20.瞳の色の


「いらっしゃいませ」


カウベルに気付いた女店主が声を掛けながらドアのほうを見れば、可愛らしい女性が入店したところであった。

服装から上流階級であると分かり、気を引き締める。職業柄、お得意様であれば名前と顔は一致しているが、彼女はどの家の令嬢か分からなかった。一度か二度来店したことのある、どこか遠い領地の貴族だろうか?


令嬢の背後を確認するも侍女の姿は見えなかった。貴族女性が一人で買いに来るとも思えず、下着という商品の種類上、護衛が店の外で待っているのかもしれない。


「何かお探しでしょうか?宜しければお手伝い致します」


それでも冷やかしではないだろうと、営業スマイルを向けた。


「……えっと、機能性じゃなくて見た目重視の……、可愛らしいものはないかしら?」


キラリと店主の瞳が光る。下着とは衛生や機能の面でも重要なものであるということは分かっているが、個人的に可愛らしく、かつセクシーな機能性度外視の男性を虜にするようなランジェリーが大好きで、この店をオープンしたと言っても過言ではない。


令嬢を見る限り、美人というよりも可愛らしい印象であるから、フワフワとした花の妖精のようなものもいいが、あえて妖艶なものでもいいかもしれない。


ワクワクする注文に、はしゃぐ心を落ち着かせつつ。とにかくこう言った相談の要は、見せたい相手がいる、ということだ。若く見えるがどこかの奥様か、見かけによらず交流関係は派手な可能性がある。例えばどこかのお屋敷の愛人とか。


お客様の気分を害してしまわぬよう、これからの会話に気をつけよう、と店主は心に留めた。


「こちらへどうぞ」

案内された先には色とりどりの下着が、天井からぶら下げたポールにハンガーで掛けられていた。畳んで置いてあるよりも選びやすい。


「綺麗ね。少し見てもいいかしら?」

「もちろんです。ごゆっくりとお選びくださいませ」


フレッドとの初夜では白の清楚なナイトドレスとシルクのキャミソールであったから、カラフルな下着たちに気分が上がる。可愛いもの、綺麗なものを見るのは大好きだ。

ランサム家御用達の店は格式高く、流行に左右されないデザインがほとんどで、言ってしまえば無難なものばかりであった。その点、この店はいろんな服飾の店舗が軒を連ねる通りにあり、流行の最先端の商品を多く取り扱っていた。


チェルシーは劇場に近いこの店を思い出し、些か強引に立ち寄ったわけである。


まだチェルシーが男爵家令嬢であった頃、ここを数回訪れたことはあるが、奥にこのようなスペースがあることを知ってはいたが足を踏み入れたことはなかった。手前の実用的な、それでも十分洗練されたデザインであるが、そんな下着を買った覚えがある。デザインもさることながら、着心地も抜群であった。気に入って何度も着ていたため、ランサム家に嫁ぐ際に処分してしまったのだ。だからフレッドもここの店の下着は知らないだろう。


(フレッド様も手触りを気に入っていただけるはず……)

感触を知るためには何をするのか?夜の行為を思い出し、少し気恥ずかしい。けれどそれがそもそもの目的のためだ。フレッドに飽きられず、これからも愛されるための……。


恋とは幸せなものばかりではないことを初めて知った。先のことを考えれば不安になるし、これからもフレッドの妻でありたいし、彼を独占したい。

しかし残念ながら言葉に出したわけでもなく、チェルシーの脳内での意気込みのため、そんなことをしたら逆にフレッドが暴走する事態になるとは誰も忠告できない。


恋を知ったフレッド少年がそれを煮詰めて拗らせて、今に至っている現実をチェルシーは知らないから。妖艶な下着でフレッドを夢中にさせたい。でもそれって、はしたないかも……なんてチェルシーが心配する必要は実際のところ皆無なのである。


 * * *


「こちらの棚の商品はここで縫製されたものですので、お直しやオーダーメイドも承っております」

「分かったわ……あの、男性はどういったものを好まれるのかしら?」

「そうですね、年齢にもよりますが……」

「旦那様は二十代前半ね」


おっと、若奥様が正解であったらしい。それならば複雑な事情もなかろうと少し安心した店主であった。夫婦であるとすれば、多少は攻めたデザインのほうが夫の受けがいい。普段の様子を知っているからこそ、というものだ。


「左様でございますか。あとは旦那様の髪や瞳のお色を選ばれると喜ばれるかと」

「だったら瞳は……、あれが近いわ」

そう言って指差した先には、ボルドーのベビードールで。なるほど、確かに白い肌に映えそうだ。

「奥様にとてもお似合いでしょう。こちらはセットのショーツもございます」

「まぁ、ではそちらも是非見せてちょうだい」


店主の言葉に、少しはにかんだ様子で微笑む。店主は女であるが、旦那様が羨ましいと思った。


夫婦生活をより充実させるために、この愛らしい奥様が旦那様の瞳の色に近い下着を、自ら選んで纏う。なんて素敵なことだろう。どうかこの奥様を愛して下さっている方でありますように。ちっとも要らぬ心配であるが、店主はそう思わずにはいられない。


それとは別で、可愛らしい女性が店主の考えたデザインの下着を着けてくれる。それはデザイナー冥利にも尽きることだ。


店主はウキウキと奥の試着室へと案内をした。

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