第19話
遅いな…。
俺は駅のホームで電車を待ちながら、ずっと改札からホームへと続く通路の方向を眺めていた。
特に約束したわけじゃないんだけど、連休が終わった辺りから、なんとなく杉本と一緒に学校へ行くのが当たり前のようになっていた。
向こうもそれを感じているのか、遅刻しそうなときは『間に合わない。先、行ってて』と俺のスマホにメールを入れてくる。
でも今日はメールも来ないし、本人もなかなか姿を現さない。
俺は通路とスマホの画面を交互に見やる。
そのうち電車到着のアナウンスが入り、銀色の車体が朝日に照らされて光る、俺たちが乗る予定の電車がホームに向かってどんどん近づいてきた。
焦る俺の前で電車がホームに滑り込み、どうぞと迎え入れるかのように扉が開いても、まだ杉本は来ない。
うーん、と迷った挙句、俺は電車を一本見送ることにした。次に来るのは7分後。乗り換えと駅から学校までの距離をのろのろ歩かなければギリ間に合う。
俺は一歩下がって電車から身を引くと、扉が閉まって発車するのを名残惜しく見送りながらもう一度スマホの画面を見た。
でもそこには何のメッセージもない。まだ、寝てるのかな。もう一度、通路の方に首を向けると…んげっ!
「あれ?上條くん?」
「あ…相田さん…おはよう」
しまった…一本あとは、相田さんが乗る電車だった…。
俺は相田さんが同じ駅を利用していると知ってから、彼女の動向には注意を払っていた。朝は何分の電車、帰りは何時ごろ。駅を出たらどっちへ向かって帰るのか。でも今は、杉本のことで頭がいっぱいで相田さんのことはすっかり抜け落ちてしまっていた。
「上條くんて、もう1個先の駅じゃなかったっけ?」
相田さんがきょとんとした顔で訊ねながら俺の隣に並ぶ。
あー、えーと、なんかうまい言い訳…。
そして「杉本と一緒の電車で行く約束してたんだけどさ、中で待ってても乗ってこないからどうしたのかな〜と思って1回電車から降りて待ってたんだよね」と必死に口を動かした。自然と早口でまくしたてる口調になってしまう。
この嘘を思いつくときの回転の速さが何故テストのときに起動しなかったのか。していたとしてもあんまり褒められた特技じゃないけど。
「あ、そうなんだ」相田さんはとりあえず納得したものの、まだ不審そうな顔をしたまま「でも今、真咲んちの前、通ってきたけど、なんか引っ越しセンターの車、停まってたよ」と首を傾げた。
「えっ?」
引っ越し?なんか不穏な響きに思わず眉間に力が入る。
「トラックが?」
「じゃなくて普通の乗用車。横に引っ越しセンターのロゴが入ってたから。見積もりとか…あっ」
相田さんが俺を通り越して人差し指を改札の通路の方角に向けた。
振り向くとそこには、心ここにあらずといった顔でこちらに向かって歩いて来る杉本。
「杉本」
呼びかけると、すぐ側まで来ていたにも関わらず、初めてその存在に気づいたといった感じで「あ、上條…」と、やっと視線をこっちに向けた。その顔にいつものへらへらした感じが無いことが、何か良くないことがあったことを物語っている。
そしてその時、ホームに次の電車がやって来る合図が鳴り響いた。
「姉ちゃんが引っ越すんだって」
杉本が力なく呟いた。
「えっ?!美幸ちゃんが?」
何故か俺と杉本に挟まれるという配置で電車のシートに収まっている相田さんが驚いた声を出した。
「うん」
杉本がため息とともに吐き出す。
「なんで?」
「大学が遠いから」
俺は完全に幼なじみの会話になっている2人の間に入っていけず、ただ黙ってそのやり取りを聞いていた。
「親父が一人暮らし反対してたからさ、結構ムリして通ってたんだけど、やっぱりキツいからどうしても大学の近くに引っ越したいって。ずっと言ってたんだけど、結局、親父が折れたみたい」
「なんで、こんな朝早くに引っ越しセンターの人、来てたの?まだ開店してないでしょ」
ぶっ!引っかかるとこ、そこ?杉本の落ち込みぶり、目に入ってない?相田さんはたまに空気が読めない。
「親父がこの時間しか取れないからって無理言って来てもらったらしい」
あ、普通に答えるんだ。こういうの、幼なじみあるあるなのか。もうお互いのことは熟知してますって感じ。でもなんか相田さんには嫉妬とか感じないんだよなあ。なんでだろ。人徳?なんじゃ、そりゃ。
そんなことより杉本の落ち込みぶりが気になった。これじゃまるで、気の抜けた炭酸飲料だ。
「上條、一緒に帰ろ」
下校時間になり、靴箱の前で上靴から外履きに履き替えている俺に、杉本が声をかけてきた。ローファーの踵に人差し指を入れていた手が一瞬止まる。
「え…いつもの仲間は?」
「遊びに行くって」
「杉本は行かないの?」
「気分じゃない」
そういって杉本も自分の靴箱からローファーを取り出すと、上靴を脱いで靴を履き替えた。
これは…もしかしたら、重症なんじゃないか?まあ、一緒に住んでなかったとはいえ、同じ敷地内にいた大好きなお姉さんが離れていってしまうんだから当然か…。そう思ったから、杉本が「上條んち行ってもいい?」と言い出したときも断らなかった。
「はあ〜」
俺の部屋に入るなり、杉本は勝手に俺のベッドに横になると、枕を抱いて大きなため息をついた。
「つらい…」
心なしか少し声に生気が戻っている。
「お姉さん、どこに引っ越すの?」
質問してから、自分がまだこの辺りの地理にまったく疎いということを思い出すが、杉本は「電車で2時間くらいかな」と俺にもわかるように教えてくれた。
そしてベッドの上で、こっちに向かってごろんと転がると、じっと意味深な目で俺を見つめた。
…なんだよ。言っとくけど体で慰めたりしないからな。いや、考えすぎか。ていうか薄々気づいてはいるが、こいつの俺に対する執着はなんだ?恋愛感情、ではないよな。仲間意識でも持ってくれているんだろうか。家族から爪弾きされてる仲間。それとも前に俺に拒否られたことをまだ根に持っていて、なんとか完遂しようとしてる?そんなの、ごめんだけどね。そりゃヤりたくないわけじゃないけど、俺のことを好きじゃない人とセックスしてしまった成れの果てを俺は知っている。 俺が杉本のことを好きじゃなければお互い様でアリかも知れないけど、俺だけが好きでヤっても、また同じ傷の上塗りだ。
などとうだうだ考えながら遠慮なく1人で制服から私服に着替えていると、杉本が「お腹減った」と訴えた。
あ、そんなこと考えてたの…。
「すげー、上條すげー!」
フライパンを振っている俺の手付きを凝視しながら杉本が目を輝かせて言った。
こいつ、ホントにさり気に人のことよく褒めるよな。歩になんか床上手的なことしか褒められたことないのに。
今日のメニューってほどじゃないけど、おかずはカット野菜に豚肉とツナ缶と、小ぶりのやっこ用の豆腐を両手でグシャと潰して簡単水切りしたものを入れて、麺つゆで味付けをして卵であえたもの。卵はといたりしない。フライパンの上に直接割り入れて菜箸でグシャグシャとかき混ぜる。
俺は連休中に簡単レシピのレパートリーをかなりパワーアップさせていた。まず肉を夕方の安い時間にスーパーで買いだめし冷凍しておく。そして麺つゆとの運命的な出会い。料理の『さしすせそ』なんて必要ない。大抵の味付けは、麺つゆ一本で出来る。俺は麺つゆ最強説を唱えたい。カット野菜は買いだめしたら、思いのほか消費期限が短く殆どだめにしてしまった。あのときは世界が終わったかと思った。でも、今日のは昨日買ったばかりのやつだから大丈夫だ。
オリジナル、チャンプルー風野菜炒めを丼ぶりに入れて真ん中に、そしてお茶碗とお椀にストックご飯をチンしてそれぞれ入れローテーブルに並べた。食器が1人分しかないからちょっと締まらないけど、まあまあ良く出来た。何より杉本が嬉しそうにしているのが嬉しい。
「上條、マジですげー、天才!」
いただきまーす、と手を合わせ、奇跡的に一本引き出しに入っていた割り箸を割って丼ぶりから野菜炒めを取って口に入れた。
「うめぇーっ」
満面の笑みで口をもぐもぐさせる。麺つゆで味付けしただけだけどな、と、思いながら俺もまんざらじゃない気分で箸を取った。
「もう、俺、上條んちに住もうかな」
杉本がご飯を頬張りながら言った。今度は笑顔を浮かべていない。神妙な顔で。
…おまえ、どこまで本気かわからないんだよ。
「嫌だよ…」
俺は答えた。弄ぶんなら、よそでやってくれ…。
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