第7話

「おい、ふざけんな」

 俺は両手を合わせて必死に拝み倒している杉本の頭上に冷たく言い放ってやった。

「部屋を貸すの今日まで予約入っててさ。そしたら昨日のやつが、『杉本んち泊まれるぞ』って言っちゃったらしくて」

「断れよ」

「えーでもあいつは良くて何で俺はダメー?とか言われそうじゃん」

「……」

 血管がブチギレそうだった。

 昨日ブレーカーが飛んだ後、焼いてないパンを食べながらなんとか洗濯を済ませてご飯のストックを作り、買い物へ行って入用なものを買ってくると遅いお昼を食べ、ようやく宿題に取り掛かった。

 途中お茶休憩しながら夕方まで集中して片付けていき、干してあった洗濯物と布団を取り込んで畳んで仕舞って、そろそろ夕飯の準備しようかな〜でももう面倒くさいな〜と思ったところで、玄関チャイムが鳴った。

 のぞき穴から確認すると、黄色い頭だけが妙に膨らんだ形になった人間がそこに立っている。

 …とりあえず、直接文句を言って追い返そう…。

 そう思ってドアを開けた途端、杉本が「お願い上條。あともう一晩だけ泊めて」と両手を合わせた。そして、冒頭に戻る。 


「お願い!晩メシおごるから!」

 杉本はもう一度パンッと音をたてて両手を合わせた。

 晩メシ、おごる?

 思わず反応してしまう俺。丁度、もう準備するの面倒くさいな〜と思っていたところだった。かといって余計なお金は使いたくない。

 今日はほとんど家に籠もっていたので外の空気を吸いたかったし、2連チャンも泊めてやるなら晩メシくらいおごらせてもいいんじゃないか?どうせラーメンとかハンバーガーとかそんなとこだろう。それくらいなら胸も痛まない。

「…もう一晩だけなら」

「やった!上條、大好き!」

 晩メシの誘惑に負けてしまった俺に杉本が飛びかからんばかりに両腕を拡げて抱きつこう…とした。でもその腕は虚しく、全力で避けた俺の眼前をかすめていった。

「もーっ、避けるなよー」

 杉本がぶーと唇を尖らせる。こいつよくこの顔するな。

 ていうか俺がゲイだってこと知っててよくこういうことしようとするよな。しかも普通に泊まろうとするし、身の危険とか感じないんだろうか。まぁ襲う気なんかないけどね。そんなことしたら犯罪だ。そもそも相手はこいつ。杉本だし。


「俺のオススメの店あるから、行こうぜ」

 さっそく出かけようとする杉本に、ちょっと待ってと言って、まだパーカーとジャージだった下だけジーンズに替えて靴下を履いた。

 そういえば今日は杉本は…首を伸ばして玄関で突っ立って待っている足元を見た。良かった、靴下も靴も履いてる。

 あの裸足にサンダルは本当にやめてほしい。捨て犬感ハンパなくってつい手を差し伸べたくなる。俺ってこんなに庇護欲、強かったっけ?ていうか何で俺はここんとこ、ずっと杉本と一緒にいるんだろう。

「まだー?」

 捨て犬に呼ばれた。


 そして捨て犬…じゃなくて杉本に連れられてやって来た焼肉店の店内で、俺は思いっきり小さくなっていた。

「あの…ここ、もしかして、すっごく高いんじゃないの…?」

 もう店内の造りからして高級店。薄暗くて洗練されていて、庶民感ゼロ。さっきから俺たちの座るテーブルのすぐ横を行ったり来たりしている店員が運ぶ肉の分厚さといい霜降り感といい…絶対高いだろ…。

 杉本はメニューを見ながら、んーと悩んでいる。

 そこへ、パリッとした白シャツに黒のベストとスラックスを着込み、頭をペッタリと整えた店長だかオーナーだかわからないけど、なんか店を取り仕切ってるんだろう人が俺たちのテーブルにやって来て「杉本様。いらっしゃいませ」と深々と頭を下げた。

 え?何?

「こんちわー」

 杉本は笑顔で手を振って「とりあえずお任せで。あと烏龍茶とご飯2つずつ」と言いながらメニューを黒ベストに渡した。

「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」

 メニューを受け取って小脇に抱えると、もう一度うやうやしく頭を下げ黒ベストが下がっていく。俺はそのくだりをぽかんとしながらみつめていた。

「…おまえんちって…もしかして、すっごい金持ちとか?」

 フンフン鼻歌を歌いながらデザートのメニューを見ている杉本に訊いてみる。

「親父がね。さっきの人も親父に気ぃ使ってるだけだよ。俺じゃなくて。俺はほら、実家出禁だから」

 割り切った言い方だ。

 …だからおまえと実家の間で何があったんだよ、とその質問が喉まで出かかったのを抑え、なんとか軌道修正すべく無理やり質問を変えた。

「おまえは人に部屋を貸す前に自分が部屋で一緒に過ごしたい恋人とかいないわけ?」

 これもちょっと踏み込みすぎだろうか?いや、これくらいの恋バナ、健全な高校生なら日常会話だろ。

 杉本は、んーと視線を1点に留めて記憶を掘り起こすように「いたよ。ちょいちょい」と答えた。ちょいちょい…ですか。

「でも俺、重いみたいなんだよねー」

「重い?」

「うん。好きになると何でもしてあげたくなっちゃうの。そんで高いものとかいっぱい買ってあげたりしちゃうんだけど、そーゆーの女の子としては重いみたいでさー、で、振られるっていうね」きひひっと笑う。だからそこ笑うとこじゃないから。

 それにしても、高いものを買ってもらって喜ばない女の子なんているんだろうか。俺の認識が間違っているのか?本当に振られる理由、そこ?他に何かあるんじゃないのか?セックスが下手とか。

 余計なことを考えている間に運ばれきた肉は、どれも今まで生きてきた人生の中で1番美味いと自信を持って言えるほど美味かった。

「うんまっ」

 言いながら食べる俺の皿に、杉本が嬉しそうにどんどん肉を焼いて入れていく。


 しこたま肉を食べた後、デザート食べる?と訊かれて、もう入らないと答え、俺たちは席を立った。

「会計してくるから先に出てて」と言われて、自動ドアを潜り外の空気に触れた途端、すぐに我に返った。

 万は行ったよな絶対…。さすがに同い年のクラスメイトに奢らせる値段じゃない。しかもあいつ、俺の皿にばっかり肉入れて、自分はあんまり食べてないんじゃないか?

 さっきの杉本を振ってきた女の子たちの話が蘇る。世の中、強欲な女の子ばっかりだと思ってごめん。確かにこの歳であまりにも高いものをもらうのって、重いわ。

 やっぱり半分くらいは出そう。たとえ今月のご飯がすべて白米とたくわんのみになろうとも。

 そう俺が決意を固めたとき、杉本が店から出てきた。

「杉本、やっぱり半分払うよ」

「いいよ、俺、家族カード持ってるから」

「家族カード?」

「そ。引き落とされるのは、親父の口座からだから」

 …なおさら気ぃ悪い。会ったこともない杉本の親父さんにご馳走されるって…。

「だから、いいの。コンビニ寄っていい?」

 杉本が素早く話題を変えて走り出した。


 20分後、コンビニで買い物している杉本を、店内をウロウロしながら待っていた。杉本に教えられて知った、奥まったところにあるコンビニ。奥まったところにあるのに、何故か潰れないコンビニ。

 思えばあの夜が始まりだったな…。無視出来なくて思わず声をかけてしまったあの夜。2日しか経ってないのに、随分前のことのような気がする…て、おい!感傷に浸っていたのにいきなり現実に引き戻された。

「何、さりげにお泊りセット買ってんだよ」

 杉本が持つ買い物カゴには、歯ブラシ、パンツ、Tシャツ、ペットボトルの水、朝、食べるつもりなのかロールパンが入っている。コンドームが入っていないか思わずチェックしてしまうのは、男が好きな男の哀しい性だろうか。別に杉本とどうにかなるとか考えているわけじゃないけど、ただの習性です。すみません。

「だって、焼肉食べたから歯、磨かないとね」

 今にもピクニックに出掛けて行きそうなはしゃいだ声で杉本が言った。…まぁそうですね。

 歯磨き粉は借りてもいいよねー、と叫びながらお会計している杉本を置いて、勝手にして、と心の中で答えて先に店を出た。


 部屋に戻り、順番にシャワーを浴びた。

 今日の杉本のファッションは、ピンクと白のボーダー柄の春セーターに黒のスリムジーンズという格好で、どう見てもそれじゃ寝苦しいだろうと思ったので俺のスウェットを貸してやった。パンツ姿でウロウロされるのも嫌だったし。

「…地味だな」

 ベッドに腰掛けながら俺のスウェットを着た杉本を眺める。

 普通に紺色の上下なんだけど、普段が派手なだけに杉本が着ると無理やり着させられたようなコスプレ感がすごい。まるで囚人服だ。

「でかい」

 175センチある俺と比べて10センチは身長が低い杉本の手と足は、半分くらい服に埋もれていた。そして袖をわざとビローンと伸ばしてぷるぷる振ってみせる。彼女か。

「俺も一緒にベッドで寝たい」

 唐突に杉本が言った。「床、痛い」と。

「無理」

 即答した。

「なんで?」

「なんでって…」

 こいつ俺のこと知ってるくせに、わざと言ってるのか?

「おまえ俺の自己紹介きいてただろ?」

「うん、きいてたけど…って、まさか…」

 杉本が目を大きく見開いて、両手で自分の胸と股間を隠す仕草をした。

「上條、俺を襲うつもりなのー?!」

「襲うかーっ!!!」

 殴ってやろうかと思った。

「じゃ、いいじゃん」

 問題ないじゃん、と言いたげに唇を尖らせる。

 はあ。やっぱりこいつわかってない。もう少し噛み砕いて説明する必要があるのか…。

「だからさ、例えば杉本が特に付き合ってるわけでも、好きなわけでもない女子と一緒のベッドに寝たとするだろ?」

「うん」

「どうなる?」

 俺の問に、んー、と杉本がしばらく上を見ながら考える。

「タイプにもよるけど…いっちゃうかも」

 いや、いくのは我慢しろよ!と突っ込みたかったけど、そこはもう面倒くさかったので「そういうことだよ」と話を切り上げた。

 好きじゃなくても、欲情はする。だから一緒には寝られない。同じお年頃の男の子なんだからわかるだろ。じゃ、この話はこれでおしまい。

 でも杉本はまだ何か、んー、と上を向いて考えていた。もー、何だよ。

「俺、別にいいけど」

「え?」

「上條とだったら、ヤってもいい」

 ……頭が怒りでグラッと揺れたような気がした。

 こいつ人のことバカにしてるのか?俺は男が好きで男としかヤりたいと思わないのに、おまえは女が好きなくせに泊めてもらう代償として俺にヤられても構わないって?そんなのいらない。

 抑えきれない怒りを杉本にぶつけてやりたくて、わざとぶっきらぼうに「俺が勃つだけじゃだめなんだよ」と言ってやった。

 え?ときょとんとする顔に追い打ちをかけてやる。

「俺が挿れられる方だから」

 杉本が言葉を失った。

 ほら、引いただろ。痛いの我慢すれば大丈夫だとでも思った?ビジュアル的にはどう見ても杉本の方が『受け』だけど、あいにくこっちは歩とヤりまくってたときの体の記憶が消えてくれないんだよ。

 わかったらさっさと床で寝ろ、とさっき仕舞ったばかりの冬用布団を取りにクローゼットへ向かったとき…

「俺が勃てばいいのか」

 後ろで呟く声が聴こえた。

「え?」

 振り向いたのと、杉本の唇が俺の唇に重ねられたのは、同時だった。




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