第3話

「ちょっと、レジストリエディタなんて開くのやめてよ」


 突然の横槍に広木はぼう然として手元を止める。パソコンのディスプレイから顔を上げると、リーダーの阿達が広木の席に腰を片側だけ乗せるようにしてそこへ立っていた。突然声を掛けられたことへもそうだが、そのぞんざいなもの言いに敵意に似たものを感じる。

「いえ、この値の確認をする手順になっているんですよ。設定値を触る訳ではなく」

「あー、ビックリした。それならそれで確認終わったら早くその画面閉じてよ」


 確認したら直ぐに閉じるに決まっているだろうと思いながらもそれは口にはせず、妨げられた確認作業に広木は手を戻した。黙々と仕事に没頭していて気が付かなかったがコイツはいつからここにいたのだろうと思う。たまたま通りすがりにディスプレイを目にして声を上げたのだろうが、所定の作業工程通りのオペレーションに対してこのようにいちいち声を上げられては堪らない。あたかも自分が勝手で危ういことをしているかのようであったではないか。阿達の大きな声を耳にした人には自分が叱責されているように映ったことだろう。手元の作業に意識を戻しながらも、広木は考えれば考えるほど納得が行かなくなる。ここまで順調だった仕事を台無しにされたような汚されたようでやり場のないもどかしさをグッと堪えた。


 他人を中傷することも含め、広木はネガティブな発言は極力しないように常日頃から心掛けていた。だが阿達の事あるごとの言動は絶妙に一線を逸していて、広木には生理的に受け入れられない異物感のように感じていた。そんなこともあり、同じチームで仕事をしながらも極力阿達を避けながらやり過ごしていたかった。しばしば例えで用いられる「他人の問題に土足で~~」などといった表現があるが、上手く例えられないが阿達の場合は声を掛けてくる内容やタイミングが余所の家の寝室に真夜中に窓や壁をぶち破って押し入って来るような、そのような相手の都合やタイミングを考えない唐突な様子が窺えた。

 ある日夜勤明けでそのまま出社している若手が昼休みに仮眠をとっているところへ近付き思い切り背中を平手で叩いて起こし、自分の用事を一方的に寝ぼけナマコのその若手に告げていた。この日のレジストリエディタのくだりも広木に取っては似たようなものだった。

 こうした言動の一つひとつが鼻に突いて仕方が無い。何かの間違えで阿達がランチのグループに混ざったある日、食後に会計を済ませようと席を立とうとしたところでレジ脇のスイーツのディスプレイの中のティラミスが食べたいと言い出した。皆口にはしなかったが、「この時間からまた食うのかよ」であるとか、「単品で800円という値札を見て言ってんのか」といったところか、「何言ってんだコイツ」といった微妙な間を広木は見逃さなかった。ティラミスの最初の一口を口にした時の「濃厚だよ」といったコメントに対してもまた「何言ってんだコイツ」といった間があった。会計の際にオーダーが自分だけ違うからと一番後に回りながらスタッフの若い女性と得意げに会話をしている様子が寒かった。

 仕事では曲がりなりにもリーダーを任されている以上一目置かれていたのかも知れないが、このように何をやっても一々浮いてしまうタイプなのだと不憫にも見て取れた。当然彼女もいない。

 週末のある日、広木は駒沢通を気晴らしに代官山方面に車を走らせていると、クロスバイクを立ちこぎで急な上り坂を登る阿達を追い越す恰好となった。余りオシャレとは言い難いその佇まいに可哀そうになる。そう思うと一気に興味が失せて何だか許せてしまえそうではないかと不思議な感覚を覚えた。


 こうした日々の問答を意外に杏子は新味になって話を聞いてくれた。元々は愚痴や弱音を自分から吐露するではなく、少し着飾ったりしながら食事にでも誘いあわよくば少しエッチな関係にでもなれないかと思っていたのだが、大人の器量は余裕のない若者を凌駕することは容易いのかも知れない。

「またゆっくり話聞くよ。せっかく家近いんだしさ」

「杏子さんは同じような職場での悩みとか無いの。あれば僕にも聞かせてよ」

「そうだなぁ、私は現場によって関わる人が変わるから少し勝手が違うかもだけど」

「そうなの?何の仕事してるのか聞いてなかったな。差し支えなければ教えてよ」

「人に話をしてもらう仕事だよ」

「何それインタビューする人みたいじゃん。女子アナみたい」

「アナウンサーだよ」

「え、そうなの?」

「詳しい話は今度会った時にでもね」

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