おまけ 『その後の「ダンジョンの大家さん。」〜三階のラーフェンさん。編〜』

01/「……自分で、やったんだ」

 とある次元に、魔物たちが楽しく暮らす魔界と呼ばれる世界がある。

 隣接する人間界とは容易に行き来が可能だ。昔から交流が盛んに行われ、早い段階で人間側も魔力を獲得して以来、両世界で多彩な魔法文化が栄えていた。


 特筆すべきことは何より迷宮ダンジョンの設立であろう。魔物たちの住処に併設されたこの闘技施設は、主に人間の冒険団パーティによる挑戦を受け入れている。

 両者は一定の規則ルールの元で正々堂々と勝負し、挑戦者は勝ち抜き方式で迷宮を進む。最奥部に待ち構える迷宮の主ダンジョン・マスターを倒せばいくつかの記念品とともに『踏破者名簿』にその名を刻まれる栄誉を得るのだ。


 より多くの、より困難な迷宮を制覇した者こそが優れた戦士と見倣される。

 そのため自らを『勇者』と称する自信家たちは、冒険者組合ギルドを介して己の部隊を率い、日夜こぞって迷宮攻略に挑んでいる。



 さて――その日ちょっとした事件があったのは、そんな魔界の地方都市グラズベルの一角だ。

 街の中央を流れるのはどどめ色をした濁流渦巻くグドン川。そこを渡っていたバーゲンセール帰りの貴婦人が、橋ので行き倒れを見つけた。

 全体的に黒っぽい衣装を着た若い男で、どうやら意識はなく、閉じられた両目からは血の涙が滲んでいる。これはただごとではないと察した彼女はその青年を連れ帰った。


 両腕いっぱいにバーゲンの戦利品を抱えながら、どうやって彼を運んだかって?

 心配は要らない。彼女も魔族であったから、腕ならぬ腕くらい何本か持ち合わせている。


 斯くして青年――異界から渡ってきた魔神インプンドゥルは、見知らぬ部屋で目を醒ました。


「……う……、ここは……?」


 のっぴきならない理由で眼は使えなかったが、それ以外の感覚と己の魔力による超知覚を頼りに、インプンドゥルは周囲を探った。自分は柔らかく清潔そうな寝台に寝かされており、傷ついた両目は包帯らしき布で覆われている。

 辺りには嗅ぎ慣れない匂いが満ちていて、知り合いの家でないことだけは間違いない。


 とにかく状況を確かめなければ。倒れる以前の記憶も曖昧で、魔神ながら珍しく不安というものを感じていた。

 手探りでベッドから抜け出たものの、まだ疲労が残っているのか身体がひどく重い。力の入らない膝は情けなくもがっくりと折れてしまい、無様にその場へ崩れ落ちた。床の絨毯を掴む指先はぶるぶると震え、背筋を舐めるような寒気が襲い、両の眼窩がじくじく痛む。


 ろくに動けず這いつくばっていたところで、がちゃりとすぐそばの蝶番が笑った。


「まあ! ダメよ、まだ寝てなきゃ」

「っ……誰だ……、僕は一体……」

「いいからまずベッドに戻りなさいな。あなたはね、眼にひどい怪我をして倒れてたのよ。どこの誰にやられたのか知らないけど――」

「この眼は」


 インプンドゥルは己の顔を覆う包帯を引っ掻くようにして呻いた。


「……自分で、やったんだ」


 その後、彼は思わぬほど強い力で半ば強制的に寝台へ引き戻された。しっかりと布団でくるまれたあと、目元の包帯を一度外され、血の壺のようになっている眼窩に何か冷たいものを垂らされる。

 薬が沁みて鋭痛にもがいても、手足はがっちりと押さえられていた。どうも彼を助けたのは何本もの剛腕を持つ女性であるらしい。


 彼女はメディ=ヘリンと名乗った。

 この建物の正式名称はグラズベル駅前ターミナルビル第一ダンジョン。その名のとおりグラズベル駅から徒歩五分という好立地にあるが、組合指定難易度は「超達人級」のため挑戦者はさほど多くはない。

 メディはダンジョンを経営する大家の妻で、買い物帰りに彼を拾ったのだそうだ。


「……ダンジョン? 施設か組織ですか?」

「やっぱり余所から来た人ね。見ない顔だから旅人だろうとは思ったけど、ダンジョンを知らないってことは、出身は別の世界ってところ?」

「そのとおりです。……貴女はずいぶん博識ですね。それに治療に慣れている」

「一応ここの看護師を兼ねているの。ダンジョンっていうのはね、私たち魔族の家であり、人間と戦う場所でもある。

 うちはまだ踏破されたことがないのよ」


 メディは誇らしげに、歌うような声音で言った。


 青年は回復を待つ間、この世界についてあれこれ尋ねた。総てがそれまで彼の暮らしていた世界と異なっており、何を聞いても新鮮で興味深く、質問が絶えることはなかった。

 しばらくしてメディの夫――つまりダンジョンの大家その人も顔を出した。といっても視力の戻らないインプンドゥルにその容貌はわからないけれど、声や匂いは覚えられる。

 その人物、サルバトリアスは全身からむせかえるほど力強く魔力が漲っており、最上級の魔神に相当する実力者であると、気配だけで察せられるほどだった。ついでに声のほうも通りすぎるほどによく通り、正直言ってうるさい。


「メディに感謝するんだな! 俺の妻は優しい女なんだ!!」

「ええ、本当にありがとうございます。このお礼はいつか必ず……まあ、その前にこの世界で暮らす算段をつけなくてはならないので、少し待っていただきますけど」

「元気になったら一度俺と手合わせをしよう! 能力次第ではうちに住まわせてやってもいい!! 一階と二階はもう満室なんで、三階以上でなけりゃダメだがな!!!」

「はは。申し出は非常にありがたいですが、僕、そのまま殺されかねないのでは?」

「はっはっは大丈夫だ、手加減する! 病み上がり相手に本気は出さん!!」


 鼓膜を痺れさせるほどの大音声には閉口するが、言動からは温かな人柄を感じられた。別世界から渡ってきたばかりで行くあてもない彼のことを案じてくれている。

 サルバトリアスの言う『三階』がどれくらいの力量を示す単位かはわからないが、インプンドゥルも故郷では魔神と呼ばれる程度の実力者。なんとかなるだろう。

 ……飢えてさえ、いなければ。



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