フウセンコウモリという珍しい生き物を見つけた話

葦沢かもめ

フウセンコウモリという珍しい生き物を見つけた話

 三年くらい前のことである。埼玉県某市郊外の道路際、タンポポが咲き誇っている手入れされていない花壇の一角にて、私は不思議な物体と出会った。それはオレンジ色をしたゴム風船みたいな物体で、つついたら割れてしまいそうに見える。キノコの一種かと思い、屈んで近くから観察してみると、もそもそと動いているではないか! 慌ててこれを広口のプラスチックボトルに入れて持ち帰った。

 しばらく観察していたのだが、ボトルの中に入れたのがよくなかったのか、しぼんだ風船みたいになって転がったまま動かなくなってしまった。チョウの蛹が、たまたま熱か何かで中身が膨張してしまっていたのではないかと、私は疑った。

 意気揚々と昆虫図鑑をめくったが、それらしい虫は記載されていなかった。そこでSNSにて「この生き物が何か分かりますか?」と動画を付けて投稿してみると、皆さん非常に興味をそそられたらしく、最終的には1万RTに達した。しかし肝心の生物名が分からない。

 もしかしたらこれは新種かもしれないぞ。

 そう思い、某博物館で学芸員をしている昆虫が専門の方のアカウントに、不躾ながらもDMを送ってみた。すると知り合いではないにも関わらず、丁寧なご返信を頂いた。

 どうやらこれは、コウモリなのだそうだ。

 正式名称はフウセンコウモリ。両脚を合わせた全長は二十センチだが、腕を除いた本体の体長は、およそ三センチ程度である。その長い前脚と後脚の間に張った皮膜を丸く膨らませて、ゆっくりと歩行する。その姿から、「風船」の名が付けられた。実際、小さなゴム風船と勘違いされることも多い。脚が細長いため、骨折している個体も多く見られる。

 身の危険を感じると、落ち葉に擬態してやり過ごす。ボトルの中でしぼんで転がっているのは、そのためらしい。

 飛翔能力は退化しているものの、強い風が吹けば、まさに風船のように風に乗って空を飛ぶことが知られている。ただしこの飛行能力については、意図的に飛んでいるのか、それともその形態ゆえに意図せず飛ばされているのか、専門家の間でも意見が分かれている。なお、空を飛んだ個体が水上に落下すると溺死する。

 生態も奇妙であり、その風船状の体で花を丸ごと覆い、安全な空間の中で花の蜜を吸う。皮膜内はほぼ光が遮られるが、その中で花の位置を特定するために反響定位(超音波を発生させ、その反響で周囲の環境を感知する方法)を用いる。

 本州の平野部に生息しているが、近年の目撃例は少ない。環境保安省のレッドデータブックでは絶滅危惧IB類に指定されている。都市開発によって生息域が狭まったことや、捨てられたレジ袋と間違えられやすくなったことが原因と考えられる。古くから「鬼灯鼠」や「灯籠鼠」といった名前で知られており、八梅和歌集にもその名が見られる(注・ただしこれらの語はホタルカヤネズミを指しているとする説もある)。

 さて、新種ではないと分かって少々落胆していた私だったが、せっかくだから何か新しい試みができないかと考えた。そこで浮かんだのが、フクロコウモリを食すというアイディアだった。唐揚げにするとちょうど良さそうな大きさである。しかし学芸員の方からは、必死に止められてしまった。本種のみならず野生のコウモリはウイルスの宿主となっている可能性があるため、接触することすら推奨されていない。ましてや素人が調理して食すのは危険である。とのことだった。「そもそも絶滅危惧種なので食べないでください(笑)」と、やんわりと怒られた。

 また容易に捕獲可能なこともあり、かつては群馬県の一部で食用としていた地域もあったらしい。しかし体のほとんどは皮膜で肉質がほとんど無く、味も不味かったようである。近年では在野のコウモリ研究家がその皮膜を油で揚げてみたところ、「鶏皮のようだった」とコメントしていたそうだ。

 学芸員の方からは、近くの動物園に保護してもらうことを提案された。飼育されたデータが無いため、今後の保護調査にとっても有用ではないか、とのご意見だった。全くその通りである。

 早速出かけようと支度をして、ふとプラスチックボトルの中を覗いてみると、さっきまで居たはずのフウセンコウモリの姿が見えない。「おや?」と思い、蓋を開けて確認しようとした。

 すると。

「パタパタパタパタ」

 開けた蓋の裏から何かが羽ばたいていく音が聞こえた。しまった、と思った時にはもう遅かった。ちょうど開いていた窓を急いで閉めたが、もう外へ逃げた後のようだった。

 飛翔能力が無いんじゃなかったのか? いや、そもそも透明になるコウモリなんて聞いたことがないぞ!

 学芸員の方にそんな特性があるのか確認してみたが、「それが本当なら大発見ですよ!」と驚いていた。体を透明化できることが、目撃例の少ない一因なのかもしれない。きっと我々がまだ知らない生態もあるだろう。しかし結局、私が見たことを証明できるものもなく、再びフウセンコウモリを発見することもなかったため、話はそれっきりで終わってしまった。

 そのことを思い出したのは、最近言葉を話せるようになった息子が、奇妙なことを言い始めたからだ。

「天井、風船いっぱい、きれい」

 もちろん我が家の天井には、風船など飾っていない。ただの冗談だろうと最初は思っていたのだが、何度も言うのでさすがに気になり、そしてフウセンコウモリの一件を思い出した。まさか部屋から逃げていなかったのだろうか。だが、あれから結婚して、引っ越しもしたのだ。一緒についてくるなんてありえないだろう。

 まさかと思いつつ、私はモップを握り締め、天井をさらってみた。

 その途端、バタバタバタバタという何百何千の羽音が部屋中を埋め尽くした。怯んで転びながらもベランダへと出る掃出し窓をなんとか開けると、彼らはどこかへ飛び去っていった。

 彼らは、一体何を吸って生きていたのだろうか。そう思うと怖かったが、特に日々の生活が変わることはなかった。ただ少しだけ、天井を見上げる癖がついたくらいだ。

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