少年呪術師
森新児
第1章 ブラック・ダリア
第1話 白髪頭の転校生
●
六限目の社会の授業が終わって下校前のホームルームがはじまった。
わたしは自分の机に置かれた花瓶の白いユリごしに教壇の朝吹小百合先生を見あげた。目の前のユリはすっかりくたびれてもう香りを放たない。
熊本市立本城小学校五年A組の担任であるさゆり先生は今年二十六歳になる目鼻立ちがぱっちりした美人だ。教壇の先生を見あげると鼻筋がすっきりして顎のラインがきれいなのがよくわかる。スタイルもばつぐんで胸が大きく腰はくびれてる。
さゆり先生は性格もやさしくて生徒に大人気だが、父兄の中には「昭和の愛人顔」と陰口をいう人もいる。先生がきれいだから焼きもちを妬いているのだ。
今日のさゆり先生は白とグリーンのストライプシャツに青いスカートを着ている。もちろん服装は毎日替わるが替わらないものが一つある。
それは先生ののどもとにある黒いレーザーの
「授業でもいったけど来週の社会の時間は天草四郎について勉強します。四郎は江戸幕府に逆らって天草島原の乱を起こしました。だから犯罪者あつかいされることもあるけど先生はそう思いません。四郎は幕府に虐げられた農民やキリシタンのために戦った聖なる戦士だと思います」
そういって先生はのどもとの十字架をそっと撫でた。天草四郎はジェロニモの洗礼名を持つキリシタンで、先生もサロメの洗礼名を持つ敬虔なカトリックだ。
「さっき配ったのは郷土史家のかたが書いた天草四郎の伝記のコピーです。おうちで読んできてください。四郎はわたしたちのふるさと熊本が生んだいちばん有名な歴史上の人物だからきっと親しみがわくわよ。なにか質問はありますか?」
先生の呼びかけに応じる生徒は一人もいない。四月八日に始業式があって今日は十四日。進級にともない新しいクラスになってやっと七日目でクラスの空気はまだよそよそしくぎこちない。
「ないのね? じゃあホームルームを終わります。太一くん」
「起立」
A組の学級委員で運動神経抜群の優等生上林太一くんの号令で、四十名の生徒はいっせいに立ちあがった。太一くんは続けておわかれのあいさつを述べ、わたしたちもそれを復唱した。
「先生さようなら、みなさんさようなら」
「先生さようなら、みなさんさようなら!」
「はいさようなら。みんな車に気をつけるのよ」
廊下に出ると生徒たちはそれまでの静けさがウソのような歓声をあげた。
「
「さよならA!」
女の子たちが群がっているのは黒いボディの人型ロボットだ。
「Aさん」
まっさきにロボットに抱きついたのはわたしの親友雨宮蘭だ。ランがロボットの大きなおっぱいに頭をこすりつけると、彼女のポニーテールの髪がいきおいよく左右に揺れた。
「はいさようなら」
Aは長い腕でつつみこむようにランを抱いた。
Aは介護ロボットだ。先日うちのクラスにきた転校生の体が弱くて、Aは特例でいつもその子のそばにいて面倒を見ている。Aの目は青く、鼻は高く、口はない。一七〇センチ六八キロ、八六・六〇・八九のばつぐんのスタイルはアメリカの歌手ビヨンセと同じだ。Aの開発者がビヨンセの熱狂的ファンらしい。
「さよならAさん」
「さよなら。あ、先生。三郎は?」
「あら……いないわね。雨宮さん早川くんどこにいるか知らない?」
「校庭の水飲み場にいます」
「なんでそんなところに?」
「オサムくんに呼び出されたんです」
「たいへん」
オサムの名前を聞いたとたん、さゆり先生の顔から血の気が引いた。
校庭に出るとすぐゴンとにぶい音が聞こえた。
コンクリートの水飲み場のそばに、五年A組きっての暴れん坊三木治がいた。わたしから見て彼のてまえにもう一人生徒がいる。地面に尻もちついている。オサムに殴られたのだ。こちらに背を向けているから顔は見えない。でも殴られたのがだれだかすぐわかった。
あれは転校生の早川三郎だ。
熊本生まれの熊本育ちで小一から小三までここ本城小に通っていた。が去年は病気治療のため東京の学校に転校して向こうの病院に通院し、病気が治ってまた熊本にもどってきた……と先日のホームルームでさゆり先生が説明した。
故郷を離れたのはたった一年だが、それは子どもにとって長い時間だ。早川三郎は本城小の生徒にとってもはやよそ者だ。とくに縄張りや帰属意識の強い男の子は、クラス替えのストレスを彼にぶつけたがった。
その代表格がオサムだ。
オサムはA組でいちばん体が大きい。父親が警官で毎日いっしょに柔道の練習をしている。まだ小学生だが、そこらへんの中学生よりオサムのほうがまちがいなく強い。
対する転校生はA組一のチビで、先日の体力測定でかけっこや握力の数値がクラスのほとんどの女の子に負けていた。
「ロボットなんてつれていい気になるなよ」
こわもてを装った低い声でオサムは凄んだ。
「いい気になんかなってない」
いつもと変わらぬクールな口調でそういうと、転校生は地面に座ったまま頭をかいた。
その髪の毛がおじいさんのようにまっ白だ。白髪頭なのだ。
「今目立ってるのはぼくが転校生だから。あと二日でだれも気にしなくなる。もちろんきみも」
「えらそうに」
「それにぼくなんかと勝負してもおもしろくもなんともないぜ。マイク・タイソンと尾形亀之助がケンカするようなもんだ。バカげてる」
「たとえがぜんぜんわかんねーよ」
「えーと、じゃ井上尚弥がえなりかずきを殴るようなもんだっていえばどう? もちろんきみが井上でぼくがえなり」
「ふざけんな、ナオヤは自分より弱いやつを殴ったりしねーよ」
「きみはどうなんだよ」
「……」
そのとき気づいた。
オサムの十数メートルうしろに二つの校舎をつなぐ渡り廊下があって、さらにその向こうに正門があった。
その正門に男の人がぽつんと立っていた。
晴れているのに紺色のレインコートをはおったやせた若い人で、コートのポケットに手をつっこんでじっとこっちを見ている。遠くて表情はわからない。だれかの父兄かなと眺めていたら、自分の背後から声が聞こえた。
「なにしてるの!」
振り向くと校舎からさゆり先生とAが走ってくるのが見えた。
「あ、やべ」
オサムがうろたえ、先生がきたもう安心とわたしは胸を撫でおろした。
「やめて!」
そのときとつぜんさゆり先生が絶叫した。
なんだろう? と先生の視線をたどった。
先生はオサムを見ていた。
オサムは先生の剣幕に驚いてきょとんとしてる。
そのオサムのすぐうしろに、黒い影が立っていた。
さっき正門にいたレインコートの男がいつのまにかオサムの背後に立ち、頭上に高々と手をあげていた。
「は?」
男に気づいたオサムは頭上を見あげ、ポカンと口をあけた。
男が手にした柳包丁の刃が、夕陽を浴びてぎらりと光った。
男はまっすぐ包丁を振りおろした。
オサムのひらいた口の中に深々と包丁が突き刺さり、ドッと血が噴き出す光景を幻視した。でも血は一滴も流れなかった。
男が急に包丁を手放し、ひもが切れたあやつり人形のようにくたくたとその場に崩れ落ちたから。
Aはすばやく駆け寄ると男のベルトを引き抜きうしろ手に縛りあげた。
「オサムくんこっちへ!」
まだ状況が飲み込めないようすのオサムを呼び寄せ、先生は抱きしめた。
「ケガしてない?」
「あ、はい」
「よかった!」
先生は号泣し、オサムは先生のおっぱいに顔をうずめ顔をまっ赤にして照れた。
「大丈夫?」
転校生を助け起こし、彼のジーンズについた泥を払いながらAは小声で「なにをしたの?」と尋ねた。
「霊波
そういって早川三郎は持っていた赤い鞘の短刀をロボットにわたした。
「了解」
Aの右足のふくらはぎがにぶい音立ててひらいた。足がシークレットポケットになっているのだ。
Aがそこへ短刀を納めると、ポケットはまた音立てて閉じた。
「霊波不知火……あなたの術の名前だけど」
やはり小声でAがささやく。転校生は得意げにいった。
「ぼくが自分で考えたんだ。必殺技みたいでかっこいいでしょ?」
「ていうか中二病っぽいわね」
「がんぜない赤ん坊のように泣き叫ぶよ?」
なにこの子。
校舎のかなた南の空に上弦の月が見えた。
さゆり先生が連絡してすぐ大勢の警官が学校にやってきた。でも子ども相手に刃物を使った傷害未遂事件のわりにたいした騒ぎにならなかった。犯人があまりにもおとなしいから意気込んでいた警官たちはすっかり拍子抜けしていた。
「なにかおわかりになりました?」
「いえ」
さゆり先生に問われた中年の警官はくやしそうに首を振った。
「男が薬物中毒者なのはまちがいないです、ハイ、でもなにもしゃべらんのですハイ。しゃべらんというより薬で脳がイカれて口がきけんのですなあれは。体は無傷ですがあの男は一生廃人でしょう、ハイ」
「廃人……」
「身分証は持っておりません、ハイ。これからやつを署へつれて行って本格的に取り調べます。かならず尻尾をつかんでみせますハイ!」
「おつかれさまです」
ハイが口癖の警官が敬礼し、さゆり先生は頭をさげた。女性らしい丸みのある先生のお尻を、数人の警官が横目でチラチラ見ていた。
オサムを襲った男は腰縄を打たれ、前に差し出した手に手錠をかけられた。テレビで連行される犯人を見ると、外から手錠が見えないよう腕に服がかけられたりしているが、今日の犯人の手錠はむき出しだ。痛ましい姿だがなにがうれしいのか男はヘラヘラ笑ってる。
「……」
さゆり先生は男の手首にかけられた手錠をじっと見つめていた。
犯人の体は無傷と中年の警官はいった。
でもそれはおかしい。だってわたしは見たのだ。
犯人がオサムの頭に刃物を振りおろしたとき、その正面に尻もちついていた転校生早川三郎が着ていたパーカーのポケットから短刀を取り出した。
三郎は赤い鞘を払い、抜き身の短刀をまっすぐ突き出した。
すると刃の先端から稲妻のように青い光がほとばしった。
光にみぞおちをつらぬかれ、男は倒れた。血は流れなかった。
これがこの事件の真相だ。
三郎はまだ校庭にいた。
Aとならんでグラウンドから去る護送車を見送っている。夕陽に染まった白髪頭が燃えるように赤い。
そのとき校舎のスピーカーから夕方五時を注げるチャイムが鳴り出した。聞こえてきたのは水俣出身の歌手村下孝蔵のヒット曲『初恋』のインストだ。
このメロディを耳にすると、本城町の人間はどんなに忙しくてもかならず一瞬手を止める。
切なさに胸を打たれるのだ。
それからもう一つ気づいたことがある。
短刀の鞘を払う前、三郎はぶつぶつこんな言葉をつぶやいた。
「この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが
人生だ」
この言葉が終わった瞬間、斬魔の光は放たれた。
【作者から】
今日は第一回ということで四三〇〇文字の長さになりました。
あしたから一話三〇〇〇文字ほどの長さになります。
これから毎日夜六時十五分に更新します。
どうぞお楽しみに。
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