第23話:窓なき戦闘空母
バレンタイン達が乗務するOCV56アルテミスには窓がない。
外部との接触は全てカメラによって行われ、指揮所の中心にはエリス全体を映し出す球形の立体モニターが配置されている。さらに指揮所の艦長席から見える場所にはアルテミスの周囲を警戒するスクリーンが複数設置され、
イントルーダーはレーダーには映らない。そのため合計八隻の軌道空母群は常に無数の衛星を展開し、画像による索敵を行なう必要がある。
もちろんこれは肉眼では行われない。対イントルーダー戦においてはUNRO衛星群からの画像解析によって索敵を行なっている。そこで少しでも差異があれば軌道航空打撃群の戦況表示スクリーンに投影されるというのがアルテミスを始めとする軌道空母の索敵行動だった。多くの場合は
肉眼で外を見ることができないアルテミスの搭乗は味気ない。そのため、両舷側にはこじんまりとした展望室が備えられていた。なぜか展望室が好きなトピアを始め、この舷側展望室を好む乗務員は多い。
バレンタインはブラブラとこの舷側展望室に足を伸ばすと、トピアに教わった通りにUNRO衛星を操作し、頭上からエクレアの姿を眺めてみた。
今の地上の時間は午後三時。UNRO衛星が送ってくる画像の中でなぜかエクレアが踊っている。
「なんだよ、ワルツか」
意外としては意外な組み合わせに思わず独り言が漏れる。
元はと言えば、エクレアを地上に送ったのは彼女の精神衛生のためだった。人と交わらず、ただひたすらにアルバトロスを駆ってイントルーダーを追いかける。これでは早晩気が狂うか、あるいは戦死してしまう。そのために地上のヘムロック教会孤児院に連絡を取りエクレアとルビアを送り込んだのだが、どうやらその目論見は一定の成果を出しているらしい。
とは言え、さすがにワルツを踊るとは思っていなかった。これは完全に予想外だ。
バレンタインはタブレットに再び目を落とす。タブレットの中のエクレアは小さな女の子と一心に踊りを踊っていた。
(へえ、ヘムロック教会孤児院では近々運動会があるって言っていたが、そこで踊りを踊るのかいな)
エクレアのワルツはバレンタインの目で見てもだいぶん様になっていた。三角形にステップを運び、手にした子供の背中を片手で支える。
(ふむ……まあ、その子供と仲良くしているのであれば何よりだ)
バレンタインは手にしたタブレットの中のエクレアをいつまでも眺めていた。
+ + +
運動会まであと二週間。ヘムロック教会孤児院は運動会の準備に忙しい。
百三十人の孤児たちを年齢別にグループ分けし、それぞれに色違いの帽子を配る。全部で七組。アンの組は一番年少のピンク色のグループだ。
「ねえエクレア、わたし達は白でいいのかな?」
ルビアはエクレアに訊ねた。
「……うん、どうなんだろう?」
そんなことを聞かれてもこれといった答えをエクレアは持ち合わせてはいなかった。
「エクレアは紫にしたいんじゃない?」
白いヘッドバンドを頭に巻きながらルビアがエクレアに訊ねる。
「……そうね。でも紫はダメっぽい、かな」
ヘムロック教会ではシスター達も農作業に従事するため、全員が黒い修道服に身を包んでいた。身体は黒衣、頭にも黒を基調とした頭巾をかぶっている。
これまでエクレアは服装についてあまり深く考えていなかった。とりあえず毎日白いTシャツ、そして下はチノパンツ。背中には特注のオレンジ色の稲妻マークを施している。
しばらく二人で相談した結果、結局服装は変えないことにした。今更服装を変えるのも面倒だし、そもそも紫色にオレンジ色の稲妻マークが宗教的にどう判断されるかも不透明だ。
それであれば教会が提供してくれる服装のままで行こう。背中に描かれたオレンジ色の稲妻マークにはすでに実績がある。今更止めろと言われるとも思えない。
そういう訳で今日も二人は白いTシャツに身を包み、ルビアは子供達の引率の手伝いを、そしてエクレアはアンの面倒を見ることになった。
いつものように集まった子供達から弾き出されたようにアンがエクレアの元に駆けてくる。だが、その様子は少しも悲しそうではない。むしろ喜んでアンがエクレアの足元に絡みつく。
「さあアン、今日は最初にかけっこの練習をしましょう」
「うんッ」
ピンク色の帽子を被ったアンが嬉しそうに頷く。
アンの学年の子供達は五〇メートル走を競うことになっていた。
ならば五〇メートルに慣れさせないといけない。
今日エクレアは倉庫からレーザー式の距離計を持ち出していた。距離を測るだけならスマートフォンのレンジファインダーでも代用できるのだが、エクレアは本番と同じ距離ということにこだわった。
スマートフォン同様、レーザー式のレンジファインダーも何か目標物が必要だ。しかし何か目標物を設定した場合、真っ直ぐ走るとその目標物に衝突してしまうためゴールを駆け抜けることが難しくなる。
そこでエクレアは三角のカラーコーンを使って距離を測り、スタートラインとゴールラインを引いてからカラーコーンを取り除くという面倒なことをしていた。スタートとゴールラインにはラインマーカーを使ってちゃんと線を引く。これから運動会の日まで雨が降る予報はなかったので、一度ラインを引いたらしばらくはその場に線が残るだろう。
アンが走る姿を見られたくなかったので、エクレアはコースを教会の裏に設定した。子供達は表の園庭で練習をしている。教会の裏ならクラウチングスタートを見られる恐れはない。
ところでエクレアは知らなかったが、密かにルビアは二人の練習についての了承を院長からもらっていた。そもそもが放任主義の孤児院だ。人と交わろうとしないエクレアと、同じく人見知りのアンが二人で何やら練習をしていることについてはむしろ大歓迎だという。
『あのアンがエクレアさんに懐いてくれて、私達も嬉しいんです』
ルビアがエクレアのことを相談しに行ったとき、セシル院長は明るい笑顔を見せて喜んだ。
『どうかあの子に笑顔を取り戻してあげてください』
裏でそんなことがあったことは露知らず、エクレアは五十メートルのレーンを描くとアンをスタートラインに並ばせた。
最初は自分も一緒に走る。
「じゃあ行くわよアン」
「うん」
隣でしゃがんだエクレアに合わせて、アンもクラウチングスタートの姿勢をとった。
「よーい、ドン」
エクレアの掛け声と同時にアンは全速力で前に飛び出した。
+ + +
エクレアはアンが疲れすぎないようにかけっこの練習を一時間と決めていた。
毎回走り終わるたびにエクレアがアンに対してもっと速くなるためのヒントを与える。
エクレアが見たところ、アンのスタートは申し分ない。ところがゴール前でアンが失速してしまう。最後まで全速力で走れない。
「いいことアン、ゴールをくぐっても止まっちゃだめ。もう少し先まで全速力で走るのよ」
「わかった」
アンがこっくりと頷く。
だが、ゴールライン付近で減速してしまう癖は直らない。
そこでエクレアはゴールラインから五メートルほど先にもう一本ゴールラインを設定した。
「アン、この線まで走るの。こっちが本当のゴールラインよ。わたしがゴールに立っていてあげる」
「うん」
エクレアは自分で設定した真のゴールラインに立つとアンに大きく手を振った。
「じゃあ行くわよ、よーい……」
一時間のかけっこの後はお遊戯の時間だ。
練習を始める前にエクレアは子供たちが踊る様子を目を皿のようにして観察した。
曲は「美しく青きドナウ」だったが、子供達の踊りの練度はかなり低い。どちらかと言えばワルツというよりはただ円を描いてみんなで回っているように見える。
一方のエクレアはすでにシシリア夫人から基本的な動作を伝授されていた。
胸を張り、身体の重心を意識する。後はターンのタイミング。足の位置は後から勝手についてくる。
人並み外れて身体能力が高いエクレアはシシリア夫人の教えをわずか三日でものにしていた。考えてみれば社交ダンスに高度な技術が必要な訳がない。タンゴとかのラテン系ダンスならともかく、孤児院が運動会で披露するダンスに高度な技術はほぼ無用だ。
エクレアはキングフィッシャー・パブでシシリア夫人から踊りのイロハを伝授されると、早速アンと一緒にワルツを踊ってみた。エクレアが男性の係、アンは女性の係。
だが、身長の差がネックになってエクレアが回るとアンの足が宙に浮く。
「あははは、すごいすごい」
アンは宙を舞う自分の姿に喜んだが、エクレアとしてはただアンを振り回しているだけの状態はなんとかして避けたかった。
そこでエクレアは自分がターンすることはやめ、アンのタイミングでターンするように様式を変更した。これならエクレアがターンした時にアンの足が地面から離れることはなくなる。
「さあアン、ぐるっと回って?」
「うん、エクレア先生」
子供と踊るダンスは楽しい。
エクレアは毎日アンが疲れ始めるまでダンスの練習を続けた。
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