01-09 月に祈りし者たち

 次の日アリシアは極寒の大地に居た。

 此処はグリムニア大陸では無く、そこから北西へ約二千キロ程離れた所にある人跡未踏の小さな大陸である、大型の竜種や魔獣の楽園であり、まさに知られざる世界であった。

 アリシアは狩や素材採取の為よく此処へ訪れている、始めて師と共に此処へ訪れた際は一日中空を飛び続けると言う強行軍で、疲労と不安で死にかけたのをよく覚えている、師が隣に居なければ辿り着け無かっただろう。

 まあ、今では転移魔法で一瞬なのだが⋯⋯

 今回アリシアは竜種を狩る為に此処まで来た、王国への手土産にする為に、最初にある程度実力を示しておくことにより無用の諍いを未然に防げる⋯⋯との師の教えに従って。

「手頃なのが見つかるといいんだけど、赤や青みたいな在り来たりのじゃ無いのが⋯⋯ 」

 ちなみに赤竜や青竜は、グリムニア大陸でもよく見られる竜種である、比較的弱い部類の為繁殖力が高く若い個体なら少し探せば直ぐに見つかる、だが今回はもっと珍しい獲物を求めて此処まで来たわけだ。


 それからしばらくの後、アリシアは一頭の黒竜を見つける、大きさも申し分ない。

 ゆっくりと慎重にアリシアは黒竜へと近づく、そして黒竜を攻撃すべく大きな魔方陣がアリシアの前方に魔力によって描かれる。

 この段階で黒竜はアリシアに気づき攻撃を仕掛けた、そのブレスは黒くあらゆる存在モノを腐食させる性質を持つ、しかしそれがアリシアに届くことは無かった。

 アリシアの周囲には魔力障壁が展開されており、それが黒竜のブレスを通さない。

 そしてアリシアの魔法が完成、解き放たれる。

「穿て、雷神の槍よ⋯⋯」

 周りに誰も居ないためアリシアは、お気に入りの本の登場人物の物まねなんかをしてみる。

 魔法陣から解き放たれた高出力のいかずちが、黒竜の心臓を正確に貫きその生命のともしびをかき消した。

 黒竜の死亡を確認した後、アリシアは近づきそっとその手を黒竜に触れさせる。

「我が名はアリシア、あなたの命を奪いし者、今あなたの魂に誓う、あなたの命、血の一滴、鱗の一枚に至るまで決して無駄にせず、我が糧とする事を⋯⋯あなたに善き来世が有らんことを」

 黒竜の魂をアリシアは転生魔法で来世へと送った。

 その後黒竜の死骸を収納魔法で回収し、即座に魔の森へと転移する。


 魔の森の魔女の庵の裏手には、大型の竜や魔獣などを解体できる広さの空き地がある、そこに黒竜を取り出しすぐに血抜きの準備を始める。

 今回の竜は、今後の王国との橋渡しとなるべく贈り物となる予定である、なので極力傷つけないように原型を保ったまま持っていくつもりだが、血抜きだけは別だった。

 死後すぐに血を抜かないと保存状態が悪くなり、また血そのものも駄目になってしまう、竜の血は様々な薬や触媒に使える、なので一滴たりとも無駄にできない、また抜いた後即座に適切に保存しなければすぐに劣化してしまう、だからこの作業だけは人任せにする気にはなれなかった。

 保存の魔法文字ルーンを刻んだ瓶に竜の血を詰め終える、これも一緒に渡すつもりだ。

 そして竜と血の全てを再び収納魔法へと仕舞うとアリシアは、次の準備へと移るのであった。


 一方その頃、王宮では⋯⋯

 会議も二日目になり、次第に熱を帯びるようになって来ていた。

 エルフィード王国の財務大臣であるカネール・ゴードルはこう語る。

「今回エリクサーの買取で大金を支払いましたが、その半分いや三分の一でも売りに出せば十二分に補填できます。 今後もエリクサーの安定した供給があれば、我が国の貴重な財源となるでしょう」

 また魔導大臣のマリウス・バードナーは⋯⋯

「魔女様の力添えがあれば、帝国と比べ遅れを取っている我が国の魔道技術も発展するでしょう」

 それらの意見を聞き纏めるラバン、しかしここまでほとんど発言をしていない者がいた。

 その人物はこの国の軍務全般を取り仕切る、将軍のドラン・ルックナーである。

「ドラン、お前は何か意見が無いのか?」

 そうラバンが問いかける、そしてドランはゆっくりと口を開いた。

「王よ、私は今のこの状況を、あまり良く考えていないのです」

「ほう、詳しく聞かせてくれ」

 ラバンはそろそろ反対意見も聞きたい、と思っていたところだった。

「まずこの国を長年守ってきてくださった、森の魔女様には感謝しかありません、しかし高齢の為いずれ居なくなることは分かっていた事です、そしてそうなったその時の為に我々は五十年準備してきたはずです」

 そこでドランはいったん言葉を区切り複雑な表情を見せる、それをラバンは咎めない、何故ならこの五十年の準備期間で最も苦労をしたのはこの国を守る軍部だったからだ、そしてこのドランは副将軍時代も含めれば、実に二十年以上もこの国を守る準備に人生を捧げて来たのだ。

 森の魔女の弟子が現れたからと言って、すぐに割り切れる物ではないだろう。

「その魔女様を信じ切れていない事も有ります、だからと言って冷遇して追放⋯⋯そして他国に渡りいつかこの国の脅威となる、なんて馬鹿げた事は絶対避けねばなりません」

「まったくその通りだな」

「つまり我々はその魔女様と信頼を築かねばなりません、しかしその為に依頼や報酬をやり取りして行けば、またこの国は五十年前に逆戻りになるかもしれません」

「確かにその通りだ、で何か提案はあるか?」

「⋯⋯それが思いつかずこれまで発言できませんでした、王よ申し訳ございません」

「まあ良いまだ時間はある」

「⋯⋯いっそ魔女様を大した権限もない名ばかりの名誉職か身分を与えて飼い殺しにし、そして本当に困った時だけ縋れたら⋯⋯などと考えてしまう浅ましい自分を恥じ入るばかりです」

「⋯⋯確かに一つの理想ではあるなその案は、こちらにとってはだが⋯⋯なかなかいい話だった、さあ皆も遠慮なく意見を出すがよい」

 まさかその案が一番アリシアを喜ばせるであろうとは、この時誰も思っていなかった。

 その後も出てくるアリシアへの対応への様々な案を、ラバンは一つ一つ熟慮するうちに二日目が終わるのであった。


 そして残された日数をアリシアは、様々な礼儀作法の練習に費やした。

 元々アリシアは師から厳しく作法のあれやこれやを叩き込まれている、師が亡くなってから一人で過ごすうちに段々とズボラで合理的な生活へと変化していったので、今一度身に着けなおしているのである。

 師曰く、「だらしなく洗練されていない魔女なんて、恥ずかしくて人前に出れないだろ」との事、まったくもってその通りであった。

 アリシアは先日の事を恥じていた、これからは師の名を汚さぬよう、むしろ師の名を高める弟子だと思われたい。

 その一心で訓練を続けるのだった。


 そして、あっという間に四日間が終わろうとしていた。


 夜の帳の下りた後、未だ明かりの消えない王の執務室にてラバンとアレクの二人は最後の作業に取り掛かっていた。

「父上、明日はいよいよ魔女様をお迎えする日です、もうお休みになられては?」

「あとこれだけ纏めれば休むさ⋯⋯お前の方こそ先に休んでいていいんだぞアレク」

「いえ私の方は最初の頃、あまりお役に立てませんでしたから⋯⋯」

 アレクは最初の二日間は、王の謀殺未遂の犯人の取り調べに掛かりっきりで、会議に参加できたのは三日目からだった。

「いや、よくやってくれたアレク、お前のお陰で儂はこっちに集中できたからな」

「父上、もう少し余裕のある日程を魔女様に提案しようとは、思わなかったんですか?」

「ならアレクよ、お前ならどの位の期間が適切だったと思う?」

 アレクはしばし考えを巡らせる、そして一つの答えに辿り着いた。

「適切な日数なんて無いんですね、父上」

 ラバンはその答えにたどり着いた息子に満足気な笑みを浮かべる。

「そうだアレク、最低限必要な日数という物は存在しても、適切な日数などない、皆の前でも言ったが魔女は気まぐれで時間をおけば気が変わるやもしれぬ、しかしそれとは別に期限に余裕があれば魔女を巡る家臣たちが欲をかき、意見が割れ無駄に時間を浪費する事は容易に想像がついた、それだけは避けなばならん」

「だからこんな厳しい日程だったんですね、皆が余計なことを考える余裕を無くすために」

「平時には平時の、そして鉄火場には違った人の纏め方があるという事だ、しかしお前が参加した三日目で大体の概要が決まった事は行幸だった、お陰で少し余裕ができたからな」

 アレクは父に認められた事が嬉しかった。

「アレク、明日はお前も魔女との会合に参加してもらう、もし全てが旨くいけば儂よりもお前の方が長い付き合いになるのだからな、よく見極めるんだぞ」

「わかりました、父上」

 ラバンはふと部屋の窓から夜空に浮かぶ月を眺める、そしてアレクも釣られて見た。

「明日はこの国の運命を変える、長い一日になるな⋯⋯」

「はい、父上」


 同時刻の魔の森、魔女の庵ではアリシアが家の裏にいた。

 そこには小さな墓標が置いてある、師の遺灰は森中に散骨してしまったためこの下に何かが埋まっている訳ではないが、それでも何となくアリシアが立てずには居られなかったのだ。

 その墓標に向かい、膝を付き手を組みながらアリシアは祈る⋯⋯

 明日という運命を変えるであろう一日の無事を、師の名誉を守れる自分で有れるようにと。

 祈り終わった後、何気なく月を見上げる。

「⋯⋯」

 月を見上げアリシアは何を想うのか⋯⋯それは今は誰も知らない。


 王宮の角にある高い尖塔の一つ、その最上階がフィリスの自室だった。

 フィリスは今日まで特に何かをしていたわけではない、たとえフィリスが会議に出たとしても大して役には立てなかったからだ。

 それよりも大事な使命が、フィリスにはあった。

 明日までに体調を最高の状態へと、持っていくことである。

 そう、もしこの国と魔女の交渉が決裂し、戦う事になればどうにかできる可能性があるのは、フィリスだけだったからである。

 フィリスは自分の役目がはっきりと分かっていた、そして準備をしてきた。

 しかし願わずにはいられない、この準備が無駄になることを⋯⋯

 フィリスは一人窓辺に立ち、手を組みながら月を見上げ、亡き母を想いながら祈る。

「セレナリーゼ母様、どうか私たちとこの国の未来を見守りください⋯⋯」

 そして後、もう一つだけ願った。

「どうかあの子と、仲良くなれますように⋯⋯」


 今夜の少しだけ満ち足りていない月は、それを見上げ祈る者全てに等しく、その優しい光を降り注ぐのであった。

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