01-07 魔女の初めての契約の履行

「フィリス様がお戻りになられたぞー! 門を開けろー!」

 フィリスとアリシアが、城の城門付近に現れるや否や兵士たちの大きく、よく通った号令の下すぐさま開門された。

 無論兵士一同アリシアの事は気づいており、訝しんでは居たがフィリスより「心配いらない丁重に対応せよ」の一言で、事なきを得る。

 城門をくぐりすぐ間近で城を見上げるアリシアは、ただ圧倒されるばかりである、上空から見下ろすのとは随分印象が変わって見えた、そもそも城は見下ろす事など想定されておらず、見上げる事によって威厳や美しさが演出されるよう、計算されて作られているのである。

 これから王と会うことになる、師の名を汚さぬように気を引き締めなければ⋯⋯とアリシアは心に誓う。

「では兄さまは今、謁見の間に居られるのですね」

「はい、その通りであります」

「では私はこちらの魔女様を、お父様の所へお連れします、兄様に途中で合流できるよう伝令、お願いします」

「解りました」

 その兵士は短く敬礼した後、すぐさま走り出す。

「魔女様、お待たせして申し訳ありません。こちらへご案内させていただきます」

 突然話しかけられ我に返る、どうやらアリシアの気がそれていた間に何やら話が進んでいたようである。

 その後、フィリスを先頭にそのすぐ後ろにアリシア、そしてさらにその後ろには数名の兵士が付き従う形で隊列が成され一同、王の寝室へと進む。

 しばらくすると一人の男が、息を少し乱しながら現れた。

「フィリス! どういう事だ、何があった、説明しろ!」

「兄様、町の巡回より只今戻りました、そしてこちらの魔女の⋯⋯魔女の⋯⋯」

 ここでフィリスは、少しバツの悪い表情でアリシアに向き直る。

「あの⋯⋯魔女様、お名前をお聞きしておりませんでした⋯⋯お教え頂けますでしょうか?」

「⋯⋯アリシアです」

 この時、アリシアの立ち直りかけていた精神がまた大きく沈む⋯⋯相手に名乗らせておいて自分は名乗りもしない、無作法者だったのかと。


 アリシアが落ち込んでいる間に、フィリスはアレクにこれまでのあらましを、かいつまんで説明し終えていた。

「ではそちらの魔女様が、父上を治してくださるのですか?」

「ええ、その為に私はここまで来ました」

 思わずそう答えるアリシア、しかしこれは失言である⋯⋯本来まだ診断もしていない内に断言するなど、あってはならない。

 しかし度重なる失態を払拭するために、アリシアはあえて強く言い放つ。

「私がここに来た以上、王は必ず治して見せる」

 その言葉を聞いたアレクは、しばらくアリシアを見つめた後に決断する。

「ありがとうございます魔女様、父をどうか救ってください」

 無言で頷く、だがこれでアリシアの退路は無くなった。

 その後、王の寝室の前にたどり着く、随行した兵士たちはこの場で待機しアレク、フィリス、アリシアの三名だけが寝室へと入ることになった。

 寝室の中には王と数名の侍女がおり、アレクたちの姿を見ると一礼して迎え入れ、その後アレクの指示により侍女達は退室する。

「なにやら騒がしいようだが何事だ、アレクそしてフィリスよ⋯⋯」

 どうやら王は起きていたようだ、そしてその言葉には病気の者特有の、弱弱しさを感じるがしっかりとした意志も感じさせた。

「父上、フィリスが父上の治療のために魔女を発見し、此処まで連れてきてくれたのです」

 王はチラリとフィリスの後ろにいるアリシアへと視線を向ける、この時アリシアと目が合う、病気とは思えない力強い目だった。

 そしてアレクとフィリスが王と短く話を進めている間アリシアは⋯⋯心の底から安堵していた。


 ――よかった、これなら簡単に治せる。


 そんなアリシアに王が話しかける。

「よく来てくれた魔女殿、儂はエルフィード王国、国王ラバン・エルフィードである。」

 アリシアは一歩前へ出て、被っていた帽子を脱ぎ一礼する。

「我が名はアリシア、偉大なる森の魔女の弟子。師に代わってこの場に参上した」

「森の魔女の⋯⋯」

「⋯⋯弟子?」

 アレクとフィリスが驚愕に包まれている中、ラバンは話を続ける。

「アリシア殿本当によく来てくれた、森の魔女殿より一人の弟子を育てていた話は聞いておる」

「師から⋯⋯聞いていた?」

「左様、もしここへ来た時には、よろしく頼むと言付かっておる」

「⋯⋯そうですか、師がそんな事を⋯⋯」

 師は居なくなってしまったが、それでもまだ自分は師によって見守られている事に気づき、アリシアは感謝する。

「父上、森の魔女様の弟子とは一体?」

「その話は後だアレク、それでアリシア殿、余を治せるのか?」

「ええ、問題なく⋯⋯ただの呪いでしたから」

「呪いだって!」

「徐々に衰弱し命を蝕む⋯⋯そういうたぐいの呪いですね、聞けばずっと竜の肝を食され続けていたとか、それが無ければ私は間に合わなかったかもしれませんね」

 そのアリシアの言葉を聞きフィリスは、自分のして来た事がが決して無駄ではなかったのだと知った。

「では今から呪いを解きます」

 そう言いながらアリシアは、王へと近づく。

「ちょっと待ってくれ、魔女様!」

 アレクはここまで目まぐるしく変わる状況に付いて行けなかったが、ここへきてようやく事態を把握、そして持ち前のその頭脳が回り始めた。

「なんですか?」

 アレクに邪魔された形になったために、アリシアが少しムッとする。

「邪魔したこと申し訳ございません魔女様、その呪い解くのではなく術者に返す事は出来ませんか? さらに言えば術者の在り処を見つけ出すことは出来ませんか?」

 つまりアレクはこの術者を捕まえたい、と思っているわけだとアリシアは推察する、それは十分可能である、それにもっと早くにお城へ来る決断ができていれば、王やこの兄弟はここまで苦しまずに済んだという負い目も有った。

「可能です、術者の追跡も可能なよう処置しましょう」

 そして王に向かってアリシアは左手をかざす、少しずつ王の体から黒い靄の様なモノが沸き上がる、そしてアリシアの手の前に集まったソレは醜悪な鼠へと姿を形作る。

 ソレをそのままアリシアは左手で掴み捕獲する、解呪するだけならこのまま握り潰せばよいが、今回はもう一手間かける。

 右手の人差し指で鼠の眉間を突き刺し抉る、鼠がもがき苦しむがアリシアはそんな事はお構いなしで、処理を完了しその指を引き抜く、そこにはこれまで無かった焼き印の様な文様が刻まれていた。

「これで準備完了、今からコイツを解き放てば術者の所へ戻り、術者は悶え苦しみながらこの文様と同じものが額に刻まれるでしょう⋯⋯いいですかもう解き放っても?」

「⋯⋯術者は何としても捕えたい、その術者はどの位の期間生きていられる?」

「手足がキリキリ痛んで、立てなくなる程度の呪いへと改変したので死ぬことは無いかと、あと術者は割と近くにいますよ」

「なに? それは本当か?」

「ええ、低級の術ですし射程距離も精々この王都全域くらいですね。では放しますよ?」

「解った、やってくれ」

 王の了承を得てアリシアは呪いを解き放つ、呪いの鼠は寝室の中を何周か暴れ回った後、窓から飛び出る。

 鼠の行方を目で追う為フィリスは窓枠から身を乗り出す、城下町の片隅のやや大きい建物に吸い込まれていくのが観えた。

「西地区の⋯⋯教会です」

「そうか⋯⋯」

 アレクは苦々しい表情を浮かべる、王を診察した神官はその協会の所属だったからだ。

 そんなフィリス達に構わずアリシアは、ペンデュラムを一個を取り出しその場で魔法文字ルーンを刻む。

「これは、先ほどの呪いを追跡するよう魔法文字ルーンを刻んであります、あとこのペンデュラムを相手の額に当てると呪いは解けます、⋯⋯念のために」

 アリシアからアレクに手渡されたペンデュラムは、重力に逆らい教会の方へと傾いていた。

「あと、王様一応これを」

 アリシアは一本の薬瓶を王へと差し出す、その中身はまるで血の様に赤い液体が入っている。

「まさか⋯⋯これはエリクサーか?」

 ラバンは震える手で、ビンを受け取る。

「呪いを解いたといっても王様の体は弱っていますから、手っ取り早くそれを飲んでください」

 エリクサーそれは、ごく限られた一部の魔女にしか調合不可能な最高級の薬である、現在では作成出来る者はおらず、百年以上前の物がときおり発見されオークションに掛けられる事があるだけである、またその為贋物も多い。

 なお森の魔女は、作り方は知ってはいたが作ることは出来なかった、強い魔力ちからを持った魔女であったが、こういう繊細な技術は苦手だったのである。

 こうして渡された以上ラバンは、このエリクサーを飲むしかなかった、もし飲まなければ魔女アリシアを信用しないと言ったも同然である。

 ラバンはエリクサーの瓶を開け、その中身を一気に飲み干す⋯⋯すると身体が淡い光を放ち、全身の細胞が活性化したような感覚に包まれた。

 しばらくするとラバンの身体の光は消えた、ラバンは自身の体がすっかり回復したのを感じ思わず立ち上がる、体が軽い、おまけに最近患っていた腰痛まで消えていた。

「父上、そのお体は⋯⋯」

「見ての通りだ、こんなにも体が軽い!」

 王はその場で、体のあちこちを動かす。

 そんな父の姿に、フィリスは涙を浮かべながら抱きつく。

「よかった、父様が⋯⋯本当に良かった⋯⋯」

 そんな三人の喜びの抱擁を見つめるアリシアは、空気を読まずにフィリスに告げる。

「王女様、これで依頼は全て達成したので対価を頂きましょうか」

「対価⋯⋯」

「⋯⋯だと?」

 王とアレクはこの時まで完全に失念していたのである⋯⋯魔女との交渉には対価が必要なことを。

 どんな契約をフィリスと魔女が交わしたのか分からないが、魔女を此処まで呼びつけ、王の呪いを解き、回復させるために希少なエリクサーを使わせた、その代償が安いはずがない。

「待ってくれアリシア殿、その対価は⋯⋯」

 フィリスを守る為に自分で支払うと、そう言葉にする前にフィリスが支払いを終えてしまう。

「それでは約束通り、銀貨を一枚どうぞお納めください」

 フィリスは自分の財布から、一枚の銀貨を取り出しアリシアへと手渡した。

「これで契約は、全て履行された」

 アリシアは受け取った銀貨を、満足気に握りしめる。

「ちょっと待て、余の命が銀貨一枚とはどういう事だ!」

「銀貨一枚と引き換えに、何でも願いを叶えると王女様と契約した、ただそれだけの事」

 受け取った銀貨をアリシアは、ローブの内ポケットへ仕舞いながら答える。

「本当か、フィリス」

「ええ、話の流れでそういう事になって⋯⋯そういえば魔女様はどうして、銀貨が必要だったんですか?」

 特に秘密にするような事でも無いので、アリシアは答える。

「薬を売りに行ったら、ギルドの会員が作った薬以外は買い取れないと言われた、そして会員になるには銀貨が一枚必要だった、それだけの事」

 そのアリシアの答えに王族三名の顔色が変わる、魔女が作った薬がまともなはずが無い、絶対大事になる。

「アリシア殿、その薬は王家で買い取ろう、いや頼む売ってくれ」

「⋯⋯なんで?」

 アリシアの疑問にラバンが答える。

「⋯⋯エリクサーの様な薬を、市井に売りに出せば大事になる、そもそも高額すぎて買い取れんだろう」

「エリクサーのようなではなく、エリクサーを売るつもりだったんですけど、ギルドには売らない方がいいと?」

「エリクサーを売るほど持っているのか? いやまさか作れるのか魔女様は?」

 こんどはアレクの疑問にアリシアが答える。

「作れますよ、まあ材料が希少で作るのも大変だけど、百個くらいなら売ってもいいかと」

 その答えに言葉を失う王族たち、そして絞り出すようにラバンはこう言った。

「⋯⋯そのエリクサー百個、全て買い取らせてくれ、頼む。」

 アリシアは少し考える、ここまでで予定は随分破綻している、そもそも重要なのはお金を得ること、売る相手は別に誰でもいい、それにここまで大分時間を食ってしまった、手っ取り早く済むならそれでいいか⋯⋯と。

「なら王様に、エリクサー百個売ります」

「⋯⋯アレク、金の準備だ」


 それからしばらくの後、アレクの手配によって大量の金貨が、アリシアの前に積み上げられる。

「一袋に付き、金貨が百枚入っている、それが百袋だ」

 アリシアは手近な袋を開け、中の金貨を一枚つまむ。

「これは一体、銀貨何枚分なんですか?」

「銀貨百枚で、その金貨一枚分よ」

 フィリスの答えに、アリシアは絶句する。

「銀貨、百万枚分?」

「そうだ、しめて十億Gグリムだ」

 ⋯⋯銀貨一枚で困っていた自分は一体何だったのか? これが王族と関わるという事なのか⋯⋯やがてアリシアは考えるのを止めた。

「では、こちらからはエリクサー百個ですね」

 収納魔法からエリクサーの瓶を取り出し、渡そうとするが数が数なので渡される方も困るだろうし、誤って割ってしまうかもしれない。

 そこでアリシアは、収納魔法から魔法の袋を取り出し、その中にエリクサーを百個移し替えた後それを王に手渡す。

「これは魔法の袋か? 後ほど返却させてもらう」

「別に構いませんよ、こちらも金貨袋を返すのが面倒ですので交換という事で」

「⋯⋯そ、そうか、もしかしてこの魔法の袋もアリシア殿が作ったのかな?」

「そうですけど、それが何か?」

 全く弟子にもっと教える事が有ったろうにと、ラバンの中で森の魔女への理不尽な怒りがこみ上げて来る。

 アリシアが収納魔法に、金貨袋を仕舞い終わるのを待ち、ラバンは心を鎮めて向かい合う。

「アリシア殿、今後の事について我々は話合わねばならん」

「そうですね、私の方もそう思っていました」

 本当はこれっぽっちも思っていないが、このまま逃げると後々厄介な事になるのが目に見えているので、アリシアは口を合わせる。

「お互い準備も有るだろう、そうだな五日後王宮に来ては貰えぬか?」

「五日後というと、満月の日ですね」

「そうだ、正午頃に来てくれ、それで構わないか?」

「はい、わかりました、では五日後の正午に」


 最後に一礼して立ち去ろうとするアリシアを、フィリスが呼び止める。

「魔女様、本当にありがとう父様を救ってくれて」

「お互い様ですよ⋯⋯私も貴方に声を掛けてもらえて、助かりましたから」

 ふわりとアリシアの体が、浮かび上がり光に包まれる⋯⋯そして消えた、おそらくこれが転移魔法なのであろう。

「行ったか、これから忙しくなるな⋯⋯」

「一先ず父上に呪いを掛けた術者の捕縛、そしてその背後関係の調査、それらは私に任せてください父上」

「頼んだぞアレク⋯⋯それからフィリス話が⋯⋯おい、聞いているのかフィリス!」

 今のフィリスに父の声は届かない、アリシアが消えた所をずっと見つめていたからだ。

「森の魔女の弟子、アリシア⋯⋯」

 決して忘れないように、フィリスはその名を深く心に刻み付けた。


 なお、この後王宮は上へ下へと大騒ぎとなった為、串焼き屋の屋台を始めとする街のあちこちで大金をばら撒き、買い占めを行なった者が居たことなど気にする者はいなかった。

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