第9話

「さっ……サクラちゃんって高校生なんですか? ここに来ることはあるんですか? この辺に住んでるんですか? もしかして……同じ高校?」


「お……おいおい、落ち着けって」


 前のめりになって質問攻めをする俺を菊乃が引き気味に突き放す。


「いやまぁ……お前がサクラのファンってのは分かったよ。私達は今日会ったばかりだろ? 何でもかんでも正体を教えるってわけにもいかねぇよ」


 対面で話した俺達のことはお互いに筒抜け。だからといってお互いに正体を吹聴したりはしない。それは暗黙の了解だ。


 だけど、ここにいないサクラちゃんまで巻込みたくないというのが菊乃の想いなのだろう。浅野さんはそんなことお構いなしみたいだが。


「ほらほら、気を落とさないでください。今後のスケジュールはこんな感じです。サクラの歌も……ほら! 来月くらいから製作開始ですよ!」


 撫子がタブレットに矢羽の引かれたスケジュールを表示して見せてくる。


 スケジュール上は今日から俺がアイリスの曲を作り始める。納期は一週間後。そこから作詞、MV制作などが並行して走っていくらしい。


 アイリスの曲の納期を迎えたら即座に七尺セントレアの曲を作る。これもまた一週間。


 そんな風に一週間刻みで次々と楽曲制作が続いていく。


「いや……無茶苦茶なスケジュールですね……」


「サクラの応援付きですよ。それも毎日。やれますよね?」


 撫子は俺が断れないことを感づいているのだろう。ニヤニヤしながらサクラちゃんを盾に首を縦に振らせようとしてくる。


「やりますよ。もう帰りますから!」


 ソファから立ち上がると菊乃が俺の腕を掴んで座らせてくる。


「まぁ待てって。彩芽のこと、送ってってくれよ」


「送るって……まだ配信してますよね」


「終わったら家に帰るからな。来る時に通ったと思うけど、あんなに可愛い女子高生を一人で歩かせられる場所じゃないだろ?」


 このスタジオは繁華街のど真ん中にある。家に帰るということは繁華街を突っ切るということだ。治安は悪くはないものの、確かに一人で歩かせるのは忍びない。


「いいですけど……普段ってどうしてるんですか?」


「私が送ってるよ。私も撫子もここで寝泊まりしてるから二度手間なんだわ。悪いな」


 制服を着た美少女女子高生と周囲から物理的に頭一つ抜けた身長の美女。確かに逆に目立ちそうな組み合わせではある。


「ここに住んでるんですか?」


「家に帰る時間も勿体ないんだよ。近くにスーパー銭湯もあるし、飯には困らない。クリーニングもまとめて受け取りに来てもらってるし意外と快適なんだわ」


「す……すごいですね」


「静かな住宅街で深夜に叫ぶよりはいいだろ。ま、防音だから関係ないんだけどさ」


 配信は深夜に渡ることもある。そういう意味では住宅街よりもこういう街のほうが生活リズムは近いのだろう。


「私はちょっと仮眠するわ。電気はつけっぱなしでいいからな」


「私も寝ますね。豊田さん、彩芽のことお願いしますね」


 適当に話を切り上げると二人はさっさとリビングから出ていく。初対面だと言っていたのに書類は出しっぱなしだし、信用されているというより二人がゆるいだけな気もしてくる。


 テレビに目を向けるとアイリスが視聴者に下ネタをぶっこまれて水を吹き出しているところだった。


 ◆


 配信後の投げ銭につけられたメッセージ読み、所謂スパチャ読みまで完璧にこなして配信が切れたのは夜の九時を回った頃だった。


 ここに来た時はまだ夕焼けが見えていたので数時間は配信していたことになる。


 廊下の方からドタバタと足音が聞こえ、勢いよくドアが開かれた。


「お……! 広臣君、いたんだぁ」


 浅野さんは息を切らせながらも、俺がいるとは思っていなかったような素振りで冷蔵庫に向かいペットボトルの水をごくごくと飲み干す。


 本人はいたって普通の様子なのだが、身に纏っている服は高校生の象徴ではなく、青と紫が複雑に入り混じったゴシックなドレス。


 陽キャとはいえ校則を遵守していた黒髪も金髪になっている。


 その見た目は五条アイリスそのもの。中の人がその格好をしているのだから、本家のコスプレというのかもしれないし、そもそもコスプレというのも違うのかもしれない。


「あ……え……何その格好」


 浅野さんは下を向いて「アハハ」と小さく笑い声を出す。


「いやぁ……慌ててたからさ。配信の時はこの格好なんだ。形から入るタイプなのでね!」


「そ……そうなんだ」


 何に慌ててたのかとか、色々と気になることはあるのだが、浅野さんはその格好のまま水を持ってソファに近づいてきた。


「あぁ……座りっぱなしも疲れるねぇ」


 浅野さんは伸びをしてソファにゴロンと横になる。当然ソファの長さが足りない。置き場に困った頭は俺のふくらはぎに置かれた。


「ひっ……膝枕!?」


 下を向くと、浅野さんはニヤニヤしながら俺を見上げている。どう対応したらいいのかも分からず、ただありのままを叫んでしまった。


「アッヒャッハ! 膝枕は膝枕だよねぇ。人肌は落ち着きますなぁ」


 浅野さんは目を瞑るとスヤスヤと寝入ろうとし始める。


「いやいや! 寝るなって! 遅くなる前に帰るんだろ?」


「おぉ、そうでしたそうでした」


 浅野さんはグッと身体を起こす。フワッと浮いたウイッグの毛が眼の前を通り過ぎていく。


 そのままソファから立ち上がるとまた二本の指を立てて敬礼してくる。


「わざわざ待っててくれてありがと。すぐに着替えてくるからね!」


 浅野さんは百パーセント俺の善意だと思っているみたいで、菊乃に押し付けられたと言うのは野暮なので何も言わない。


 鼻歌をフンフンと歌いながら、浅野さんはスキップ混じりにリビングから出ていった。

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