第8話

 突然の出来事にまったく身動きがとれなかった。

 固まったままでいる俺の唇に杉本の舌先があたる。反射的にかすかに開けた口に舌が滑り込んできて、まるで高い所から低い所へ物がころがっていくように自然にその舌に自分の舌先を触れさせた。

 途端に杉本がもっと奥に入ってきて俺を絡め取っていき、俺がそれに応える形になる。

 こうなったらもう止まるのは難しい。暫くそのままお互いの体の声に素直に従って舌を絡ませあっていると「あ」と、杉本が唇を離した。

「勃ってきた」

 ほら、と左手で俺の右手を自分の股間に持っていって触らせると、確かにそこは、スウェットの上からでもわかるくらいに盛り上がっていた。

 ね、と言って笑う杉本の顔に妙にイラッとした。

 …余裕かよ。

 俺は自分の右手の下にあったものを、ぎゅっと握った。

「えっ?!」

 びっくりして身を引きかけた杉本の背中を、あいている方の手でグイッと自分の方へ押し戻すと「そっちから始めたんだろ?」と、すぐ間近にまで迫っている顔に問いかけて口づける。

 今度はこっちから舌を入れるのと同時に右手の中で硬くなっているものを、布越しでもちゃんと感触が伝わるように指の腹に力を込めて上下に擦った。するとそれはみるみる大きさを増していき、挿入するのに充分な長さになった。

 狂わせてやりたい…。そんな衝動に駆られていた。

 杉本はもう充分、行為に没頭し始めていて俺の両肩のパーカーの布地を両手でぎゅっと握りながら、夢中になって差し入れられた舌を「…んっ…んっ…」と声を出しながら貪っている。

 うん、気持ちいいことに体は逆らえないよね。

 俺の体だってもうとっくに反応していて、奥の方が疼いて右手の中にあるものを渇望しているんだよ。でも…


 僅か1ミリの僅差で理性が勝ってしまった。


 俺は、すべての欲情を崖下に投げ捨てるかのような勢いで、杉本の肩を掴むと思い切り強く自分から引き剥がした。

 ガクンと頭を揺らしながら後ろにつんのめり、えっ?と驚いている杉本から顔を逸らし「いいよ、ベッドで寝て。なんにもしないから。もうおしまい」と無理やりシャッターを下ろすと、唇についた、どちらのものともわからない唾液を手の甲で拭いながらベッドに向かった。

「えっ?えっ?えーっ?!」

 後ろで杉本がパニックを起こしたように叫んでいる。

「俺、こんなんなってんだけど?!」

 ベッドに潜りながらちらりとそっちを見遣ると、杉本が前屈みになって両手で前を押さえながら訴えていた。

「そんなの触ってたらそうなるでしょ。男のケツなんか見たらすぐに萎えるよ」

 投げやりな気持ちで放った言葉に自分で傷つきながら「電気消してね」と言って杉本の分のスペースを空けるために壁際に近いところまで体を移動させた。

 そのまま壁の方を向いて目をつぶっていたら、暫くの間、後ろで躊躇う気配がしていたけど、やがてパチンという音とともに部屋が暗闇に沈んだ。

 人の近づく気配がして、ベッドがみしっと揺れ、すぐ隣に杉本が入ってくる。

 それから、かまってちゃんがまた何か言いたげに何度も寝返りを打っていたけど、俺が完全無視を決め込んだので、そのうち諦めたらしく静かになったかと思うと、すぐにスースーと寝息を立て始めた。

 これでいい。こんな一時の劣情に流されるべきじゃない。杉本とは2日前に出会ったばかりで、これから2年間クラスメイトとして顔を合わせる仲だ。余計な感情を差し挟んで、自ら教室を居心地の悪い場所にする必要はない。

 俺はさっきから一生懸命、興奮してしまった体をフラットに戻すべく努力をしていた。でも背中から漂ってくる杉本の体温が、匂いがいつもより濃く感じられて、どんどん気持ちとは逆の方向に体が向かってしまう。

 ああ、もうだめた。

 俺はベッドを揺らさないように、そっと起き上がって床に足を着くと、幾分か闇に慣れてきた目で、トイレとお風呂が一緒になったユニットバスのドアノブに手を掛けた。

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