第45話

「う……有耶無耶って……」


「広臣君は私に会いに来てくれた。私は自分の気持ちを伝えた。それだけだよ」


 つまり、自分がサクラのフリをして通話をしていたことには触れるな、ということらしい。


「そんなの……都合が良すぎるだろ」


「だから私も都合よく使ってくれていいよ。広臣君が私のこと好きじゃなくても、私は好きだから。一方通行でも構わないよ。セフレ? 奴隷? 何でもいいよ」


「そっ、そういうのは分からないな……」


 浅野さんはフフッと笑う。


「私もだよ。初めてだらけだから。ここまでしてるのにまだ私に靡いてくれない。これ以上何をしたら広臣君は私を見てくれるんだろうね」


 真正面からぶつかってくる浅野さんの気持ちはよく伝わる。だからこそこれまでなぁなぁにしていた自分からどうこう言いづらいこともある。


「とにかく、俺は本当のことが知りたいよ。それが終わってから、他の話題だと思う」


「そっか。分かったよ」


 浅野さんは意外と聞き分けよく俺の提案を受け入れる。


「あ、ねぇねぇ。離れる前にもう一回だけいいかな? キス」


「いっ……いいけど……」


 浅野さんは「やった!」と笑顔になり、また顔をくっつけてきた。


 更に、離れて行くかと思わせてフェイントで四回、五回と回数を重ねていく。


「ちょ……何回やるんだよ」


「あはは……最後かと思うと名残惜しくてね」


「最後?」


「多分、嫌われちゃうから」


「それは話してみないとわかんないだろ」


「そうだけど……」


「変なところで自信なくすなって」


 浅野さんに組み伏せられている俺が浅野さんを慰めるというよくわからない構図になっている。


 覚悟を決めたのか、浅野さんは俺の上から立ち退いて、ベッドの端に腰掛けた。


 俺も身体を起こして隣に座る。


「えぇとね……あぁ! やっぱりダメだぁ。本当に嫌わない? 本当の本当に?」


 浅野さんは頭を抱えて悩み始める。俺の両肩を掴んで揺すって来るのだが、必死に確証を得ようとする浅野さんがどうにも可愛く思えて仕方がない。


「きっ……嫌わねぇよ」


「なら……大丈夫かな」


 浅野さんは今度こそ覚悟を決めたようだが、口を半開きにして俺から目を逸らす。やはりそれなりに負い目があるらしい。


「九十九サクラの中の人は咲良。五条アイリスの中の人は私。これは大前提だね。だけど、ある日から私がサクラも演じるようになった。配信でね」 


「ある日?」


「そう。咲良がね、居なくなっちゃったんだ。皆で事務所を立てて、お金も銀行から借りてスタジオを整備したくらいの頃。当時はまだサクラがいないと全然お金も足りなくて。すごく焦ったんだ」


「だからサクラちゃんのフリをして配信を続けたのか?」


「そうだよ。私が声真似をして、ゲームは菊乃や撫子が操作するときもあったり。自分達の配信の後にやったりね。とにかく必死だった」


 母さんの話ともリンクする。何かが原因で石田さんは一度居なくなった。それでも残されたメンバーで必死に切り盛りしていたということらしい。


「そんな感じの生活にも慣れてきた時にね、探偵の人を雇って咲良を探してもらったんだ。田舎の民宿に長期滞在してたの。帰ってくるのかも分かんないから、そのまま私がサクラと二人分の配信をすることになった」


 撫子は浅野さんには事務作業を振らないと言っていた。あれは単に浅野さんが高校生だからというだけでなく、配信を他のメンバーの二倍する負荷を考慮してのことだったのだろう。


「私が高校に入学する頃には、もう撫子も菊乃も諦めてた。咲良は帰ってこないって。撫子達は生活がかかってるから、新しいプランを考えるようになったの」


「プラン?」


「うん。投げ銭収入に依存しないような形で安定した収益源を分散して……とか良く分かんないこと言ってたけど、要は歌って踊れるバーチャルアイドルグループにするって方針だったみたい」


 そこからは俺も知っている話。vHolicとトヨトミPのコラボとして楽曲提供が始まった。


「それで作曲できる人を探してたのか。でもなんで俺の正体が分かったんだ?」


「それも探偵の人に頼んだんだ。広臣君が弾き語りしてるのはたまたま見かけて知ってたから。すっごいいい歌を書く人だなって思って、その人を作曲担当で推薦しようと思った。で、いろいろ調べてもらったら同じクラスの人がメチャクチャ凄い人でした、と……」


 苦労した本人達からすればサクラちゃん、もとい石田さんが居なくなったときの心労は計り知れないだろう。


 生きていると分かった後もvHolicの将来等、不安要素は絶えない。


 ずっと三人で頑張っていた配信をのほほんと見ていたと知ると、何もできなかったとはいえ少しやりきれない気持ちになる。


「なるほどなぁ……あれ? でもこの話のどこに浅野さんを嫌う要素があるんだ?」


「だって……ずっと騙してたんだよ? サクラのフリをして、喉を痛めたって嘘ついてまで引っ張ってさ。広臣君がサクラのことが好きなのを利用してたんだよ」


「でも俺は楽しかったぞ。サクラちゃんと一対一で話せたんだから」


「だからそれは私で――」


「俺と二人で話したサクラちゃんは最初から浅野さんだったんだろ? じゃあサクラちゃんの中の人は浅野さんでもある。そりゃ最初に知ったときは石田さんだったし、石田さんのサクラちゃんも好きだけど、だからって浅野さんのサクラちゃんと過ごした時間は無くならないだろ」


 騙されたとは思っていない。最初からサクラちゃんは浅野さんでもあり、石田さんでもあったのだから。


 浅野さんは俺の言葉を聞いて俯く。


 やがて肩を震わせて涙を流し始めた。


「ふ……フフッ。そうですね。広臣さん、本当に私のことが好きなんですね」


 声を震わせながらもサクラちゃんの声に切り替えて浅野さんが話し始める。


「私も楽しかったです。普段よりも真っ直ぐに私を見てくれる。サクラのガワを被ってしまえば、広臣さんは私と仲良くしてくれる。彩芽として話すよりも距離が近づいた感じがして、求められてる感じがして、すごく……満たされていました」


 サクラちゃんの中の人は浅野さん。だが、二人を同一視は出来ない。最初から浅野さんがサクラちゃんの中の人だと知っていたら二人を同一視出来た。


 あの日屋上で五条アイリスではなく「私が九十九サクラだ」と自己紹介されたら即座に告白していたかもしれない。


 だが、既に別人だと刷り込まれてしまっているので、いくら浅野さんがサクラちゃんの声を出していてもそれは浅野さんであり、サクラちゃんとは別だと思ってしまう。


「なんか……難しいな……」


「そうですね……でも、もうお別れなんです」


「お別れ!?」


「あ、安心してください。サクラはいなくなりませんよ。咲良が復帰するんです。だから、私はもうサクラを演じなくて良くなる。演じられなくなるんです」


「それは……別に裏でやってればいいんじゃないか?」


「そういうわけにはいきません。咲良はサクラ、サクラは咲良ですから。偽物はここで終わりです」


 浅野さんは自分とvTuberとしてのガワを重ねているフシがあった。だからサクラちゃんと石田さんの結び付きを邪魔できないと考えているのだろう。


「最後に一つだけ。好きな人に好かれるっていいものですね。声が優しくなるんです。広臣さん、気づいてましたか?」


「そっ、そんなに違ったか?」


「はい。全く違うんですよ。彩芽として話すときとサクラとして話すときの声がまるで違うので、尚更サクラが手放せなくなっちゃいそうでした」


「じゃあ……じゃあ手放さないでくださいよ!」


 自分でもわけがわからなくなってきて、そう叫んでしまう。


 多分、俺が一番好きなのは二人で話した時のサクラちゃんだ。その中の人は浅野さんなのだから、浅野さんのことが好きと言えれば良い。


 だが、あれは浅野さんではないのだ。石田さんでもない。あれはサクラちゃんだった。そして、浅野さんがサクラちゃんを封印するということは、俺と通話をしていたサクラちゃんはいなくなってしまうということと同じだ。


「手放しますよ。でないと彩芽が可愛そうですからね。こうやって話してても、自分なのに自分じゃないみたいで気持ち悪いんです。最後に一つだけお願いしてもいいですか?」


「ど……どうぞ」


「キス、してもいいですか?」


「は、はい」


 目の前にいるのは浅野さん。なのにサクラちゃんと話している気分になるのだから、これはサクラちゃんとするだけだ。


「じゃ、いきますね」


 浅野さんが近づいてくる。俺からも顔を前に突き出してキスをする。これまでのキスとは違い、お互いに同意の上だし、二人共きちんと起き上がった状態だ。


「んっ……」


 洋画でみたような感じで口を動かしてみる。サクラちゃんもそれに答えてくれた。


 お別れだとか言われて熱くなってしまっていたが、少しの間キスをしているとみるみるうちに冷静になってくる。


 これは、ただ浅野さんとキスをしているだけだ。


「これ、まんまと浅野さんに嵌められたよな」


「あはは……バレたか。見た目も中身も私だもんねぇ」


 浅野さんはいつものようにニシシと笑い、目尻の涙を拭った。

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