第23話
「こうだよ、こう!」
「こう?」
「……」
ベランダでの洗濯物干し、俺が何度もTシャツの肩を持ってパンッ、パンッと振り、シワを伸ばすための作業を目の前でやって見せても、何故か杉本がやるとフニャッ、フニャッとなってしまってまったくシワが伸びない。
俺はそっちはもう諦めて杉本からTシャツを取ると「んじゃ、杉本は、靴下とかパンツとかをそっちのピンチに止めてくれる?」と洗濯機から洗濯物を全部出して、俺と杉本の間に置いてあった洗濯カゴの中に入れた。
「ピンチって?」
「…洗濯バサミ」
ああ、と杉本が座り込んで、カゴの中から宝探しみたいに靴下を探し当てると、洗濯バサミがたくさんついたハンガーに
「…ちょっと、いい?」
「ん?」
「普通、向き逆じゃね?」
俺は杉本が挟んだ靴下をピンチから外すと、足を入れる穴の方を上向きにして挟み直した。
それを見た杉本が、向こうに顔を向けて微かに肩を揺らす。
あ、今、こっそりため息ついた?俺のこと、細けぇ〜って思ってる?よな?
でも、こいつときたら、朝は起こしてもなかなか起きないし、朝ごはんを一緒に作らせようと思っても卵は上手く割れないし、トースターの使い方もわからないし、洗い物をしてもちゃんと泡を落とさないから俺がもう一度やり直したりで、1日目はそれで電車に乗り遅れそうになったので、もうそれからはずっと朝ごはんは俺が1人で作っている。
夕ごはんは論外。まず包丁が無理。親子丼を作ろうと思って俺が玉ねぎを切っていたら、鶏肉をレンジで解凍していた杉本が「やりたい」と言うので代わってみると、包丁を持った途端いきなり危なっかしい感じになったので「えっ?ちょっ…なんでそんな持ち方すんの?」と言ったら「えっ?」と驚かれて気がついた。持ち方は間違ってない。こいつ、左利きだ。
うちにある刃物は全部右利き用だ。左利き用の包丁って何処で買えるんだろう?
でもまあ使えないわけではないみたいなので、やらせてみたら…うん、お腹に入れば一緒だね、という究極のフォローの言葉しか思いつかない出来栄えとなった。
だから、一緒に暮らし始めてから初めての休日である今日、俺は朝からずっと杉本に卵の割り方からトースターの使い方、掃除機の使い方、洗濯の仕方など家事の基本を教えていた。俺だって杉本に無理はさせたくはないし、正直、自分でやった方が早いと思うけど、これから一緒に暮らすなら、負担がどっちかに偏るのはあまり良くない気がした。最初は良くても、だんだん不満が溜まってはいけない。
でも、杉本もいきなり環境が変わって疲れているかもしれない。今までは、ずっと家政婦さんにやってもらってたわけだし。
「杉本、ちょっと休憩する?」
俺が言い方に気をつけてなるべく優しく聞こえるように声をかけると、杉本は「うん」と遠慮なくベランダに足を投げ出したまま、室内のフローリングの上に腰をおろした。
そして今度はあからさまに、はあ、と大きくため息をつくと「俺って何にも出来ねぇな」と呟いた。
しまった、いきなり詰め込みすぎたか…。いや、そうでもないだろ。杉本は確かに出来なさすぎ…いやいや、焦っちゃ駄目だ。自信を失わせてしまったら元も子もない。
俯く杉本の頭頂部が目に入る。…あ。
「根本…だいぶ黒くなってきたな」
杉本のレモン色の生え際が2センチくらい黒くなっていることに気がついた。他の部分との色の差が激しいので結構目立つ。
「あーうん。暫く美容院、行ってねぇわ」
杉本が自分の頭をなでなでするように触った。
「行ってくれば?スマホで払えるんだろ?」
「うん、まあ…でもな〜…」
「洗濯なら、やっとくけど…」
言いかけて気がついた。
もしかして、お父さんのお金で行くことに抵抗がある?
スマホで決済ならきっと引き落としはお父さんの口座からだ。
俺も同じだったからわかる。親の意に反して一人暮らしを始めてから、なんとなく自由にお金を使うことに抵抗を感じている。
俺は洗濯を中断して、よいしょ、と杉本をどかしながら部屋の中に入ると、キッチンへ行って引き出しの中から封筒を出した。
中には、五千円札や千円札が何枚か入っている。今までにもらって貯めておいたお年玉や生活費の余剰金を取ってあったものだ。俺は杉本と違って、親が俺の口座に振り込んでくれたお金をキャシュカードで引き出して現金で持っているので、親に使い道がバレることもない。
封筒から五千円札を2枚引き出し、まだベランダのところに座ってこっちを見ている杉本のところへ行き、しゃがんで目の高さを合わせると「これで行って来なよ」とお札を差し出した。
「え…」杉本が戸惑う。そりゃ、まあね。でも、ここは引かないよ。俺は杉本から『杉本らしさ』を奪いたいわけじゃない。
「前に焼き肉、奢ってもらったし。それに…」杉本の手を取って、無理やりお札を押し付ける。「それに、俺、その色、好きだから。レモンの色みたいで」そう言って杉本のおでこの辺りの髪を軽く指でついた。
「レモン…」
杉本が自分の髪のつかれた部分に手をやった。そして反対の手にあるお札を見る。そして、何かを決心したように、お札をぐっ、と握りしめると「わかった。行ってくる」と立ち上がった。
杉本が美容院にスマホから予約を入れて「すぐとれた」と部屋着から外着(派手すぎてどっちもさして変わらない)に着替えて出掛けていくと、俺は洗濯の残りを片付けて勉強に取り掛かった。
「ただいま〜」の声で目が覚めて、またフローリングで寝てしまっていたことに気づく。なんだかんだで俺もずっと杉本の相手で疲れていた。
「いてて…」
やっちまった…と、ガチガチになった体を起こすと、廊下から、さっぱりとして更にレモン化している杉本の頭がひょこっと現れた。
「なんか…感じ変わったな」
「うん、前はちょっとパーマ入れてたんだけど今回はやめた」
あ、それでか。前は少しうねっていた毛先が切り落とされ、ストンと真っ直ぐになった髪が耳の半分くらいまで被さってそれがますますレモン度を増している。
「お金、足りた?」
「足りたよ〜、カラーチケット残ってたし」
「カラーチケット?」
俺は小洒落た美容院なんか行ったことないからシステムがよくわからない。
「だからね、お釣りでこれ買ってきた」
人の話を聞かない杉本が手に持っていたレジ袋に手を入れた。
ちょっと待て。レジ袋、有料なのに買ったのか?なんでエコバックを持っていかないんだ、と言いかけて、やっぱり俺、細かいなと思い口をつぐんだ。
「じゃん!」
杉本が陽気にレジ袋に入れていた手を出した。
その手に握られていたものは…。
「ぶっ!」
俺は思わず吹き出した。
「お揃いです」
杉本が、手に握っていたレモンを自分の顔の横に持っていった。
「似すぎ」俺は声をたてて笑った。杉本も、きひひっと笑った。
それから、レモンと一緒にスーパーで買ってきたという唐揚げメガ盛りパックに、レモンを丸々1個分絞ってかけて、酸っぱ、酸っぱ、と言いながら2人で笑って食べた。
前に杉本に、1人で飯を食うのは平気か、と訊かれたとき、平気だ、と思った。今でもそれは変わらない。でも今は、1人より2人の方が楽しいと思っている。杉本が一緒で楽しいと思っている。
俺がそう思っていることを、俺がもっと早く自覚すれば良かった。
そしたら、あんなことにはならなかったかも知れない。
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