10/「ほんと慣れてるわよね」

 全身を軽く拭って泥を落としてから、薬草を煮出したもので毒素を濯ぐ。骨が折れているところは小枝を添え木にして繋いでやる。

 皮膚の裂けたところに軟膏を塗り、清潔な布を巻いて、ひとまず終わり。


 コウモリの手当てをしたのは初めてだが、我ながら手際は悪くなかった。


「ほんと慣れてるわよね」


 感心したような、呆れたような、なんとも言えない母の声が飛んでくる。アリヤも苦笑いしながら、まあね、と答えた。


 アリヤは昔からよく怪我をした。

 単にそそっかしいだけかもしれないが、運が悪いとしか言いようのない場面も多々あった――物が落ちてきたり壊れたりするのは、自分が気をつけても防ぎきれない。

 物心ついたころから生傷が絶えず、ある程度の歳からは自分でその後始末をやっていたので、手当ても上手になろうというもの。


 そんなわけで傷ついた鳥や小動物を見かけると、どうにも放っておけない性分だった。なんだか自分のように思えてしまうのだ。

 しょっちゅう何かを連れ帰って手当てをする娘のことを、母はあまりよく思わないのかもしれない。


「あ、そういえばコウモリって何食べるのかなぁ」


 魔女に聞いておけばよかった。

 しかしながら、この数週間も無駄にはならなかったな、と薬湯の入った桶を眺めながら思う。

 学んでいたからこそ手当てに必要な薬草の種類がわかった。そして薬屋に通い詰めていたから、それが大棚のどのあたりに保管されているのかも知っていて、瓦礫の中でもあたりをつけられた。


 それにしても建物があんなふうに壊れるなんて、一体何があったのだろう。このあたりでは竜巻なんてほとんど発生しないし、めちゃくちゃになっていたのは薬屋だけで、周囲の他の建物はなんともなかったのも変だ。

 ……魔女やセディッカは無事なのだろうか。


 単なる一般市民で女学生のアリヤにできることは少ない。真相の究明や彼らの捜索は、憲兵団に任せるしかないだろう。

 だからせめて、ふたりが帰ってくるまでの間、このコウモリの世話をしようと決めた。



 まず学校の図書室に行ってコウモリのことを調べる。

 どうやら大型の種は甘い果物を好んで食べるらしい。虫や鼠じゃなくてよかった……と、そのあたりの生きものを捕まえられる自信のないアリヤはひそかに安堵した。

 外に出たついでに薬屋の傍も通ってみたけれど、雑踏からはこれといって新しい情報は入らなかった。つまり魔女とセディッカの行方もわからない。


 とにかく回復にはやはり栄養だろう。

 帰るなりさっそく台所で丸甘瓜チプリシュという果物を入手したアリヤは、それを小さく切ってコウモリの鼻先に近づけてみる。


 鼻をひくひくさせて目を覚ましたコウモリは、そこが薬屋ではないことにすぐ気づいたようで、まず驚いたように固まった。アリヤには慣れてきたとはいえ、見知らぬ家は怖いのだろう。

 もしかしたら逃げようとしたけれど、身体が痛くて動けなかったのかもしれない。

 それでもお腹は空いていたようで、コウモリは躊躇いがちにアリヤと丸甘瓜を何度か見比べてから、観念したようにひと口――そこからはいい食べっぷりだった。


「美味しい? ……ふふ、かわいいね」


 思わず呟くと、コウモリはなにか抗議するような風情でチィと小さく鳴いた。



 その夜、アリヤはまたあの悪夢を見た。

 焼け爛れた空にひしめく漆黒の雷雲、渇ききって荒れ果てた大地。そして血の池に君臨する、悪魔のような形相の巨鳥。

 何もかも前日とまったく同じだった。


 鳥は底冷えのするような紅蓮の瞳でアリヤをめつけている。

 なにか言葉を聞いたわけでもないのに確信を持てた。

 魔鳥は供物を求めている。このひからびた地平を生温かい血で潤すために、もっと犠牲者が必要なのだ。

 もし贄を用意できないのなら、そのときはアリヤ自身を捧げなければならない。


 ……最後はやはり、凄まじい雷鳴の轟きによって終わった。



 またしても叫んで跳ね起きる。全身が嫌な汗にまみれていて、それになんとなく頭も重い。

 案の定母が顔を出したので、大丈夫だと伝えたものの、正直言って自分でまったくそうは思えなかった。

 こんな不気味な夢を続けて二度も見るなんて、よほど疲れている……。


 母だけでなく、アリヤの部屋に寝かせていたコウモリも起こしてしまったようで、キイキイと不安げに鳴いていた。

 ちなみに昼間読んだ本によれば、コウモリは多くの人が想像するとおり夜行性が多いのだが、ときどきそうでない種類もいるらしい。この子もそうなんだろうか。


「ごめんね、コウモリちゃん。……そういえばあなたの名前を知らないね」

「キイィ」

「呼べないのは不便だけど、勝手につけるわけにもいかないしなぁ」


 窓からわずかに朝陽が入り込んでいる。もう夜は明けているようだ。

 寝直す気にもなれなかったので、起き上がってカーテンを開けた。といってもまだ陽は昇り始めたばかりで、彼方の山が紫色に染まっているのは美しいけれど、それだけではアリヤの気は晴れなかった。


 こういうときこそ魔女に相談したいのに、彼女の安否すらわからない。セディッカも。

 崩れた瓦礫の下敷きにならなかったのならいいのだ。こうしている間も、どこかで無事に休んでいるのなら。

 でも、それならそうと教えてほしい。

 ……アリヤはまだ、彼らにとっては赤の他人かもしれないけれど。


「とりあえず着替えて、自習でもしよ……」


 何もできない自分が歯がゆかった。魔女がいない今、彼女を頼りたかった人たちが困っているだろうが、まだアリヤは代わりを務められるほど知識も能力もない。

 だから今は彼女が戻ってくることを信じて、習ったことを忘れないようにするくらいしかないのだ。


 溜息を吐き、汗だらけの寝間着を脱ぎ捨てる。

 しだいに昇ってきた朝陽が下着の上をちらついて、それが今はアリヤを嘲るように思えた。



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