第28話
いつもの駅に降り立ち見慣れた街路樹のある通りに出た頃には、もう駅前の時計台の針は1時近くを指していた。
俺たちは昼用にコンビニで弁当を買って帰ることを電車の中で話し合っていた。
いつものスーパーは顔も制服姿も割れ過ぎているので、学校をサボった俺たちには行きづらい。
コンビニ経由でアパートに帰り、さっそくローテーブルに着いて2人で弁当を食べ、ゴミを片付けた。
そしてもう一度、元の位置に座り直した俺は、そこに置きっぱなしにしてあった、心療内科の隣の調剤薬局で処方してもらった薬の袋を引き寄せた。
後から部屋に戻ってきた杉本は俺のそばにやってくると、そのままごろんと横になって俺のあぐらをかいている膝に頭を載せ、子どもの様に体を丸めて目を閉じた。
スキンシップ復活か…と、俺はなるべく杉本の首が疲れないように、杉本が頭を載せた方の膝をめいいっぱい床に近づけた。俺は運動音痴だけど、柔軟だけはバレー部時代に死ぬほどやらされていたので股関節が柔らかく、これくらいなんてことはない。
肘が杉本の頭に当たらない様に注意しながら薬の入った袋の中身を覗くと、薬の他に何枚か用紙が入っていた。
領収証、薬の説明を書いた紙、そして明細書。
明細書に書いてある1文が目に留まった。『向精神薬加算』
向精神薬…本当にこんなものを飲んで大丈夫なんだろうか。怖い薬じゃないんだろうか。と、少し不安になる。
でもその後、杉本は医師に言われた通り、夕飯の後に1錠、寝る前に2錠、なんの躊躇いもなく薬を口に入れるとコップに入れた水で喉に流し込んだ。
その日はなかなか寝付けなかった。杉本は薬を飲んで布団に入ったらあっさり眠ってしまったようで、すぐに深い寝息をたて始めた。俺もいつの間にか眠っていたけれど、朝アラームで目が覚めたとき、昨日までは俺より先に目を覚ましていた杉本が、まだ布団の中で深い眠りの中にいたのでほっとした。
「杉本、杉本、朝だよ」
杉本を揺り動かすと、杉本は「…えっ」と半開きの目で何が起こったんだ?と言わんばかりの声を出し、「マジか…久しぶりにこんなに寝たわ。すげーな、薬」と言って目を擦りながら上半身を起こした。
それから朝ごはんの用意をしようと2人でキッチンに立ったものの、杉本があまりにもぼーっとして眠そうなので、「もう、俺やるからいいよ」と追い払って1人で準備して部屋に戻ったら、杉本が畳んだ布団の上に突っ伏して二度寝しているので、俺は両手にお皿を持ったまま足で蹴り起こした。
学校へ向かう電車の中でさえも、杉本は俺の肩に頭を載せて「もうすぐ着くよ」と俺が起こすまで眠りに落ちていた。
杉本は「ん〜…」と怠そうに立ち上がる。
これは…薬が効きすぎているんじゃないだろうか。
それとも、今まで寝不足だった分、疲れが溜まっているだけ?
でも学校に着いて1時間目、2時間目、と時間が過ぎていくにつれ、だんだんシャキッとしていく杉本をみて、やっぱり朝はちょっと薬が残っていたのだろうと思った。
昼休みに一緒に売店に向かいながら「今日から絶対、お昼、一緒に食べよう。高橋たちと一緒が嫌なら2人で食べるよ」と俺が言うと、杉本は笑いながら「大丈夫だよ。もう飛び降りたいなんて思わないから。ちゃんと頓服も持ってきたし。だから、お兄ちゃんはみんなと食べな?ね?」と、久しぶりに見た、あの、にへらっという小憎たらしい笑顔を浮かべると、1人で教室とは反対の方へ向かって歩いていった。
帰りの電車の中でも、杉本はずっとご機嫌でべらべらとくだらないお喋りをして、アパートに帰ってからは、積極的に夕飯の支度を一緒にやった。
今日はだいぶ元気だ。だから夕飯の支度を終え「いただきます」と2人でご飯を食べ始めたとき、俺は昨日から考えていたことを杉本に話すことにした。
「あのさ、ちょっと話があるんだけど…」
「嫌だ」
杉本は、ご飯をかき込む手を止めないまま答えた。
「…まだ、なんにも言ってないよ」
「家には絶対、帰らない」
俺が言わんとすることに先回りして返事をされ、一瞬、戦意消失しかける。
でも怯むわけにはいかなかった。今日、調子がいいからといって良くなったわけではない。杉本が薬を飲まなくても眠れるようになることが1番の目標だ。俺は、ぐっと顔を引き締めるともう一度、杉本に立ち向かった。
「このまま、ここに居ても良くなるとは思えない。それどころか、もっと悪くなる可能性も…」
「家に居ても寝れてなかったっつってんじゃん!!」
杉本が怒鳴りながらドンッと左の
杉本は怒りを鎮めるように、一度肩を大きく上下させて息を吐くと「ごめん」と小さく呟いた。
「いや…いいけど」
俺は精一杯平静を装って転がった箸を取ると、はい、と杉本に差し出した。杉本は黙ってそれを受け取る。
こんなに怒った杉本を見たのは、俺が杉本んちで余計な口を滑らせて目の前でコップを弾き飛ばされたあのとき以来だ。何がこいつをこんなにイライラさせているんだろう。
俺は緊張したまま黙って杉本の様子を眺めた。取り敢えず今は下手に触らない方がいいと思った。
杉本は目を瞑ると、もう一度、気持ちを落ち着けるように、ふう、と息を吐くと、箸を揃えてテーブルに置き手を膝におろした。
「昨日も言ったけど、俺がこうなったのはここに来たことが元凶じゃない。むしろ来て良かったと思ってる」
「良かった?」
「うん、良かった。俺の親父は愛情を示す手段として、俺に自由や金や何でもやってくれる家政婦さんを与えた。俺もいつの間にか金を使ったり何でもしてあげることでしか人との関係を結べなくなってた。でも、そんなのいつまでも続かないだろ」
驚いた。杉本がここまで自分のことを客観的に分析しているとは思わなかった。
「だから上條が断ち切ってくれて良かった。上條は自分のせいで俺がこうなったって責任感じてるかも知れないけど、俺はむしろ、うちの問題に上條を巻き込んで悪かったと思ってる。でもさ…」
杉本はそこで言葉を切って、一瞬、泣きそうな顔をすると、「ご飯、冷めるよ」と言って箸を取り食事を再開させた。その後は何も喋らなかった。
そして食べ終わった食器を流しに運ぶと、蛇口からコップに水を注いで、キッチンの棚に置いてあった薬の袋から薬を取り出すと、パチンとシートから薬を1錠抜いた。
その瞬間、俺は後ろから杉本を抱きしめた。
でもさ…の続き。杉本は飲み込んで言おうとはしなかったけど、俺にはわかってしまった。
『見捨てないで欲しい』
不安にならないで。家に帰った方がいいと思ったのは、杉本が楽な方を選んで欲しいと思っただけで見捨てたいわけじゃない。
『見捨てないから大丈夫だよ』
俺は杉本を抱きしめる腕に力を込めながら心のなかで答えた。
見捨てるわけがない。だって、俺が自分から巻き込まれに行ったんだよ?それに何より、俺が杉本と一緒にいたい。俺だって本当だったら杉本に家に帰って欲しくなんかないし。
言葉に出して言ったほうが良かったかな、と思ったけど、多分伝わった。何故なら杉本が、抱きしめた俺の腕に、そっと左手を重ねたから。
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