14-02 北の海の船団長

 大きな氷が浮かぶ海に何隻もの船が航海していた。

 ここはイスペイの近海で世界でもっとも寒い海だと言われている。

 しかしイスペイはほとんど山しかない土地で、鉱山などには恵まれているが食料は海の幸に頼る比重が大きかった。

 そんな沖での漁から戻る船団の先頭を走る船の船首に彼女は立っていた。

 マリリン・タートラン、彼女こそがこのイスペイの女領主だった。


「マリリン様、お帰りなさいませ」

「今帰った、爺」

 桟橋でマリリンを出迎えるのは長年タートラン家に仕えてきた老人だった。

「そろそろこういった無茶はおやめくだされ⋯⋯マリリン様の身に何かあれば先代のご主人様にあの世で会った時に合わせる顔がありません」

「そういうな爺、これは数少ない私の楽しみなんだ、それにこの国の生活を支える者たちを常に身近に見ておきたいじゃないか」

 そんな風に笑うマリリンだったが老人はそれが唯の息抜きで娯楽なのだという事くらいとっくに知っていた。

「はあ⋯⋯仕方ありませんな、本当にお気をつけくだされよ⋯⋯」

「わかっているさ、爺」

「それでマリリン様が居られない間に連絡がありました」

「ほう⋯⋯何処から?」

「エルフィード王国王太子アレク殿下からです⋯⋯銀の魔女様の訪問の日程が決まったと」

「来たか!」

 マリリンはそれまで被っていた船長帽を外す。

 真紅の燃えるような長い髪が風になびいた。

「さあ戻るぞ屋敷へ、詳しい話はそれからだ」

「かしこまりましたマリリン様」

 女手一つで領地を取り仕切る一方で、名誉船長として時には船団を纏める事もある女傑。

 それがマリリン・タートランの日常だったのである。


 今ネージュはリオンとセレナと共に今度のイスペイ行の対策会議を行っていた。

「まあそんな所だな、私が知っているマリリンの事は」

 マリリンの事を一通り語ったのはセレナだった。

「聞きしに勝る女傑ですね⋯⋯」

「すごい人だなあ⋯⋯」

 セレナは過去を懐かしみながら語る。

「マリリンは私やアナスタシアとは少し離れた年下の世代だったから直接話をしたことは少ないが、奴の武勇伝は私達が結婚した後もよく聞こえていたよ」

「なるほど⋯⋯ある時は冒険家、またある時は経営者として領地を取り仕切る⋯⋯凄い女性ですわね」

「まあ欠点は三十歳を超えた今になっても、まだ結婚出来ていない事くらいだな」

 そう言いながらセレナは笑った。

「寂しくないのかな、その人?」

「おそらく寂しいなど思う事もなく駆け抜けた人生だろうな、マリリンは」

「そうなんだ」

 アレクの元に嫁ぐ事が人生の目標になっているリオンにとって、そんなマリリンの人生は理解できないものだった。

 一方ネージュは一時期アレクに嫁ぐよりもこのまま商売に生きていたいなどと考えていた事もあったため、そのマリリンの生き方は憧れのようにも感じた。

「⋯⋯その、タートラン様の事はよくわかりましたセレナ様」

「それは何よりだ⋯⋯で、どうだ? どう攻略するんだネージュ?」

 そう面白そうにセレナはネージュに問いかける。

 彼女たち三人が話し合っている議題それは、今度のアリシアのイスペイ行に同行して商談を纏める為だという事だ。

 その為には相手のマリリンの事をよく知っておかなくてはならないのだが、これまでネージュはマリリンとは面識がなかった。

 しかしセレナは昔何度か話した事があるという事なので、参考にしようと今回その人物像を聞くことにしたのだった。

「⋯⋯はっきり言って簡単だと思います、話にならないくらいこちらに有利ですわ」

「ほう⋯⋯してその心は?」

「イスペイを代表する人物が女性の⋯⋯しかも三十歳なんて美容液の営業に飛びつかない方がおかしいですわ⋯⋯むしろどれだけこちらが自制するかが問題ですわね」

「自制する?」

 リオンはネージュが言った意味がわからなかった。

 そしてそれをネージュは優しくリオンに説明する。

「儲けて当然の商売になるという事なのよ今回は、だから今回の取引そのものよりも今後の事をどう考えるか⋯⋯という問題になってくるのよ」

「よくわからない?」

 セレナがリオンに解説する。

「いいかリオン、お前は今喉が渇いてもう駄目だ⋯⋯という時にお金を持っているが役に立たん」

「はい、わかります」

 リオンはそのセレナが話す仮定の状況を想像する。

「そこへ水を売ってやろうと商人が現れた⋯⋯お前は買うだろ?」

「はい⋯⋯買います」

「その商人はコップ一杯の水を金貨一枚でお前に売った⋯⋯買うか?」

「うーん⋯⋯買うかな? 喉が渇いて死んじゃうよりは⋯⋯」

「そう売れるのよ、そういう相手の足元を見るような時には、でもね⋯⋯」

「リオン、お前は次からもその商人から水を買いたいと思うか?」

 そのネージュとセレナの語る仮定を想像してリオンは⋯⋯

「その時は買っても、もう次は買いたくないかな?」

「だろ、次からは買わずにすむように行動する事を考えるだろ?」

「もしくはもっと安く売ってくれる人を探すとか」

「⋯⋯つまり今度の取引はずっと続けていきたいから今回だけ儲かっても仕方ない⋯⋯相手に損をさせたと思わせたくない⋯⋯って事かな?」

 そうリオンは答えをまとめた。

「その通りよリオン」

 正解に辿り着いたリオンをネージュは褒める。

 リオンはこれまで貨幣経済とは無縁の人生だった。

 それがここイデアルへ来て冒険者ギルドの運営を手伝う事になって初めて、お金という物を身近に扱う事になったのである。

 そんなリオンが今後はアレクの妻としてエルフィード王国の王妃になる以上は、経済についても知っておかねばならないのだ。

 そしてそんなリオンには近々大きな責任がのしかかる事になっている。

 その仕事とはアクエリア共和国東の都のエルフ族が住むガディア大森林へ行き、そこのエルフと国交を結ぶという使命だった。

 これはアレクの望みではない王国貴族たちの望みだ。

 リオンをアレクの妻に迎える事はそういったメリットがあると知らしめることによって、リオンとアレクの婚姻が円滑に行われるだけという⋯⋯そういう嫌な根回しだった。

 しかしリオンにいきなりそんな外交が務まる訳がない。

 そこでネージュは自分とマリリンの交渉を間近でリオンに見せる事によって、少しでも参考にしてもらおうと画策していたのだった。

「私がガディアのエルフと仲良くなるには相手が喜ぶことをしなきゃいけない⋯⋯でも損をさせたと思われてもいけない⋯⋯って事?」

「ああそうだ、ガディアの民には我々エルフィード王国と付き合う事が今後の役に立つと自発的に思ってもらう事が一番望ましいな」

「難しい⋯⋯」

「そちらはまだ先の話だし、今は私の商談を纏める所を見てて、リオン」

「うん⋯⋯わかったネージュ」

 そんな風にネージュとセレナによるリオンの教育は進んで行くのだった。


 一方その頃、爺から今度のアリシアの訪問の日程を確認したマリリンは⋯⋯

「ずいぶん急だな爺?」

「何かお急ぎの理由があるのかもしれませんな」

「ふむ⋯⋯」

 とはいえつい最近南の領主のドレイクから次のアリシアの訪問先が北⋯⋯つまり自分の所だと聞いていたのだ。

 だからマリリンは最低限のアリシアをもてなす準備は既に出来ていた。

 そのアリシアの訪問目的は、この国に転移門を創る事と観光である。

 それ自体は歓迎すべき点だ、しかし⋯⋯

「このご一緒に来られる公爵令嬢⋯⋯目的は何でしょうか?」

「おそらく『プリマヴェーラ』の営業だな」

 あっさりとマリリンはネージュの企みを看破する。

「最近出来たばかりの美容品会社ですな⋯⋯なるほど」

 そしてマリリンは不敵に笑う。

「今回はタフな取引になりそうだな、爺」

「ですな⋯⋯何なりとご命令を」

 こうしてマリリンの領地の発展を賭けた接待が始まる。

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