第8話 ツンデレ

 カンカン、カン

 木刀を打ち付ける音が響く。今日も剣介と美成は剣の稽古をしていた。

「うっ!」

カーンと一本の木刀が飛んで、地面に転がった。そして、美成が尻餅を付いて小さくうめき声を上げた。

「なぜだ!なぜ俺は一度もお前に勝てないんだ!」

美成が悔しそうに叫ぶ。剣介は今や国内屈指の剣士だ。そう簡単に勝てるものではない。

「私を超える事は出来ませんよ、美成様には。」

ニヤニヤしながら剣介が言う。

「お前だって歳を取れば衰えるだろ。五年もすればじじいではないか。その時は俺が勝つ。」

美成が立ち上がりながらそんなことを言った。

「五年やそこらでは衰えませんよ、私は。さあ、少し休憩にしましょう。房子さん、お水をお願いします。」

側に控えていた房子に声を掛け、剣介は縁側に腰かけた。房子は立って奥へ引っ込み、水を持って戻ってきた。

「どうぞ。」

同じく縁側に腰かけた美成に向かって、房子はお盆を差し出した。美成はその上に乗っている器を取る。房子はその後、剣介の方へ向き直り、

「はい、剣介ちゃんにも。」

と言って、剣介にも水の入った器を渡した。

「すみません。」

剣介が受け取ると、房子はその場に座ったまま、

「精が出るわねえ。」

などと言って剣介を見ている。剣介が水を飲み干し、器を房子に返そうとすると、房子は目を見開いて、剣介の胸の辺りを見ていた。

「あの、どうかしましたか?」

稽古中は両腕を抜いて、上半身を露出させている。その剣介の裸の胸には、汗が伝わって流れていたのだ。

「剣介さん、これ。」

すると、房子と一緒に控えていた福子が、手ぬぐいを剣介に渡した。

「ああ、どうも。」

剣介は福子から手ぬぐいを受け取り、胸を流れる汗をぬぐった。房子も福子もその様子をじっと見ている。

「全く。」

すると、美成がそう言って、わざとらしく溜息をつく。

「最近やたらと女がお前の周りに群がる。お前もいい歳だろう。そろそろ身を固めたらどうだ?」

美成がそう言ったので、剣介は、

「はい。この度、身を固める事になりました。」

と、答えた。

「な、何?!」

美成は大声を上げ、乗り出して来た。

「美成様?そんなに驚かなくても。」

「相手は?相手は誰なんだ?」

「御家老の娘さんの奈津どのです。」

「なにー!奈津だと?まだ子供ではないか!」

「奈津どのをご存じでしたか。」

大人のような口ぶりで話す美成だが、その子供だと言う奈津と二つしか違わない。実は美成と奈津とは幼なじみで、小さい頃にはよく一緒に遊んだのだった。剣介がまだ頭栗の守役だった頃の事で、剣介が奈津と知り合う機会が無かったのである。

 すると、福子が声を上げた。

「あっ。」

福子が見ている方向から、数人の女性がぞろぞろとやって来た。その中心に奈津がいる。噂をすれば影が差すとはよく言ったものだ。

「奈津、何をしに来たのだ。」

美成が横柄に声を掛ける。

「父上に届け物じゃ。」

奈津が立ち止まる。一緒にいた女性達がその場に跪いた。

「それで、これはついでじゃ!」

奈津はそう言うと、タタタタっと剣介に駆け寄り、きれいな布で作られた巾着袋を押しつけた。

「私に、ですか?」

剣介が言うと、

「お、お前の為に作ったのではないのだ。父上に届けるついでじゃ、ついで。」

奈津は早口にそう言うと、ぷいっとそっぽを向いた。剣介は押しつけられた袋の中を見た。中から麦の良い香りがする。入っていたのは、コロコロとした茶色い物だった。

「これは?」

剣介が問うと、女中の一人が答えた。

「麦焦がしでございます。奈津様がご自分で作られたお菓子でございますよ。」

剣介は、一つつまんで口に入れた。

「どうじゃ?」

奈津が顔をのぞき込む。

「旨い。」

香ばしく、甘い。剣介の顔には思わず笑みが広がる。

「なーにが菓子だ。奈津、お前の柄じゃないだろう。嫁に行くからって、急に淑やかになんかなれっこないぞ。」

美成が言う。

「美成様、何てことを・・・。」

剣介がたしなめようとすると、かぶるように奈津がわめく。

「うるさい、うるさい!そんなんじゃないぞ。ただちょっと、麦焦がしが食べたくなっただけじゃ!」

剣介は目をしばたたいた。それは、奈津がわめいた事に驚いたからではない。奈津が美成に対しても、このような横柄な言葉遣いで話す事に驚いたのだ。剣介は、奈津が自分を見下して、身分が下だと見てあの言葉遣いをするのだと思っていた。ところが、当主の息子である美成に向かってもこの口の効きようだ。奈津は誰にでもそうらしい。だから、剣介を見下している分けでもなさそうだ。

「さあ、そろそろ稽古に戻りますか。奈津どの、それではまたお目にかかりましょう。今度は何か、菓子のお礼をしますよ。」

剣介がそう言って立ち上がると、

「あの、少し見ていても良いか?」

と、奈津が上目使いで言う。

「稽古をですか?いいですよ。危ないので離れていてください。」

「分かった。」

奈津は大人しくそう言って、後ろへ下がった。

 またしばらくの間、剣介と美成の手合わせが続いた。奈津はその様子を、食い入るように見つめていた。剣介がちらりと奈津の方を振り返った時、奈津はハッとしたかと思うと、顔を赤くして逃げるように去って行った。

「あ、あれ?奈津どの?」

剣介が思わず奈津の方に声を掛けると、

「えいや!」

美成がここぞとばかりに渾身の一撃を振り下ろした。よそ見をしていた剣介だが、次の瞬間身をかわして美成の一撃をよけ、振り向きざまに美成の木刀を下から思い切り叩き、やはり美成の木刀が空を飛んだのであった。

「あっ!くっそう。」

美成は手首を押さえてうずくまった。

「危ないところでした。思わず手加減を忘れましたよ。」

剣介が余裕の表情でそう言うと、

「なぜだ!よそ見していても、なぜお前は・・・。もう良い!」

美成はふてくされてその場に尻をついて座り込んだ。剣介は飛んでいった美成の木刀を拾いつつ、奈津が去ってしまった方を振り返る。

(何か、気に障る事でもしただろうか。急に帰ってしまうなんて。)

少し、気になるのであった。

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