第10話

 その日の授業がすべて終わり帰る時間になった。

 みんなそれぞれお喋りをしたり大声で笑ったりしながら帰り支度を始めている。

「まーさきー」

 いつもの仲間が廊下から杉本をよんでいた。

「うん、ちょっと待ってー」

 応える杉本の声にいつもより元気がないのは気の所為だろうか。

 俺が自分の帰り支度をしながら横目で杉本の様子を見つめていると、いつもは急いで鞄に用具を仕舞って一目散に飛び出していくのに、今日はやけにノロノロとひとつずつの動作がゆっくりで、まるで何かを待っているようだ。

 堪らず右を向くと、その横顔が俺を見ていないんだけど俺に何か言いたいような、そんな顔に見えてしまった。

 俺はそれが何であるのか、わかるようなわからないような、不思議な気もちのままどうしていいのかわからない。

 わからないまま、横顔を見つめている。

 そして杉本が最後にそっと筆箱を鞄に入れ、ファスナーを閉めた。

 杉本…。

 席を立つと、ゆっくり廊下へ進んで行く。

 杉本…。

 廊下で仲間たちと合流した。

「杉本っ!!!」

 自分でもびっくりするくらいの大声が出た。みんなが一斉にこっちを観る。

 俺は気付くと廊下へ飛び出していて、帰ろうとする杉本の手首を掴んでいた。そこにいた誰もが、時間が止まったように俺の顔を観ていた。

「あ…」

 何か言わなければいけない。でも何を言えばいいのかわからない。あ、そうだ。

「杉本、武田先生に指導室呼ばれてただろ?ちゃんと行けよ!」何とか場を繋ぐ。

 それが合図となって、杉本の両側にいた仲間たちが時間を取り戻したように「え?なに、この人」と俺のことを睨めつけた。あ、やばい感じ…。

「あ、こいつ、あれじゃね?自己紹介で、僕は男が好きでーす、とか言ったっていう」

「あーこいつが?え?なに?じゃあ、もしかしてこいつ真咲のこと狙って…」

「あーーーっ!!!」

 今度は杉本が大声を出してその場にいた全員をびっくりさせていた。俺も、びっくりした。

「そうだった!俺、武センに呼ばれてたんだった。悪い、先、行ってて。終わったら電話するから」

 そういって両側の仲間たちにそれぞれ、ごめん、と顔の前で片手を立て「ほら、上條もそのうち呼ばれるかも知れないから指導室の場所、教えてやるよ」と俺が握っていた手首で俺の手首を握り返すと、呼ばれねーよ!と突っ込む隙も与えないまま引っ張って走り出した。


「行ったかな…」

 廊下の角を曲がったところで杉本はピタリと壁に背中をくっつけて、さっき仲間たちと一緒に居た場所を、顔をちょっとだけ角から出した状態で覗いていた。

 すぐ隣に居た俺は、その伸びた白い首筋を上から覗き込む形になる。

 手首もまだ杉本にぎゅっと握られたままだ。

 あの…ドキドキしてるんですけど…。さっきも思いがけず自分が取ってしまった行動でやばい空気になりかけてドキドキしたけど、今は違う意味でドキドキしてます…。

「よし。時間差で帰るか」

「え?指導室は?」

 俺が問うと杉本は思いっきり嫌そうな顔を俺に向けて「誰が行くかよ。あの、クソジジイ、ホントにうぜぇ」と言ったところで「誰がクソジジイだって?」後ろから野太い声が聞こえた。

 ひっ、と杉本が縮み上がる。

「俺はまだ52だ。ジジィじゃねぇ」

 そこには武田先生が、腕を組んで仁王立ちをした姿で立っていた。杉本は先生に腕をがしっと掴まれると「じゃ、指導室行こうか」と強制連行されていった。

「上條ーっ!俺が終わるまで待っててー!」

 叫ぶ杉本の声がだんだん遠ざかって行く。

 俺はさっさと帰ることにした。


 電車からホームへ降り立ち改札へ向かいかけた時、あっ、と思わず身を隠す場所を探した。でもそんな必要もないほど、隣の車両から降りてきた彼女は、まったくこっちを気にする様子もなく改札へ入っていった。

 先週、俺に向かって、付き合っている人はいるのか、と訊ねてきた女子のうちの1人。

 まさか彼女もこの辺りに住んでいるのか?何でこんな不便なところから通うやつがこんなにもいるんだ。

 そのままホームに留まって、彼女が駅から遠ざかるまでやり過ごそうと思ったけど、不意に初めて杉本がうちに泊まった夜のことを思い出した。

 杉本が一人暮らししていることに触れ「上條もこの辺に住んでたらわかるよ」と言われたあの夜のこと。

 少し迷ったけど、次の瞬間には俺は走り出していた。

 改札を出て急いで左右を見渡すと、俺のアパートとは反対方向に歩いていく彼女を発見した。

 走り寄って「あの…」と声をかける。

「えっ?!上條くん?」

 彼女が振り返って驚いた顔をした。

「あ、うん…あの…えと」

相田あいだ

 俺が名前を思い出せないのを察して自ら名乗ってくれる。俺は男子の名前はすぐ出てくるくせに、女子の名前はなかなか出てこないなんて自分に正直すぎるだろ。いや相田だったら絶対出席番号1番とか2番だ。自己紹介のときそんな頃、俺、緊張MAXだったしね、と自分に言い訳する。

「相田さん、家この辺なの?」

「うん、そうだよ。上條くんもなの?」

 あ、いや、えーと…

「もうちょっと先なんだけど、相田さんが降りていくの見えたから」

 ああ、また嘘をついてしまった。自分を偽りたくないといいながら、嘘ばっかりついている俺。

「えっ!」と相田さんの顔が輝く。そうか、相田さんは先週の一件で俺を怒らせたと思っているからこの対応は正解なのか。でも、ごめん。嘘なんだ。

「あの、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、時間あるかな」

 本題に入る前の常套句を述べると「あるあるある!ぜんっぜんあるよ!」と体を前に乗り出さんばかりにノッてくれた。あー…好奇心強めなんだね。じゃあさっそく僕の知りたいこと、お願いします。

「相田さんって、杉本と同じ学区だったりする?」

「ええっ?!」

 再び相田さんの顔が、さっきの7割増しぐらいに輝いた。さらに頬がほんのり赤らんでいる。うん、気持ちはわかるけど、キミが期待しているような展開にはならないよ。いや…ちょっと、あったかな…。

「うん、小、中ずっと一緒だよ?でも、なんで?」

 ワクワクという文字が体中から飛び出して来そうな勢いで訊ねてくる。ここからは、正直に答えることにした。俺はちゃんとしたことが訊きたいんだ。

「杉本って1人暮らししてるんだよね?で、実家出禁だって聞いたんだけど、その理由知ってる?」

 …訊いてしまった。よく考えたらズルい。本人に訊けばいいのに、他人に訊けばいざとなったとき聞いてないフリができる。でも杉本が言ったんだし。そのうちわかる、と。じゃあ今がその時だろ。

 相田さんは目をまん丸くしてフリーズしていた。あれ?何か間違った?

 でも次の瞬間、キョロキョロっとすばやく周りを見回して「ちょっと場所、変えない?」と声を落とした。

 あれ?やっぱり何か、間違った?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る