼女を戦いに捕らえる物。

 それならば簡単に答えられる。

「あなたの目的は大義の為に戦う事なの?違うでしょう。大切なのはその後。本当の夢をかなえる事よ。その為には生きていなければいけないわ」

『だからこそ戦いは前提だ。私は死ぬ気は無い。だがそれ以前に人々と世界を守らなければならない。全ては等価でしかし実現には序列が存在する。前提を守らず夢は成立しない。その末に私が倒れることになろうとも前提を崩せば結論は同じだ』

「だから、逃げちゃえばいいじゃない。今の物が失われても人々は勝手に生活圏を作り出す。その中で自然と新しい友人もできるわ。あなたが失われることさえ無ければ、あなたの夢は叶うわ」

『貴様はさっきから』

 言葉に怒気がこもっている。

『貴様の言う事は選択肢ではない。ただ諦めているだけだ。選ぶという行為その物を放棄しているに過ぎない。たとえ一つしかなくても選び取ることが大切なのだ』

「いいえ。諦める事は確かに選択の一つ。それを認められないのは、選択という行為は改善、あるいは善処でなければならないと思っているからよ」

 それは違うのよ。

「より良い方向に選らばなければならない、少なくともましな方を選ぶべきだ。悪化と知っていてそちらを選ぶことは選択という行為の前提から外れていると、そう思っているから認められないの」

 だから彼女も、今の世界に選択をする権利は無いと思い込んでいる。でもそれは精神が強いから。強過ぎて、とっくに諦めるか終わってしまうはずの状況でも諦めない方の選択を取れ続けてしまっていたから。そしてその周りの人たちも。それが余計に勘違いを補強することになってしまった。

『……その見解がある種の正論だとしても、私はやはり大義も仲間も夢も諦めない』

「ああ、春華ちゃんは本当にかっこういい人ね。自分を否定する論を廃絶せず、その上で自分の信念を貫こうとする。なら、この見解も受け入れてくれるかしら?」

 膝を右横に崩して、彼女に向かって左から、右腕が無くて良く顔が見える方から覗き込み、言う。

「わたし、あなたの命の方が他の何よりも大事だと思うわ。あなたが信念に殉じたり他を守っていなくなるなら、あなた以外が無くなった方がいいわ」

『人の命は世界よりも重いと言うか。確かにそれもまたありふれた価値観の一つだろう。認められて当然だ』

 でもあなたは、だがしかし、と言うのよね。

『だがしかし、私自身の価値は私が決める。世界より大切な人がいるという思い。それが存在できるように、戦いの間、私は大地を背負う礎となろう』

「ああ、やっぱりそうよね。あなたは燃え尽きる寸前であっても自分以外を守ることを諦めない」

『見解の相違が平行線であることを認識したらば去れ。諦める事を選択するのだな』

「いいえ。私も覚悟を決めることにするわ。これは最後までしたかったけど」

 思わずため息が出てしまう。この選択は何度しても苦しい。

「消してしまいましょう。春華ちゃんが守ろうとするもの全て。そうすれば、あなたは自分の命だけを守って生きていけるわ」

 大義が彼女に吊り下がる重石ならば砕きましょう。仲間が彼女を繋ぐ鎖なら切断しましょう。彼女の夢が彼女の命を脅かすなら、その前提を消してしまえばいい。

 そうすれば彼女は戦うという選択以外を選べるようになる。

『………………』

 長い沈黙は最大の憤怒の表現。それは憎悪へと変成し、でも相手にぶつ付けることに意味が無く、自分にできる手が無いと分かれば虚無感になり純粋な疑問へと至る。

『貴様は私の為に私に守らせないと言っているが、私が大切に思うものを害し、守護を放棄させることは私を害することだぞ』

 それは実に普通の質問。

『貴様の論理は矛盾し、破綻している』

 でも彼女ほどの人がその疑問の答えを自ら得ることが無いのはちょっとだけ以外。

「そうだったわ。春華ちゃん、ごめんなさい」

 そう、これは私がいけなかったわ。

「わたし、あなたを害さずにあなたを守るなんて一度も言っていないわ」

『……』

 あら、驚愕で言葉を落としてしまったわ。

「ごめんなさい。やっぱりどこかであなたに嫌われることを恐れていたのね。だから言えていなかった」

『……』

「具体的には、そうね。まずはこの基地を破壊しましょう。それで民衆を守り切ることは出来なくなるわ。仲間の人たちは基地が無くなっても他の場所で戦い続けるでしょう。なら後は敵に任せればいいわ。それであなたの言う自分の夢は実現不可能になる。守るべき大義も世界も仲間も消えてしまうのだから」

『……机上の空論だ。貴様のような奴に何が出来る』

「何でもできるわ。わたしは大切な人の為なら何でもするの」

『基地中の弾薬を起爆でもするか?あるいは情報を流出させて敵軍を呼び寄せるか?無理だ。非現実だ』

「そうね。通常兵器で内から破壊したり、敵に滅ぼしてもらうことも選択の一つだけど、より簡単な方法があると思うわ」

『馬鹿馬鹿しい。そんなものは無い』

「わたしがガラティアンに乗って、全員壊すわ」

『巫山戯るな!』

「いいえ。出来るのよ春華ちゃん。わたし、パイロット候補だったの。自分で言うのは恥ずかしいけど、この基地の全戦力くらいならやっつけてしまえると思うわ」

『搭乗には左竹中尉、岩長博士、矢引少佐の認可が必要だ。不可能だ!』

「そうね。そこは交渉を頑張らないといけないわね。じゃあ、とりあえず目の前に二人いるから済ましてしまいましょう」

 わたしはクレイドルから降りて、まず左竹先生のもとへ近づいた。

 左竹先生は呆然としていたけど、私が行くと慌てて立ち上がって叫んだ。

「き、君の訳の分からない言動に付き合う気は無いぞ!春華の夢を壊すためにガラティアンに乗るだと!?何故俺が協力すると思った!?」

「そう、協力していただけないの」

 答える必要は無いと、歯を食いしばって睨んでくる。

 私はその横まで歩いて踵を上げ、耳元でささやいた。

 ——つまり、左竹叔父さんはまた明日春華ちゃんから選択肢を奪うのね?それも、生きるか死ぬかという最後の選択を

 左竹先生の表情が一瞬で真っ暗になり膝をついた。

「いいですよ。ではそこで黙ってご覧になっていて下さいな。先生には及びもしませんけど私にもガラティアンの知識はある。問題ありません」

「お、俺は、春華を支えなければ……でも、もう春華はこれ以上……しかし春華の望まない事は……ではこのまま見ていると……何を?……春華が消えるのを何もせずに?……それは駄目だでも……ああ……春華、春華……」

 頭を抱えてすっかり錯乱してしまった。でもこれで拘束の必要もないだろう。

『さ、左竹中尉?どうなさったんですか?おい貴様、中尉に何を言った!?』

 こんな中途半端な人に親愛をむけるなんて、優しい春華ちゃん。

 さあ、次の人へ尋ねましょう。

「宮古先生」

「何かしら羽音ちゃんらしい人」

 流石に宮古先生は落ち着いている。自分の欲望一つに全てを注ぐ人は強いわ。春華ちゃんも少しだけ見習ってくれたら傷付けずに済むのに。

「わたし、春華ちゃんを助けます。どうかお手伝い頂けませんか」

「それ、私に何のメリットがあるというのかしら」

「ふふ、率直に言って頂いていいんですよ。メリットがあれば手伝うと」

「……言うだけ言ってみなさいな」

『岩長博士!?』

 安心して春華ちゃん。この人は大丈夫よ。

「宮古先生の大切は研究の最終目標でしょう。その為に必要なのは何を置いても人間の同一化結合体のデータ。それが二倍になります。春華ちゃんと、新しく私の分で」

「……」

「軍の任務に時間を奪われることも無くなる。設備については、一度はガラティアンで持ち出せる分になりますが、不変の肉体などと言って適当なデータを見せてやれば、考えなしにお金や資材を提供してくれる人は世界中に居ます」

「……」

「そしてもはや国家は無いのだからどんな法にも縛られない。余計なしがらみで邪魔されそうになたら、対立する者同士で争ってもらえばいい。どうしても直接手を出してくるなら私がガラティアンでごつんです」

「……現実可能かどうかは別として、筋は通っているわね」

「まあ、良かった。信じていましたわ宮古先生。あなたは自分の欲望に従うと。大切なものを自分の意思で守れる素敵な大人の女性です!」

「貴方ほど見境無しじゃ無いつもりでいたけどね」

「わたしはわたしですから、どうにもなりません。では、一旦保留という事で」

『い、岩長博士……』

「さあ、春華ちゃん。これで当面の準備は整ったわ。あとは微調整の為にもう少しだけ待っていてね」

 思わず声が弾んでしまった。

 でも彼女はまだ現実的な問題を提起してきた。

『無理だ。矢引少佐がいる。守られていたのではなく閉じ込められたのだろう貴様は。あの人を完全に出し抜くなど不可能だと、一番思い知っているのではないか』

「ああ、お兄ちゃんのこと……。一番簡単だから説明を忘れてしまっていたわ」

『あの人は傑物だ。あえて罠に乗って叩き潰すくらい当たり前にやる。ガラティアン自体を動かせたところで、少佐の承認なしでは基地から出られないんだぞ』

 春華ちゃんは軍人のお兄ちゃんしか知らないから分からなくて当然よね。

「お兄ちゃんは意地っ張りとやせ我慢だけは得意だから。ガラティンの操縦者が私に入れ替わっていると気付けば、ためらわず自爆コードを打ち込もうとするわ。大切だからこそ不始末は自分の手でけじめを付けるなんて、大義って良く分からないわ」

 妹を自らの手で始末したら自責の念に壊されかねない普通の精神なのに、我慢強さだけはでたらめだから凄い人と思われるのよね。

 そんな事より。

「ガラティアンの自爆コードは格納庫で監視室から入力される。でもそこってガラティアンからもしっかりと見えてるのよね?」

 自分で見たことは無いが聞いたことがある。

「それなら、ねえ。直接ガラティアンの手で握り潰してしまえばいいわ」

『貴様、は……自分の兄をその手で……すと?』

「お兄ちゃんだって絶対に私を殺そうとするわ。お互い様よ」

『貴様……貴様は……』

「後の兵はほら、いくら優秀でも指揮官を欠いた軍隊なんて物に成らないのは春華ちゃんが良く知っているでしょう。だからあんまり消さなくても済むと思うわ」

 これで全ての問題は解消された。

「だから安心して春華ちゃんっ。わたし、あなたをちゃんと助け出せるわ!」

 春華ちゃんを救える。想像しただけでうきうきしちゃうわ。

『——..^$$#!――;;}――**#""\!!!』

「まあ、どうか心を荒げないで。いったでしょう。方法はなんだっていいの。これは一つの例よ。今すぐどうこうするわけではないわ」

 事を起こす前から春香ちゃんの心を乱してしまった。やっぱり黙ってするべきだったわね。嫌われたくないばっかりに勇足なんて、いけないわ私ってば。

 再びクレイドルの上に戻り、正面に横座りして彼女の姿を改めて見る。出血した沢山の赤い球が外郭部で漂っている。春華ちゃんの白い体はぷつぷつと血を湧き出すだけでまだ壊れてはいない。でもよく見ると髪先やまつ毛が微小に動いている。

 結合状態は維持されたまま、同一化結合体全体の物理法則が揺らいでいる。

(沈んでいくマーメイドみたい。綺麗で、哀れで、とても素敵)

 透明の中で揺らめく春華ちゃんから言葉が来た。

『貴様には、倫理というものが無いのか……?理由も無く人を殺してはいけない。奪ってはいけない。人間は全ては無理でもなるべく善であるべきだという観念が』

 怒りも憎しみも無くただ思考の空白から自然ととこぼれた言葉だった。

『大義に準じるられない方が多勢であることは確かだ。義を認めず悪に生きるのもまた人だろう。だが……貴様は余りにも

 この質問が春華ちゃんの最後の抵抗だろう。

『貴様は何なんだ……?最初からそんな風な性分なのか?それとも破綻するほど残酷な生を歩かされてきたのか……?』

 私は狂っているか。あるいは破綻しているか。

 そんな風に言われて思わず泣きそうになってしまうが、我慢する。だって、彼女の方がずっとひどい目に遭っているのだから、わたしが弱さを見せてはいけない。

「春華ちゃん。私はただのちっぽけな人間よ。でも大義はあるわ。人を死なせるのはとても心が重くなるし、大切なものを奪うのは心臓が裂かれるような痛みを感じる。でも、犠牲を作っても尊守しなければならない以上、耐えなければいけないの」

『大義……?貴様の大義とは……』

「わたしが大切だと思う人を守ること。その為に全てを犠牲にするとしても。自分も、世界も、大切な人が望む物も、何もかも」

 大きな論理を守るために小さな犠牲を許容することが大義という構造体の定義であるならば、わたしだって同じだ。

 わたしにとって最も守られるべきものはわたしの大切な人。その為にはどれほど心を削られようとも、自分は当然、他の全ても犠牲として受け入れる。

 わたしの中では一般的な大義も私の大義も対等だ。

『貴様の論理は破綻していない……?前提が異なっているだけで……』

 ようやく、話が合わさった。

 ならもう伝えてもいいわよね。

「春華ちゃん。あなたは大義の為に戦い、大切なものを守り、自分の夢を叶えることを絶対に正しいと信じているけれど」

 ならどうして?

「どうしてあなたの魂は消耗し切って、あなたは死にそうになっているの?」

 答えは、無かった。

「ねえ、春華ちゃん」

 なら私が教えてあげないと。

「人は、どれだけ強い意志を持っていても消耗するの。変わってしまうのではなく、諦めてしまうのではなく、信じる強さは同じままにただ減っていく」

 心の強度と存在量は別なの。春華ちゃんの魂は自ら輝く星の様に強靭で巨大。でもそれ故に魂のエネルギーが使い切られるほど戦い抜いてしまった。

 周りの人も同じように強く、それが正しいと信じる人たちばかりで、あなたの戦いを支えても心を守ろうとする人はいなかった。

 春華ちゃんは素敵な人だけど一人の女の子なのに。

「でもそれだけじゃない。あなたの心を支える物は皆が幸せな未来いう、自分から軸が外れた物にすり替わっている。それだけでは駄目なの」

 自分も含まれるからといって他人の為の行為を自分の夢にし、魂の燭台にしてはいけない。それでは失った分を補充するには足りないの。

「欲望。自分以外はどうでも良い、そう言えてしまうくらい純粋な希望。それがあってようやくあなたほど過酷な生き方に耐えることが出来るのよ」

 春華ちゃんは、自分以外の願いや祈りを受けとめて、更には倒れた人たちの心まで一緒に抱えて戦ってきた。それは悪いことではないけれど、余りにも多すぎて春華ちゃんの信念と融合し、本当の夢を思い出せなくなってしまった。

 戦争が始まる前にあった、本来の魂の在り方を。

「あなたはすごく素敵で強い女の子。ならば必ず持っているはず。他の何にも関係しない、あなただけの本当の夢が」

 今は思い出せなくても忘れてしまったわけではない。

 失くしてしまったわけではない。

 なら、まだ大丈夫。今からでも間に合う。

「思い出す必要なんてないわ。ただ”ある”ことだけを感じていればいい。もし思い出したいのならその為の手伝いもしてあげる」

 結合体の外殻部に右手を近づける。

 そのまま中に手を入れた。

 本当に不思議。理論上は変形も分離もしないはずなのに。普通の空気の様に何の抵抗も無く、薄明かり良ような温かさがある。浮いている血の球はぶつかるとボールの様に動いて退いた。

 左手も入れ、春華ちゃんに影響がないことを子細に観察しながら頭まで沈みこむ。

 左手を胸に付けて膝を丸めた体の横には、千切れた右手が添える様に置いてある。

 わたしは、その右手に自分の右手の指を一本ずつ搦めていき、しっかりと握った。その上から左手を包み込むように重ねる。

 彼女の閉じた瞳に睫毛が触れ合いそうなほど近づいて、告げた。

「わたし、あなたが好きだわ」

 恋情でも、愛情でもなく、ただこの世に絶対に残すべき素敵で綺麗な存在として。

「だから守るわ。あなたが嫌がっても必ず全てを捧げて守る。そう、たとえあなたが大切に思うもの全てを犠牲にしてもよ」


            §

 

 岩長は羽音が結合体に入り込むのを見ていた。

 自分の理論の範疇からも逸脱した現象の筈なのに、こいつがさも当たり前の様にしていると不思議と不可思議な事に感じなかった。

 しかし、異常はそれだけに止まらない。

「マインドストラクチャに新たな様相が出現……」

 元々あったのは、もう最初のスケールを想像することも難しい春華の魂を示す小さな火の玉だ。そこに新たに、もやのような闇色のパーティクルシルエットが火の玉を包み込むように現れた。黒い背景になお存在を示す虚空のかすみ。

「羽音のマインドストラクチャ、なのか?」

 観測対象は変わらず春華の肉体だけだ。仮に羽音が観測対象に加わったとしても、同一化結合体ではない羽音の魂は観測されないはずだ。

(だがこれは明らかに別人の魂の様態。信じがたいが、本当に羽音の魂なのか?)

 分からない。

 しかし羽音の声がマインドストラクチャを表示するモニタから響いてくる。

『大丈夫よ。あなたが生き続ける限り、きっとまた感じられるようになるわ。あなたの、あなたの為だけの夢を』

 声と共に、火球が虚無の靄に姿をかすれさせていく。

『それまではどうか休んでいて』

 マインドストラクチャの全体像を自動で映す画面の表示範囲が膨大に広がっていく。最初の太陽のような春華のマインドストラクチャの大きさを一瞬で超えた。闇すら吸い込む無色の靄が超光速で拡大する。火星軌道相当に瞬く間に及び、木星軌道相当まで余さず包み込んでいく。

『わたしが奪う。わたしが与える。わたしが生かす。あなたは、ありのままにそこにいて』

 太陽系最外縁軌道相当までが揺らめく靄に包まれ、内側に抱える火球を隔絶するように密度を増していった。


            §


 春華は力場の揺らぎの中、羽音の存在を感じながらぼんやりと思い浮かべた。

(純然たる我欲のみでは無い夢では、精神の消耗を補完し切れない。反論できない。こんな様になっては。私の夢は誤りではなかった。だが完璧でもなかった……)

 信念は変わらない。何も諦めていない。折れてはいない。だが、心をぼやかせる、包み込まれる感覚を拒絶する力が出せない。

 自分でも気が付かないうちに消滅寸前まで魂を燃やし尽くそうとしていたのは本当だったようだ。それを回復する術として、大義や皆と一緒に掴み取る自分の夢が不十分だったという事も。

 自分がこれまで何を以って信念を保持していたか、考えようとする。

(私だけでなく、人間であれば支え失くして戦場で心を保つことは出来ない。故に皆は私の存在に心を託し、私は他者を守護することと自分の夢を拠り所とした)

 家族や恋人への愛情すらときに尽き果てる戦争という暗中。その中で共に戦い、力と信念を認め合う機能としての信用。血よりも濃き戦士の絆。それこそが互いを現世うつしよに繋ぎ止める魂の繋がりの筈ではなかったのだろうか。

 あるいは、それですら自分が戦い抜くには不十分だったという事かもしれない。

(しかし、私が限界に至ったならば、同じく味方との絆や大義、形なき未来を勇壮の糧とする彼らもまたいずれ……。)

 彼らですら、諦めずに戦い続ける限り未来に至る前に消えるか、摩耗して魂が朽ちるか、そのどちらかの非情な道行き以外は望むべくもないのか。

(我らがこの世で最も勇敢さを示したことに疑いは無い。ただ、敵を打ち払うことは出来ても心を支えるには不十分だった……。足りなかっただけだ……)

 そうだ。

(足りなかった……。ただそれだけだ……)


            §


 羽音は諦観と幽寂に沈む保安正調庫に声が生まれるのを聞いた。

 春華ちゃんの声だった。

『そうだな……。私は、間違っていた』

 それにわたしは応ずる。

「『ああ、春華ちゃん。受け入れてくれてありがとう。でもどうか自分を責めないで。何もかも、悪意があって起こったことではないのよ』」

 わたしの声がマインドストラクチャの画面から流れてくる。それは口から出る実際の声と重なって、こだまのように響く。

 彼女はそれには答えず、また声を生み出す。

『大義の戦い、守る義務、私の夢……。

「『春華ちゃん……?』」

 彼女の声は小さい。自らの誤りを認め、心が消沈する声音こわねだ。

 しかし、諦めと共にあるはずのしんが抜けたうろな響きは無い。

 また新たな言葉が現れる。

『戦うだけでは、守るだけでは不十分だったのだ……!』

『春華ちゃん、何を言って——』「あつっ」

 魂の声とは別に肉体が反射して声を放り出した。

 眼もとに小さな走るような痛みを感じた。

 火傷の痛みだ。

「『焼かれた……?一体何が……』」

 春華ちゃんを見る。

 睫毛、眉、唇、何も動いてはいない。変化はない。

 だが繋いだ手を包む左手の中で、自分の物ではない爪先の微震を感じた。

「『春華ちゃんどうしたの。いえ、何をしようとしているの!?』」

 答えではない、春華の言葉が叫びとなってぶつかる。

『「自らが望む未来へ引き連れていこうというのならば、今この世界に対してどのように抗えばいいのか、その形を示すべきだった!!」』

 彼女の肉声が画面から放たれる音声と重なった。

 眼前の美しい瞼が見開かれ、瞳が激情を叩き付けてきた。

 自分の瞳が無限の深淵のそれならば、この瞳は揺らぎながらも燃え上がる星だ。


            §


 春華は周囲に浮かぶ血の球がまた一つ火と化すのを見る。

 そして叫んだ。

『「私が示す!!」』

 目を見開き、眉を立て、口角を広げて意思を放つ。

『「戦いの義、守る意味、自ら掴み取る人生の価値。それを私が見せてやる!!」』

 優しい虚脱に溺れかけた掛けた瞬間思ったことは、どうすれば魂の消耗を超えられるかという事だった。

 そして出現した答えは、羽音の言葉を受け入れながらも諦めない新たな形だった。

 自分だけの夢でなければ魂の消耗は回復できない。それは認めよう。

 だが大義や仲間との絆が無意味ではないのだ。ただ足りていないだけで。

 ならば、強くすれば良い。

 魂を補うエネルギーをもたらすもの。

 家族や恋人との情愛。

 味方との絆。

 大義への誠忠。

 そして、未来の希求。

 それらの存在をぼやかせ力を失わせるのは、終わり見えぬ戦いの無限という時間に希釈された果てに、大切なものに答える自分の形を忘れてしまうからだ。

 形とは、自分を支えるものへどう答えるかという姿。エネルギーを力へ変えるさま

 親愛へ応じる姿。

 絆で連携する姿。

 大義一徹の姿。

 そして、未来に望む自分の姿。

 忘れてしまうというのなら、常に示し続ける灯台があればいい。

 私が親愛から受け取った兵器で立つ。

 私が仲間と共に敵を討つ。

 私が大義を貫く惨苦を耐える。

 望む未来があるから戦う事を、見せつける。

『「私が示す!私が繋ぐ!私が導く!みなが暗中に見ゆる篝火となろう!!」』

 そうすれば、見失っても自ずから思い出せるはずだ。彼らもまた勇士なのだから。

 忘れない限り、彼らの大切がその魂を支え続けるのだ。

 言葉に応じて浮かぶ数多の血が一斉に火を吹き上げる。

「『それでは、足りないと言っているのよ』」

 虚無のささやきが咆哮に纏いつく。

 再び燃え上がらんとする魂を鎮めんと否定を降り注ぐ。

『「ならば、更にもたらそう」』

 強くしてなお足りぬと言うなれば、新たに増やせば良い。

「『また自分を犠牲にして、心の力まで分け与えるというの?』」

『「それは違うぞ矢引羽音。私が齎すのはただの煽り火だ。燃焼するものは全ての人の心に備わっている。生きることを望むすべてに最初から存在しているのだ」』

 それは。

『「憧憬だ」』

 憧れ、敬い、畏れ、妬み。他者の姿が心に焼き付くことで自身から沸き上がる、善悪あらゆる欲望の心。それが羨ましい、自分もそう在りたいという個人の願望。

 今はどこにもない物をよくするのが夢と言うならば、目の前にあるのに自分が持ち得ないものに焦がれ望むことはこうも呼ばれよう。

『「すなわち、熱願だ!」』

 自らを犠牲にして与える必要など無い。

『「私は干渉しない。ただそこにあって示すだけだ。だか炎の如く燃え盛れば、その熱が他者の魂を焦がれさすこともあるだろう!」』


            §


 最後の全身全霊によって羽音と春華の肉体の周囲を包む血の泡沫が、大炎となって空間を焼いた。

 羽音が熱に当てられ結合体から抜け出す。クレイドル上に身を投げ出した。

 同時、静寂を砕く轟音が響いた。

 春華の背後、側面を向けて仰臥していたはずのガラティアンが台座の上で右の拳を着いて片膝立ちになっている。

 燃える瞳で羽音を見る、炎に包まれた春華の後ろでガラティアンが立ち上がる。

 脚を動かして身を回し、羽音に対して春華の視線と共にまっすぐ向き合う。

 その白き装甲に色の揺らぎが現れた。

 暁色の炎の紋様だ。

『「感謝してやろう。我が敵、矢引羽音」』

 春華が告げる。

 敵と呼んだ少女へ謝意を告げる。

『「貴様は私の信念を打ちのめし、私自身がそれをかたし直す機会を授けた」』

 羽音の宇宙のような膨大な慈愛が春華の信念を片々に離散させ、だがそれらは重力の底に落ちていくように再び集まり新生した。

 故に敵としながら感謝を渡し、再起した春華がガラティアンと共に意思を轟かす。

 春華の視線が、ガラティアンの暁色が焦熱を放つ。

『我が夢は偽にあらず!戦場にてこの身をその証明と立てよう!私はガラティアン!守護の戦士!未来を望む心たちの総体であるがゆえに!!』

 それ故に。

『人々の心へ沈んだ熱願を焦がし出そう!!』

 そして。

『矢引羽音、貴様すらも私に焦がされるがいい!』


            §


 マインドストラクチャの表示が変化を見せる。

 宇宙の如き靄が拡散を止める。そして中心へ急激に収束していった。靄は広がり続けようとするが、中心に引き寄せられる力が余りに大きく逃れることが出来ない。

 海に空いた穴に海水が全て落ちゆくように、膨大な靄が一点へ集められていく。

 とうとう、太陽系を遥かに超えた宙域に拡散していた靄が、一つの小さな球へと完全に収集される。

 そして、白光が爆発した。

 その表示画面から生じた光は、巨大な整備庫に満ちていた影を全て打ち払い、羽音たちの体の内まで明かすように照射された。

 春華のマインドストラクチャが再臨する。

 現れるは無辺の夜を消し飛ばす原初の炎。

 太陽の明り。

 それを目にした羽音の瞳の深淵は熱い光で飽和し、あふれた輝きで煌めいた。

 羽音の唇から呟きが漏れ出す。

「春華ちゃん、あなたは新しく得たというの?諦めもせず、思い出すことすら無く、凍結する寸前に全てを受け入れ、全く新たな自分だけの夢を誕生させたと?」


            §


 光輝に焼かれた羽音は茫然とそれを見る。

 暁の炎を浮かべるガラティアンの立影。

 新生した燃える星のマインドストラクチャ。

 そして眼前、炎の中から赫赫たる視線を放つ春華。

『これが私の決意だ。矢引羽音』

 声は以前よりもさらに健勝として言葉を伝えてきた。

 重奏していた声はマインドストラクチャから響く物に統一されている。

『お前は私を守るのではない。私に焦がされる心に苦悶して共にあるがいい』

 宣告を受けて体が、否、魂が震えだしてくる。

 大切なものを守ることが出来ない失意。

 受け入れられた喜びと同時に否定される悲しみ。

 摩耗し消え行く魂が再誕する不滅の輝き。

 そして何という事だろう。彼女はわたしを拒否しながら側にいろとのたまう。わたしが自分に定める存在理由を焦熱させるという宣言までして。

 それほどの屈辱を受けているというのに、感じるのは憎悪ではない。

(見たくないのに目を離せない。聞きたくないのに耳をふさげない。痛みを感じるのに手を伸ばしたくなる。これは何?)

 分からない。そして理解不能なのに無視できない事が強烈にもどかしい。

(ああ、恐らくはこれが春華ちゃんがわたしに与える苦悶。こんな物を抱えたままこれからずっと姿を目に焼き付ろと、そんな酷い事を言われたらわたしだって)

 制御できない感情が言葉を内から突き上げた。

「ええ……。ええ、もちろん!新しく自分だけの夢を抱いたというのなら、それを魂の糧にすることも当然、選択の一つだわ。認めないはずないじゃない!」

 沸き上がる物を抑え込む様に胸元を右手できつく握る。

 自分の信念とは反するものなのに、言葉が止まってくれない。

「それに今のあなたはとっても素敵よ!それがしたいのなら言われた通り側にいて、全てをあなたを機能させることに捧げるわ!」

 きっと自分はものすごくらしくない表情をしている。慈しみを与える微笑ではなく、溢れ出すような満天の笑顔だと思う。

 心の中で自分同士がぐちゃぐちゃに反発して高揚して、信念と選択が矛盾する。

(ああ、分からない。酷いわ春華ちゃん。そんなに素敵なのに守るどころか理解もさせてもらえず、意味不明な情動に苦しめられているのにとても楽しみだなんて!)

 わたしの返答を聞いて彼女が答える。

『私を止めないのか』

「ええ、お兄ちゃんをガラティアンの拳でぺしゃんこにして諦めたあなたを連れ出すのはその時でも出来るし、それに」

 ああこんな。

「わたし、あなたの全てを見たくなったわ。諦める最後の瞬間まで余さず。だって」

 日差しに焼かれたような赤いかおで。

「わたし、あなたの全てが好きになってしまったみたい……!」

 美しい花を見つめるように煌めく瞳で何かを目にするなんて。

「わたしも一緒に戦う。あなたに尽くす力になるわ!」

 言って、しまった。

『それでいい。私を見定め続けろ我が敵、矢引羽音。私が私に敗北したその時、貴様の淑やかな鎌でこの信念を断つがいい』

「ええ、ええ!楽しみよ。これからがとても楽しみだわ!」

 ああ、わたし、今回は彼女に負けちゃったわ。


            §


 春華は整備庫の雰囲気が戻ったことを感じた。

 ただの整備が大げさな事態になってしまった気がするが、これで落ち着いた。

 声を掛ける。

『左竹さん。私の前に来てもらえませんか』

 呆然としていた彼がクレイドルの正面に立つ。

 羽音がこちらへにこりと笑って、視線の邪魔にならないよう台上から降りた。

「春華……」

『何やら身の程もわきまえずに色々勝手に決めて、汗顔の至りですが』

 クレイドルからの信号ではなく、自分の瞳に彼を映して言う。

『どうかこれからも共に戦って頂けますか。左竹中尉』

 それは肉親への愛情を込めた声であり、最も信頼する同僚へ掛ける言葉だ。

 その意味を受け止めた彼は、耐える様に目や口を締めて、しかし直ぐに滂沱の涙が流れ出した。男の意地が止めようとしても決壊した感情はとめどなく溢れ続ける。

 しばしぐぐもった声と鼻をすする音を流していた彼は、白衣の袖で目元を勢いよく拭うと両手で顔面を張り手した。

 弾ける音で両手が顔を覆い、彼は左手だけ下して半分の震える笑顔で言った。

「もちろんだとも明日特務軍曹!この”千手技工せんじゅぎこう”の技、特とご覧あれだ!」

 右手の下のもう半分の感情は見えないが、自分にはこれだけで充分だ。

 もう大丈夫だろう、私も彼も、その関係も。

 そして、もう一人の同僚へ呼びかける。

『岩長博士』

「何かしら春華ちゃん」

 博士は端末の前から動かない。マインドストラクチャを見たままの様だ。それでも言葉が伝わるならいい。

『まずは謝罪を。貴方との約定を守れなくなるところでした』

「私の力が及ばず貴方が消滅しかけたとは言わないのね」

 そうだったとしても私は責を問う気など無い。そして博士には私がそう考えることも分っているはずだ。

『貴方に瑕疵はありません。ただ私が自滅しそうになっただけのことです。その上でお願いしたい。どうか今後も私との約定を保ち続けて頂けませんか』

「あら、そんなことで大丈夫?私、さっきあなたを裏切るような言葉を言った気がするのだけど」

 羽音との会話のことだろう。おもわず苦笑しつつ返す。

『裏切るような解釈もできる言葉、でしょう。貴方は可能性について述べただけで賛同も否定もしていなかった。抜け目のない人だ』

 博士は薄く笑顔を浮かべて、一声上品に笑った。

『貴方は自分の目的以外に興味が無い。だが、興味が無いだけで約束や必要な役割はきちんと果たす人です。故に今一度、私が操縦者でいれるよう仕事をお願いしたい』

「……分かった。ならば誓約を追記しましょう。私、岩長宮古は左竹壬春、矢引真音の同意なしに役職を放棄することは認められない。これに違反した場合、明日春華からの如何なる罰則も受け入れる」

『そんな誓約をしていただく必要は——』

「いいえ、明日春華さん。対等な約定とは互いの信用に成り立つ。信用とは相手に行動と結果に確実性があると判断してもらうこと。そして契約者が意図的に信用を破った場合、秩序によって責を負う事で契約は妥当性を得る」

 自分がどちらを望むかによらず、戦場では感情による信頼よりも判断による信用の方がより確実にその存在を保証される。

「始めは子供を信用するなんて有り得ないと思っていたけど、今は違う。私と貴方のの約定は信用で結ばれ、対等であるべきよ」

『……はい、岩長博士。同僚として、互いの信用の上に改めて約定を定めましょう』彼女は私の前に歩き出て、右手を空中でしっかりと握手の形に作った。

 私はまばたきを首肯の代わりとして、それを受け取った。

「というわけで、これからもよろしくね。春華ちゃん」

 最後に彼女らしい、洒脱なセリフで締めくくった。


            §


 岩長は事態の終結を見た。

 庫内に大音が響く。ガラティアンが膝立ちに戻り脱力姿勢保持状態へ移行した。その表面は炎のような色は消え、再び真っ白になっている。

 春華の声が庫内に響くのを聞く。

『お騒がせしましたが、これで事態を収拾できたようですね』

 春華は魂の限界を超越し復帰した。羽音も春華の言に従う。左竹も自分も彼女との関係を改めて確認した。

 もう、この場の誰にも不安定な要素は無い。

『でも少々、疲れましたね……。ちょっと眠い』

 左竹がぎくりとするが、彼も画面表示の観測結果で分かっているはずだ。

「物性も魂も完全に安定しているわ。ただ単に精神的な疲労で眠いだけね」

 同一化結合体の様子の変化も落ち着き、力場揺らぎは安定している。

『では、失礼ながら先に休ませていただきます。残りの作業の方、どうぞよろしくお願いしますね』

「ああ、春華ちゃん待って!」

 羽音が眠りを呼び止めた。

「わたし、精一杯頑張るわね。次に会うときは私一人でも保安正調が出来る様に猛特訓するから。正式にケア要員兼保安正調技師になるから。だから安心して」

『……貴様がそういうと逆の心理を感じるのだが』

 矢引羽音は明日春華の敵。それが初対面の二人の間に結ばれた絶対の信用だった。

「大丈夫よ。だって、そうすればあなたは諦め無い事も諦める事も選択が出来るようになる。戦いたいならわたしは貴方の力になるし、諦めたければあなたを守るわ」

『私が諦めたときの選択は保持されたままか』

「そうよ。でも違うわ。お兄ちゃんはあなたに選択肢を与えたんでしょう?春華ちゃんのことでお兄ちゃんが出来て私が出来ない事があるなんて許せないもの。だから、わたしもあなたに選択肢をあげられようになって見せるわ」

 春華が呆れた溜息を流す。

『ああ、分かった分かった。だが中尉と博士に合格をもらって、ちゃんと少佐に上申して認可を受けろ。それが軍属としての、私の同僚としての振る舞いだ』

「むー、結局お兄ちゃんなのね。でも分かった。春華ちゃんのいう事だもの」

 こちらも最後の方が付いたようだ。

『ああ、流石にもう眠い。博士、このまま寝ても大丈夫ですか』

「良いわよ。あ、休眠中に夢を見るって話、結局どうする?」

『ああ……もう結構です。何と言うか、内容自体はてんで覚えていないのですが、妙なものを見たという感覚だけがはっきりしていてそれが気になっただけですから』

「そうなのね。じゃあ、いつも通りで処置するわ」

『おねがい……します……』

 結合体の中、春華の肉体が瞼を下ろしていく。

 羽音がまた顔を近づけて眠りに落ちていく春香に語りかけた。

「大丈夫よ春華ちゃん。さっきは思い出せないなんて言ったけど、今の信念を持ち続ける限り、再び気付けるはずよ。一番最初の、あなただけの夢にも」

『……』

 最後の吐息を吐いて、春華は眠りに付いた。


            §


 岩長は端末の前で、春華が眠ってもしばらくその姿を見つめていた。

 クレイドルの向こうでは、左竹が羽音に早速まとわりつかれて技を盗まれている。

「左竹先生、そことここ、相関がありますよねっ。片方だけ処理して良いんですか」

「……相関はあるけど相互作用は無いんです。別の所からそれぞれに影響を受け取っているだけですから。というか、本当に熱心で感心しますね君」

「あ、京都弁ですよねっ。うっとおしいってことでしょう。もちろん、今は見ているしかできませんけど、そのぶん全力で観察しますからっ」

 その姿は自分が数年見てきた可愛らしい少女のそれに戻っていた。

「あなた、まだその猫かぶり続けるのねえ」

「あ……だってそれは、その。本当の私を見せるのは春華ちゃんだけですから」

 少し色づいた頬で上目遣いで返事をしてくる。本来の姿を知った今、蛸足エイリアンが子犬の毛皮の中で蠢いているような違和感を感じるが、これもまた正しく羽音の一面という事だろう。

 羽音が明るく笑って左竹の作業の観察に戻る。

 まあ、あのくらいのお邪魔なら左竹の腕は物ともしないだろう。本人の気分までは知らないが。

 私は先ほど見た一連の事態を思い浮かべ、数々の不可解へと思考を向けた。

 脱力し、拳を着いて片膝立ちを維持するガラティアンへと目を向ける。

 動力系を停止して、何百もの安全機構で安置されていた上に、操縦機構から切り離されたガラティアン本体が動いたことも異常極まることだが、更なる不明がある。

(ガラティアンの装甲は暁色に揺らめいていた)

 エネルギーを吸収して赤色になる特異質セラミックの装甲。それが色を持ったという事はという事だ。

 仮説が成り立たない以上これは想像だ。

(全てのゲージはリンクによって接続されている。)

 時空を構成する、高次元体ゲージとそれを無限次元の方向で繋ぐリンク。

 力が作用していなければ情報伝達は起きないが、ただ繋がってはいるのだ。

 ならば、リンクの情報に干渉して何某かのエネルギーを与えることは出来るかもしれない。

 そしてまた別の疑問を考える。

 羽音が結合体の中に入り込んだ。これは研究の中で条件次第で起きうることは確認していた。だからこそ春華の肉体を包含する結合体は念入りに変化を受けないように正調していたのだが、まあ、あそこまでイレギュラーな状態だと何が起こるか予測がつかない。”実際に起きたこと”として後に分析すべき案件だろう。

 だが、それを差し置いて予測も対処も思いつかない現象を見た。

(血液が炎になった)

 つまり、物質がエネルギーに変換されたという事だ。

 それ自体は旧来の物理法則でも証明されていたことだ。

 だが、不変の筈の同一化結合体の中でその様な現象を確認したことは自分の研究の中で一切前例がない事であった。

 故にこれもまた予想にも至らぬ想像だ。

(私はゲージとリンクに干渉することで電子の情報を書き換えた)

 ならば、同じように干渉することで物質を全く別の物に変換することも可能なのではないのだろうか?

 考える。

 ガラティアンの暁色、燃え上がる血、それらが起きた時、もう一つ未知の現象が生じていた。

(春華のマインドストラクチャに羽音の魂と思われる様態が出現した)

 そして、その干渉を飲み込むように春華の魂は変動し、再誕した。

 意味が分からない。

 人間の魂は、物理系に関係なく常に相互に干渉し合っているとでもいうのか。

(そして、その魂がゲージやリンクに干渉し、巨人を立ち上がらせ、石像の如く静止する少女の目を開き、血を炎に変生へんじょうさせたとでも?)

 分からない。何も。

 少なくとも自分の理論に含まれる前提や論理、数理では仮説もたたない。

 密かに出す溜息は思考放棄ではない。頭の切り替えだ。

 分からないでは済まされない。

 自分は春華と対等に契約したのだ。ならば最低限、仕事にかかわる範疇では迅速に解明しなくてはいけない。

(何よりも、おそらくこの現象こそが私の目的に至るための導だ)

 後の難題に備えてこれ以上は今は止そう。

 何気なしに彼らの方を見る。

 美しい白面で眠る乙女。

 春華よ、お前は一体何を起こしたのだ?

 少女に質問攻めにされながら作業を必死に進める男。

 左竹、お前は一体何を作ったんだ?

 羽音よ、あんたは一体どうやった?

 そしてここに立っている何も理解し得ない女よ。

 私は、どんな理論を完成させたと思い込んでいた?

 勘が告げる。

 私の目的に届くまでの道のりは、思っていたよりずっとずっと遠いようだ。


            §


 春華は学友たちと一緒に旧校舎の二階にある小部屋にいた。

 元の用途が分からない細長いそこは、シスターからの罰掃除をしている最中に見つけて、みんなで一生懸命掃除し、今では自分たちの秘密の部屋になっていた。

 普段より早い放課後、校内で密売しているお菓子を持ち込んでいつもみたいに4人でおしゃべりに明け暮れている。

 私がいるのは廊下側の床、家庭科目で作ったぬいぐるみのクッションの上。そこから見るのは同じくクッションに正座で座る▓▓▓さん。その奥に椅子の背にもたれかかって座る▛▞ちゃん。一番奥の窓前の机の上、制服のスカートを乱さず器用に胡坐で座るのが ❖❖ちゃん。

 三人は止めどなく話していたが、❖❖ちゃんがこちらにふと声を掛けた。

「どしたん、春華。いつも以上に喋ってないけど、だいじょぶ?」

▓▓▓さんと▛▞ちゃんも続けて言う。

「春華さん、お体の調子がよろしくないのでしたらおっしゃってくださいね」

「そうだよ春。あんた虚弱なのに頑固さはタングステンより強いんだから、ちゃんと口で言わないと誰にも分んないわよ」

「いいえ、大丈夫よ。ただ、何でここに居るのか、急に不思議に感じちゃって」

「ふうん?ま、平気ならよし。でも具合悪そうに見えたら保健室に引きずるからね」

 私を気遣ってくれる友人達。でも本当に体の調子は何ともない。

 ただ少し頭がぼんやりするけど、これはきっと寝不足のせい。

 三人の会話は内容をころころ転がして回り続ける。

「そういえば今日来た転校生の奴、すっげえ美少女だったよね」

「もう、奴だなんて。ちゃんとお名前でお呼びしないと」

「名前忘れるのも分かるわあれじゃ。あー名前、矢引羽音だったよね?」

「そう、矢引!あの岩顔面の教頭の妹ってまじかよってツッコンだわ!」

「お厳しい人柄でも女生徒へ気遣いが出来る紳士な方と思っていましたけど、お年の離れた妹様がおられたのですね。納得ですわ」

「……矢引」

「あれ、春華も気になったんだ。珍しい」

「矢引教頭と言えば、またあの三馬鹿をひっ捕らえていたわね。毎回菓子折り以って先方から引き取られに来られる左竹さんも大変だこと」

「左竹……」

「あの他校の男子の方々、お名前は何とおっしゃるのかしらねえ」

「なに?気になるんだ」

「ええ。見慣れない生物って興味を惹かれませんこと?」

「あんたも大概だなあ。名前、確か前にクリスマスケーキの密売でしょっぴいた時、生徒会の報告書で見たな。ええと、松林、黒竹、高崎だった。うん」

「松林……黒竹……高崎……」

「ちょっと春華。ボーっとしてるけどホントに大丈夫?やっぱり保健室に叩き込んで岩長センセに診せ方がいい?」

「岩……長……」

「春華さん?」

「ねえ、春。聞こえてるの?」

「うん、ちゃんと聞いてる。ごめん。ちょっと窓の外に目を引かれてただけ」

「窓の外って、空?雲以外なんも無いけど。UFOでもいた?」

「ううん。雲に見とれてただけ」

「なにそれ。いつにもましてメルヘン症候群ね」

「ああー!そういえば春華また外の人に告ったんでしょ!?」

「まあっ。本当ですの春華さん」

「またやったの春。迅雷風烈とはまさにこれ。それで結果は?」

「ふふ……またフラれた。白すぎて気味が悪いって」

「はあー……まじ無いわそいつ」

「信じられませんわ」

「無知蒙昧」

「いや、でも流石にいきなりすぎだったと……」

「我が校の文化遺産級美少女をその気にさせて振る方が悪い!」

「肌色ごときで女の子に恥をかかせるような方は春華さんに相応しくありません」

「春が望む王子様は分不相応じゃない。今回もまた相手が役不足だったのよ」

「……ありがと。でもやっぱり私じゃ……」

「ああもう、こっち来な春華!」

「え、え、なに?」

 ❖❖ちゃんに引っ張られて窓際の机の前に立つ。外に向かって再び机上で胡坐を作った彼女は私の左肩を抱いて右手で外を指した。

 そこに見える物がある。

「街……?」

「違う。上を見なさい上を」

 上を見ても何もない。だがあえて言いうならば永遠にあり続ける物が見える。

「空……?」

「春華。たしかにあんたの器量に合う奴は簡単にはいない。でも忘れるなよ。世界はでかい。この空の下の何処かには必ず春華の全部を受け止められる人がいる。だから諦めるなよ。春華が求める人は、絶対にいる」

「うん……。うん、そうね。私、忘れない。諦めないわ。ありがとう❖❖ちゃん」

 彼女に顔を向けてお礼を言う。快活な笑顔がそれに答えた。

 私はまた空を見る。

「あ……」

「えっ、なにまたUFO!?どこどこ!?」

 そんな大げさな物じゃない。

 ただ、空に浮かぶ雲の稜線の集まりが、一瞬だけ不思議な形を作っただけだ。

 直線と曲線を複雑に合わせながら、どこにも繋ぎ目が無い巨大な白い人型に。

 それが、私の方を見つめていた。何故かそんな気がしたのだ。

「もう、❖❖さん、危ないですわよ。落ちるなら春華さんを放してくださいな」

「一緒に落ちても多分割れるのはあんただけよ。春には天運も付いてる」

「なんだお前ら、二人とも春華の味方か!?私もだけどな!」

「ふふ……あははっ」

 私の笑い声につられて三人も笑い出す。

 この笑顔、肩を握る強さ、空から降る輝き。

 私は世界が滅んだってきっと忘れないだろう。


            §


 透明な球体の中、乙女は眠り夢を見ている。

 過去と現実が無数の泡沫になって合わさった混然一体の夢を。

 目覚めた時には全てを思い出せなくなっていても、決して忘れることは無い。

 乙女はこれからも戦い続ける。

 石像の様に硬く結ばれた体を再び青空の下に走らせ、願いを叶えるその日の為に。














 「ガラティアの娘は血を燃やす」

 第一章:Fair lady burns her Blood.

 Fin.

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