17.縁は異なもの
チェルシーのことを諦めてはいたものの、それはあまりにもその姿を見かけなかったせいでもある。今のこの僅かな時間ですら、再燃するには十分だったのだ。例え遠くから見ることしかできなかったとしても、もっと彼女の存在を目にすることができたなら。
「そういえば社交の場であまりお見掛けいたしませんね」
だから、まずはこれがラルフの一番知りたかったことだ。妻にはできなかったけれど、今後に向けてお近づきになりたかった。この場では限度があるだろう。
そのために一番手っ取り早いのが夜会などのパーティだ。そこでダンスをしたり、ワインでも一緒に飲んだりすれば、ラルフという人物をもっと知ってもらえるだろう。フレッドよりもずっと優しくする自信がある。いっそラルフの伯爵邸で開催するのが手っ取り早いが、それもチェルシーが参加してくれないと意味がない。何か理由があるなら知りたかった。
ラルフの質問に、チェルシーは顎に手を当てて「そうですね」と言った。そんな仕草まで可愛らしい。キュンッとラルフの胸が締め付けられていたなんて、チェルシーが知るはずもない。
そういえば初めに挨拶をしたときに、ラルフはチェルシーを既に知っていた。
「私がパーティーに気後れしているのを、フレッド様が無理して出席しなくていいと仰って下さってて」
確かに伯爵家に嫁いでから一年も経っていないが、片手で数えるくらいしか参加していない。そこかしこで夜会やお茶会など、何かにつけて開催されているにもかかわらず。
幼い頃は煌びやかな雰囲気と着飾ることに憧れていたが、実際出席してみると準備は大変だし、探り合いの会話はとても疲れるものであった。特に今まではフレッドに対して遠慮がちであったし、会話も最低限で、一緒にいても楽しいとも思えなかった。
チェルシーにとって、ただただ気を遣うだけの行事。
どうしても出席しなければならないものは夫婦で参加しているが、主催者や貴賓に挨拶したら帰ることが殆どだ。そもそもそんな出席が前提の大規模なパーティーは、それほど多く開催されることもない。
交流を好む貴族としてはランサム家は(というよりもフレッドが)異色だが、逆に有難かった。
「ランサム家とは母が懇意にしていただいているので、お会いできたら一度ご挨拶をと思ったのですが、一度遠くからお姿を拝見しただけでした」
「あら。それは申し訳ありません」
ラルフの言葉にハッとした。そういうふうに思っていてくれる人がいるなんて思いもよらなかった。義務的にフレッドの横で彼に倣って挨拶をするだけであったが、家同士の繋がりも確かに重要なことだ。伯爵夫人として、もっと勉強しなくては。
「いえ、でもこうしてお会いできて良かったです」
柔和な笑みを浮かべるラルフを見ていると、この場もまた、ランサム家にとって大事な交流になるのでは、と気を引き締めた。
「私もお会いできて光栄ですわ」
伯爵夫人として恥ずかしくないよう、祖母に叩き込まれた淑やかな笑みを向けた。するとなぜか一瞬だけラルフは驚いたような表情をしたものの、人懐こい笑みで返してくれた。
(お話しやすい方で良かったわ……)
なんせチェルシーにとって、初めて関わった異性がフレッドだったから、身内以外の男性に対して無意識のうちに身構えてしまっていた。
(それにしても……)
チェルシーは不思議な気持ちだった。フレッドとは今のように会話ができるようになるまで相当かかったが、この青年とは普通に話せていることに。だから会話が途切れないラルフの話術に助けられて緊張が解ける。そうするとチェルシーのほうも肩の力を抜いて話せた。
最近はフレッドが嫌われることをひどく恐れて、言葉少なだったと分かったから、諦めずにもっと積極的に話しかけていれば、もっと早く今のような関係になれたかもしれないのにと悔やまれる。しかし当時のチェルシーにとって、無表情で愛想のないフレッドに果敢に話しかけられるほどの勇気はなかった。色々あり分かり合えて、今があることに感謝をしつつ、不器用な夫を改めて愛しく思えた。
「ふふ、そうですね」
チェルシーはというと、言い淀んでは真剣に愛を囁くフレッドを思い出して微笑んだだけだが、この場ではラルフと二人きりだ。そんなことを思いもよらない彼は、何度も笑顔を向けられてドギマギとした。
初恋に破れて自暴自棄になっていたりしたから、女性を知らないわけではない。友人の紹介やパーティなどで後腐れのない関係だって持ったりもした。チェルシーのことだって思い出さなかった時期もある。
それでもやはり昇華できなかった思いは完全に消えてはくれないのか。いっそこっぴどく振られたら、とも思うが隣を歩いて笑顔を向けられた今、それは無理だと感じた。
ふいにチェルシーと会ったパーティーを思い出す。こんなにも素敵な彼女が隣にいてくれるというのに、顔色一つ変えなかったフレッド。
しかし残念ながら、『氷伯爵』の異名を持つ彼が他人を甘やかすところは想像できない。これはラルフでなくても、そう思ってしまうのは仕方のないことだ。何故ならランサム家の使用人ですら、当主夫妻が人目もはばからず、ベタベタしだしたときには驚きが隠せなかったほどである。
(俺だったらもっと幸せにしてあげるのに……)
縁がなかったと嘆いていたが、そんなものは自分から結びに行けばいいのだ。再び断ち切られるとも知らずに、ラルフは今日会えた幸運を決して逃すものかと心に決めた。
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