第5話 群狼魔討伐戦 ②
『オオオオォォォン!!!』
大地を揺るがすような吠声が無数の魔物が跋扈する森の中に響き渡る。暗がりから姿を現したのは、全身に紫の炎を纏った、並みのウルフリータを軽く凌駕するほどの巨大な個体だった。それが地面を踏み鳴らしながら進んでくるのに従い、周囲のウルフリータたちはまるで臣下であるかののように道を開けていく。
「あれは…間違いない。あれがこの群れのリーダー、ウルフリータ・ロードだ」
「そいつはまた、説得力あるな。でもとりあえずは結界で様子を見ながら態勢を…っておい、 結界が…!」
メルたちが、その迫力に慄きながらも冷静に立て直しを図ろうとした矢先、まるでそれを嘲笑うかのように結界の光が弱々しく瞬き、消滅したのだ。
「うそ…これやばいんじゃ…」
「クリス! 何があった!?」
「たぶん、さっきの攻撃で魔法陣の一部が壊されただけよ…。すぐに張り直すわ!!」
そう口にすると、杖を地面に据えて詠唱を始める。再びクリスの周囲には
そう判断したメルたちは、各々の霊脈を活性化させて身体強化を行う。
「とにかく今はクリスを守る! 一匹も近づけさせるな!」
「分かった! でもさっきの冒険者さんたちは…」
レイの指示に応えたメルだったが、今更彼らの存在を思い出してそちらを見る。しかし、幸いなことにウルフリータたちの目下の標的は生きのいいメルたちだけらしく、意識を失って倒れている冒険者たちに目をくれる様子は無い。
「あれは大丈夫だろ! それよか自分らの心配した方が良さそうだ」
「…ああ。できる限り俺たちから意識が逸れるよりも前に殲滅しよう」
エイリークの言葉にレイも頷く。
『オオオオォォォ!!!』
「来るぞっ!!」
響き渡った吠声を合図に、それまで大人しく様子を見ていた魔物たちの数匹が地を蹴り、攻撃を再開した。
ウルフリータの群れとの第二ラウンドが始まったのだ。
☆
廃村の中心で破壊された結界の修復を行うクリスを守る戦いは一進一退の様相を呈していた。
「てあっ!」
左手で構えた丸盾で喰らいついてくるウルフリータを弾き返し、体勢を崩したところにメイスの一撃を加える。
『ガァッ……』
短い断末魔を上げて消滅する魔物の姿を確認し、顔を上げる。
「はぁ、はぁ…みんなは」
肩で息をしながら周囲に目をやったメルの視線の先では、仲間たちもまた激闘を繰り広げていた。
「おらあぁ!!」
エイリークは村の南側、メルとはちょうど正反対の道で同様に魔物の進攻を抑えていた。
彼は大剣の一閃で数匹のウルフリータをまとめて葬り、さらに間髪を入れずに襲い掛かってきた個体もその喉元を捕らえて確実に止めを刺している。
普段よりも気持ち伸び伸びと戦っているところを見ると、まだまだ余裕はありように見える。
そしてレイ。街道に近い北東側を担当する彼は、ロードが率いる群れの本隊との戦闘を強いられていた。
草原を疾走する三頭のウルフリータに追随するレイ。うち一頭が体を捻って勢いを殺し、レイを迎え撃つように飛び掛かった。しかしレイは動じること無くその頭部に短刀を突き立てて両断し、そのまま速度を下げることなく続くもう一頭に鋭い斬撃を浴びせる。
だがそこで、自分が本来いるべき位置から大きく引き離されていたことに気がついた。案の定、開いてしまった突破口を新たに現れた二頭のウルフリータが走り抜けようとしている。
「…統制がとれてるな」
仲間のために自らを囮とした魔物の戦術に舌を巻きながら、レイは地面は膝と手をついて強引に体の向きを変える。
「
『ギャン!?』『グッ…』
無言の投擲は、目的を遂げようとしていた二頭のウルフリータに突き刺さりその勢いのままに地面に崩れ転がった。その結果を視界に収めながら立ち上がったレイの背後では、囮を務めていた最後の一頭が既にとどめを刺され消滅しかかっている。
「ーー戻れ」
そう呟くと、投げれたクナイがひとりでにレイの手の中へと飛来する。その視線の先には既に群れの大半を討ち取られたロードが、憎しみを湛えた眼があった。
「そろそろ終わりにーーー」
その眼光に動じることもなく、レイは両手で武器を構えながら任務の完遂に向けて動き出そうと大地を蹴ろうとするーーー
しかし事はそううまく運ばなかった。
「…んぁ? ここ、は…。っひ!? 誰か、助けてくれ! 化け物に喰われる!?」
件の意識を失っていた冒険者のうち、最初に助けを求めてきた男が目を覚ましたのだ。普段であれば明るく輝いているだろうブロンドの髪を泥で汚し、憔悴した表情で周囲に視線を彷徨わせている。
状況からしてやむを得ないことではあるが、大きく発せられた助けを求める声に反応して一部のウルフリータの意識が男に向き始めていた。覚醒したばかりでろくに戦うこともできないであろう彼が魔物たちの餌食になるのはまず間違いない。
「っち、大人しく寝てれば良かったものを…」
今自分たちの持ち場を離れれば、今度は身動きの取れないクリスが危ない。レイ、メル、エイリークそれぞれがそう思考し、場に一瞬の空白が生まれる。
それを破ったのは、クリスの直衛についていたシーリンだった。
「私が行きます」
そう宣言すると、滑らかな動きで進路上にある家屋の残骸の間をすり抜けるつつ、男への最短距離を駆け抜けた。
「良かった…。ありがとう、シーリン」
咄嗟の判断でありリスクも非常に高いが、今ある中では最良の選択肢を取れた、とメルは息を吐く。視線を落としていたメルの視界の端で、ふと光の粒子が瞬いた。
「…これって」
振り返ると、今まさに術式を修復し終えたクリスが杖を掲げて魔術を発動しようとしていた。
「間に合ったんだ! これで魔物を閉じ込められ……あれ?」
クリスによって打ち上げられた結界魔術が半球状に幕を下ろし始めるのとほぼ同じタイミングで、メルは自分の体に満ちていた魔力が急激に減少していく感覚に襲われた。ほぼ一瞬で全身から魔力が抜けたメルは、一気に体が弛緩し座り込んでしまう。
「あ、れ…力、入らな…?」
辛うじてついた両腕で倒れ込むことは防いだが、ガクガクと震える手足ではいくらも持ちそうにない。そして案の定、間近に巨大な何かが着地した振動を受けて体が大きく傾ぐ。倒れる視界に写ったのは、多数の牙を生やした凶悪な口を開いてこちらに向かって飛び込んでくるウルフリータ・ロードの姿だった。
メルは目もろくに閉じることも出来ないまま迫り来る死に轢き殺されてーーー
「ーーメル!!」
軽い衝撃と共に、視界が急転する。眼下で先程まで自分がいた場所をロードが通り過ぎていく姿を認識したことで、自身が駆けつけたレイに抱きかかえられ、辛うじて命を拾ったことを悟った。
☆
「ーーっ!! レイ!!」
クリスの目の前で、崩れ落ちたメルをレイが抱え、迫るロードから救い出した。その反対側では、同様に倒れ込みそうになっていたエイリークが大剣を杖代わりにすることでどうにか踏みとどまっている。
眼前には、その目標をクリスに変えたロードが迫っている。しかしクリスは突然の急展開についていくことが出来ないまま立ち尽くしていた。
突如二人を襲った現象に、クリスは心当たりがあった。それはあまりにも初歩的で、それこそレイと一緒であれば絶対に起こらない事態だった。長い期間続いた、身内としか関わりを持たない生活が今回の窮地に繋がったのは間違いないと、場違いな分析をする自分がいる。
メルを地面に下ろしたレイがこちらに向かおうと大地を蹴るのが目に入った。もう間に合わないのに、と、どこか他人事な思考が脳裏を掠める。
そんな人間たちなどに構うわけもなく、純粋な殺意をもって開かれたロードの
ーー巨大な暴力の塊がウルフリータ・ロードの横っ面を叩き込まれ、その巨躯が豪快に弾き飛ばされる。ロードはそのまま凄まじい勢いで廃墟となった石造りの建物に叩きつけられ、派手な破壊音と共に土や石を撒き散らした。
「ちょっと、あなたたち何やってんのよ、らしくもない」
「「……!!」」
前に飛び込んできた人物がその身の丈をゆうに越えるロードを容易く吹き飛ばす光景に、当事者であるクリスも、彼女のもとへ向かっていたレイも驚きで固まってしまった。
彼らの視線の先では、件の人物が空中で何度か身を捻りながら手近な建物の柱の上に身軽に着地を決める。
ふと雲の切間から月の光が差し込み、その下に愛らしい耳に長い尻尾を生やしたしなやかな獣人の姿を照らし出されていた。
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