18.フレッドの懸念
「……フレッド!?」
サマンサはアンの背後に立った人物を視界に入れた瞬間、思わず叫んだ。紅茶を飲んでいた時だったならば、確実に吹き出していただろう。
どうして息子がここに?嫌な汗がサマンサの背中を流れる。
フレッドは辺りを見渡していて、この隙に逃げ出したくなった。どう転んでも面倒な予感しかしない。
テーブルを挟んで座っているアンもフレッドに気付いて、
「あら、フレッド。お久しぶりね」
と、声を掛けたので漸く視線を戻した。相変わらずいい男ね、と朗らかに笑うアンに対し、サマンサも笑みを浮かべるがぎこちない。
「……コリンズ伯爵夫人、ご無沙汰しております。夫人も観劇を?」
「いえ、私は用事があって見れなくてね。つい先ほど会ったばかりなのよ。フレッドはどうしてここに?」
「近くで定例会に参加していました。そこの劇場に行くと聞いていたので、帰りに寄ったら母上を見かけまして……」
テラス席だからすぐに見つけたのだろう。そうでなくともフレッドの様子から探していたに違いない。サマンサはチェルシーと並んで歩いて行ったラルフの後姿を思い出していた。いっそ伝えた方がいいかと思って口を開きかけたが、フレッドがどう反応するか分からず、アンの手前、どうしても言いあぐねる。
「……チェルシーは?」
何かを察したのか、フレッドの声が低い。それに温度があるならば、冷えびえとしていた。
「ああ、チェルシーは寄りたいお店があるからと、そちらに行ったわよ」
咄嗟に答えられなかったサマンサに対し、心を読んだかのようにアンはあっさりとラルフの名を出すこともなく話した。
フレッドの瞳は、一人で行かせたのか?と問いかけているが、サマンサがこの場にいる以上、そう疑問に思ってしまうのも無理はない。
「ランサム家の馬車をチェルシーに使わせて、私は帰りはアンに乗せていってもらうわ」
嘘を言ってはいない。隠しているだけで。我が息子ながら、なんて面倒くさいのだろうと心の中で嘆息する。
「なるほど。そうでしたか。では私も行ってみます」
この場にチェルシーがいないと分かって、今すぐ追いかけたいのだろう。ここには用がないと言わんばかりの様子には呆れるばかり。
「あら?チェルシーを探しに行くの?」
「もちろんです。それで、どちらの店に行ったか分かりますか?」
アンの問い掛けにフレッドが即答すると「まぁ!仲良しなのね」と声を上げた。
「店はどこか聞いていないのだけど、大体は分かるわ」
通りの名前を言えば、チェルシーが行った路地のほうを一瞥し、
「分かりました。ありがとうございます。お邪魔して申し訳ありませんでした。どうぞごゆっくり」
と、胸に手を当てて礼をし、フレッドは足早に去って行った。
サマンサは詰めていた息を吐いた。分かっているつもりだが、我が子ながら途轍もなく面倒くさい。チェルシーだって子供じゃないのだから、そこまで過保護になることもないのに。
己のことを棚に上げてそう思ってしまうサマンサだが、もうずっとこの調子なのだから治るはずもない。
「もしかしたらすぐにでも、おばあちゃまになっちゃうんじゃないの?」
「おほほ、そうだと嬉しいわね」
そうなれば嬉しいことだが、こればかりはいくら夫婦仲が良くても上手くいくものではないというのは自身で経験済み。それに最近は歩み寄れているようではあるが、フレッドの想いが一方的な息子夫婦では難しそうだ。
「ほら、ずっと前にラルフがチェルシーを気に入って、彼女の実家に求婚したでしょ?」
「……は?」
「あら?知らなかったかしら?言ったと思ったんだけど……」
「初耳よ……」
知っていたらチェルシーを送らせるなんてしなかった。嫌な予感がする。もしかしてフレッドは知っていた?
「先にランサム家が婚約したと知ったのに、あの子ずっと諦められなくてね。あ、それからは色々と遊んだりしているようだから気にしないで。昔のことよ」
サマンサの表情が固まったことに気付いたのかアンが慌てて言い直す。前ランサム伯爵である亡き夫なら知っていただろうか?
「でも二人が仲良くて安心したわ。これでラルフも諦めて結婚する気になるでしょう。そんなことより舞台の話に戻るけど……」
サマンサはフレッドが去って行った通りを眺めた。もちろんチェルシーたちが歩いて行った方向だ。アンの話は右から左へと抜けていった。
* * *
「ここが例の通りです。近いでしょう?」
開けた道に出れば、見慣れた服飾雑貨の並ぶ通りであった。左右を見渡して目的の下着屋を見つける。ランサム家の馬車はまだ到着していないようだが、従者には店の名前を言っておいたから、店内で買い物をしている間に来てくれるだろう。
「まぁ!本当に!ラルフ卿、ありがとうございました」
「お気をつけて。またお会いしましょう」
「ごきげんよう」
人懐こい笑みを浮かべたラルフに、チェルシーも自然な笑顔を向け、二人は別れた。
男性に対して漠然と怖いイメージを持っていた。挨拶を交わす程度ならあるが、話をしながら歩いたことなどない。世の中にはこんなにも親切な男性がいるのね、とチェルシーは世間知らずな自分を恥じた。
(フレッド様にお話して、夜会にも積極的に参加してみようかしら)
そうすれば女性としての経験値も上がり、フレッドの隣にいても恥ずかしくないだろう。そのためにも『お洒落は下着から』。舞台女優の台詞を頭で復唱する。
伯爵邸で仕立屋や宝石商に来てもらって選ぶことはあれど、元々貴族の末端である男爵家。屋敷に呼ぶことは滅多になく、よく友人や侍女と街に出掛けたものだ。単純に買い物自体が楽しみで、いっそショーウィンドウを眺めているだけでもワクワクする。
足取り軽く、目当ての店に入ったチェルシーは、背後の不穏には気付かなかった。
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