第1話 再会 


 ギルド・シティ。かつての城塞を再利用したセントラル・ギルド現ギルド総本部の建物を中心として発展した、ギルドの本拠地。

 四方を大国に囲まれた要衝としてかつては戦乱が絶えなかったこの地域。そこにギルドという国家とは無縁の組織が門を構えたことで争いは収まり、現在は国際色豊かな活気のある街が形成されている。

 様々な人種、様々な立場の人間が行き交う通りの真ん中で、メルは予想外の人物と再会していた。


「あなた、昨日助けてくれた…」


「………」


 転んだ拍子に身につけていた濃緑の上着ポンチョのフードが取れて、見覚えのある白髪が露わになる。それを見たメルは、自身の運の強さを喜ぶべきか呪うべきかという非常に不毛な悩みを抱くことになった。

 そう、目の前で尻餅をついている彼こそが、昨日森の中でメルの命を救ってくれた少年だったのだ。

 当の少年の方は、その静かな青い瞳でメルの顔をしばらく眺めていたかと思えば、差し出された腕に触れる素振りも見せずに立ち上がってしまった。その上くるりと体の向きを変えると再びフードを被って、メルとは反対方向に向かって歩き出したのだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ!何も言うこと無いの?」


 明らかに自分との関わりを避けようとしたその行動が気に入らず、メルは自分が倒したという事実を忘れて彼の肩に手をかけた。


「ねえ、ちょっと待って!」


「………」


 少年はメルを無視してそのまま立ち去ろうとした様子だったが、掴まれた方の肩がちょっとやそっとの力では動かないことが分かると足を止めた。


「…昨日のことは忘れろって、伝えたつもりだったんだけど」


「まだ昨日から一日も経ってないのに、忘れられるわけ無いでしょ!あんなこと!」


「………」


 それは、霧が立ち込め始めた森でメルに対して見せた仕草のことだったのだろうが、少しばかり頭に血が昇り始めていたメルにピシャリと言い返され、少年は再び黙り込んだ。

 道のど真ん中で行われる押し問答は、彼らに向けられる好奇の視線の数を徐々に増やしていく。少年はそんな周囲の目をはばかるようにフードをさらに目深にした。


「結局、君は何がしたいの?」


「何がって言われると、分からないけど…。強いて言えばぶつかってごめんなさい…?」


「そう。じゃあ、大丈夫。何ともないから。それじゃ」


 要領を得ないメルの言葉に短く返すと、少年は再び歩き出そうとする…のだが、


「違う、それだけじゃないの!本当は昨日、昨日のことが聞きたくてっ」


尚も追いすがってくる少女に、少年はうんざりした様子で溜息を吐いた。


「悪いけど、君に構っている余裕は無いんだ。ただでさえ君のせいで任務に失敗して、食事もろくに…」


 諦めの悪い少女を前についこぼしてしまった言葉に気づいて、少年はゆっくりと口をつぐむ。しかし、飛び出してしまった言葉はしっかりと少女に届いてしまったらしい。


「失敗…」


 少年の言葉を聞いたメルは一瞬呆けた顔になって彼の言葉を反芻したが…


「それじゃ、私にそのお詫びをさせてください!」


すぐにその黒い瞳を輝かせて勢い込んだ。



             ☆



「買ってきたよ。本当にこれだけで良いの?」


「十分だよ」

 

 街の中心からいくらか離れた人も建物もまばらな通り。道に沿った柵に寄りかかっていた少年に駆け寄ったメルは、その手に持っていた随分と年季の入った皮製の袋を少年に手渡した。


「『ギルド印の携帯完全食』。…これだけあればしばらくは何とかなるか」


 彼は受け取った袋を開いて中を確認すると、小さく独り言ちた。

 

 少年がうっかり漏らした言葉に、案の定メルは食いついてきた。その迫力に観念した少年は、任務で得るはずだった報酬を可能な範囲でメルに補填してもらう代わりに、彼女の話を聞くことを了承したのだ。

 

「できる限り返すって言ったけど、何も全部それにしなくたって…」


 少年が指定してきたのは、通称“レーション”と呼ばれるギルドが販売する冒険者向けの携帯食だ。一口二口で食べられてしまいそうなサイズのクッキーなのだが、綿密に組み立てられたレシピによってその栄養価は一日分の食事にも匹敵する。反面、味の方をどうこうする思考は無かったらしく、なんとも言えないケミカルな風味とモサモサな食感が相待ってほとんどの冒険者からは敬遠されている代物だった。


「良いんだ。安いし腹も膨れるから。それより、聞きたいことって?」


 随分と安上がりな感慨を漏らしていた少年はレーションで一杯の袋の口を閉じると、フードでその大半を隠した顔をメルに向けた。


「あ、えーっと…。とりあえずあなたの名前を教えてよ。自己紹介」


「俺は……、俺はレイ。年は、十六くらい。知ってると思うけど、ギルド所属の冒険者でランクは“黒のPポーン”」


 少年は少しの間逡巡して見せたが、すぐに名前を名乗った。


「レイ、さん。十六歳なら私よりもちょっと年上なんだね。って言うかポーン!? 絶対嘘だよ! あれだけ戦えて私と同じランクなわけない!」


「いや、別に嘘をつく必要も無いから」


 メルの言うランクとは、ギルドが定めた冒険者のカテゴリーのことだ。登録したばかりの初心者を最下級の“白のPポーン”として、そこから任務達成の実績を積み上げるごとに“Nナイト”、“Rルーク”、“Bビショップ”…と昇級していく。さらに一つのランクも白と黒の二段階に分けられているため、実力別におよそ10段階の区分がなされていることになる。


「それより、君の名前は?」


「もう、話逸らしたでしょ。私はメル。十四歳。先月に冒険者登録したばかりの新人でランクは“白のPポーン“」


 自身の首元に手を差し入れて、首にかけていた冒険者証ドッグタグをレイに見えるように取り出したメル。そこには確かに、新品同様の小さな鉄板が握られていた。


「やっぱり新人だったのか」


 レイはメルの姿を上から下まで眺めると、何やら一人で得心のいった様子で顎に手を当てる。

 確かに、身につけているピンクブラウンの戦闘服は、他の同年代に比べて少々小柄なメルには大きくて幼さが増しているように見えるかもしれない。が、メルとしては、会って間もない少年に馬鹿にされるようなことでは無いと口を開きかけた時、


「やあ、お二人さん。デートか?」


思わぬ横槍が入ってきてその気勢が削がれてしまう。

 声のした方を見ると、屋台を引いた麦わら帽子のおじさんが通りがかる姿が目に入った。


「おじさん、今私たち大事な話をしてるの。茶々入れないでよ」


「まあまあ、良いじゃねぇか。どれ、立ち話も手持ち無沙汰じゃ捗らないだろ?お一つどうだ?」


 気の良さそうな店主は、屋台から新鮮な果汁を注いだと見られるグラスを二つ取り出してメルに渡してきた。


「ちょっとおじさん今そんなの…って、何これすごい冷えてる!」


「だろう。高い金はたいて買った魔法家具だ。どんなものでもキンッキンに冷えたまま保存できるんだ。ほら、そこの陰気なフードも飲むと良い。ま、お代はもらうがな」


「いや、俺は…」


「レイも飲もうよ!これすっごく美味しそう!ほらーーーあっ!?」


「ーーーおい、お嬢ちゃんっ!!」


 あまり歓迎していなさそうな雰囲気のレイにグラスを持っていこうとしたメルが、不整地な地面に足を取られて転んだのだ。不出来な万歳のような姿勢でレイに向かって倒れた結果、両の手に持っていたグラスの中身のほとんどをレイが浴びることとなった。


「痛った〜い…って、レイ!ごめんね!?」


 地面に倒れ込んだメルが呻きながら身を起こすと、目の前には無地な上着を果汁色に染めたレイが呆然とした様子で立っていた。


「本当にごめんなさい…。ちゃんと洗濯して返すから、すぐに脱いで!」


「いや、良い。気にしないから脱がすな。やめっ! 君本当に力強いなっ!?」


 慌てて立ち上がったメルはレイに迫ると、その上着を脱がそうと掴みかかる。レイはそれに抵抗したが、メルの剛腕には敵わず敢えなく上着を剥がされてしまった。


「おじさんもごめん!お金はちゃんと払うから……おじさん?」


 正面にあったタスクを完遂してメルは、背後の店主に向き直った。が、メルの目に入ったのは、気の良かった顔を憎々しげに歪めた店主の顔だった。


「お前…」


 鬼気迫るその視線の先には、上着を剥ぎ取られたレイの姿があった。

 

 深緑のポンチョの下から現れた、黒いアンダーアーマーに必要最小限の鎧を身に付けた戦闘服と、彼の首に掛かったーーー


「ーーー黒い冒険者証」


それはごく当たり前の冒険者が身に付けているはずの無い、いや、代物だったのだ。


「レイ…それ、札付きのーーー」


「お前っ!『死に損ない』のレイだな!!?」


 震える喉を振り絞ったメルの言葉は、店主の男の罵声によって容易に掻き消された。


「ーーーぐっ…!」


 レイが何かを言うよりも先に、店主が彼の胸ぐらを掴んで強引に持ち上げる。


「薄汚い人殺しが、のこのことお天道様の下に出てきてんじゃねぇぞ!しかも俺の食い物にまで手を出しやがって!」


店主は唾を飛ばしながら罵ると、その太い腕を振り上げた。


「やめっーー!!」


 メルの制止が届くよりも先に、鈍い暴力がレイを襲った。

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