38/「よろしくお願いしますっ」
薬屋に行けると思えば最後の補習も悪くない。
それに内容もこれまでの確認という感じで時間も短かった。気持ちが急いているせいか、逆にいつもより長いくらいに思えたけれど。
ともかく心地よい開放感と喜びを胸に、アリヤは再び魔女の薬屋を訪れた。
笑顔で迎えてくれる魔女とラーフェン、友人たち。
素敵なお茶やお菓子の香りと、いい意味で現実感のない調度品の数々が並んだ空間の、なんとも言えない神秘的な雰囲気。
待ち望んだすべてを前に、身体はふわりと温かくなる。踏み出した足取りは雲を踏むよりもかろやかに弾む。
が、一秒後にはたと気づいた。
「……セディくんは?」
「あらあら、第一声がそれ?」
「え、あの、えと、……。変かなぁ……」
「変じゃないないッ。もー、ファーミーンはアリヤをいじめないの! 真っ赤になっちゃったじゃん」
「ふふふ、つい。ごめんなさいね」
友人はくすくす笑いながらアリヤの肩を抱いて、そっと耳打ちした。
「セディッカさんは台所よ。お菓子を取りに来た体で挨拶したら?」
「う、うん、そうする。ありがと」
ちょっとからかい気味ではあるが、なんだかんだで彼女たちは応援してくれているのだ。
それにラーフェンからの頼みもあるし、アリヤとしても、早く彼に会いたい。
セディッカが引っ込んでいるのは、きっとこの賑わいを避けるためだろう。今日はいつにもまして騒がしいようだから。
ともかくアリヤは台所を覗いた。聞いたとおり、そこには焦がれた姿がある。
珍しく誰もいないのに人型でいるセディッカは、背もたれのない椅子に腰掛けて、目を瞑って難しい顔で腕組みしていた。
「……セディ、くん」
なるべく小さな声で話しかけると、ぱっと翡翠色の瞳が開かれる。
ほんとうに何度見ても溜息が出るくらいに美しい眼だ。今そこに自分が映っているかと思うと、急に胸がどきどきと早鐘を打ち始める。
「久しぶり。あのね、補習は今日で終わったんだ」
「……、聞いた」
予想してはいたが、反応は冷たい。一緒に喜んではくれない。会いたい気持ちを募らせていたのは、アリヤだけだ。
わかっていても、やっぱりちょっと寂しくなる。
というか、……ここで気まずい感じに会話が終わってしまうのは避けたい。せめてもう少し持ち直せないものか。
「えーっと、……明日からまた修行、始めるから、よろしくお願いしますっ」
「俺は何もしないけど……」
「そうかもしれないけど一応その、礼儀として……あっほら、特異点のせいで何かと迷惑かけちゃいそうだし」
「迷惑を前提にするなよ」
うう。
なんだか思っていた以上に対応が辛辣で、アリヤもさすがに怯む。一緒に洞窟に行って、少しはふつうに話せるようになったと思っていたのに。
しばらく会わなかったら元どおりだ。
それでも以前だったら「態度悪いなぁ、ちょっと苦手かも」と思っていたけれど、今はこんなぎこちない会話ですら嬉しいのだから、恋の力はすごい。
そして、思った。なんのために告白をするのか、という疑問の答えは、そんな気持ちを相手に伝えたいから、ではないか。
想いに応えてくれなくていい。優しくなくても構わない。
ただ、知ってほしいのだ。
傍に居るだけで、声を聞けるだけで嬉しいと思う人間が、ここにいる。あなたは存在するだけで誰かを幸せにできるんだよ、と。
……なんて思いながら無言でじっと見つめてしまったので、セディッカは戸惑うような表情になっていた。
「あっ、と、わたし……そうだ、お菓子を取りに来たんだった! 邪魔してごめんね」
とりあえず一旦退散することにした。これからは以前のように足繁く通えるのだし、今日ここで無理に近づく必要もない。
時間をかけて、少しずつ仲良くなろう。なれたらいいな。
焼き菓子の詰まった小鉢を抱えて、アリヤはいそいそと背を向けた、が。
「ひゃっ!?」
引き留めるように、いきなり無言で肩を掴まれる。
指先の感触に、それも思いのほか熱くて力強かったものだから、びっくりして変な声が出てしまった。恥ずかしい。
慌てて振り向くと、セディッカも即座に手を退け、少し唖然としたようすだ。
「……悪い、驚かせた……」
「う、ううん大丈夫。なあに?」
「その、……どれが好きだ」
一瞬「好き」という単語に反応してドキッとしてしまったが、彼が指差しているのは戸棚に並んだ瓶だ。たしか中身は。
「お茶?」
「……おまえの復帰祝いだとか、さっきあっちで言ってたから、……今から淹れてやる」
「ほんと!? じゃあ、名前はわかんないんだけど、青いお花が入ってるやつがいいな」
「わかった。ちなみにそれは
セディッカが……あのセディッカが、場の空気を読んだだけとはいえアリヤのために茶葉の
ちょっと大げさだが、それくらい嬉しかった。良いんだろうか、特異点がこんなに喜んでしまって、今ごろ代わりにどこかで誰かがとんでもなく悲しい思いをしていたりしないだろうか。
でも、居るかどうかもわからない「どこかの誰か」のために遠慮する余裕なんて、これっぽっちも残っていない。
自分勝手な歓喜に身体じゅうが震えてしまう。我慢なんてできっこない。
(今日くらい「いい子ちゃん」じゃなくても、いい?)
誰に許しを乞えばいいかも知らないけれど、そう思う。
自分の気持ちには嘘が吐けない。嬉しいものはどうしたって嬉しい。
「セディくん、ありがとね」
たった一言お礼が言いたいだけでも、どうしようもなく顔と声がふやけてしまう。セディッカからは相当締まりのない表情に見えたことだろう。
彼は一瞬だけ頬を強張らせたあと、ぱっとこちらに背中を向けた。
「……気が散る。さっさと向こうに戻れ」
吐き捨てるような刺々しい言葉すら、このときのアリヤにはちっとも痛くなかった。
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