中野 陸軍秘密情報戦の断片

葉山 宗次郎

前編

 中野について話してくれか。

 確かに私は中野にいました。

 中野学校卒業か? そう中野学校卒業。そして中野部隊にいました。

 隣に憲兵を育成する中野憲兵学校がありましたが、そこじゃなくて本物の中野学校。

 秘密戦のための部隊とその養成学校です。

 少し判りにくいかな。

 学校も部隊も同じ地名からとったし極秘だったので実体が判らない。

 なら私の話、経歴をを聞きながら中野の事を覚えて欲しい。

 私は東京周辺の街の出身で先に徴兵された先輩から軍隊は規律と食事が制限され窮屈だと言われていました。

 東北の農村出身者は村が貧しいく三食にも事欠くので腹一杯食わせてくれる軍隊は極楽だとかいっていました。ですが、街の生活に慣れた私には軍隊は窮屈で辛いと思っていました。

 何とか回避したかったんですが徴兵逃れに失敗して危うく一兵卒として入りかけました。

 ですが、母校の配属将校に頼み込み幹部候補生制度を利用して何とか郷土の歩兵連隊の見習士官になりました。

 けど、いきなり少尉になれるわけでなく、兵や下士官として一年程の修業期間があります。その間だけで軍隊が地獄という事をよく知らされましたね。

 何とか少尉任官しましたが元々軍隊に入りたくなかったから原隊での人間関係は最悪でしたね。

 逃げたかったが、総力戦の中では逃げられない。

 何処にも逃げ場の無い地獄のような日々でした。

 そんな時にあの人、中村大尉が現れたんです。

 あの人は当時中野部隊の勧誘員でした。

 大尉は広場に連隊の総員を集めて「中野学校では後方工作要員を求めている、志のある者は志願して欲しい」と演説しました。

 中野学校は支那事変に対応するため、特に現地人の支持を獲得し、国民党軍や八路軍を混乱させるため敵の後方へ単身若しくは少人数で潜入する精鋭部隊という触れ込みでした。

 対米開戦前から宣伝されていて知っていましたが、こうして勧誘されるとは知らず中村大尉の演説を聴いて驚きました。

 話を聞いた連隊の同期は敵中行軍三〇〇里みたいだ、と言ってはしゃいでいる奴もいましたね。

 どんな神経しているんだ、と私は思いましたよ。

 敵ばかりいる中に単身で行くなんて。

 けど中野学校出身者の宣伝映画やニュースが当時は流れていたので感化される奴は結構いました。

 まあ、私は遠慮しておこう、とその場では思いました。


「入ってみないか? 君のような優れた士官が中野には必要だ」


 演説の後、上官に命令されてお茶を出しに応接室へ入ったとき中村大尉は私にそう言ってきました。

 普通なら絶対に乗らない話ですが、上官の見下すような視線で、士官室での居心地の悪い雰囲気を思い出し、原隊から逃げたかった私は、その場で意見を翻して中野志願しました。

 その後、大尉とは簡単な面接をする事になりました。

 ですが、その最中に何処かの兵卒がドアを開けてきたんです。


「電球の交換をするように命じられましたが部屋を間違えました」


 と言って、その兵卒は直ぐに扉を閉じました。

 それから面接は続いたが、最後になって途中で入ってきた兵卒に異常は無かったか? と大尉は尋ねてきました。

 そういえば工具箱に瓶が入っていました、と私は答えました。

 兵卒が隠れて飲酒することがよくあり、彼も飲むために酒瓶を工具箱に入れて電球交換に偽装し人気の無い部屋を探して入って来たと思いましたから。

 そう答えると大尉は満足そうな笑顔を浮かべました。

 実は入学後に知ったのですが、あれも試験の一つです。

 突然乱入してそいつが何を持っているか瞬時に記憶出来るか、そして何をしようとしているか推測出来るか試す試験です。

 他にも、兵舎の窓の数や階段の数を答えられるか、とか様々な方法があるそうですが、私は見事答えてしまい合格したわけです。

 数日後、私は最小限の私物のみ持って中野学校へ行き、そこで一〇〇人ほどの同期、敵地後方偵察要員養成の丁種第一二期の同期生と共に入校しました。

 直後に後悔しましたが。

 学校は後方への潜入のための体力作りから始まります。激しい運動を初日からずっと。<三三壮途の歌>を歌いながら長距離走とかやりました。

 その合間に潜入時の知識を入れる座学が入ります。

 座学は科学や工学の他、飲料水の確保や湧き水が多い地形、集まってくる動物と捕獲の仕方および調理法、排泄物の隠匿など実戦的な物もありました。

 しかし精神指導が多かったです。

 皇国史観や尊王論に武士道と忠義などです。単独行動時に迷いが生じないよう、何が何でも遂行する、それ以上に精神に異常を来さないよう精神を強化する、という事でしょう。

 訓練でも手裏剣や苦無を使う練習がありました。

 飛行機が空を飛ぶ時代なのに講談の忍者が使うような道具を使うなんて古いと思いました。

 しかし、欧米にはない日本古来の武道という事で優位に立てると教官は真面目に言うんです。同期の中には真面目に受けている奴もいてどっちもどっちだな、と思いました。

 私も変だな、と思っていました。

 ですが、その授業の後大尉が突然訪れて「今日の訓練はどうだ?」と尋ねてきました。

 私は咄嗟に

 「日本古来より伝わる武術、先陣によって守り継がれ洗練された技によって欧米に痛打を与えられるよう毎日考えています。早く古来の叡知を役に立てたいです」


 と答えてしまいました。


 「こんな訓練、使い物にならない」


 とは言えない雰囲気、時代だったので。

 そうしたら大尉は見たことの無い笑顔で笑っていたんですよ。私が地元の学校を卒業したときに親でさえ見せた無いような心からの笑みを。

 そして、大尉は懐の手裏剣を取り出すと的に向かって投げて中心に見事命中させました。

 ここの人間はそういう物なんだな、と思いました。

 まあそんな事もありましたが学校では座学や実習がみっちりあり分刻みの生活です。

 そのため体調を崩し原隊へ戻る者もいました。ですが彼は幸運で、訓練中の事故で死ぬ同期もいました。

 何しろ三十キロの重量がある装備を担いで六十キロの道を歩く訓練をするんですから普通じゃ耐えられません。私も一度途中で脱落して車に収容されました。

 それでも行軍訓練は何度も行われましたよ。お陰で体力は付き、最後まで歩けるようになりました。

 我々は少人数あるいは単独で潜入することも想定されており、必要な物資装備を担ぐ必要がありますから。

 また、破壊工作の戦果確認という任務もあり敵の施設を破壊したとき、どんな破壊跡になるか知るために私たちも破壊工作の訓練を受けました。爆破してどんな痕跡になるか自分で見て遠方から見るとどんな形かを見るためです。

 まあ最悪の場合、自分たち丁種、潜入偵察班も永久持久――無期限の破壊工作、遊撃戦を行うように指導されていましたから、そんなことはゴメンでしたけど。

 そんな訓練もあり私も耐えきれず辞めようと思いはじめた入校一ヶ月後、私を含め二十人ほどが特別選抜されて中野学校の分校に移りました。

 十分に訓練に耐えたため本格的な訓練教育を行う為に他の者と分けるという話でした。

 分校の居心地は良かったですよ。同期が大なり小なり自分の同類であり、軍隊を嫌がっていましたから。そんな人間ばかりが、こんな重要任務に集まったのは皮肉でしたが。

 実際、やる気の無いやつを隔離した、という話もありました。

 ですが訓練は本物で、宮崎で降下訓練を受け、海上を泳ぎ味方の軍艦に秘密の信号を送る演習を行いました。

 同時に後方への報告のため通信学校で通信術と暗号術を学びました。

 分校は中野より自由で買い物に外に出て行くことも出来たので良かったので、この楽園から追放、落第、原隊復帰しないように頑張りました。

 しかし、数週間して数人がまた選抜されて前線に偵察任務で送られました。

 ソロモンとニューギニアが米軍の反攻で、やばいという話は聞いていましたから、そこに投入されたんだと思います。

 次は自分たちかなと思いました。

 そして彼等が帰ってくる前に再び中村大尉が現れ私を含む数人と共に南方のラバウルに送られる事になったんです。

 輸送機を乗り継ぎつつ私たちはラバウルに着きました。そして一般の兵士とは別の宿舎で現状を伝えられました。

 ソロモン諸島の島々が米軍の反攻によってガダルカナル島を始め、ブーゲンビル島やサンタ・イザベラ島などが攻め落とされている。

 日本軍は新たな防衛線を作るため中国や満州からも部隊を移動させラバウルに集結させている。

 だが、敵の動きが不明で防衛方法を指示できない状況でした。

 そのため司令官は私たちに米軍の上陸した島に少数で潜入し敵の動向を偵察するよう命令されました。

 私は大尉と共に米軍が上陸した直後の島の偵察を命じられました。

 一応訓練はしていましたが実際にやれと命令されたときはウンザリしましたね。

 まあ、落下傘降下の後、数日間島に潜伏して偵察。その後、海軍の駆逐艦が指定された浜辺に来て収容される、ということだったので何とかなると思いました。

 第九〇〇飛行隊だったかな。そこに所属する隠密輸送用に改造された黒い一〇〇式司偵数機に我々は分乗しました。

 私は中村大尉と組みまして同じ飛行機に乗り夜間に低空を高速で飛び目標の島へ。予定地点で上昇反転し、その瞬間後席から飛び降りました。

 私は降下に成功すると直ぐに落下傘を畳んで隠すと通信機を担いで大尉と合流し米軍の基地へ向かいました。

 その途中で残置された味方に出会いました。

 米軍が上陸した後、水雷戦隊が駆けつけ、守備隊の生き残りを全員救助したと聞いていましたが、やはり全員を収容する事はできなかったようです。

 出会った全員が上陸後の戦いでボロボロになり、今日までずっとジャングルを彷徨っていたんです。

 人間あんなにボロボロになっても生きていけるんだなと思いましたよ。あんな姿になるのはゴメンだと思いましたが。

 まあ私は数日後海軍の駆逐艦に拾って貰えるので安心していましたが、彼等も条件さえ良ければ一緒に収容できるだろうと思っていたんです。

 ですが、そうはなりませんでした。

 大尉は彼らに言いました。


「我々はこの島で米軍と永久持久するためにやって来た。君たちは私の指揮下に入り永久持久、遊撃戦を行って貰う」

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