54/「薬を完成させましょう」
三人で居間の卓を囲む。それぞれの前には、硝子の器に入った冷たくて甘いお茶。
すぐそばの床の上に、セディッカが仕入れてきた動物素材の袋が無造作に置かれたままで、その雑然とした感じが今の状況を端的に表しているようだ。
「そろそろ、ちゃんとお話しましょうか」
口火を切ったのは魔女。その言葉に対してアリヤはぱっと顔を上げたけれど、逆にセディッカは俯きを深くした。
「セディッカ、どうします? 自分の口から話すか、私が代弁するか。……同席もつらければ、その荷物を片付けてきてもいいですよ」
「……ごめん、そうする」
「わかりました。そうそう……ユキホリツノウサギの角をひとつ出しておいてください」
「? わかった」
魔女が挙げたのは、アリヤが作っている例の薬の最後の材料だ。一般的な薬、たとえば酔い止めとか頭痛薬なんかには使わないので、こちらの事情を知らないセディッカからすれば謎の要求だろう。
例によってわざわざ尋ねたりせず、セディッカは袋を持って薬屋のほうへ出て行った。
お茶はそのままだから、素材をしまい終えたら戻ってくるつもりかもしれない。早くしないとぬるくなってしまうけど。
とりあえず二人きりになったところで、アリヤも姿勢を正した。
「先ほどはセディッカが失礼しました。驚いたでしょう」
「いえっ、わたしは別になんともないので……それより……セディくんは、大丈夫なんですか?」
「ええ。……それでは、遠回しにお話ししても仕方がないので、はっきり言いますね。
セディッカは今、繁殖期なんです」
はんしょくき。聞き慣れない言葉をすぐには捉えられず、きょとんとしているアリヤに向けて、ムルは少し苦笑しながら続ける。
「春になると猫や犬が鳴いているでしょう?」
「そうですね、……って、あぁ、そういう意味かぁ……。ん? でもあの、今って夏も終わりがけというか」
「一部のコウモリは春と秋、年に二度あるんですよ」
そこから淡々とご説明いただいて、アリヤはまたひとつコウモリの生態について詳しくなった。
つまりさっきのセディッカは、甘えていたのではなくひどい興奮状態だったらしい。
今までそうならないよう、なるべく衝動が抑えられる人型でいたり、あとはアリヤたちと距離を置いて気をつけていた。最近あからさまに避けられていた原因もこれだった。
さらに今年は薬を使って症状を抑えてもいたという。
一応は生理現象なのにそこまで……と思わないでもないけれど、ムル曰く「女性が月経の際に痛み止めを飲むのと似たようなものです」。
今回は出かけている間に効果が切れてしまっていたのだろう。そのうえコウモリの姿でアリヤ、つまり若い女性に直接触れてしまい、ああいうことに。
……知らなかったとはいえ、呑気にかわいいと思ったり、抱き締めたり撫でてしまった。とくに後者は宥めるつもりが逆効果だったということか。
なんだか申し訳ないなぁ、と店に続く扉を見やる。まだセディッカは戻らない。
しかしだいぶ今さらな気もするが、やっぱり彼は人間じゃない。
身体のつくりも、食べるものも、生きていく方法も。だからきっと世界の見え方だとか、考えることだって違うのだろう。
そんな当たり前のこと、わかっているつもりでいたけれど、実際はどうだろう。目の当たりにした今も実感がないというか、そもそも繁殖期がどういうものなのかよくわからない。
あんなに苦しそうに誰かを求めるなんてことが、動物の世界では普通なんだろうか?
それともアリヤがまだ知らないだけで、人間も大人になれば、似たようになったりするのだろうか。
いつか結婚して子どもを産んで、という想像ならアリヤもしたことがある。でもそれはもっとずっと遠い未来のことのように思っていた。
セディッカはアリヤとはそう変わらない歳に見えるし、……いや、コウモリだし、それ以前に年齢不詳の魔女の使い魔なのだから外見は関係ないか。
とにかくわからない。好きな人とただ一緒に居てお茶を飲んだり話したりできれば、充分幸せだと思っている。それ以上なんて望んだことがないし、改めて考えるとちょっと恥ずかしい。
「とりあえずそういうことです。薬さえきちんと飲んで、あとは人型でいれば、さっきのようなことにはなりませんから……その、なるべく今後も、今までどおりに接してあげてもらえませんか?」
「あ、はい、それはもちろん、……ど、努力します……」
「……ごめんなさい。やっぱり無理ですよね、悪気はなかったとはいえ、あんな……」
「あ……いえ違うんです!」
魔女の暗い表情を見てなにか誤解させてしまったらしいと察し、アリヤは思わず椅子から立ち上がる。
「い、嫌だとかじゃ、ないんです! ちょっとまだびっくりしてるだけで、その……」
「アリヤさん?」
「変なのかな……普通だったら嫌なのかもですけど、わたしは本当に平気です。言い淀んじゃったのは、その、ずっとお薬を飲むのも大変だろうなとか……わたしより、セディくんがつらいんじゃないかと……思って」
だんだん声が震えてくる。
どうしてこう、セディッカとの間には次から次へと、どうしようもない壁が立ちはだかるのか。それは決まっていつだって、アリヤの側から鋭い棘を彼に向けるような形をしている。
いつも彼ばかり傷ついて苦しんでいる。それがどうしてもやるせない。
アリヤがいることで、ただでさえ心をすり減らしているセディッカに、今度は身体にまで負担をかけてしまう。
それを知って、今までどおりに接してもいいものだろうか。
奥歯を噛み締めて立ちすくんでいるアリヤを見て、魔女も立ち上がった。そうして細くしなやかな指で見習い少女の手を包みながら言う。
「あの子を気遣ってくださって、ありがとうございます、アリヤさん。
それなら……尚更、あの薬を完成させましょう」
アリヤも手を握り返しながら、頷いた。
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